秋田県立横手高等学校
秋田県立横手高等学校 | |
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北緯39度20分16秒 東経140度33分51.5秒 / 北緯39.33778度 東経140.564306度座標: 北緯39度20分16秒 東経140度33分51.5秒 / 北緯39.33778度 東経140.564306度 | |
過去の名称 |
(全日制) 秋田縣第三尋常中學校 秋田縣第三中學校 秋田縣立横手中學校 秋田県立横手美入野高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 秋田県 |
学区 | 秋田県全域(岩手県北上市・西和賀町からも通学者がいる) |
校訓 | 「剛健質朴」「天佑自助」「青雲の志」 |
設立年月日 | 1898年3月21日 |
開校記念日 | 5月16日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 |
学年制(全日制) 単位制(定時制) |
設置学科 |
普通科・理数科(全日制) 普通科(定時制) |
学期 |
3学期制(全日制) 2学期制(定時制) |
学校コード | D105220355797 |
高校コード | 05134K |
所在地 |
〒013-0008(全日制) 〒013-0037(定時制) |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
秋田県立横手高等学校(あきたけんりつ よこてこうとうがっこう,英: Akita Prefectural Yokote High School)は、秋田県横手市睦成にある県立高等学校。略称は「横高(おうこう)」。
概要
[編集]横手高等学校は、1898年に開校した旧制中学校(第三尋常中学校)を前身とし[1]、第三中学校を経て、1948年の学制改革により新制高等学校が発足した際には横手美入野(みいりの)高等学校となり[2]、1955年に現在の横手高等学校の名称となった。
2020年10月より新校舎の整備に着工し、2022年5月にグラウンドだった位置に管理校舎棟が竣工[3]、同年10月より既存校舎の撤去に着工した[4]。新校舎整備の竣工は2025年の予定[5]。
沿革
[編集]略歴
[編集]1891年に中学校令の一部が改正され、尋常中学校の設置条件が緩和された。これまでは一府県一校設置の原則であったが、土地の状況により複数の尋常中学校の設置が許可された[6]。当時、県内には秋田縣第一尋常中學校(現・秋田県立秋田高等学校)の一校が設置されていた。1897年7月、秋田県教育会にて伊藤源之助(平鹿郡教育会)が尋常中学校2校の増設を建議した[6]。同年8月には秋田県教育会より建議書が提出され、翌月の臨時県会にて採択された[1]。
1897年11月の通常県会にて、大館(県北)・横手(県南)の尋常高等小学校の設置が審議されたが、候補地として横手町のほかに六郷町や大曲町が挙げられた[1]。最終的に、仙北・平鹿郡の境目付近にある平鹿郡朝倉村(1933年横手町へ編入)に決定した[1]。
1898年に文部省に認可され、「秋田縣第三尋常中學校」として開校した後、翌年である1899年4月1日に「秋田縣第三中學校」と改称[7][8]。開校式は1899年5月16日に挙行されており[7]、この日が開校記念日として定められている[7][8]。また、同時に秋田縣第二尋常中學校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)が開校している。
開校後、1901年7月23日に「秋田縣立横手中學校」と改称した[7][9]。
戦後である1947年に学校教育法が施行され、旧制中学校に代わる新制高等学校が発足、秋田縣立横手中學校は「秋田県立横手美入野高等学校」と改称した[2]。当時の横手市内では、横手美入野の他に横手城南と横手工業(後の横手清陵学院高等学校)が新制高等学校として発足した[2]。
1951年4月1日に男女共学化[2]。1955年には「秋田県立横手高等学校」と現校名に改めた[10]。
年表
