イルカ追い込み漁

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フェロー諸島Hvalbaで追い込み漁により捕獲されたタイセイヨウカマイルカがフォークリフトで運ばれる

イルカ追い込み漁(イルカおいこみりょう、dolphin drive fishing)、またはイルカ追い込み猟(イルカおいこみりょう、dolphin drive hunting)は、捕鯨の手法の一つで、クジラを対象とした、追い込み漁である。いわゆるイルカと呼ばれるような小型の歯クジラに対して主に使われ、ボートと魚網で大海に至る抜け道を塞ぎ、入り江や浜辺に追い込んで捕獲する。

捕鯨の方法としては、初期捕鯨時代から用いられてきたものである[1]。現在でも世界の数箇所でこの漁獲方法によりイルカが獲られており、太平洋北西部の日本オセアニアソロモン諸島大西洋フェロー諸島南アメリカペルーでも行われている。うち、最も多数を捕獲しているのは日本である[要出典]。 現在、日本でイルカ追い込み漁を行っているのは1969年(昭和44年)から追い込み漁を再開した和歌山県太地町のみで[2]岩手県大槌町沖縄県などはイルカ突き棒漁のみを行っている。

捕獲されたイルカは主に鯨肉・イルカ肉として食用にされるほか、一部は生体捕獲されて水族館のイルカショーなど展示や研究用に使われるものもある。害獣駆除の手段として追い込み漁が行われることもあり、その場合にはイルカの死体は飼料肥料の原料として活用されたり、単に廃棄処分されたりするものもある[3]。また、肉の汚染による健康被害の可能性を指摘する見解もあるが、依然として数多くのイルカがイルカ追い込み漁により獲られている。

2009年(平成21年)に太地町の漁に対しての批判的な映画『ザ・コーヴ』が公開され、国内外で広く知られる事になった。

日本[編集]

歴史[編集]

古代[編集]

イルカ追い込み漁の位置(日本内)
沖ノ島遺跡
沖ノ島遺跡
入江貝塚
入江貝塚
稲荷山貝塚
稲荷山貝塚
井戸川貝塚
井戸川貝塚
真脇遺跡
真脇遺跡
縄文時代のイルカ漁の証拠がある遺跡

追い込み漁は特別の道具を使うことは少ないため、考古学的な遺物が残りにくい。そのためもあって追い込み漁だったかどうかは分からないが、縄文時代の真脇遺跡(石川県)から日本最古のイルカ漁の跡が見つかっている[4]。また、入江貝塚(北海道)、稲荷山貝塚(神奈川県)、井戸川貝塚(静岡県)などからもイルカの骨が見つかっている[5]:96

千葉県では縄文時代早期の約1万年前から沖ノ島遺跡(館山市沖ノ島)でイルカ漁が始まっており[6]:217、谷向貝塚(南房総市)や稲原貝塚(館山市)からも大量にいるかの骨が出土している。稲原貝塚からは黒曜石が刺さったイルカの骨も見つかっている[6]:22。この他、根郷貝塚(鎌ヶ谷市)、古作貝塚(船橋市)、鉈切洞窟遺跡(館山市)などからもイルカの骨が見つかっている[5]:96

近世以降[編集]

静岡県伊東市の井戸川遺跡から、15世紀末から16世紀前半にかけて食べられたと見られるイルカの骨が大量に見つかっており、静岡県教育委員会はイルカ漁が縄文時代から続いていた可能性が高いと考察している[7]

1675年には現宮城県気仙沼市唐桑では、イルカの群れが押し寄せてきた時には、唐桑半島と大島の間に建切網を張っての追い込み漁が行われていた記録が残っている。唐桑では明治初めの頃までイルカ追い込み漁が行われていた[8]:12[9]

1745年に、現静岡県の湯川村で、イルカの大規模捕獲に関係しての争いがあった様子が記録されている。

1838年に北村穀実が書いた『能登国採魚図絵』には、石川県真脇村のイルカ漁についての記録が「いるか廻し」として残されている。それによると、旧暦3月から4月にかけて、6,7人乗りの船3,4艘ほどが「魚見船」として3里の沖に出て、群れを発見すると粗い網で囲って陸に合図を送り、3,4人乗りの船6,7艘が応援に駆けつける。これらの船が船縁などを叩いて音を出し、群れを湾に追い込んで捕らえる。多いときには1000頭ほどが追い込まれ、全て捕るのに2日かかることもあった[10]。説明図には多くの船と網でイルカの群れを囲い込む様子が描かれている[10][11]

