ハイシャパラル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハイシャパラル
マイケル・テイバーの勝負服
欧字表記 High Chaparral
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1999年3月1日
死没 2014年12月21日(15歳没)
Sadler's Wells
Kasora
母の父 Darshaan
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 S.Coughlan
馬主 Michael Tabor
調教師 Aidan Patrick O'Brienアイルランド
競走成績
生涯成績 13戦10勝
獲得賞金 5,391,888ドル(米貨換算)
テンプレートを表示

ハイシャパラル (High Chaparral) はアイルランド競走馬2002年2003年エクリプス賞最優秀芝牡馬。2003年のワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップ総合優勝馬。名前の由来は「樫の高木の密林」の意。

概要[編集]

2002,03年欧州競馬を引っ張った一流馬で、エプソムダービーアイリッシュダービーブリーダーズカップ・ターフ連覇など、華々しい成績を残した。引退後はクールモアスタッド種牡馬として供用され、北半球と南半球の双方で優れた産駒を送り出した。

戦績[編集]

2歳・3歳時代[編集]

タタソールズ・ホウトン・イヤリングセールでは27万ギニー(約4700万円)で取引される。デビュー戦こそ2着に敗れたものの、ダービーへの登竜門とされるレーシングポストトロフィー (G1) を制す等2歳時からすでに頭角を現していた。

翌シーズンもバリサックスステークス(L)を7馬身差で圧勝し、幸先のいいスタートを切る。そしてアイリッシュダービートライアルステークス (G3) も快勝しエプソムダービー (G1) へと駒を進める。だが、エプソムダービーでは共にマイケル・キネーン主戦騎手とする同じ厩舎のホークウイングも出走するため、選択を迫られたキネーンは結局ホークウイングを選び、ハイシャパラルはジョニー・ムルタを背にエプソムダービーへと挑むことになった。レースでは1番人気こそホークウイングに譲ったが、早め先頭に抜け出すと、追撃するホークウイングを2馬身、翌年ドバイワールドカップに優勝するムーンバラッドを14馬身も振り切り優勝した。さらにその後、比較的手薄だったアイリッシュダービー (G1) も楽勝し、秋競馬に向けて休養に入った。

迎えた凱旋門賞 (G1) では1番人気に押されたものの臨戦過程は万全ではなく、体調を崩し前哨戦となるニエル賞 (G2) も回避していた。対する相手はこの年のジョッケクルブ賞 (G1) 優勝馬で前走ニエル賞も快勝していたスラマニ、前年2着のアクワレリスト等であった。日本からも同年の天皇賞(春)優勝馬マンハッタンカフェが出走していた。ハイシャパラルは直線1度は先頭に立ったものの、病み上がりが影響したのか意外に伸びずマリエンバードの3着に終わっている。この後アメリカに遠征、ブリーダーズカップ・ターフ (G1) でウイズアンティシペイションを下してエクリプス賞芝牡馬チャンピオンに選出された。

古馬時代[編集]

翌春は肩に問題を抱え全休。8月のロイヤルウィップステークス (G2) で復帰するとアイリッシュチャンピオンステークス (G1) ではアラムシャーファルブラヴ、ムーンバラッド、イズリントン、ヴィンテージティプル等の強豪を抑え貫禄勝ちを見せる。だが続いて出走した2度目の凱旋門賞では再び1番人気に押されたもののダラカニの3着に敗れた。そしてブリーダーズカップ・ターフを連覇した後に引退した。この年は2年連続となるエクリプス賞芝牡馬チャンピオンに選出されている。凱旋門賞は2年連続1番人気の3着に敗れたものの、それ以外はデビュー戦しか敗れておらず全てのレースで3着以内に入った。近年のエプソムダービー優勝馬にしてはめずらしく長い間安定して能力を発揮した名馬であった。

競走成績[編集]

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2001年09月30日 パンチェスタウン 未勝利 芝7.5f 2着 M.キネーン 短頭 Hot Trotter
2001年10月07日 ティペラリー 未勝利 芝7f 1着 J.ヘファーナン 2 1/2馬身 (Querin Pier)
2001年10月27日 ドンカスター レーシングポストトロフィー G1 芝8f 1着 K.ダーレイ 3/4馬身 (Castle Gandolfo)
2002年04月14日 レパーズタウン バリサックスS L 芝10f 1着 M.キネーン 7馬身 (Twentytwoandchange)
2002年05月12日 レパーズタウン 愛ダービートライアルS G3 芝10f 1着 J.ヘファーナン 1馬身 (In Time's Eye)
2002年06月18日 エプソム ダービー G1 芝12f10y 1着 J.ムルタ 2馬身 (Hawk Wing)
2002年06月30日 カラ 愛ダービー G1 芝12f 1着 M.キネーン 3 1/2馬身 (Shokokhov)
2002年10月06日 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 3着 M.キネーン 1 1/4馬身 Marienbard
2002年10月26日 アーリントンパーク BCターフ G1 芝12f 1着 M.キネーン 1 1/4馬身 (With Anticipation)
2003年08月10日 カラ ロイヤルウィップS G2 芝10f 1着 M.キネーン 3/4馬身 (Imperial Dancer)
2003年09月06日 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 M.キネーン クビ Falbrav
2003年10月05日 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 3着 M.キネーン 5 3/4馬身 Dalakhani
2003年10月25日 サンタアニタ BCターフ G1 芝12f 1着 M.キネーン 同着 Johar

種牡馬時代[編集]

引退後はアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りした。産駒は2007年にデビュー。シャトル種牡馬としてニュージーランドオーストラリアでも供用されており、多くの活躍馬を輩出した。とりわけオーストラリアでは、北半球と南半球でG1を合計10勝したソーユーシンクシドニー秋季3歳三冠を達成したイッツアダンディールといった、中距離の傑出馬を送り出している。

2014年末に疝痛で馬専門病院に搬送され、開腹手術を行ったものの腸に穴が開いていて手の施しようがなく、安楽死処分となった[1]

主な産駒[編集]

G1級競走優勝馬[編集]

勝ち鞍はG1級競走のみ表記。

北半球[編集]
南半球[編集]

血統表[編集]

ハイシャパラル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サドラーズウェルズ系
[§ 2]

Sadler's Wells
1981 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong

Kasora
1993 鹿毛
Darshaan
1981 黒鹿毛
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Delsy Abdos
Kelty
母の母
Kozana
1982 黒鹿毛
Kris Sharpen Up
Doubly Sure
Koblenza Hugh Lupus
Kalimara
母系(F-No.) (FN:1-n) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [1]
  4. ^ [1]

血統背景[編集]

父は大種牡馬サドラーズウェルズ、母カソラは未出走馬。全弟のブラックベアーアイランド (BLACK BEAR ISLAND) はダンテステークスの勝ち馬。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|High Chaparral(IRE)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年5月16日閲覧。
  2. ^ High Chaparralの血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年5月16日閲覧。

外部リンク[編集]