SSラツィオ

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SSラツィオ
原語表記 Società Sportiva Lazio S.p.A.
愛称 Biancocelesti, Biancazzurri, Aquile, Aquilotti
創設年 1900年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ローマ
ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ
収容人数 72,698
代表者 イタリアの旗 クラウディオ・ロティート
監督 イタリアの旗 シモーネ・インザーギ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

SSラツィオSocietà Sportiva Lazio S.p.A.)は、イタリアローマ市(ラツィオ州)を本拠地とするサッカークラブチーム。

概要

愛称はBiancocelestiで、チームカラーは水色。通称はラツィオ。サポーターはラツィアーレと呼ばれる。

ローマとは同じスタディオ・オリンピコを本拠地とするが、ローマは主としてローマ市内での人気が高いのに対し、ラツィオは広くラツィオ州に支持者を持つ。

この2チームのダービーマッチローマ・ダービーとして盛り上がりをみせ、熱狂的なサポーター同士の暴力沙汰や器物損壊などの騒動も少なくない。

イタリア国内では初めて株式を上場したサッカークラブでもある。

歴史

リベルタ広場にある創立記念プレート

1900年に設立。前身は、イタリア人将校ルイジ・ビビアレッリが創立した「ソシエタ・ポデスティカ・ラツィオ(Società Podistica Lazio=ラツィオ競歩協会)」である。

1958年にコッパ・イタリアを獲得。これがクラブにとっての初タイトルであった。1973-74に初めてスクデットを獲得して以降は低迷し、セリエBとセリエAを行き来するようになった。また、成績面においてもライバルのローマに大きく水を開けられる状態であった。

セルジョ・クラニョッティ会長時代

こうした状況を打破するため、1992年に大手食品会社チリオのオーナー、セルジョ・クラニョッティが会長に就任する。

ディノ・ゾフが監督を務めて以降は上位に顔を出すようにはなったが、当時はクラニョッティ自身が多忙だったため、1994年には監督だったゾフにフロントを任せて、ゾフの後任にズデネク・ゼーマンを招聘する。

1997年にスヴェン・ゴラン・エリクソンが監督に就任して以降は多くのタイトルを獲得することになる。

1998年にイタリアのクラブでは初めて株式を上場し、これによって潤沢な資金を得たクラブは、シニシャ・ミハイロヴィチイバン・デ・ラ・ペーニャセルジオ・コンセイソンデヤン・スタンコヴィッチクリスチャン・ヴィエリマルセロ・サラスといったスター選手を次々に獲得すると、戦力が大きくアップしたチームは優勝争いに加わるようになる。その結果、1999年には最初で最後のUEFAカップウィナーズカップ優勝、次いでUEFAスーパーカップ優勝、2000年には26年ぶりのリーグ優勝とコッパ・イタリア制覇とクラブ史上初の2冠を達成するなど大きな成功を手にした。

しかし、サッカーバブル崩壊と共に、株式上場が裏目に出たことやチリオの業績悪化の影響を受けて多くの負債を抱えるようになった。これにより、多くのスター選手が移籍市場に売り出され、ついに、2002年には生え抜きでチームのキャプテンでもあったアレッサンドロ・ネスタACミランに売り出さなければならないほどにまでクラブの財政は悪化した。

その後、クラニョッティ一族は2003年にクラブ経営から退き、一族の顧問弁護士であったウーゴ・ロンゴが管財人として会長職に就任した。

クラウディオ・ロティート会長時代

クラニョッティによるラツィオの経営が悪化すると、2004年に清掃・警備会社等を経営する実業家クラウディオ・ロティートが買収に乗り出しクラブを買収。会長に就任する。

極度の財政難のため緊縮財政を実施しており、補強はきわめて限られた財政力で行なわれている。緊縮財政を反映して選手の給与額を制限し、大型補強もほとんど行なわないため、ラツィアーレからの反感を買うことも多いが、ラツィオが多額の負債を抱えながらも生き残っているのはロティートの辣腕に負うところが大きい。2005年には、1億4000万ユーロ(約195億円)と言われる負債の23年の分割払いで税務当局と合意するなど、優れた手腕を発揮した。

ロティートはルチアーノ・モッジとの親交が深かったが、その深さが仇となり、カルチョ・スキャンダルへの関与が疑われた。こうして2006年7月14日、セリエAの八百長問題に関連して「セリエB降格および勝ち点-7点からのリーグ戦開始」との判決が下される。7月25日、控訴審判決においてセリエA残留、2006-07シーズンの勝ち点-11でのシーズン開始と2005-06シーズンの勝ち点-30の判決が下された。後の判決によって、2006-07シーズンのペナルティが勝ち点-3に削減された。この事件についてはカルチョ・スキャンダルの項を参考のこと。

2006-07シーズン、クラブには重いペナルティが課されたが、デリオ・ロッシ監督の下、デルビー・ロマーノで歴史的大勝(ラツィオが3点差以上のスコアをつけて勝利したのは初めて)をするなどして最終的にシーズン3位でUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得するなど、再生は堅実に進められた。2008-09シーズンはセリエAでは10位に終わるものの、コッパ・イタリアを制し、続くイタリア・スーパーカップも獲得した。