19世紀幕末に浜野健雄が書いた『伊東誌』[12]によると、当時の静岡ではイルカ追い込み漁ができるほどの組織だった漁業団体が少なく、実施されているのは湯川村、松原村(現伊東市)、稲取村(現東伊豆町)のみであった。1934年発行の『静岡県史』(静岡県史編集所)には、この他に妻良、子浦(現東伊豆町)、安良里(現西伊豆町)、御前崎も挙げられている。

明治以降[編集]

イルカ追い込み漁の位置(日本内)
大浦
大浦
安良里、川奈、富戸、稲取
安良里、川奈、富戸、稲取
イルカ追い込み漁
イルカ追い込み漁
イルカ追い込み漁
壱岐
壱岐
名護
名護
太地
太地
対馬
対馬
明治~昭和初期の主なイルカ追い込み漁の場所[8]:iv, xv, 40

明治の初年頃にイルカ追い込み漁が廃止となったところが多い。例えば静岡の湯川、松原では明治時代に廃止されている。稲取でもイルカ到来が不安定で、年に1、2度の追い込み漁では採算が採れないとして明治初年に追い込み漁を廃止したとの証言が残されている[13]:18。ただし稲取ではイルカが押し寄せるたびに追い込み漁が復活している[8]:30。現宮城県気仙沼市唐桑や岩手県山田町でも明治の初年を最後にイルカの群れが寄り付かなくなり、追い込み漁が行われなくなっている[8]:12, 13

逆に、明治になってからイルカ追い込み漁が行われるようになったところもある。例えば静岡県の川奈、富戸(現伊東市)、田子(現西伊豆町)などでは明治以降に始められている[13]:18。川奈でイルカ漁が始まったのは1888年(明治21年)であり、1922年(大正11年)には地元の神社にイルカ漁の絵馬が奉納されている。イルカの追い込みは、カンカンと呼ばれる孟宗竹の節を抜いた棒で海面を叩いたり、ドウズキと呼ばれる150センチメートル位の棒を投げ込んだりして、13 ノット (24 km/h)ぐらいの速度で行われた[8]:16-21。1回の漁獲量が1000~2000頭ほどだった[13]:18。富戸では川奈から10年ほど遅れて始まったが、1903年(明治36年)に川奈と乱闘になるなどして戦後になるまであまりイルカ漁は行われなかった[8]:21

追い込み漁の方法は、漁船50~60艘で半月状に群れを取り囲み、投石、水面を叩く、船縁を叩くなどして湾内に追い込み、湾を「建切網」で塞ぐというものだった。イルカの漁法は追い込み漁以外にも、呼吸の際を狙った突取と呼ばれる銛を使った方法が行われていた[14]

当時は肉は食用、脂肪は油採取、革は革製品(とりわけ靴)に用いられた。なお、食用としてはゴボウなどと共に味噌煮にするのが一般的だった[14]。静岡県では醤油漬けや味醂漬けを天日に干したものが焼いて食べられた。皮からは油が取られ、揚げ油や石鹸の原料として使われた。絞った後の皮は揚げて菓子として食べられた。残りは良質の肥料とされた[8]:34

静岡などでは大正の初めから昭和初期まで、イルカの回遊が減ったために一時的に衰えた[13]:36

昭和以降[編集]

1942年から再び大規模な回遊が始まった。静岡県では1942年に安良里で2万頭の漁獲が報告されている[13]:39

対馬では沿岸のリアス式海岸を利用したイルカ追い込み漁が行われている。1960年(昭和35年)頃には1000頭ほどが到来しており、以後数年ほど年間200~300頭が捕獲された[8]:38

沖縄県名護市ではイルカは「ピトゥ」あるいは「ヒートゥ」と呼ばれ、発祥は不明だが[15]遅くとも明治の初めにはその漁が行われており、重要なタンパク源だった。方法は沖縄独特のサバニを用いた追い込み漁で[15](ただし水産庁の区分では突棒とされており、近年ではもっぱら手投げ銛による漁獲が多いようである[16][15]。)毎年二月から六月頃に名護湾に来遊してくるバンドウイルカコビレゴンドウを対象にしている[17]。1970年頃に最盛期を迎え[18]、この頃は市民と漁協による熱烈な応援のもと港の船がほぼすべて出航し、多い時は250頭ほどを一度に漁獲していた[17]。しかし以降は九州・沖縄サミット開催へ向けた議論の影響もあって減少に転じ、1989年には自由捕獲が禁止となった。以降は、毎年の漁獲量限度を設定しての実施となっている。主な用途は食用であり、絞られた油は食用油にされ、一部は肥料としても利用された。ただし食用は主に名護市に限られ、古老の話では食用として一般に普及したのは第二次世界大戦後のことである[18]

