リオネル・メッシ
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | レオ、プルガ(蚤)、プルガ・アトミカ(強力な蚤)[1]、メシアス(メシア)[2] | ||||||
| カタカナ | リオネル・メッシ | ||||||
| ラテン文字 | Lionel Andrés Messi | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1987年6月24日(24歳) | ||||||
| 出身地 | ロサリオ | ||||||
| 身長 | 169cm | ||||||
| 体重 | 67kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW / MF | ||||||
| 背番号 | 10 | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| ユースクラブ1 | |||||||
|
|||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 2 | |||||||
|
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月9日現在。 2. 2012年2月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
リオネル・アンドレス・メッシ(Lionel Andrés Messi, 1987年6月24日 - )は、アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに所属するアルゼンチン代表のサッカー選手。ポジションはウイング、センターフォワード、攻撃的ミッドフィールダー。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼少期
アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者の父とパートタイムの清掃員である母の間に生まれた[3][4][5]。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアのアンコーナ出身であり、1883年にアルゼンチンに移住した[6][7][5] 。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルス・オールドボーイズに入団する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)が発覚、治療なしでは身体が発達しないと診断され、成長ホルモン投与などの治療が必要とされたが、ニューウェルズ・オールドボーイズに治療費の工面を拒否され、そしてリバープレートも獲得を諦めた。
[編集] クラブ
[編集] バルセロナ入団
人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペイン、リーガ・エスパニョーラに所属するFCバルセロナの入団テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とは細目に連絡を取り合っていた[8]。
ユースチームで治療とトレーニングを続けた結果、身長は169cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。2004-05シーズンには弱冠17歳にして、プロのサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。2004年10月16日にリーグ第7節エスパニョール戦でプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初ゴール。17歳と10ヶ月7日で決めたこのゴールは、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキックが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少ゴールだった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。
[編集] 世界最高峰の選手へ
FCバルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーを抑えて選出されている。UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシー戦・1stレグを始め、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレイを連発していた素晴らしいシーズンではあったが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障してしまいその後のシーズンを棒に振る。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成。その偉業に少なくない貢献をした。
2006-2007シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナの最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯「コパ・デル・レイ」準決勝1stレグ、ホームでの対ヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわしてゴールを決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナの1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の"後継者"たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。37節のエスパニョール戦では、マラドーナの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17ゴールと奮闘した。
2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグのアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入。サミュエル・エトオ、ロナウジーニョにメッシ自身と4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルにフィットするまでに時間を擁し、エトオが負傷、ロナウジーニョが不調と思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく記録しチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。
