祇園四条駅
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| 祇園四条駅* | |
|---|---|
四条大橋北側4番出入口
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| ぎおんしじょう - Gion-shijo | |
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◄清水五条 (0.9km)
(0.7km) 三条►
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| 所在地 | 京都市東山区宮川筋一丁目 |
| 所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
| 所属路線 | ■京阪本線 |
| キロ程 | 48.6km(淀屋橋起点) |
| 電報略号 | 四(駅名略称方式) |
| 駅構造 | 地下駅 |
| ホーム | 1面2線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
43,672人/日 -2009年(平成21年)11月10日- |
| 開業年月日 | 1915年(大正4年)10月27日 |
| 乗換 | 阪急京都本線(河原町駅)[1]** |
| 備考 | * 2008年(平成20年)に四条駅から改称[2] ** 通常、乗り換え駅としては案内されていない。 |
祇園四条駅[3](ぎおんしじょうえき)は、京都府京都市東山区宮川筋一丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。地元の人は、当駅を含めた周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多い。
目次 |
[編集] 駅構造
島式1面2線のホームを持つ地下駅である。四条大橋東詰、川端通と四条通との交差点の直下に位置する。地下1階はコンコースは川端通沿い南北と四条通東側へ張り出した凸形をしていて四条通側に駅事務所が設けられている。改札口は北改札と南改札の2か所。ホームは地下2階にある。
コンコース階の改札外の自動券売機・定期券売り場の間にATMコーナーが設置されている。テナントとしてコンビニ「アンスリー」も入っている、また駅事務所の向かいに仮設のみやげ物販売[4]をしている。
身障者対応エレベーターは、ホーム階とコンコースの間はホームの北端と北改札を繋ぐ1基。コンコースと地上との間はコンコースの駅事務所の東側と川端四条交差点東入る北側のバス停前(南座正面玄関の向かい)を結んでいる。車椅子対応のトイレは南改札口の奥にある。
エスカレーターは南改札内に上り下り各1基、コンコース地上間は2基の登りエスカレーターで四条大橋交差点の北西角に出られる。
駅ホームのカラーリングは、町衆の富とエネルギーを象徴させたウコン色(黄色)が採用されている[5]。
[編集] のりば
| 1 | ■京阪本線(上り) | 三条・出町柳方面 |
|---|---|---|
| 2 | ■京阪本線(下り) | 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面 |
※両ホームとも有効長は8両。自動放送における編成長案内は、かつては2番線のみ挿入されていたが、2008年10月ダイヤ改正時点では1番線でも行われている。
[編集] モニュメント
駅の地下化時にコンコースフロアーの壁面に幅1.8m高さ2.8mの「祇園祭山鉾巡行絵図」が設置されている、これは8800形2階建て特急車の壁面の時代祭行列図[6]の作者「西協友一」の作品。
[編集] その他
列車運行管理システム ADEC(自立分散式運行管理システム)の駅制御装置が配置された駅ではないが、近隣のADEC制御装置駅からの制御で案内放送や行き先表示などが自動化されている[7]。
防災対策 水害対策として既存の建物(南座)を利用した出入り口を除き、出入り口には金属製の床板が起き上がる止水板が設置されている。駅構内は防災管理盤によりモニターリングされ、万が一の火災発生時には防火防煙シャッターの制御・排煙機の運転、避難路確保の為の自動改札機の開放、火災発生表示機の点灯・運転指令所への通報が自動またはワンスイッチでおこなえる。また地下駅の構内でも警察無線や消防無線が使えるように無線通信補助設備や防災電話などが完備されている[8]。
[編集] 駅周辺
駅東側は祇園の繁華街である。四条大橋の交差点に面して南座があり、その向かえには昭和初期の名建築「菊水ビル」、その北側の市営地下駐車場の北の複合ビル「井筒ビル」の5階に「北座」が有る。四条通を東へ進むと八坂神社の石段に突きあたる。さらに東には円山公園、知恩院がある。
南側の出口を出て団栗通を東へ進むと、建仁寺、祇園甲部歌舞練場、ウインズ京都(場外馬券場)に至る。
駅のすぐ西を鴨川が流れており、駅出口の前に四条大橋がかかる。橋を渡ると対岸南側には、昭和初期の名建築「東華菜館(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計)ビル」が有る。その西側には先斗町通が交差し、さらに西へ行くと木屋町通、高瀬川を渡り、四条河原町へと続く。
[編集] 当駅から接続する鉄道路線
乗り換えは一度地上に出て四条大橋を渡り、再び阪急の地下駅に向かう必要がある(徒歩約5分[1])。相互の乗り換えアナウンスはないが、乗り換え利用者も多く、最近では河原町駅ともに、連絡通路に相手方の駅の発車時刻表を掲出している。
[編集] バスのりば
- 四条京阪前
- 四条大橋東詰(四条通と川端通との交差点)にある。
- 京都バス:時刻表
- 16系統:三条京阪・出町柳駅・高野橋・花園橋・八瀬駅前 経由 大原行
- 21・23系統:出町柳駅・高野橋東詰・花園橋・岩倉駅前 経由 岩倉実相院行
- 41・43系統:出町柳駅・高野橋東詰・花園橋・岩倉駅前 経由 岩倉村松行
- 55系統:四条河原町・河原町御池・出町柳駅・百万遍・銀閣寺道・一乗下り松町(詩仙堂) 経由 地下鉄松ヶ崎駅行
- 61系統:二条駅・千本丸太町・円町駅・花園駅・映画村・太秦広隆寺・帷子辻・有栖川 経由 嵐山・大覚寺行
- 62系統:二条駅・千本丸太町・円町駅・花園駅・映画村・太秦広隆寺・帷子辻・有栖川 経由 嵐山・清滝行