長崎県壱岐市勝本や和歌山県太地町などは静岡県の富戸や川奈からイルカ追い込み漁の方法を学んでいる。壱岐市勝本ではイルカの群れにより、漁業被害があったため、1965年(昭和40年)から富戸で追い込み漁を学び、1976年(昭和51年)からイルカ追い込み漁を開始した[8]:25-26(詳細は後述)。和歌山県太地町では、元々沖合いでの突棒でのゴンドウクジラ漁が行われており、初めて追い込み漁が行われたのは1933年(昭和8年)であったが、くじらの博物館用に生きたイルカや鯨を捕らえるため、改めて富戸、川奈からイルカ追い込み漁を学び、1969年(昭和44年)から大規模に追い込み漁を開始した[2][8]:26

静岡県では1960年代にピークとなって年平均1万1千頭が捕獲されているが、以降は減少し、1980年代初期には年1000頭程度にまで減っている[13]

捕獲制限の開始[編集]

イルカは1988年の商業捕鯨モラトリアムの頃からクジラの代用として需要が増え、1986年に1万6515頭だったイシイルカの捕獲数が1988年には4万367頭にも増えた。そのため、1991年のイシイルカを初めとして[8]、漁法ごと、鯨種ごとの捕獲制限が設けられた。追い込み漁に関しては、2006年まで静岡県で600頭、和歌山県で2380頭の計2980頭が許可が与えられており[19]、2007年に2468頭、2008年に2393頭へと変更されている[20]

静岡県には年間捕獲枠数が600頭ほどが割り当てられていたものの、1993年以降は年間100頭を割っており、さらに1997年以降は1999年に71頭に減った[20]

現在のイルカ漁業[編集]

IWC管轄外の小型鯨類の捕獲に関して、現在の日本では農林水産大臣の許可の下で捕鯨砲を使って行われる「小型捕鯨業」と、都道府県知事の許可の下行われる「イルカ漁業」があり、「イルカ追い込み漁」は銛を使って行われる「イルカ突き棒漁」と共にイルカ漁を構成する一つの漁法である。

追い込み漁は静岡県和歌山県で知事により許可されているが、静岡県では2004年(平成16年)にハンドウイルカ9頭を捕獲して以降捕獲実績がなく、現在追い込み漁が行われているのは和歌山県太地町の太地いさな組合によるもののみとなっている。一方、突き棒漁は北海道青森県、岩手県、宮城県千葉県、和歌山県、沖縄県の知事により許可されており、2012年(平成24年)は、岩手県、和歌山県、沖縄県で捕獲実績があった[21]

2012年(平成24年)の日本におけるイルカ漁全体では1,820頭が捕獲され、その内、追い込み漁で捕獲されたのは和歌山県太地町で捕獲された1,154頭であった。内訳は、スジイルカ508頭、ハナゴンドウ188頭、マダライルカ98頭、ハンドウイルカ186頭、マゴンドウ172頭、カマイルカ2頭で、うちスジイルカ2頭、ハナゴンドウ24頭、ハンドウイルカ131頭、マゴンドウ7頭、カマイルカ2頭が生体のまま水族館などに販売された[21]

同年に捕獲された残りの666頭が突き棒漁によるもので、岩手県で捕獲されたイシイルカリクゼンイルカが405頭で最大であった。岩手県での突き棒漁のイシイルカとリクゼンイルカの捕獲実績は、2009年(平成21年)が9,129頭、2010年(平成22年)が4,672頭、2011年(平成23年)が1,944頭であり、2011年からに大幅に減ったことになるが、これは東日本大震災の影響である[21]

過去には少数のシャチが獲られたこともあったが、現在は捕獲禁止で、学術調査用の特別許可が出た時にだけ捕獲されており、最近では1997年(平成9年)に和歌山県太地町で5頭が捕獲されて以降は捕獲実績がない[22]

害獣駆除としての実施[編集]

