キティ・フィルム

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株式会社キティ・フィルム
Kitty film Co.ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
154-0024
東京都世田谷区三軒茶屋2-11-23
設立 1982年3月24日
業種 情報・通信業
法人番号 4010901003055 ウィキデータを編集
事業内容 映画、テレビ、ラジオの企画・制作
代表者 多賀英典(代表取締役)
資本金 2200万円
従業員数 12名
主要株主 キティライツ&エンターテイメント
外部リンク http://www.kitty.co.jp/
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株式会社キティ・フィルムまたは株式会社キティは、日本の舞台映画製作会社、アニメ製作会社、芸能事務所である。

概要

ポリドールK.K.(現:ユニバーサルミュージック (日本))の社員で小椋佳井上陽水ディレクターを務めていた多賀英典が、1972年に芸能プロモーター(興行師)として独立し「キティミュージックコーポレーション(後のキティエンタープライズ)」として創立。キティ・フィルムは邦画制作プロダクションとして設立された。

1995年にキティエンタープライズは石坂敬一率いるポリグラムK.Kに買収され、多賀の手許を離れたため(後に、ポリグラム・ミュージック・ジャパン→キティMMEを経てユニバーサルJもしくはユニバーサルシグマもしくはNAYUTAWAVE RECORDS(レーベルは「Kitty Mercury」)へと変遷)、株式会社キティがキティグループの中心企業となっている。

キティ・フィルムはアニメーション制作プロダクションとして『うる星やつら』『みゆき』『めぞん一刻』『らんま1/2』『銀河英雄伝説』を制作したことでも知られ、一時期三鷹にアニメスタジオを設けていた。これらは系列の旧ファイブエースや旧キティエンタープライズからビデオソフトとしても売り出された(→#歴史)。

実写映画での代表作には『限りなく透明に近いブルー』『翔んだカップル』などがある。1990年代までは芸能事務所として永瀬正敏[1]石原真理(当時は真理子)等一世を風靡した人気タレントが多く所属していた。

現在の事業はアーティスト(歌手)のマネジメントが中心で、映像制作では1980年代のような活発な動きはなくなっている。またキティ・フィルム作品のうち『銀河英雄伝説』『鬼神童子ZENKI』、高橋留美子作品などの著作権は売却しているため、公式サイトや現在発売中の商品のクレジットには「キティ・フィルム」の標記はない。

キティ・フィルムの関連会社として、アーティストのマネジメント・かつて制作した邦画テレビドラマの権利管理・音楽出版を受け持つ芸能事務所の「株式会社キティ」、アニメファンクラブ運営と各アニメ作品のライツ管理・ビデオソフト発売元を受け持つ株式会社キティライツ&エンターテインメント(旧・ファイブエース=5-ACE)がある。

歴史

多賀英典1972年にキティ・ミュージック・コーポレーションを創業。

もともと多賀自身がサウンドと映像の融合にこだわり続けていたため、東宝の『初めての旅』を皮切りに映画、テレビドラマに携わり、それでは飽き足らなくなって1979年に映画製作に進出。映画製作会社キティ・フィルムを設立した。

この時集められたのが日活出身の伊地智啓長谷川和彦相米慎二である。映画監督の長谷川和彦、作家の村上龍、プロデューサーの山本又一朗が参加して、同年にキティ・フィルムの製作で村上龍原作・監督の実写映画『限りなく透明に近いブルー』を公開。山本又一朗はキティ・ミュージック・コーポレーションで、同年に実写映画『ベルサイユのばら』を製作した。

多賀の意向で村上龍を監督に据えた『限りなく透明に近いブルー』と『だいじょうぶマイフレンド』(1983年)は興行的に大失敗を記録。キティをひっくり返すぐらいの損失を計上した。それを『うる星やつら』の大ヒットが救ったと言われている。当時は親会社のポリドールK.K.よりキティの方が勢いがあったため、音楽で稼いだ金を湯水のごとく映画制作に注ぎ込んだ多賀の強引さが、後のキティ凋落のきっかけになったと言われている。

1980年には柳沢きみおの漫画『翔んだカップル』を薬師丸ひろ子主演、相米慎二監督で映画化。これ以降、漫画を原作にすることが多くなり、後述の通りアニメへも進出。薬師丸との関係では、1981年に公開され23億円の配給収入を挙げたその年最大のヒット作品『セーラー服と機関銃』を角川春樹事務所と共同製作。薬師丸をスターダムへ押し上げ、監督した相米の名も高めた。

