スズキ・RG250ガンマ

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RG250Γ(アールジーにひゃくごじゅうガンマ)とは、スズキ1983年から1987年まで製造していた、250cc2ストロークエンジンを搭載した普通自動二輪車(軽二輪)である。

概要[編集]

スズキ・RG250ガンマ
1983年仕様[1]
Suzuki RG250 Gamma.jpg
1983年仕様 ブルー×ホワイト
基本情報
排気量クラス 軽二輪
メーカー 日本の旗スズキ
車体形式 GJ21A
エンジン 247.3cc 2ストローク
水冷並列2気筒
内径x行程 / 圧縮比 54.0mm x 54.0mm / 7.5:1
最高出力 33kW(45PS)/8,500rpm
最大トルク 37.2Nm(3.8kgf・m)/8,000rpm
乾燥重量 131kg
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レーサーさながらのフルカウルに軽量なアルミダブルクレードルフレームを擁し、フランコ・ウンチーニ

RG250Γは250ccのRGΓだ。テストコースで初めて見たとき、スズキは世界グランプリ250ccクラスに挑戦するのかと思ってしまった。速度計が付いていることで市販車とわかったが、走り終わってもまだその印象は消えなかった。

フランコ・ウンチーニ、スズキ・RG250Γ販売促進資料

と語ったという宣伝文句に相応しい本格的な性能を有し、1年間で約30,000台を売り上げ、後のレーサーレプリカブームの火付け役となった[2]

エンジン[編集]

新設計の水冷2ストローク並列ツインエンジンはボア×ストロークこそRG250/Eと同様であったが、水冷化による重量増を感じさせない徹底した軽量化と高性能化が行われ、冷却水とミッションオイルを含めてもエンジン重量は34kgと他車と比較して3kgから8kgほど軽量であった[2]
エンジン特性は典型的な2ストロークエンジンの特性であった。6,500rpmを境にエンジン特性が豹変し、その回転数は使い物にならないと言わんがごとく3,000rpm以下の回転数ではタコメーターが動作しないという演出が施されており、狭いパワーバンドも含め、レーサーとはそういうものと、若者たちにはそれすら好意的に受け入れられた[3]

車体構成[編集]

エンジンもさることながら、当車両において注目を浴びたのはなにより車体設計であった[4]。市販量産車として初のAL-Boxと呼ばれるアルミダブルクレードルフレームに、前年に発売されたCBX400Fインテグラが市販車としては初ではあるものの[5]、サーキットを走るレーサーさながらの先進的なフルカウルを初めて装着した当車両は、フレームやエンジンに徹底した軽量化が施され、フレーム単体で4kgから6kg、エンジンも含めた車両全体では他社の250cc車両に対して最大で14kgほど軽かった[4]。軽量な車体は、エンジン出力の自主規制が敷かれた状況下での上限めいっぱいの45馬力を発揮するエンジンと相まって、パワーウェイトレシオは他社の対向車種と比較して群を抜いていた[4]。後ろから見た際に、テールカウルが手を広げたやっこだこに似ていたことから「やっこだこテール」という愛称で呼ばれた。また、出荷段階でミシュランタイヤが標準装備されていることも当時としてはまだ珍しいことであった[6]
車名 最大出力 乾燥重量 パワーウェトレシオ
ホンダ・VT250F(1982年発売) 35馬力 149kg 4.257
ホンダ・MVX250F(1983年発売) 40馬力 138kg 3.450
ヤマハ・RZ250(1980年発売) 35馬力 139kg 3.971
ヤマハ・RZ250R(1983年発売) 43馬力 145kg 3.372
スズキ・RG250(1型)(1983年発売) 45馬力 131kg 2.911
スズキ・RG250(2型)(1984年発売) 45馬力 127kg 2.822
カワサキ・KR250(1984年発売) 45馬力 134kg 2.977

沿革[編集]

1983年仕様(1型)[編集]