2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトオ、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もほとんどなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。2008-09シーズンの総計38ゴールは、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。
[編集] バロンドール受賞以降
2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された[註 1]。12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し決勝ゴールを挙げる。続く決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝ゴールを挙げ、バルセロナの優勝に貢献。メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。胸でボールを押し込んだことに関してメッシは「相手GKが体勢を崩していて強いシュートを打つ必要がなかったので、確実にボールを押し込むために胸を使った」と話した[9]。12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。2007年、2008年と2年連続で次点となっていた[註 2]ため、3度目の正直での受賞となった。
2010年1月16日のセビージャ戦で、自身バルセロナ通算100ゴールを史上最年少で達成した。3月6日のアルメリア戦で決勝点を挙げると、14日のバレンシア戦、21日のサラゴサ戦と2試合連続でハットトリックを達成するなど、バルセロナの得点を9得点連続で記録した[註 3]。4月6日のチャンピオンズリーグ準々決勝・アーセナルとの2ndレグで、大会史上6人目となる1試合4得点[註 4]を達成した[10]。決勝トーナメントでの1試合4得点は史上初であり[10]、この得点でチャンピオンズリーグ通算得点が25となり、リバウドを抜いてバルセロナ歴代1位となった。チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった[11]。
2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタとシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。授賞式のスピーチでメッシは「まさか自分が受賞するとは思わなかった」と複雑な表情を見せていた。
2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。ダビド・ビジャの加入により、ビジャ、ペドロよりも低い位置でプレーすることになった結果、より自由に攻撃の才覚を発揮した。アシスト数(ゴールに繋がるパス)が格段に増えた他、前シーズン同様の得点能力も見せた。リーガ・エスパニョーラでの得点王はクリスティアーノ・ロナウド(40得点)に譲ったもの、CLやカップ戦を含めたシーズン得点数では、ロナウドと同じ53得点を記録した。特筆すべき得点は、レアル・マドリードとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでの2得点、マンチェスター・ユナイテッドとの決勝での勝ち越しゴールなどが挙げられる。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に大きく貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された[12]。
2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると[13]、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった[14]。2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、結果は4-0。メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPに輝き、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。
2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。
2月14日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のバイエル・レヴァークーゼン戦で1得点を挙げ、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント通算得点数を19とし、ラウル・ゴンサレスとアンドリー・シェフチェンコを抜き歴代単独最多となった[15]。2月19日のバレンシア戦では自身のリーガ通算200試合出場を、4得点を挙げて祝った[16]。同月26日のアトレティコ・マドリード戦では決勝点を挙げたもののハンドリングでシーズン5回目の警告を受け、キャリア初の累積警告による出場停止処分を受けた[17]。
[編集] 代表
2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権にはアルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では先制ゴールを自身がドリブルを仕掛け獲得したPKから、同点とされた後の勝ち越しゴールをセルヒオ・アグエロが獲得したPKから決め優勝に大きく貢献。大会を通じて6得点、得点王とMVPを獲得する大活躍を見せた。この活躍がフル代表監督ホセ・ペケルマンの目に止まり、同年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした。この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった。