1981年にはアニメ製作に乗り出し、テレビアニメ『うる星やつら』を製作。『うる星やつら』は映画化もされて成功し、以後、『めぞん一刻』『らんま1/2』と高橋留美子の漫画をアニメ化する路線を敷いた。さらに自社作品のファンクラブを運営して、全国でイベント開催するとともに会報の発行などを行った。ファンクラブは『うる星やつら』のテレビシリーズが終了する1986年3月までは「うる星やつらファンクラブ」、以後は「キティ・アニメーション・サークル」(KAC)と称した[2]

『うる星やつら』の前半は、アニメ制作会社スタジオぴえろが、『うる星やつら』後半から『めぞん一刻』『らんま1/2』『スーパーヅガン』などではスタジオディーンが、『うる星やつら』末期の映画や『銀河英雄伝説』『YAWARA!』はマッドハウスがキティ・フィルム作品の実制作を担った。アニメ部門の責任者は、タツノコプロで企画文芸部に属したことのある劇画村塾出身の落合茂一で、その縁から高橋留美子原作作品がフジテレビで長期放映されるきっかけとなった。

制作を外部へ委託するばかりでなく、やはりタツノコプロ出身でプロデューサーの宮田知行(現・J.C.STAFF社長)や演出家の西久保瑞穂を招いてキティ・フィルム三鷹スタジオを設けるなど、一時期は自前でスタジオを持ってアニメ制作を行っていた。1983年にはあだち充の漫画『みゆき』の映像化権を取得して、実写映画を制作するとともに三鷹スタジオでアニメ化した。

キティ・フィルム作品では、田原の企画発案で1987年5月に『うる星やつら』テレビシリーズ全話を収録したレーザーディスクのソフトが予約限定で発売され、全50枚・価格33万円と破格の仕様ながら初回分が完売したことで話題を集めた。後に一般的になるLD-BOX、DVD-BOXと呼ばれる商品形態の先駆けであり、映像作品の2次利用の成功例としても知られている[3]

三鷹スタジオではその後OVA『街角のメルヘン』や『銀河英雄伝説』を制作。特に1988年に第1期のリリースが始まった『銀河英雄伝説』は、プロデューサーの田原正利の手腕で、第1期で全26話・全編110話という当時の常識を打ち破る話数と、当初は通信販売のみでのリリースという異色OVA作品として話題になった。

1989年に、シネマハウト、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、メリエスプルミエ・インターナショナル、ディレクターズ・カンパニーといった中堅の制作プロダクション・プロモーション会社ともにアルゴ・プロジェクトの立ち上げに参加。発足から1980年代まで製作した映画は主に東宝の配給で公開されていたが、以後はアルゴ・プロジェクトにより作品が配給された。

『YAWARA!』『らんま1/2』放映中の1992年に創業者の多賀が自らの不祥事の責任をとる形でグループの全経営から引退、発足当初から実写部門で製作を行ってきた伊地智専務が急遽代表に就任した。それと前後して、1992年4月に落合がアルゴ・プロジェクトに転出(後にパオハウスを設立して完全独立)、落合に代わって『めぞん一刻』以降の高橋原作作品のプロデューサーを務めた松下洋子日本アドシステムズへ移籍、後継の中川順平も1995年に伊地智や田原と共に独立して株式会社ケイファクトリーを設立するなど有力スタッフが退社したことも影響して、1990年代末期にはアニメ制作から撤退した[4]

2007年3月17日マジックメールアステル東京を手がけていたITベンチャーの株式会社YOZANがキティ・フィルムの50%以上の議決権を持つキティライツ&エンターテインメント2007年4月9日をもって完全子会社化することを発表。同時期に買収した飛鳥新社と合わせてYOZANのコンテンツビジネス事業として収益を図る目論見が立てられた[5][6]。キティライツ&エンターテイメントは公開会社の子会社となったため、YOZANの事業報告書にキティライツの事業内容が取り上げられた。

しかし、2007年11月にコンテンツ部門を含めた社業全体の損失計上や、ライツ社に関して過去の法人税滞納が簿外債務となっている可能性があり、YOZAN本体の決算発表に支障が生じた。これらを理由にリストラを進める形となり、2008年5月20日に経営悪化に伴う事業整理の一環として、多賀にYOZANが保有するキティライツの全株式を売却。YOZANグループから離脱し再び経営が多賀の手許に戻ることとなった[7]

