深草駅
| 深草駅* | |
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深草駅西口(現在は駅名板が交換されている)
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| ふかくさ - Fukakusa | |
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◄藤森 (0.8km)
(0.5km) 伏見稲荷►
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| 所在地 | 京都市伏見区深草ケナサ町 |
| 所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
| 所属路線 | ■京阪本線 |
| キロ程 | 44.1km(淀屋橋起点) |
| 電報略号 | 深(駅名略称方式) |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 2面4線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
10,963人/日 -2009年11月10日- |
| 開業年月日 | 1910年(明治43年)4月15日 |
| 備考 | ホームの有効長は7両 * 開業8ヵ月後に稲荷駅から改称 |
深草駅(ふかくさえき)は、京都府京都市伏見区深草ケナサ町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。
龍谷大学深草学舎の最寄り駅であり、ホーム上の駅名標の横には「龍谷大学前 RYUKOKU UNIVERSITY」と書かれた案内標が掲げられている。
目次 |
駅構造 [編集]
島式2面4線のホームを持つ、待避設備を備えた橋上駅である。橋上駅舎はホームの出町柳寄りに設けられている。改札口は1ヶ所のみで、東西に出入口がある。この駅のホーム屋根の柱は「深草」に合わせて『深緑色』に塗られている。かつては深草車庫が併設されていたが、1980年(昭和55年)3月の淀車庫の完成により廃止された。西側の跡地は長らく放置されていたが近年になりマンションが建設された。また東側は車庫の廃止時点で留置線が2本残っていたがホーム幅を拡幅するために1線が撤去され、かろうじて留置線1線が残るのみである。現在バリアフリー設備はなく西口と改札階を結ぶスロープが有るだけだが、京都市が車椅子対応のエレベーターなどのバリアフリー設備の設置を計画している[1]。
のりば [編集]
| 1・2 | ■京阪本線(上り) | 三条・出町柳方面 |
|---|---|---|
| 3・4 | ■京阪本線(下り) | 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面 |
- 内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。
- いずれのホームも有効長は7両分しかないが、線路の有効長は8両分あるので8両編成の回送列車が当駅に停車することは可能。留置線は8両分。
特徴 [編集]
- 待避設備があるため、発車メロディが導入されている。当駅を含む主要駅の発車メロディを順序良く繋ぐと、一つの曲として成立する。
- 駅構造の項で記したように、かつてこの駅に車庫が併設されていた。その名残からか、列車の行き先表示幕には、現在使われることのない「深草」幕が入っている。深草駅までの列車は1987年(昭和62年)まで存在していた。
- 2008年(平成20年)10月18日までは朝・夕ラッシュ時は大半の普通列車がK特急・特急・急行の待避を行っていた。特急・急行に2本まとめて抜かれる場合もあった。(2003年9月以前は、日中でも普通列車は一度に特急・急行まとめて抜かれていた)。
- 2008年10月19日改正以降は、当駅で待避する普通・準急列車は激減した。朝や夕方は、回送列車が当駅で特急・快速急行を待避することが多い(待避線自体の有効長は8両分あるので、8連の回送列車は待避可能)。なお、正月ダイヤでは例年、日中でも下り普通が下り特急を待避する。
- 当駅の待避線(1番線・4番線)は8両編成の列車が待避可能であるが、ホーム有効長は7両分しかない。これは当駅のホームの幅が狭く、橋上駅舎への階段で1両分のホームの用地が犠牲になっており、またホーム南側も京都府道201号中山稲荷線(通称「第1軍道」)の古い跨線橋が跨っているため8両編成分のホームに延伸できないからである。なお、当駅以外の京都市内の京阪本線の駅では、東福寺駅・伏見桃山駅も駅の前後が踏切に挟まれており、大規模な工事を行わない限りは、中書島駅以北の準急・普通のみ停車駅の8連対応は困難である。
駅周辺 [編集]
西側入り口前に自転車置き場と有料駐車場がある。 東側入り口前に飲食店が数件ある。
- 龍谷大学深草学舎
- 稲荷駅(西日本旅客鉄道奈良線):北北東に徒歩3分ほど。
- 京都市立砂川小学校
- 京都府警察学校
- 立命館中学校・高等学校
- 京都地方法務局伏見出張所
- 名神高速道路にある深草バスストップ(京都深草)は同じ深草を名乗る当駅から約1kmの距離にあるが、京阪本線におけるバスストップの最寄駅は隣の藤森駅(約500m、徒歩6分)である。
バスのりば [編集]
京阪深草駅には、バス路線は乗り入れていない。
- 最寄バス停:京都市バス龍谷大学前
- 龍谷大学前
- バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。
歴史 [編集]
戦争中の一時期、急行停車駅であった。
- 1910年(明治43年)
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月16日 - 急行停車駅となる[3]。
- 1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転が復活するも急行は通過駅になる[4]。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
- 1963年(昭和38年)11月16日 - 駅の移設工事に伴い隣接する車庫線の一部を廃止[5]。
- 1964年(昭和39年)3月15日 - 駅を現在の位置に移設、5月15日新駅舎使用開始[6][2]。
- 1971年(昭和46年)8月15日 - 橋上駅舎化[2]。
- 1980年(昭和55年)3月17日 - 隣接する深草車庫の廃止。
- 1987年(昭和62年)12月25日 - ホーム・階段が1メートル拡幅。拡幅用地確保の為に東側に残っていた留置線2本のうち1本を撤去[2][7]。
- 1988年(昭和63年)8月28日 - 自動改札機設置[8]。
- 2011年(平成23年)12月17日 - ホームに異常通報装置を設置[9]。
隣の駅 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 出典・京都新聞2011年12月17日朝刊1面の記事より
- ^ a b c d e 出典・京阪開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」(2011年3月24日刊)資料編142頁
- ^ 京阪の社史『鉄路五十年』(1960年)の年表による
- ^ 出典・鉄道ピクトリアル1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」P103より
- ^ 出典・「『関西の鉄道』別冊第1巻京阪電気鉄道 戦後分離独立後の歩み」44頁
- ^ それまでは現在駅の出町柳寄りに駅があった。現在も跡が空き地として残る
- ^ 出典・駅置きの広報誌「くらしの中の京阪」1988年2月号
- ^ 出典・季刊広報誌『グラフ京阪』1988年秋季号10ページ
- ^ 出典・『K PRESS2012年1月号』16面の「くらしのなかの京阪」
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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