リック・オバリー

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リック・オバリー

リック・オバリー(Richard (Ric) O'Barry、1941年[1] -)は、イルカの元調教師、保護活動家、海洋哺乳動物の専門家である。 現在は、フロリダ州マイアミ在住であり、過去38年間に渡ってイルカ解放運動に係わっている。

人物[編集]

1960年代のテレビシリーズ、『Flipper (邦題: わんぱくフリッパー)』に出演した5匹のイルカを調教していたが、そのうちの1頭であるキャシーが死んでしまったことから、イルカを捕獲・飼育する産業への反対者になった。その後、シーシェパードの顧問会議に名をつらねていたものの、現在はその名前を除去し[5]、イルカ漁を批判的に描いたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』に本人役で主演した(映画についてはザ・コーヴを参照)。 また、自然保護団体「アース・アイランド・インスティチュート」における「海洋哺乳動物の専門家」でもあり、「日本のイルカを救おう[2]」のディレクターも勤めている。

イルカ解放運動[編集]

  • 1970年の第一回アースデイに際し、オバリーは「イルカ・プロジェクト」を立ち上げた。そのプロジェクトの第一の目標は、研究機関や商業施設で飼育されているイルカ等を「開放」することであった。
  • 1989年には営利団体「ドルフィン・プロジェクト・インク」を設立、これまでに850匹以上のハンドウイルカの個体を研究対象として捕獲した。また、オバリーは世界中の水族館のイルカの膨大なリストを作成しており、イルカの捕獲・飼育産業の実態について著述した、幾つかの著作を出版している。しかし著述されている事柄は、調教師時代の彼自身の経験や同僚らからの仄聞である。
  • 1991年世界中の講義や会議でイルカ監禁の有害な影響について話すなど、イルカの保護への貢献が認められ、国連環境計画の米国委員会の環境功労賞を受賞しました
  • 2001年に世界動物保護協会(WSPA)のコンサルタントでもあるオバリーは、グアテマラにおいて2匹のイルカを逃がすプロジェクトに係わるとともに、カリブ海のリゾートで流行している「イルカと泳げる」サービスを批判した[4]
  • 2010年に、「わざと逮捕されて悪法に注目を集める」目的(アメリカの市民運動に顕著である)で、イルカを捕らえた網を切る事もあるが、日本国内においては「単なる犯罪者」になってしまい、そういった効果が望めないので行わないとコメントしている[5]
同年、9月2日に日本のアメリカ大使館にインターネットで151の国と地域からイルカ漁中止を求める署名約170万人分を集め、中止を日本政府に働きかけるよう要望した目録を渡した。[6]
同年、9月6日日本外国特派員協会で「漁業者らと話し合っていきたい」「自分は反日ではない」と語り、シー・シェパードとの連携についても「逆効果だ」と否定した。[7]
同年、11月2日に、反捕鯨団体と太地町側の意見交換会が行われた際に、当初、出席予定だったが、町側から様々な論拠を突きつけられると、一方的に「完全なまがい物で、この恥ずべき八百長をボイコットする」と喧伝し、「町長側がメディアの自由な報道に規制をかけた」と訴える声明文を会場前で報道各社に配り、抗議のプラカードを掲げるなど、ヒステリックなアジテーションを展開した。[8][9]

フリッパー[編集]

『わんぱくフリッパー』はフリッパーというイルカと少年の友情と冒険を描いたTVドラマで、イルカの賢さ、可愛さ、忠実さはこの番組から世界に知られるようになった。

米国海軍を除隊したオバリーは1960年代、フロリダ州マイアミ水族館(Miami Seaquerium)において、イルカの訓練を始めた[1]。この水族館での勤務中にオバリーは、テレビ番組 Flipper への協力者として雇われた。オバリーは「自分は若かったし、その仕事は金銭的にも魅力的だった。お陰でポルシェを乗り回せた。まさに黄金の日々だった。」と語るように、テレビ番組への協力によって得られる巨額の報酬のため、イルカの調教ビジネスに係わり続けていた。 しかし、Flipper に出演していたフリッパー役の5頭のハンドウイルカのうちの一頭のキャシーが疲労と撮影用ライトの熱による皮膚の炎症(イルカは皮膚の乾燥で火傷に近い状態になる)及び疲労によるストレスが原因で死亡する[10]と、「『フリッパー』が原因で世界中でイルカ・ショーが始まり、イルカが捕獲されるようになったのだ」とオバリーは自分を責め、その日から自らの贖罪のため、イルカを救うことに人生を捧げるようになった[11]。 「自分で呼吸を止めたんだ。自殺だと思う」と、オバリーは「イルカは調教の結果ではなく、自ら命を絶った」と主張し続けている。

