オーモンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーモンド
欧字表記 Ormonde
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1883年3月18日
死没 1904年
ベンドア
リリーアグネス
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 初代ウェストミンスター公爵
馬主 初代ウェストミンスター公爵
調教師 ジョン・ポーター(イギリス
競走成績
生涯成績 16戦16勝
テンプレートを表示

オーモンド (Ormonde) は、イギリス競走馬種牡馬である。19世紀末に史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成し、16戦不敗の成績を残した名馬である。不遇の晩年を送り、種牡馬としても成功することはできなかった。代表産駒はオーム。

生涯[編集]

3代母ミスアグネスが産んだ2代母ポリーアグネスを生産者のサイク氏は気に入らず、牧夫に向かって 「こんな神経質で小柄なヤツはどうせ使い物にならないから、生かそうと殺そうと構わない。さっさと牧場から追い出してしまえ」 と命じた。牧夫は殺すのを惜しみ、息子の所に預ける事とした。[1]

ポリーアグネスは2シーズン出走して3勝した後に、マカロニを配合して産まれたのが母リリーアグネスである。 リリーアグネスは、肉付きが悪く、後軀がみすぼらしかったものの、2-5歳時にイギリスで走り32戦してドンカスターカップなど長距離レースを含めて合計21勝した。[2]

繁殖入り後、ドンカスターを付けるため、ウエストミンスター公爵の牧場にリリーアグネスを連れて行った所、リッチモンドという牧夫が惚れ込んで公爵に買うよう頼み、公爵は言葉を聞き入れたが、譲渡条件は現金2500ポンドと公爵所有馬のベンドアの種付け2頭分だった。[3] それが功を奏し、オーモンドのほかに1000ギニーに勝ったフェアウェルや、プリンスオブウェールズステークスのオソリー、1戦未勝利馬ながらセプターの母となったオナーメントがいる。

ベンドアは初代ウェストミンスター公のもとエプソムダービーに勝った馬で、オーモンドはこの2頭の間に、母から見れば第3仔として生まれた。生まれた頃は馬格が小さく、膝が曲がっていた。その後も成長が遅れぎみであったが、2歳の春にかけて成長目覚しく、10月にニューマーケットでデビューするころにはすばらしい馬体に成長していた。また、父譲りで気性も穏やかで、花が好きだった。

初戦は1馬身差で勝ちデビュー戦を飾る。2戦目のクリテリオンステークスも楽勝。さらに2日後に行われたデューハーストステークスも獲得し2歳戦を終えた。

3歳時[編集]

翌シーズンの初戦は2000ギニーとなった。11対10という圧倒的一番人気に押されたミンティングが逃げたが、オーモンドはこれを並ぶまもなくかわすと2馬身差で1冠を獲得した。エプソムダービーはザバーブが相手となったが1馬身半差で完勝した。ダービー後はセントジェームズパレスステークス、ハードウィックステークスに勝った。

秋はセントレジャーステークスから始動。セントミリンに4馬身の差をつけ勝利し史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。さらに2ヶ月の間にチャンピオンステークスを含む5戦全て勝利し、デビュー以来の連勝を13に伸ばしたところで休養に入った。

4歳時[編集]

このころオーモンドには異変が起きていた。既にセントレジャーの前には母のリリーアグネスが患っていた喘鳴症の兆候が現れていた。もっともこの時点では動きそのものに大きな問題は無く、ポーターは現役を続行させることを決めた。ロイヤルアスコットのルースメモリアルステークスに出走させ、25ポンドも斤量の軽いキルウォーリンに6馬身の差をつけて優勝した。この時ゴールしてから半時間も拍手が止まらなかったと伝えられている。

しかし喘鳴症は確実に悪化していた。ハードウィックステークスはミンティングとの再戦になりオーモンド生涯唯一の苦戦を経験する。2000ギニーでは破ったものの元々ミンティングはかなり強い馬で、オーモンドを避けて出走したパリ大賞を5馬身差で圧勝する実力の持ち主だった。レースはかなり激しいものになり、何とか首差で勝ったものの既に限界に達していた。インペリアルゴールドカップという短距離戦を引退レースとして16戦のうち一度も負けることなく引退した。

引退後[編集]

引退後のオーモンドは歴史的名馬にもかかわらず不遇の余生を送った。馬主の初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナーはオーモンドに大きな愛着を持っていたものの、イギリスに喘鳴症を持ったオーモンドの遺伝子が広まることを危惧し、数年間供用した後アルゼンチンに12000ポンドで輸出した。アルゼンチンでは成功することができず、続いてアメリカ合衆国へ31250ポンドで転売された。アメリカではオーモンデイルを出したが病気のため産駒数が少なく(10年以上供用されたが産駒数は16頭)、1904年、ついに呼吸困難に陥り殺処分された。遺体は一度埋葬されたがその後掘り出され、骨格がロンドン自然史博物館に展示されている。生涯を通じて産駒数が少なかったため、その血を現在に伝えているのは、イギリスに残した少数の産駒のうちの1頭、オームの子孫に限られている。

成績[編集]

年別競走成績[編集]

主な産駒[編集]

血統表[編集]

オーモンド血統(ベンドア系(エクリプス系) / Pantaloon5×4=9.38% Birdcatcher5×4=9.38%) (血統表の出典)

Bend Or
1877 栗毛
父の父
Doncaster
1870 栗毛
Stockwell The Baron
Pocahontas
Marigold Teddington
Ratan Mare
父の母
Rouge Rose
1865 栗毛
Thormanby Windhound
Alice Hawthorn
Ellen Horne Redshank
Delhi

Lily Agnes
1871 鹿毛
Macaroni
1860 鹿毛
Sweetmeat Gladiator
Lollypop
Jocose Pantaloon
Banter
母の母
Polly Agnes
1865 黒鹿毛
The Cure Physician
Morsel
Miss Agnes Birdcatcher
Agnes F-No.16-h


脚注[編集]

  1. ^ 『世界の名馬』p.54
  2. ^ 『世界の名馬』p.55
  3. ^ 『世界の名馬』p.55

参考文献[編集]

  • 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年

外部リンク[編集]