以上のような商業的なイルカ漁業のほか、害獣駆除の手段として利用された事例もある。長崎県壱岐島では、1976年から1986年にかけて、大規模なイルカ追い込み漁が害獣駆除目的で行われていた。壱岐島の漁師によると、1965年からイルカの群れが近海に現れて釣り針にかかったブリを横取りしたり、イルカの影響で魚群が消失したりといった被害が発生した。音による威嚇や銃による駆除が10年に渡って試みられたが効果が薄く、やむなく太地や富戸の技術指導の下で追い込み漁を導入したという。各種イルカが捕獲・殺処分され、壱岐には食用の習慣がなかったために、一部を除いて家畜飼料や肥料原料にされたり、砂浜に埋没処分された[3]。飼料・肥料生産のために専用の粉砕機も購入された。追い込み漁による駆除は、一定の効果はあったという。

壱岐島のイルカ追い込み漁については、1978年に捕獲の様子を撮影した映像が公開されたことをきっかけに、捕鯨に批判的な国々を中心に激しい非難を浴びた。過激な動物保護活動家らが現地を訪れて、イルカと交信しての協同漁業[注釈 1]を行うことやイルカ損害保険の設立、ブリの養殖などを提案したほか、1980年にはイルカを逃がす目的で追い込み漁の網を破るテロ事件も起こした[23]。網を破ったグリーンピースの活動家デクスター・ケイトは、威力業務妨害罪で有罪判決を受けている(エコテロリストが破壊活動をしたが、器物損壊ではない)。しかし、この追い込み漁が漁民の生活を守るためだということが伝わると、事態は鎮静化していった[24]

その後、壱岐島でのイルカ追い込み漁は、イルカの回遊数減少により1986年を最後に大規模なものは行われなくなった。イルカの回遊数減少は、餌となるブリの減少によるものと見られる。ブリの減少の原因は、海流変化とも乱獲とも言われるが不明である[25]。なお、壱岐島では、イルカパークという観光用のイルカ飼育展示施設が入り江を利用して開業した[26]。飼育イルカの高齢化が進んだが、捕獲禁止のため、2007年に太地で捕獲されたハンドウイルカを購入している[27]

その他は壱岐イルカ事件も参照。

漁猟方法[編集]

日本では漁師から選抜されたグループが漁を行う[28]。数隻の船団で出航して、まずイルカの群れを肉眼、そして双眼鏡を用いて探す。太地町等では、他の漁船によるイルカ発見の報を受けて出航し、水揚げ後にその発見者に対して「発見料」を支払うこともある[29]。イルカの群れに接近すると漁師たちはイルカを怯え、混乱させるために金属性の棒を海中で鳴らしイルカを内に追い込む。イルカが湾内に入ると逃げられないように魚網を素早く閉じる。捕獲作業はイルカが落ち着くのを待って、翌日以降に行われる[30]。まず、湾内を自由に動いていたイルカを、漁船で水深数十センチほどの海岸までさらに追い立てる。そして、ウェットスーツを着た漁師が浅瀬に入り、イルカの尾びれにロープを掛ける。このロープを、岸に張った長い綱に固定し、イルカの動きを抑える。そして、動きの鈍った間合いを見てイルカを絶命させる[31]。このとき、喉を切開して殺す方法などが採られていたが、イルカの苦痛が多いとの批判を受け、2000年以降はフェロー諸島で用いられているのと同じ、首元に金属ピンを打ちこんで殺す方式が導入された[30]。新しい方式は、脊髄と周辺の血管叢を同時に切断することでへの血流を停止させるもので、イルカの苦痛を軽減するとともに作業の安全を向上させる効果がある。ただし、スジイルカとマダライルカについては、水際で激しく暴れるために新方式の利用は困難で、改良のため研究が続けられている[32]。また、近年では、水族館向けに生け捕りをするケースも多い。イルカの購入希望者は、岸近くまで追い立てられた個体の中から性別、サイズなどをもとに希望するイルカを選び、傷の有無等を確認する。そして、購入が決まったイルカは胸びれ用の穴があいた専用の担架に載せられ、トラック等で輸送される[33]

抗議活動と報道[編集]