2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップには上述の怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復しアルゼンチン代表に選出された。レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージの対セルビア・モンテネグロ戦にて、ワールドカップでのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献している。チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れ、大会を去った。
2007年夏に母国アルゼンチンで開催されたFIFA U-20ワールドカップには出場資格を持っていたものの、既にフル代表に定着していた自身は辞退(アルゼンチン代表は2連覇を達成)、フル代表が臨むコパ・アメリカ2007へ出場した。レギュラーを徐々に手繰り寄せていた彼は、準々決勝の対ペルー戦、準決勝の対メキシコ戦でゴールを決めるなどチームの決勝進出に貢献。しかし決勝のブラジル戦で敗れ、準優勝に終わった。
2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め(アルゼンチン代表史上最年少)、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。チームはベスト4の座を賭けたドイツ戦で完敗し(0-4)、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わるなど、マラドーナ2世のワールドカップは不完全燃焼に終わった(前年度にバロンドールを獲得した選手を擁する国は優勝できないというジンクスを破れず。バロンドールの呪い参照)。アルゼンチン国民の失望は激しく、ブーイングの嵐であった。
コパ・アメリカ2011ではアルゼンチンは準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベージャからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした[18]。2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した。
[編集] プレースタイル
突破力、ゴール感覚は世界最高峰と言われる。それに加え、抜群のキープ力や高いパスセンスも持つ[19]。
相手DFのマークを外すための技術を持ち、MFとしてもWGとしても、そしてCFとしても対応できるなど適応力も高い。身体的にも強靭で、自分より大きなDFにも対応できる。こぼれ球の処理にも秀でている[20]。
メッシ自身は自らのプレーがラ・マシアで培われたバルセロナのスタイルに起因するところが大きいとし、直感を重視して本能的にプレーしていると述べている[21]。
正確無比なプレーはしばしば「プレイステーションの中の選手のようだ」と喩えられることがある[22]。
[編集] 評価
3度のバロンドールに輝くなど、世界最高の選手の1人とされ、ジョゼップ・グアルディオラや[23]シャビ[24]、セルヒオ・バティスタ[25]など、歴代最高の選手とする声も多い[26]。
クリスティアーノ・ロナウドとは2000年代後半以降で世界最高の選手の一人とされ、度々比較されている[27][28][29]。ロナウドと互いの実力を認め合っており[30][31]、ロナウドはメッシをライバルとして意識している[32]。
アレックス・ファーガソンは教え子であるロナウドを世界最高の選手に挙げながらも、メッシの真面目さとサッカーへの愛情、ボールを奪いに行く勇気を高く評価し「ロナウドとは違うタイプの選手で、素晴らしい選手であることに疑いはない」と賛辞を送っている[29]。
アーセン・ヴェンゲルはメッシを世界最高の選手と評価し、トップスピードでありながら方向を変えることができるドリブル技術を「危険極まりない脅威」と表現した[33]。
アルフレッド・ディ・ステファノは個人技や創造性、両足での決定力に加え、チームのためにプレーする姿勢を高く評価し[34]、自らを魅了する選手の一人であるとしている[26][35]。アルゼンチン代表におけるキャプテン就任についても「数々のタイトルを獲得したメッシはプレッシャーに耐える術を知っている人間であり、彼に相応しい名誉だ」として支持している[35]。マラドーナとの比較については「時代が違う」として、必要のないことであると述べている[35]。
デビッド・ベッカムもメッシを世界最高の選手に挙げ、献身的なプレーとともに全ての試合を楽しむ姿勢を評価している[36]。
ディエゴ・マラドーナは「(メッシが歴代最高の選手かどうかは)歴史が決めること」であるとしながらもメッシのプレーを見ることが喜びであると語り[37]、メッシが史上最高の選手となることを望む旨を度々発言している[38][39]。マラドーナはメッシのプレーだけでなく、その人柄も高く評価している[40]。
[編集] エピソード
- ディエゴ・マラドーナ2世と呼ぶ声も多く、マラドーナ本人からもそれを認められている。マラドーナ2世と呼ばれる選手は多数おり、マラドーナ本人も認めた選手としては他にカルロス・テベスやダレッサンドロなどがいる。
詳細は「マラドーナ2世」を参照
- ワールドサッカー ウイニングイレブン 2009~2011まではウイニングイレブンシリーズのイメージキャラクターを務めていた[41][42][43]。2012年にはエレクトロニック・アーツがメッシとレオ・メッシ財団と複数年契約を行った。今後はFIFAシリーズでのイメージキャラクターを務めることになる。
- サッカー以外の私生活面では非常に寡黙で、酒席やパーティーに招かれても本人なりに気遣って隅の方で佇んだまま他の者らの談笑を黙って見ているだけで、メッシも輪の中に入るよう料理を取り分けると「ありがとう」と小声で答え、そのまま(満更でもない様子で)大人しくしているという[8]。
- かつてナイキ社と契約していたが、後にアディダス社と契約した。
- イギリスのロックバンド・オアシスのファンである。2010年のW杯南アフリカ大会の時にチームメイトのカルロス・テベスに薦められファンになった。[44]
- 2010年、オフィシャル・ニュートリション・パーソナル・スポンサーとしてHerbalife社と契約し、Herbalife社の恵まれない子供たちへの支援活動「Casa HERBALIFE」に協力。Herbalife社の製品を愛用していることを自身のブログサイトで述べている。