2009-10シーズン、移籍希望を公言したゴラン・パンデフにロティートが激怒し、同様の訴えをしたクリスティアン・レデスマなど主力数選手などと共に戦力外扱いされる出来事があり、その影響などから成績不振が続いた。

2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、コッパ・イタリアでは決勝でASローマとのローマ・ダービーを制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。

タイトル

スタディオ・オリンピコ

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン 順位 勝点 得点 失点 得失 所属
1996 - 1997 4 55 34 15 10 9 54 37 +17 セリエA
1997 - 1998 7 56 34 16 8 10 53 30 +23 セリエA
1998 - 1999 2 69 34 20 9 5 65 31 +34 セリエA
1999 - 2000 優勝 72 34 21 9 4 64 31 +33 セリエA
2000 - 2001 3 69 34 21 6 7 65 36 +29 セリエA
2001 - 2002 6 53 34 14 11 9 50 37 +13 セリエA
2002 - 2003 4 60 34 15 15 4 57 32 +25 セリエA
2003 - 2004 6 56 34 16 8 10 52 38 +14 セリエA
2004 - 2005 10 44 38 11 11 16 48 53 - 5 セリエA
2005 - 2006 16 32 38 16 14 8 57 47 +10 セリエA
2006 - 2007 3 62 38 18 11 9 59 33 +26 セリエA
2007 - 2008 12 46 38 11 13 14 47 51 - 4 セリエA
2008 - 2009 10 50 38 15 5 18 46 55 - 9 セリエA
2009 - 2010 12 46 38 11 13 14 39 43 - 4 セリエA
2010 - 2011 5 66 38 20 6 12 55 39 +16 セリエA
2011 - 2012 4 62 38 18 8 12 56 47 + 9 セリエA
2012 - 2013 7 61 38 18 7 13 51 42 + 9 セリエA
2013 - 2014 9 56 38 15 11 12 54 54 0 セリエA
2014 - 2015 3 69 38 21 6 11 71 38 +33 セリエA

※2005-06シーズンはシーズン終了後勝ち点-30のペナルティ(6位→16位)、2006-07シーズンは勝ち点-3でシーズン開始

現所属メンバー

2016年1月14日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF オランダ ウェスレイ・ホード
3 DF オランダ ステファン・デ・フライ
4 DF スペイン パトリック
5 DF オランダ エドソン・ブラーフハイト ()
6 MF イタリア ステファノ・マウリ
7 MF イングランド ラヴェル・モリソン ()
8 DF セルビア ドゥシャン・バスタ
9 FW セルビア フィリップ・ジョルジェヴィッチ
10 MF ブラジル フェリペ・アンデルソン
11 FW ドイツ ミロスラフ・クローゼ ()
13 DF セルビア ミラン・ビシェヴァツ
14 FW スペイン ケイタ・バルデ・ディアオ ()
16 MF イタリア マルコ・パローロ
17 FW イタリア アレッサンドロ・マトリ
18 DF アルゼンチン サンティアゴ・ヘンティレッティ ()()
No. Pos. 選手名
19 MF ボスニア・ヘルツェゴビナ セナド・ルリッチ ()★
20 MF アルゼンチン ルーカス・ビリア ()
21 MF セルビア セルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ ()
22 GK イタリア フェデリコ・マルケッティ
23 MF ナイジェリア オジェニ・オナジ
26 DF ルーマニア シュテファン・ラドゥ
27 DF セネガル ムスタファ・セック ()
29 DF フランス アブドゥレイ・コンコ ()
32 MF イタリア ダニロ・カタルディ
33 DF ブラジル マウリシオ
55 GK イタリア グイド・グエッリエリ
87 MF イタリア アントニオ・カンドレーヴァ
88 FW オランダ リカルド・キシュナ ()
96 MF イタリア アレッサンドロ・ムルジャ
99 GK アルバニア エトリト・ベリシャ ()

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
17 FW イタリア アレッサンドロ・マトリ (ミラン)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
15 MF ウルグアイ アルバロ・ゴンサレス (アトラス)
44 DF クロアチア フラニョ・プルチェ (サレルニターナ)
70 MF オーストラリア クリストファー・オイコノミディス (サレルニターナ)
-- GK イタリア アレッサンドロ・ベラルディ (ルパ・ローマ)
-- DF イタリア アレッシオ・ルキアーニ (グッビオ)
-- DF ブラジル ヴィニシウス・フレイタス (ペルージャ)
-- MF イタリア ルーカ・クレッコ (モデナ)
No. Pos. 選手名
-- MF カメルーン ジョセフ・ミナラ (バーリ)
-- MF ブラジル ロナウド (サレルニターナ)
-- MF イタリア リッカルド・ペルペトゥイーニ (ラクイラ)
-- MF イタリア クリスティアーノ・ロンパルディ (トラーパニ)
-- FW イタリア アントニオ・ロッツィ (シエナ)
-- FW イタリア エットーレ・メンディチーノ (サレルニターナ)

15/16移籍

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

(※)は冬季移籍期間中の移籍であることを示す

外部リンク