和歌山県太地町のイルカ漁は日本の伝統的な観光名物であったが、2000年代以降は環境保護団体の標的となっており、実力行使による違法行為が繰り返されている。

反捕鯨団体シーシェパード
その他の団体

2007年には活動家らとアメリカ合衆国の女優ヘイデン・パネッティーアが太地町のイルカ漁猟に抗議するために地元の漁師と衝突している。パネッティーアはオーストラリアとアメリカ合衆国から参加した他の5人のサーファーと共に捕獲されているイルカの群れまでたどり着こうとサーフボードで海に乗り出した。これを阻止するため地元漁師との小競り合いはサーファー達が浜辺に連れ戻されるまで10分以上続いた。サーファー達は日本の警察により不法侵入の罪で逮捕されるのを避けて直接関西空港へ向かい、日本国外へ出た[34]。太地町の漁業協同組合は、これら抗議活動家の「この漁場に関する事実を歪曲し続ける無法振り」と、抗議活動家のアジェンダが「国際法にも科学的根拠にも則っておらず、むしろ経済的な自己の利得に基づいている。」ことに抗議している[35]。追い込み漁への抗議活動を行っている動物愛護団体にはシーシェパード、ワンヴォイス[36]、ブルーヴォイス[37]、ホエール・アンド・ドルフィン・コンサーヴェイション・ソサエティやワールド・ソサエティ・フォー・ザ・プロテクション・オブ・アニマルズなどがいる。

漁猟や屠殺の現場を捉えた写真・ビデオによって高まった批判により、現在の太地町では漁における屠殺や解体作業は公衆の視線を避けてテントプラスチック製の覆いの下で行われている。映画『ザ・コーヴ』はイルカ漁は日本国民から隠蔽されていると指摘している。しかし実際にはイルカ漁への批判が起こる前は、日本はイルカ漁を文化とする国なので、普通の漁業として一般公開されていたものが、フリージャナリストの綿井健陽の太地町での取材による、反捕鯨団体や海外メディアの取材行為が結果的に隠される要因になったのだろうと指摘している[38]

1999年10月に富戸町で日本の動物愛護団体エルザ自然保護の会によって撮られた追い込み漁と捕獲後の屠殺の映像『a still of which can be seen on the right』がインターネット上で広まりそしてこの映像の一部はCNNでも報道されている。また近年、伊豆の富戸港­のイルカ漁の動画『イルカ捕獲の真実(2006、ハーディ・ジョーンズ)』がインターネット上で広まり、動物愛護のドキュメント番組『アーシングス』で採り上げられている[39]

2009年に太地町での漁に対して批判的な映画『ザ・コーヴ』が公開され、漁に対して賛否が巻き起こった。リック・オバリーを案内役として、映画は一貫した恣意的な編集や無許可の撮影、やらせなどがあり、公開をめぐる議論や訴訟、映画に対しての抗議活動などがあった。また、海外の保護団体の活動の影響で、イルカに関する一般の研究活動に対して地元漁業者の協力が得られにくくなるという影響も出ている[40]一方では、認知度が上がった為、冷凍イルカ肉が売り切れた現象が起きた。[41]対照的に沖合での銛漁は、ほとんどメディアでの注目を引いていない。 

2010年9月に太地町の太地港で環境保護団体ザ・ブラック・フィッシュが、水族館などに販売予定の捕獲したバンドウイルカ、約50頭を保管していた11箇所のうち7箇所の網を切ってイルカを違法に逃がすことを試みている(ただし、逃げ出したイルカはいなかった)。この件について、同団体はウェブサイトで、イルカを逃がすためにいけすの網を切ったことを認めている[42][43]

2010年11月2日に、「町の立場を説明すべきだ」という住民団体「太地町のイルカ漁を考える会」が主催して、シーシェパードと2つの反捕鯨団体と太地町側の意見交換会を行った。しかし、議論は平行線に終わった。その後、太地町側は、「意見がかみ合うことはなかった。互いの考え方の違いを改めて再確認し、それなりの意義はあった」とし、町長は、「地域の食文化や習慣について不毛な意見交換を続ける気はない」と語った。また、反捕鯨団体は、「漁をやめてもらえるよう、町や政府に圧力をかけ続けたい」と語った。そして、漁協関係者は、「太地の人々は団結しており、攻撃は成功しない」などの談話を発表した。また、当初出席予定だったリック・オバリーは、メディアの自由な報道に規制をかけたとして参加しなかった。[44][45]

人体の健康への懸念[編集]