- 2010-2011年シーズン中、フランスの実質15部リーグに所属するFCボルヌから獲得のオファーレターを提出された。当時の世界最高峰の選手に対して同クラブ会長は“ダメもと”でオファーを画策したものだったが、フランスサッカー連盟が「悪質な冗談」としてこれを阻止、FCバルセロナへ書簡が届くことはなかった。[45]
- 2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年の5月からの1年間で3,200万ドル(日本円で約25億6,000万円)を稼いで9位にランクインした。[46]
- 元チームメイトのボージャン・クルキッチとはメッシとボージャンの曾祖父どうしが兄弟で遠縁の親戚である[47]。
[編集] レオ・メッシ財団(Fundacion Leo Messi)
2007年、「レオ・メッシ財団」を設立。難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に、自身と家族のアイデアから設立された。財団のホームページは現在では5ヶ国語に翻訳されている。
他の慈善団体と協力してイベントの実施や病院や施設などを訪れたり、施設環境の向上に尽力している模様はブログなどでも度々語られており、その活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている。[48]
2008年、財団のホームページとは別に日本でオフィシャルブログを開設した。経緯としては、ファンへの情報配信と財団の協賛企業集めの一環である。財団の存在や活動内容を周知するアンテナの役目も果たしている。2009年には中国語版も開設されたが、英語版やスペイン語版などの開設の目処は立っていない。メッシの個人スポンサーが1業種1社の条件で契約を結んでいるため、同業他社からスポンサーは得ることができず、協賛企業が見つからず開設できないという[49]。
[編集] 所属クラブ
ニューウェルス・オールドボーイズ(下部組織) 1995-2000
FCバルセロナB 2000-2005
FCバルセロナ 2005-
[編集] 個人成績
[編集] クラブでの成績
- 2012年2月8日現在
| シー ズン |
クラブ | ディビ シオン |
番号 | リーガ | 国王杯 | UEFA CL | 国内ス ーペル杯 |
UEFAス ーペル杯 |
FIFA CWC | シーズン 通算 |
|||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | アシ スト |
出場 | 得点 | アシ スト |
出場 | 得点 | アシ スト |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | アシ スト |
||||
| 03-04 | FCバル セロナB |
セグンダB | 5 | 0 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 5 | 0 | |||
| 04-05 | 12 | 6 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 12 | 6 | |||||
| セグンダB通算 | 17 | 6 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 17 | 6 | |||||
| 04-05 | FCバル セロナ |
プリメーラ | 30 | 7 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | - | - | - | - | - | - | 9 | 1 | 0 |
| 05-06 | 19 | 17 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | 1 | - | - | - | - | - | - | 25 | 8 | 4 | ||
| 06-07 | 26 | 14 | 2 | 2 | 2 | 1 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | - | 36 | 17 | 3 | |||
| 07-08 | 28 | 10 | 12 | 3 | 0 | 0 | 9 | 6 | 1 | - | - | - | - | - | - | 40 | 16 | 13 | |||
| 08-09 | 10 | 31 | 23 | 11 | 8 | 6 | 2 | 12 | 9 | 5 | - | - | - | - | - | - | 51 | 38 | 18 | ||
| 09-10 | 35 | 34 | 10 | 3 | 1 | 0 | 11 | 8 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 2 | 2 | 53 | 47 | 11 | |||
| 10-11 | 33 | 31 | 18 | 7 | 7 | 3 | 13 | 12 | 3 | 2 | 3 | - | - | - | - | 55 | 53 | 24 | |||
| 11-12 | 21 | 23 | 8 | 6 | 2 | 4 | 5 | 6 | 3 | 2 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | 37 | 37 | 15 | |||
| プリメーラ通算 | 198 | 142 | 64 | 32 | 19 | 9 | 62 | 43 | 13 | 7 | 8 | 3 | 1 | 4 | 4 | 306 | 217 | 88 | |||
[編集] 代表での成績
| 年 | 代表国 | 出場 | 得点 | アシスト |
|---|---|---|---|---|
| 2005 | 5 | 0 | 0 | |
| 2006 | 8 | 2 | 2 | |
| 2007 | 10 | 6 | 3 | |
| 2008 | 9 | 2 | 1 | |
| 2009 | 10 | 3 | 2 | |
| 2010 | 10 | 2 | 2 | |
| 2011 | 13 | 4 | 10 | |
| 2012 | 1 | 3 | 0 | |
| 通算 | 67 | 22 | 20 | |
[編集] 代表での得点
| # | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2006年3月1日 | 2–1 | 2–3 | 親善試合 | ||
| 2 | 2006年6月16日 | 6–0 | 6–0 | 2006 FIFAワールドカップ | ||
| 3 | 2007年6月5日 | 2–2 | 4–3 | 親善試合 | ||
| 4 | 4–2 | |||||