1983年、1982年シーズングランプリ王者、フランコ・ウンチーニの搭乗したRG500Γの意匠を模したカラーバリエーションで発売された[1]
  • ブルー×ホワイト
1983年夏、以下のカラーバリエーションの車両が追加された[1]。また、その車両にアンダーカウルとシングルシートカウルを装着した東京Suzuki Big Shop限定仕様が販売価格490,000円で発売された[1]
  • レッド×ホワイト

1984年仕様(2型)[編集]

1984年3月、モデルチェンジが行われ、テールやフロントカウルがシャープな形状に改められた[1]。特徴であったアルミダブルクレードルフレームはリブが加えられ、ブレーキはフロントに対向4ポットキャリパー、リヤには対向2ポットキャリパーが装着され、全て合わせて10ポットであることからデカピストン[注釈 1]と呼ばれた[1]。エンジンには中低速域での性能向上を図り、電子式空燃比調整システムが搭載された他、車両重量は4kg減量され127kgとなった[1]。販売価格は据え置かれ460,000円[1]
カラーバリエーションは以下のように改められた[1]
  • ブルー×ホワイト
  • ハーベーカラー

1985年仕様(3型)[編集]

1985年3月、モデルチェンジが行われ、カウル形状がアンダーカウルからシートカウルまでを接続したデザインに改められるなど、外観が一新された[1]。フルカウル仕様とセミカウル仕様があり、販売価格はフルカウルが480,000円、ハーフカウルは460,000円[1]フロントサスペンションプリロード調整機構が加わり、リアサスペンションはE-フルフローターサスペンションが搭載された他、エンジンにはSAEC(Suzuki Automatic Exhaust Control)が導入された[1]。開始車体番号GJ21B-10001~。
カラーバリエーションは以下のように改められた[1]
  • ブルー×ホワイト
  • レッド×ホワイト
  • ホワイト
1985年5月、当時の全日本ロードレース選手権500ccクラスで活躍していた水谷勝が搭乗するワークスレーサー、RG500Γと同じウォルターウルフカラーの限定仕様が499,000円で販売された[1][注釈 2]
  • ウォルターウルフカラー

1986年仕様(4型)[編集]

1986年2月、プッシュキャンセル式ウィンカースイッチが搭載され、サイドスタンド警告灯を採用。カラーバリエーションは以下のように改められた[1]。開始車体番号GJ21B-109655~。販売価格はフルカウルが489,000円、ハーフカウルが469,000円、ウォルターウルフカラーが509,000円[1]
この時期になるとサーキットでのレースなどでは後発のホンダNSR250RヤマハTZR250に劣勢を強いられていた。そのため、V型エンジンを搭載した新車への期待が高まり、販売面でも苦戦を余儀なくされた。
  • グレー×レッド
  • ブルー×ホワイト
  • ウォルターウルフカラー

1987年仕様(5型)[編集]

1987年6月、最後のモデルチェンジが行われ、ホイールリムサイズが拡張され、(フロントMT2.50リヤーMT3.00)タイヤサイズが前輪:110/80-16 後輪:120/80-17へと変更された他、フロントフォークがφ38mmへと大径化され、PDFを廃止しました[1]。クランクシャフト関係の変更及びエアクリーナーの通路を長くして吸気音の低減を図る[1]。開始車体番号GJ21B-119554~。販売価格は引き続き489,000円、カラーバリエーションは以下のように改められ生産を終了した[1]
  • ブルー×ホワイト


脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ デカ(Deca)とはギリシア語で10という意味。
  2. ^ 専用カラーリングの他、キーやメーターに専用のエンブレムがあしらわれ、シングルシートカウルが標準装備されていた。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 野口眞一「思い出の国産車たち RG250Γ」、『Bikers Station』第161巻、遊風社2001年2月、 P. 84-89、 雑誌07583-2。
  • 深見兵吉 『絶版オートバイ日本の名車』 成美堂出版、1995年9月20日、P. 162。ISBN 4-415-04060-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]