イルカの肉には水銀などの人体に有害な物質が多く含まれているとして、健康被害を懸念する指摘も一部にある。日本の厚生労働省は、イルカ肉を含む一部の魚介類の水銀が、胎児に悪影響を与えるおそれがあるとして、妊婦のための摂食量ガイドラインを設けている。例えば1切れを60グラムとした場合、、1週間の最大摂取量として、イシイルカは2切れ、コビレゴンドウ(マゴンドウ、タッパナガ)は2分の1切れ、バンドウイルカは8分の1切れを目安とするよう勧めている。同じ基準で魚類のキンメダイの最大摂取目安は1切れであり、特にコビレゴンドウとバンドウイルカの汚染が強いといえる[46]。日本で捕獲されるイルカの8割以上はイシイルカ(及びその亜種のリクゼンイルカ)であるが、コビレゴンドウやバンドウイルカも捕獲・流通しているので注意が必要である。ただし、厚生労働省の研究では、妊婦以外の場合については、幼児や授乳中の母親を含めて健康への悪影響は無いと結論付けている。なお、同じ鯨肉でもミンククジラなどのヒゲクジラ類については、有害物質の含有レベルが低く安全なため、特に制限は無い[47]

生物濃縮のため、イルカの肉と脂身には、非常に高濃度の水銀、カドミウムDDTPCBのような有機汚染物質が含まれていることが分かっている[48][49][50]。そのため、一部の研究者は、これらの濃度は頻繁にイルカ肉を摂取すると健康を害する程高いものであり、子供や妊婦は絶対に食すべきではないと警告している。太地町で学校給食にイルカやクジラの肉を使用することになった時には、この汚染への懸念から議論が起こされた。その結果、2006年に太地町の学校給食には推定150 kgのイルカ肉が提供されたが、2009年には汚染の問題からイルカ肉は学校給食のメニューから外された[51]。学校給食に出されたものとほぼ同じスーパーマーケットで販売されていたイルカとクジラの肉のサンプルから検出された水銀とメチル水銀の濃度は日本の厚生労働省が規定する量の10倍であった。この水銀濃度の高さから日本のオークワ・スーパーマーケットは今後一切イルカ肉を店頭に置かないこととした[52]。近年、日本でのイルカ肉の価格が低下しているところ、この汚染問題が原因との見方もあるが[53]、調査捕鯨による副産物流通の増加やJAS法改正により「鯨肉」との表示ができなくなったことが原因との見方もある[20]

ソロモン諸島[編集]

ソロモン諸島では、現在も食用としてのイルカ追い込み漁が行われている。イルカが多く出現する特別な村々が行っている。マライタ島南部の人口150人ほどの村では、イルカ漁のシーズンである1月-3月には連日、村中の男性が総出でイルカ追い込み漁を行う。カヌーで20kmほど沖合にこぎ出してイルカの群を探し、石を打ち合わせる音で包囲してマングローブの生える浅瀬へと追い込む。高度の連携技術が必要とされる。漁が成功するのはシーズンのうち7回ほどで、1回に約100頭が捕獲される。イルカ肉は村中に分配されて石焼にされ、漁民自身の食糧のほか、農耕民との物々交換の物資となる。また、イルカの装身具材料として利用され、伝統を色濃く残すマライタ島では貨幣としてもソロモン諸島ドルとともに流通している[54]:40[55]。イルカ追い込み漁に要する労力は大きいが、生活や文化にかけがえのない漁として続けられている。ただし1990年代初めから、現金化しやすいナマコ漁が盛んになったり、漁業権を巡る争いがあったり、漁業以外の産業に就く若者が多くなったりしたため、イルカ漁はやや衰退している[54]:108

また、食用に加えて、飼育用のイルカ生体捕獲も行われており、枯渇しつつある輸出用木材に代わって新たな産業として期待されている。一方で、環境保護団体などからは批判を受けている。2003年のメキシコ向け生体イルカの輸出を巡って激しい国際的非難を浴びたソロモン諸島政府は、生体イルカの商業取引を一度は禁止した。しかし、輸出業者が起こした訴訟の結果、2007年に規制は憲法違反であるとの判決が出された。同年には、ソロモン諸島の総督から、アラブ首長国連邦ドバイ向けにイルカ30頭の輸出が許可されている[56]

キリバス[編集]

少なくとも20世紀半ばまでキリバスで同様の追い込み漁が行われていた[57]

デンマーク[編集]

