ギュンター・シュタイナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Logical consequences (会話 | 投稿記録) による 2022年11月23日 (水) 10:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ギュンター・シュタイナー
Guenther Steiner
2022年
生誕 (1965-04-07) 1965年4月7日(59歳)
イタリアの旗 イタリアボルツァーノ自治県メラーノ
国籍 イタリアの旗 イタリア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 チームマネージャー(レーシングチーム)
テンプレートを表示

ギュンター・シュタイナー(Guenther Steiner、1965年4月7日 - )はモータースポーツマネージャーであり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のチームマネージャーとして知られる。イタリアアメリカ合衆国の国籍を持つ[1]

経歴

南チロルメラーノで肉屋の息子として生まれた[2]。工学を学んだが、学位は取得しなかった[1]

ラリー

1986年から1988年にかけて当時ベルギーを拠点として世界ラリー選手権(WRC)に参戦していたマツダ(マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ)にメカニックとして加入し、モータースポーツにおけるキャリアを始めた[3][4][5]

以降もラリーに参戦しているチームを渡り歩き、1989年から1990年にかけてイタリアのトップラン英語版でアシスタントチームマネージャーを務めた[4]。このチームはマツダのラリー車(323 4WD)を走らせており、シュタイナーはグループNの様々なラリーに参戦するプライベーターたちの支援を担当した[4]

1991年から1996年にかけては世界ラリー選手権に参戦していたジョリー・クラブ英語版に所属し、最初はレコノサンス(コースの下見)の責任者を務め、1994年にテクニカルマネージャーとなった[4]

1997年にプロドライブのオールスター・ラリーチームのマネージャーとなり、同年に所属ドライバーのクシシュトフ・ホロウィツィック英語版ヨーロッパラリー選手権(ERC)を制覇した[4]

1998年にMスポーツにプロジェクトマネージャーとして移籍し、2000年に同チームのエンジニアディレクターに昇進する[4]。MスポーツではフォードのWRCチームのプログラムに加わり、同チームは2000年2001年シーズンの両年ともマニュファクチャラーズランキング2位を得た[4]

ジャガー

2001年フォーミュラ1(F1)のジャガー・レーシングでチーム代表を務めていたニキ・ラウダにヘッドハントされ、2001年12月3日、マネージングディレクターに任命された[3][4]。当時のジャガーはフォード傘下であり、シュタイナーによれば、当時ラウダがフォード内に適当な人材がいないか問合せ、それでシュタイナーに白羽の矢が立ったという経緯である[1]

シュタイナーは主にファクトリーの管理を任され[6]、チームのコストを削減することに成功した[3][4]。しかし、2002年にチームは低迷し、同年末にフォード社はチーム立て直しの一環としてラウダの解任を決定し、体制の刷新を図る。その余波を受け、シュタイナーはチームを去ることになった[3][4]

新体制側はシュタイナーを慰留したが、シュタイナーはそれを辞退し[1]、2003年はガーデニング休暇を過ごす[1][4]。2003年末にオペルに雇われ、オペル・パフォーマンスセンター英語版のテクニカルディレクターとしてDTMにおけるオペルの活動を担当した[4]

レッドブル

2004年11月にレッドブルがジャガー・レーシングを買収し、シュタイナーは新たに発足したレッドブル・レーシングに勧誘された[7]。これはオーナーのディートリヒ・マテシッツはオーストリア人であり、ドイツ語を話せるシュタイナーは好都合だったというのも理由のひとつだったとされる[7]。オペルが2005年限りでDTMから撤退することも決まっていたため、シュタイナーはその申し出を受け、2005年2月にレッドブルにテクニカルディレクターとして加入した[8][9][10][4]

しかし、2005年11月にレッドブルはエイドリアン・ニューウェイを獲得したため、シュタイナーはテクニカルディレクターの地位をニューウェイに譲ることになる[11]。そこでマテシッツはシュタイナーに新たに設立されたNASCARレッドブルチーム英語版を担当しないか提案し、それに同意したシュタイナーは米国に移住する[1][4]

シュタイナーは新チームの構築を手掛け、2006年から2008年にかけてNASCARのレッドブルチームでテクニカルディレクターを務めた[11][1][4]