作品

実写

映画

テレビドラマ

テレビCM

  • ポッキー四姉妹物語(1993〜1995年 江崎グリコのCM。原案:赤川次郎、キャスト:清水美砂、牧瀬里穂、中江有里、今村雅美、長塚京三)

アニメ

テレビシリーズ

OVA

  • うる星やつら
    • うる星やつら 了子の9月のお茶会 (1985年)
    • うる星やつら アイム THE 終ちゃん (1985年)
    • うる星やつら 夢の仕掛人 因幡くん登場! ラムの未来はどうなるっちゃ!? (1987年)
    • うる星やつら 怒れシャーベット (1988年)
    • うる星やつら 渚のフィアンセ (1988年)
    • うる星やつら 電気仕掛けのお庭番 (1989年)
    • うる星やつら 月に吠える (1989年)
    • うる星やつら ヤギさんとチーズ (1989年)
    • うる星やつら ハートをつかめ (1989年)
    • うる星やつら 乙女ばしかの恐怖 (1991年)
    • うる星やつら 霊魂とデート (1991年)
  • らんま1/2
    • らんま1/2 シャンプー豹変!反転宝珠の禍 (1993年)
    • らんま1/2 天道家 すくらんぶるクリスマス (1993年)
    • らんま1/2 あかねVSらんま お母さんの味は私が守る! (1994年)
    • らんま1/2 学園に吹く嵐!アダルトチェンジひな子先生 (1994年)
    • らんま1/2 道を継ぐ者(前編) (1994年)
    • らんま1/2 道を継ぐ者(後編) (1994年)
    • らんま1/2 天道家のおよびでない奴ら! (1994年)
    • らんま1/2 SPECIAL よみがえる記憶(上巻) (1994年)
    • らんま1/2 SPECIAL よみがえる記憶(下巻) (1995年)
    • らんま1/2 SUPER ああ呪いの破恋洞! 我が愛は永遠に (1995年)
    • らんま1/2 SUPER 邪悪の鬼 (1995年)
    • らんま1/2 SUPER 二人のあかね「乱馬、私を見て!」 (1996年)
  • 街角のメルヘン (1984年)
  • 軽井沢シンドローム (1985年)
  • ホワッツマイケル? (1985年-1988年)
  • 銀河英雄伝説 (1988年-2000年)
  • 八神くんの家庭の事情 (1990年、アニメーション制作はI.Gタツノコ(現:Production I.G))
  • 創竜伝 (1991年-1993年)
  • 桜通信 (1997年、アニメーション制作はSHAFT
  • 倒凶十将伝 (1999年-2002年、アニメーション制作はゼクシズ→ティー・ピー・オー)

映画

テレビスペシャル

出版

絵本

舞台

企画・製作

主な所属タレント・アーティスト

  • SCANDAL
  • はねゆり
  • 川隅美慎
  • 橘実里
  • 中村誠治郎
  • 根本正勝
  • 玉城裕規
  • 加藤一華
  • 羽山誓
  • bable
  • カネコアヤノ
  • kevin
  • れるりり
  • KANIKAPILA
  • 平林龍

過去に所属していたタレント・アーティスト

存在していた関連会社

  • キティビデオ
  • キティ・エンタープライズ(キティレコード部門。2000年代にMMEと吸収し、キティMMEとなり、現在はユニバーサルミュージックのユニバーサルJもしくはユニバーサルシグマのレーベルである。)
  • キティアーティスト(芸能事務所・音楽出版部門。キティ・エンタープライズの子会社だったがキティへ吸収)
  • コマーシャルギャング・オプ・キティ
  • ジャパン・ネットワーキング(JNW)
  • レコード・プラント

脚注

  1. ^ 武藤起一『映画愛 [俳優編] 武藤起一インタビュー集』大栄出版、1993年、p.138
  2. ^ アニメージュ』1986年4月号、p.51
  3. ^ 増田弘道『アニメビジネスがわかる』NTT出版、2007年、p130
  4. ^ 現在、松下は日本アドシステムズ取締役兼アサツー ディ・ケイ局長。伊地智はケイファクトリーを引退。田原は有限会社ティー・ピー・オー代表。中川はテレビ東京プロデューサー。
  5. ^ YOZAN アニメ「うる星やつら」のキティグループ子会社化 アニメ!アニメ! 2007年3月17日
  6. ^ YOZANが飛鳥新社とキティを傘下に ITmediaニュース 2007年3月19日
  7. ^ 子会社株式の譲渡及びこれに伴う特別利益の発生に関するお知らせ YOZAN公式サイト 2008年5月9日

関連項目

外部リンク