1893年のガンボルグ・フィヨルドでのイルカ追い込み漁の風景を描いた絵。
フェロー諸島のネス湾で頚部を切開され死んでいる2頭の北ハンドウイルカ。頚部切開は脳への血流を止めてイルカを即死させるためで、長時間の苦痛が避けられ、漁師にとっても安全である。
フェロー諸島の伝統食。黒いものがゴンドウクジラの肉。中央のピンク色のものは皮下脂肪層。

デンマークでもイルカ追い込み漁が行われてきた歴史がある。例えば、南デンマーク地域のガンボルグ・フィヨルド(da:Gamborg Fjord)では16世紀には行われていた記録があり、その後も少なくとも19世紀末でも行われていた。21世紀初頭でも、大西洋上に浮かぶ自治領であるフェロー諸島では継続されている。

フェロー諸島[編集]

フェロー諸島では主にゴンドウクジラが食用に追い込み漁で獲られている。公式にはこの種だけに限った漁であるが、稀に北ハンドウイルカやタイセイヨウカマイルカといった種が獲られることもある。地元ではこの漁は「グリンダドロップ」(Grindadráp)として知られている。漁期は決まっておらずイルカの群れが島に十分接近したところを漁師が発見すると漁が始まる。獲物はボートによって浜辺に追い込まれ逃げ道を塞がれる。浜辺に上がるとほとんどが身動きがとれなくなり、海中に残された獲物は脂身に金属製の鉤を突き立てられて陸に揚げられるが昨今は動物虐待だという主張に応えて噴気孔に鉤を差し込んで引き揚げることが多い。陸に揚げられると首の主動脈脊髄を切られて殺される。切り方によってイルカの死ぬまでの時間は数秒から数分まで様々である[58]。漁師が群れの全てを浜辺に追い込めない場合には獲物は海へ返される。

ゴンドウクジラは東大西洋と中部北大西洋海域に77万8,000頭が生息していると推定される。フェロー諸島では毎年その他の小型のクジラ目の通常は数ダース、せいぜい2、3百頭までと約1,000頭のゴンドウクジラが殺されているが、その数は年によってかなり異なる[59]。1年間で殺されるゴンドウクジラの数は頭数の継続的な維持を脅かすようなものでは無いと信じられている[60]が、漁の残虐性が国際的な、特に動物愛護団体からの批判につながっている。

日本と同様にここでも肉には頻繁に摂取すると健康を害する危険があるほどの水銀やカドミウムが含まれており、特に子供と妊婦はその危険性が高い[61]2008年11月にニュー・サイエンティスト誌は、フェロー諸島での研究結果が出たことで2人の医官(chief medical officers)が汚染度の高さからゴンドウクジラの肉を摂取しないように警告を発したという記事を報じた[62]。フェロー諸島の上級厚生担当官(senior Faroese health official)によると、2008年に地元当局が汚染されているためこれ以上ゴンドウクジラの肉を摂取しないように通達を出したことにより消費量は減った[63]

なお、1986年にフェロー諸島もシー・シェパードによる妨害活動を受けている。

ペルー[編集]

ペルーの法律ではイルカを捕獲しその肉を食べることは禁じられているが、毎年かなりの数のイルカが今も漁師により違法に殺されている。正確な数は分からないがペルーの団体「Mundo Azul」(青い世界)は毎年少なくとも1,000頭が殺されていると見積もっている。イルカの捕獲にはボートでイルカを追い、魚網で囲い込んでから銛を打ち込んで船上に引き揚げ、まだ生きている場合は殴り殺す方法が採られている。ハンドウイルカやハラジロカマイルカといった様々な種類が獲られている[64]

台湾[編集]

台湾の澎湖諸島では政府により違法とされるまでの1990年までハンドウイルカの追い込み漁が行われていた。この漁では主にミナミハンドウイルカが対象であったが普通のハンドウイルカも獲られていた[65]

ハワイ[編集]

昔のハワイでは漁師は食用にするためイルカを浜辺に追い上げて殺していた。昔の風習ではイルカの肉はその他何種類かの食べ物と同様に女性にはカプ(禁忌)とされていた。現在ではイルカの追い込み漁はハワイで行われていない[66]

注釈[編集]

  1. ^ イラワジ川など一部地域に実際に行われている例がある。但し実効性に疑問がある。

出典[編集]

  1. ^ 山下渉登 『ものと人間の文化史 捕鯨 I・II』 法政大学出版局、2004年。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

日本のイルカ漁の妨害活動に関する項[編集]

外部リンク[編集]