シュタイナーは2008年4月にチームを去ったが、その後もレッドブルチームのファクトリーが置かれたノースカロライナ州ムーアズビルに留まり、2009年1月にファイバーワークス・コンポジット社(Fibreworks Composites)を創業した[4]。同社はレーシングカー用のカーボンコンポジットの設計と製造に特化した企業である[4]

ハース

2010年頃、US F1チーム設立の動きがあり、その中でシュタイナーはスチュワート=ハース・レーシングジーン・ハース英語版と知り合う。ハースはUS F1への出資を断念したもののF1参戦を考えており[12]、シュタイナーは(独自シャシーによる参戦を検討していたUS F1と異なり)F1で実績のある既存のコンストラクターにシャシーの製造を依頼することで参戦してはどうかと提案する[12][13]

この時は新チームの申請期限に間に合わなかったため参戦は叶わなかったが、シュタイナーはその後もハースのために核となるスタッフのリクルートを進め、同時にダラーラフェラーリとの契約を結び、シャシーとエンジンを確保した[13]

2014年4月にハースのF1参戦は国際自動車連盟(FIA)から承認され、シュナイナーはハースチームのチーム代表として正式に発表された[14]

2016年、ハースチームはF1では1986年チーム・ハース以来、30年振りのアメリカ国籍のコンストラクターとしてデビューを飾った[1][4]

人物

「Steiner」というドイツ風の姓を持つが、これは出身地がオーストリアスイスと接する南チロルであるためで、国籍はイタリアと米国である[3][1]。シュタイナー自身はドイツ語、イタリア語、英語を話す[2]

ラリーやサーキットレースで様々なドライバーと働いているが、中でも最高のドライバーは誰だったかを2016年に問われ、コリン・マクレー(Mスポーツ)だと答え、他の特別だったドライバーとしてはエディ・アーバイン(ジャガー)を挙げ、シュタイナー自身が学ぶところが多かったのはカルロス・サインツ(Mスポーツ)だったと述べている[1]

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Eric Silvermann (2016年10月23日). “Breakfast with Guenther Steiner” (英語). F1i.com. DIGITAL MOTORSPORT MEDIA. 2022年2月22日閲覧。
  2. ^ a b Dieter Rencken (2019年4月10日). ““We don’t have to be here” – but Steiner expects the Haas model is here to stay” (英語). RaceFans. Collantine Media Ltd. 2022年3月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e The resurrection of Gunther Steiner” (英語). Grandprix.com (2005年1月7日). 2022年2月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Guenther Steiner” (英語). Haas F1 Team. 2022年2月22日閲覧。
  5. ^ About us” (英語). Fibreworks Composites. 2022年2月22日閲覧。
  6. ^ Jaguar Racing names Managing Director” (英語). Motorsport.com (2001年12月1日). 2018年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
  7. ^ a b Christian Nimmervoll (2005年2月15日). “Red Bull Racing geht ohne Prognosen in die Saison 2005” (ドイツ語). Motorsport Total. Motorsport.com. 2022年2月22日閲覧。
  8. ^ Red Bull Racing RB1 launchでのTechnical director Guenther Steiner写真”. motorsport.com (2005年2月7日). 2022年11月23日閲覧。
  9. ^ The F1 axe falls at Red Bull Racing” (英語). Grandprix.com (2005年1月7日). 2022年2月22日閲覧。
  10. ^ Alex Sabine (2005年1月14日). “Steiner appointed RBR tech boss” (英語). Autosport. 2022年2月22日閲覧。
  11. ^ a b Steiner joins Red Bull's team” (英語). Autosport (2006年3月3日). 2022年2月22日閲覧。
  12. ^ a b Christian Sylt (2014年7月15日). “Haas Declined Chance To Invest In US F1 Team” (英語). Forbes. 2022年2月22日閲覧。
  13. ^ a b Luke Smith (2016年3月25日). “One of a kind” (英語). NBC Sport. 2022年2月22日閲覧。
  14. ^ F1: Haas Formula teleconference transcript” (英語). Racer (2014年4月14日). 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。

外部リンク