| 5 | 2007年7月8日 | 2–0 | 4–0 | コパ・アメリカ2007 | ||
| 6 | 2007年7月11日 | 2–0 | 3–0 | コパ・アメリカ2007 | ||
| 7 | 2007年10月16日 | 2–0 | 2–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 8 | 2007年11月20日 | 1–0 | 1–2 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 9 | 2008年6月4日 | 2–0 | 3–0 | 親善試合 | ||
| 10 | 2008年10月11日 | 1–0 | 2–1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 11 | 2009年2月11日 | 2–0 | 2–0 | 親善試合 | ||
| 12 | 2009年3月28日 | 1–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 13 | 2009年11月14日 | 1–1 | 1–2 | 親善試合 | ||
| 14 | 2010年9月7日 | 1–0 | 4–1 | 親善試合 | ||
| 15 | 2010年11月17日 | 1–0 | 1–0 | 親善試合 | ||
| 16 | 2011年2月9日 | 2–1 | 2–1 | 親善試合 | ||
| 17 | 2011年6月20日 | 2–0 | 4–0 | 親善試合 | ||
| 18 | 2011年10月7日 | 2–0 | 4–1 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 19 | 2011年11月15日 | 1–1 | 2–1 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 20 | 2012年2月29日 | 1–0 | 3–1 | 親善試合 | ||
| 21 | 2–1 | |||||
| 22 | 3–1 |
[編集] タイトル
[編集] 代表
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子競技サッカー | ||
| 金 | 2008 | 男子競技サッカー |
- 2005 FIFAワールドユース選手権 - 優勝
- 2008 北京オリンピック - 金メダル
[編集] クラブ
- FCバルセロナ
- FIFAクラブワールドカップ : 2009, 2011
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2005-06, 2008-09, 2010-11
- UEFAスーパーカップ : 2009, 2011
- リーガ・エスパニョーラ : 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11
- コパ・デル・レイ : 2008-09
- スペインスーパーカップ : 2005, 2006, 2009, 2010, 2011
[編集] 個人
- FIFAワールドユース得点王(6得点)、最優秀選手 : 2005
- オリンピア賞(アルゼンチン最優秀選手) : 2005, 2007
- 世界最優秀若手選手(ワールドサッカー誌選出) : 2006, 2007, 2008
- FIFPro世界年間最優秀若手選手 : 2005-06, 2006-07, 2007-08
- FIFPro特別年間最優秀若手選手 : 2006-07, 2007-08
- FIFPro世界ベストイレブン : 2006-07, 2007-08
- コパ・アメリカ最優秀若手選手 : 2007
- ブラヴォー賞 : 2007
- リーガ・エスパニョーラ最優秀外国人選手 : 2006-07, 2008-09, 2009-2010
- EFE賞(リーガ・エスパニョーラ最優秀アメリカ大陸出身選手賞) : 2006-07, 2008-09
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー : 2007-08
- FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー : 2008
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王 : 2008-09, 2009-10, 2010-11
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ : 2008-09
- リーガ・エスパニョーラ最優秀FW : 2008-09
- リーガ・エスパニョーラ最優秀選手 : 2008-09
- UEFAクラブ最優秀FW : 2008-09
- UEFA年間最優秀選手 : 2008-09
- オンズドール : 2009
- バロンドール : 2009
- FIFAバロンドール : 2010, 2011
- FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール賞 : 2009, 2011
- FIFA年間最優秀選手 : 2009
- リーガ・エスパニョーラ得点王 : 2009-10
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー : 2009-10
- UEFA欧州最優秀選手賞 : 2011
[編集] 註釈
- ^ メッシ以前のアルゼンチン出身の受賞者は1957、59年のアルフレッド・ディ・ステファノ、1961年のオマール・シボリであるが、当時は受賞資格が欧州国籍の選手にしか与えられておらず、ディ・ステファノはスペイン人、シボリはイタリア人としてそれぞれ受賞している。そのためアルゼンチン人としてバロンドールを受賞したのはメッシが初めてである。
- ^ それぞれカカ、クリスティアーノ・ロナウドの次点である。
- ^ サラゴサ戦の4点目に、ズラタン・イブラヒモヴィッチがメッシの得たPKを決めて記録は止まった。
- ^ 1試合4得点は自身初めてのことである
[編集] 出典
- ^ “El mundo habla de Messi” (Spanish). La República. 2011年5月29日閲覧。
- ^ “Deslumbra la llegada del 'Messías'” (Spanish). Perú21. 2011年5月29日閲覧。