- 63系統:二条駅・千本丸太町・円町駅・花園駅・映画村・太秦広隆寺・帷子辻・有栖川 経由 嵐山・苔寺・すず虫寺行
- 65系統:二条駅・千本丸太町・円町駅・花園駅・映画村・太秦広隆寺・帷子辻 経由 有栖川行
- 高野車庫行
徒歩数分程度の四条河原町からもバスが多数発着している。
[編集] 歴史
1915年・京阪線の三条駅への延伸に伴い開業、京都市電四条線が先に開通していたために平面交差が設けられ、三条行・天満橋行共に四条通の手前で停車する千鳥配置にホームが設けられた。
1935年の「鴨川水害」では鉄筋コンクリート製アーチ橋の四条大橋に、上流より流された木製の三条大橋などの残骸が引っかかり鴨川を堰き止め、あふれた水が四条駅や周辺に大きな被害を与えた[9]。この後に鴨川の洪水対策として川底を掘り下げ、四条大橋は1942年(昭和17年)に橋脚タイプの現在の橋に架け替えられた[10]。併せて「京阪線を地下化して鴨川を拡幅する」との計画が作成されたが、折からの日中戦争からの戦時体制で計画は縮小され、鴨川の川底の掘り下げと堰の設置が1947年まで続けられた[11]。
鴨川べりの京阪線の地下化は頓挫したかに思われたが、1960年代末からのモータリゼーションに伴い京阪線の踏切が東西交通の妨げになることや、東大路通・河原町通の混雑緩和となる川端通の建設計画と鴨東線の地下鉄道による新設計画が持ちあがり、京阪線の地下化が1975年10月に都市計画決定された。この計画は1977年6月に事業認可されて1979年3月に着工し[12]、1987年5月に地下化が完了した。同年7月には付帯工事区間で集中豪雨により四条駅北側の白川から地下線に大量の水が流れ込み1日運休する被害が発生している[13]。翌年5月にすべての付帯工事も完成し、地上線路跡に川端通が開通した。
[編集] 沿革
- 1915年(大正4年)10月27日 - (旧)京阪電気鉄道の京阪本線五条(現・清水五条) - 三条間延伸により開業。
- 1916年(大正5年)4月1日 - 最急行(同年6月1日廃止)および急行の停車駅となる。
- 1928年(昭和3年)11月3日 - 上下線のホーム改築[14]。
- 1935年(昭和10年)6月29日 - 「鴨川大水害」で駅舎ホームが破損するなど大きな被害を受ける。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 阪神急行電鉄との合併により、京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
- 1946年(昭和21年)1月3日 - 駅構内で電車の追突事故(重傷者4人軽症者20人)[15]
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社譲渡により、京阪電気鉄道の駅となる。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 特急停車駅となる。
- 1962年(昭和37年)8月5日 - 上下線のホーム延伸、大阪行き改札口改良・2階に食堂新設[14]。
- 1963年(昭和38年)
- 1972年(昭和47年)
- 1982年(昭和57年)11月 - 地下化工事に伴い、淀屋橋行きホームを四条通り北側から南側へ移設。「四条通り踏切」に遮断機を設置[17]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1992年(平成4年)10月21日 - 京阪初の乗り越し精算機を設置。
- 1996年(平成8年)
- 2008年(平成20年)10月19日 - 駅名を四条駅から祇園四条駅に改称[2]。
[編集] 隣の駅
- 京阪電気鉄道
- ■京阪本線
[編集] 脚注
- ^ a b 他社線からの乗換案内 「阪急沿線から」をクリック
- ^ a b 京都市内の京阪線3駅の駅名を変更します (PDF) - 2007年11月6日京阪電鉄報道発表資料。
- ^ 「ネ+氏」の表記が正式である件については、「10.19中之島線開業と新ダイヤについてご紹介! [リンク切れ]」(京阪電気鉄道、2008年9月6日閲覧)による。
- ^ 元々はアンスリーの店舗場所に「のれん街」として営業していた。出典元・季刊広報誌「グラフ京阪」1987年『京都地下線開通特集号』
- ^ 出典元・季刊広報誌「グラフ京阪」1987年『京都地下線開通特集号』P5の四条駅の解説文より
- ^ 時代祭絵図は三条駅のモニュメントの二次使用
- ^ 出典元・「鉄道ピクトリアル」2009年8月増刊号『<特集>京阪電気鉄道』の76-78頁の「列車運行管理システム」より
- ^ 出典元・「鉄道ピクトリアル」1991年12月増刊号『<特集>京阪電気鉄道』の45頁より
- ^ 四条駅周辺の被災写真
- ^ 京都市発行 市民しんぶん東山区版「こちら東山」平成21年7月15日号の「東山区【2】~過去から未来へ~」
- ^ 参考文献・鉄道ピクトリアル1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」中P78『京都市内の地下化工事の経過と今後の予定』1)戦前の計画・種村善博著「京都の治水と昭和大水害」文理閣刊
- ^ 鉄道ピクトリアル『特集 京阪電気鉄道』P.78「京都市内の地下化工事の経過と今後の予定」(電気車研究会、1984年1月増刊)
- ^ 京都新聞1987年7月15日付夕刊・同16日付朝刊。
- ^ a b c d 「京阪百年のあゆみ」資料編143頁
- ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編206頁
- ^ 出典・京阪電気鉄道開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」資料編234頁
- ^ 出典・京阪広報誌「くらしの中の京阪」1982年11月号
- ^ 出典・京阪広報誌「くらしの中の京阪」1988年9月号
- ^ 出典・京阪広報誌「くらしの中の京阪」1996年4月号
- ^ 出典・京阪広報誌「くらしの中の京阪」1996年8月号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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