ザ・コーヴ[編集]

オバリーは、ルイ・シホヨスが監督を務めた長編ドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』に自身の役で主演した。

オバリーとシホヨスは、オバリーが講演をする予定であったある海洋会議において知り合った。しかしその会議でスポンサーであった海洋哺乳動物の水族館「シーワールド」(オーストラリアゴールドコースト)は直前になってオバリーの講演をキャンセルしたので、シホヨスはこれを不思議に思った。その事について彼に尋ねた所、オバリーはシホヨスに、自分が海洋哺乳類を逃がす活動を行っているためであると説明し、またオバリーは日本の太地町において、毎年9月から3月にかけて、伝統的にイルカの「追い込み漁」が行われていることをシホヨスに伝えた。現地を訪れた二人は、「追い込み漁」が行われている入り江(コーヴ, Cove)が日本政府によって国立公園に指定され、立ち入りが禁止されていることを知った。

この映画を撮影するにあたって、彼等と厳選された撮影隊はイルカ漁をカメラにおさめる方法を練った。この映画ではイルカ漁が20億ドル(約2,000億円)産業であり、日本政府が腐敗していてかつイルカ食は水銀中毒による人体への健康被害の危険があるといった事が伝えられている。

尚、この映画が事実と異なる演出が多い事は知られているが、オバリーが映画内でイルカを捕らえた網を切るシーンも、ハイチで違法に捕られたイルカの網を切るシーンを編集してあるとオバリー自身がコメントしている[5]

映画において、オバリーは「実際のところ、イルカ肉はだ。イルカ肉に含まれる水銀の量は、水俣病を引き起こした魚に含まれていた水銀の量を上回る。日本の新聞テレビの報道がこれまで成し得なかったことを、このドキュメンタリー映画が成し得ることを望む」と語った。

批判[編集]

過去にイルカ漁を取材した作家の川端裕人は「日本のイルカを救おう」におけるオバリーの主張に関して、イルカ漁には過去の負の遺産があり、それが改善されない限り、伝統だからの一点張りではいけないとし、イルカショー飼育個体の死亡率の高さや、イルカ肉の水銀値の高さから、その主張にある程度の妥当性を認めてはいるものの、映画『ザ・コーヴ』及びオバリー自身のイルカ漁を悪そのものとして描く事に対する不寛容さを批判している[12]

脚注[編集]

  1. ^ a b Rohter, Larry (2009年7月19日). “In a Killing Cove, Siding With Dolphins”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2009/07/19/movies/19roht.html 
  2. ^ 日本のイルカを救おう (オバリーの写真あり)
  3. ^ Navarro, Mireya (1996年6月1日). “A Custody Battle Over Captive Dolphins”. The New York Times. http://www.nytimes.com/1996/06/01/us/a-custody-battle-over-captive-dolphins.html 
  4. ^ a b Gonzalez, David (2001年7月3日). “Santa Lucía Journal; Flipper's Trainer in Crusade Against Dolphin Exploitation”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2001/07/03/world/santa-lucia-journal-flipper-s-trainer-in-crusade-against-dolphin-exploitation.html?scp=4&sq=Ric%20O%27Barry&st=nyt&pagewanted= 
  5. ^ a b 『SPA!』2010年7月13日号 扶桑社「エッジな人々」
  6. ^ イルカ漁:映画「ザ・コーヴ」出演者、漁中止働きかけ 米大使館に要望[1]
  7. ^ イルカ漁中止に向けて「対話」を 米活動家、アピール[2]
  8. ^ イルカ漁、初の直接対話 和歌山県太地町で[3]
  9. ^ 太地漁協がイルカ漁で談話「攻撃に屈さず」[4]
  10. ^ 『イルカと一緒に遊ぶ本』青春出版社 、鳥羽山照夫(監修)、1998年 ISBN 4413083873 201頁
  11. ^ 2009年ニューズウィーク日本版より
  12. ^ 『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』「文庫版のための少し長いあとがき」川端祐人 筑摩書店 2010年 ISBN 4480427449 イルカ漁に関する資源管理の失敗及び、不許可操業などの「負の遺産」に関しては、川端の取材により本著に詳しく記述されている。

外部リンク[編集]