- ^ Carlin, John (27 March 2010). “Lionel Messi: Magic in his feet”. London: The Independent 2010年4月7日閲覧。
- ^ Veiga, Gustavo. “Los intereses de Messi” (Spanish). Página/12. 2009年5月31日閲覧。
- ^ a b Hawkey, Ian (20 April 2008). “Lionel Messi on a mission”. London: Times Online 2009年5月30日閲覧。
- ^ Carlin, John (27 March 2010). “Lionel Messi: Magic in his feet”. London: The Independent 2010年4月7日閲覧。
- ^ Veiga, Gustavo. “Los intereses de Messi” (Spanish). Página/12. 2009年5月31日閲覧。
- ^ a b 「メッシ 169センチの、本気! 」ルーカ・カイオーリ著 東邦出版 2010年2月18日
- ^ sportsnavi.com メッシ「確実にボールを押し込むために胸を使った」 2009年12月20日
- ^ a b メッシの大活躍に称賛の嵐 Livedoorスポーツ 欧州通信 2010年4月7日
- ^ メッシ2発締めでバルサV2!さあ南アへ 2010年5月18日 スポニチ Sponichi Annexニュース
- ^ 初代UEFA欧州最優秀選手にメッシUEFA.com 2011年8月25日
- ^ メッシ、バルサ歴代2位に並ぶ通算194ゴール…指揮官は賛辞とともに引退を危惧SOCCER KING 2011年9月29日
- ^ メッシ、通算196ゴールでバルセロナ歴代得点記録単独2位にSOCCER KING 2011年10月17日
- ^ バルセロナのメッシ、ラウールらを抜きCL決勝Tの歴代得点王にSOCCER KING 2012年2月17日
- ^ Barcelona v Valencia Messi rips Valencia apartESPN Soccernet
- ^ メッシ、累積警告によりプロ入り初の出場停止…次節のヒホン戦欠場へSOCCER KING 2012年2月28日
- ^ Messi: "Era el momento de aceptar la cinta"canchallena.com 2011年9月4日
- ^ 選手名鑑 【アルゼンチン】リオネル・メッシ jiji.com
- ^ リオネル・メッシ FCBARCELONA.JP
- ^ メッシ「バルサのスタイルは、まるで僕のために作られたかのよう」Livedoorスポーツ 2011年4月4日
- ^ イブラ:「メッシはプレステみたい」Goal.com 2009年8月3日
- ^ ペップ:「メッシは史上最高のプレーヤー」Goal.com 2011年5月29日
- ^ シャビがメッシを絶賛「メッシはペレやマラドーナ、クライフより上」SOCCER KING 2011年6月7日
- ^ バティスタ:「メッシは歴史上最高の選手になる」Goal.com 2011年2月9日
- ^ a b アルゼンチン紙がメッシを大絶賛「メッシはマラドーナを超えた」SOCCR KING 2011年5月31日
- ^ C・ロナウドがメッシより優れている点Livedoor.com、2010年4月9日
- ^ サッキ氏:「C・ロナウドはメッシに劣る」Goal.com 2011年11月2日
- ^ a b ファギー:「メッシよりC・ロナウドの方が上」Goal.com 2011年4月27日
- ^ C・ロナウド:「メッシをリスペクトしている」 asahi.com、2009年5月26日
- ^ メッシ 「C・ロナウドはお金を払ってでも見たい選手」 AFP BB News、2009年5月27日
- ^ C・ロナウドがメッシに挑戦状「どちらが上かは、いずれ分かる」SOCCER KING 2011年11月5日
- ^ ヴェンゲル監督「メッシは世界最高の選手」Livedoorスポーツ 2010年4月7日
- ^ モウリーニョ、UEFA処分に正式に異議申し立てGoal.com 2011年6月11日
- ^ a b c ディ・ステファノ:「メッシのゴールを楽しんでいる」 Goal.com 2011年10月31日
- ^ ベッカム:「世界最高の選手はメッシ」Goal.com 2011年7月17日
- ^ マラドーナ:「メッシが最強かは歴史が決める」 現場復帰の噂には…Livedoorスポーツ 2011年4月30日
- ^ マラドーナもメッシを絶賛 「彼が史上最強だ」Livedoorスポーツ 2010年4月8日
- ^ メッシの活躍を願うマラドーナLivedoorスポーツ 2010年6月12日
- ^ マラドーナ:「メッシはファンタスティック」Goal.com 2011年5月30日
- ^ “『ウイイレ2009』のイメージキャラクターがメッシ選手に決定” (2008年10月14日). 2010年3月26日閲覧。
- ^ “メッシ、トーレスのコメントも! 『ウイイレ2010』、本体同梱版が発売決定【TGS2009】” (2009年9月24日). 2011年10月30日閲覧。
- ^ “「ウイニングイレブン」が日本のサッカーをさらに熱くする”. コナミデジタルエンタテインメント. 2010年3月26日閲覧。
- ^ アルゼンチン代表のFW、メッシがオアシス再結成を要請 音楽情報サイト 'RO69' 2010年6月22日
- ^ メッシ“引き抜き”を画策、門前払いを食らった“田舎”クラブ
- ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0033058
- ^ メッシとボージャンは親戚だった?Goal.com 2011年10月14日
- ^ レオ・メッシ財団(日本語)
- ^ 日本語だけ 世界でただひとつのメッシ・ブログ 読売新聞2009年12月16日付(2010年5月27日閲覧)、「メッシのブログ 日本発」朝日新聞2010年5月27日付東京版夕刊
[編集] 外部リンク
- Official Website
- レオ・メッシ財団(日本語版)
- リオネル・メッシ fcbarcelona.jp閲覧
- 旧メッシOFFICIAL BLOG「LEO MESSI」
- 現メッシOFFICIAL BLOG「LEO MESSI」
|
|
|---|
|
1 V・バルデス | 2 D・アウヴェス | 3 ピケ | 4 セスク | 5 プジョル 監督: グアルディオラ |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||