[編集]以下、注釈の無い項目は学校の公式サイトの情報によるもの[8]。
(全日制)
- 1898年3月21日 - 「秋田縣第三尋常中學校」として創立。同年11月に校舎竣工[7]。
- 1899年
- 1901年7月23日 - 「秋田県立横手中學校」と改称。
- 1903年7月 - 「校友会雑誌」第1号発刊。(現在の校誌「美入野」の前身)
- 1906年4月8日 - 火災のため本館全焼、寄宿舎に仮教室を設け授業開始。
- 1907年12月 - 新校舎が竣工。
- 1925年4月 - 開校25周年を記念し、校歌(作詞:土井晩翠、作曲:小松耕輔)制定。
- 1928年10月12日 - 校旗樹立式を挙行[10]。
- 1931年1月17日 - 生徒の放火により寄宿舎全焼[10]。
- 1948年4月1日 - 学制改革により、「秋田県立横手美入野高等学校」へ改称。
- 1951年4月1日 - 男女共学化。
- 1953年4月5日 - 商業科を設置。
- 1955年5月27日 - 「秋田県立横手高等学校」と改称。
- 1956年5月16日 - 体育館が竣工。
- 1960年7月30日 - 横手市の寄付により弓道場を新築。
- 1962年2月17日 - 合宿所(青雲寮)が竣工。
- 1965年4月1日 - 商業科を普通科に変更。
- 1968年4月1日 - 理数科を設置。
- 1971年12月13日 - 新校舎が竣工。
- 1976年3月31日 - 弓道場を移転。
- 1977年6月10日 - 第二体育館が竣工。
- 1978年1月20日 - セミナーハウス(青雲寮)が竣工。
(定時制)
- 2006年4月1日 - 横手工業高等学校閉校により、定時制課程を本校へ移管。
- 2008年2月28日 - 旧横手工業高等学校跡地に、秋田県立横手高等学校定時制課程「青雲館」として校舎落成。(同敷地内に秋田県立衛生看護学院も校舎新築移転)
教育課程
[編集](全日制)
- 普通・理数科(1年生全員・7クラス、学年制)
- 普通科(2年生から5クラス、更に文型・理型の2コースに分かれる)
- 理数科(2年生から1クラス)
(定時制)
- 普通科(単位制)
部活動
[編集]- 運動部
- 男子バスケット部、女子バスケット部、陸上競技部、卓球部、フェンシング部、サッカー部、男子ソフトテニス部、女子ソフトテニス部、硬式テニス部、柔道部、剣道部、バレーボール部、ハンドボール部、山岳部、水泳部、弓道部、硬式野球部
- 文化部
- 吹奏楽部、写真部、美術部、放送部、あをくも編集部、文芸部、演劇部、書道部、音楽部、生物研究部、天文部、理工部、化学部、将棋部、茶道部、囲碁部
- 同好会
- JRC、映画研究、競技かるた
ギャラリー
[編集]著名な関係者
[編集]卒業生
[編集]- 戦前
- 工藤祐舜 - 植物分類学の泰斗。北海道帝大助教授・台北帝大教授(増田町出身)
- 佐貫亦男 - 元東京大学教授・航空宇宙評論家・元日本風力エネルギー協会会長・工学博士(横手市出身)
- 本間光夫 - 元慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長
- 富木謙治 - 元早稲田大学教授・武道家(合気道・柔道師範・日本合気道協会創設者)(仙北市(旧角館町)出身)
- 福岡易之助 - 白水社創立者(横手市(旧雄物川町)出身)
- 佐藤章 - 民間飛行家、第1回東京-大阪懸賞郵便飛行大会優勝(仙北郡美郷町(旧仙南村)出身)
- 月輪賢隆 - チベット仏教・西域仏教の文献学的研究(仙北郡美郷町(旧仙南村)出身)
- 佐々木喜久治 - 元秋田県知事・元自治省消防庁長官(鹿角郡小坂町出身)
- 笹山茂太郎 - 元衆議院議員・元農林水産省事務次官(横手市出身)
- 川俣健二郎 - 元衆議院議員(湯沢市(旧稲川町)出身)
- 細谷昭雄 - 元衆議院議員・全国出稼組合連合会会長(大仙市(旧神岡町)出身)
- むのたけじ - ジャーナリスト・評論家(仙北郡美郷町(旧六郷町)出身)
- 平田冨太郎 - 元中央労働委員会委員長、早稲田大学元政経学部長、名誉教授、日本社会事業大学元学長:勲一等瑞宝章受章(横手市出身)
- 佐々木宗一郎 - 洋画家(横手市出身)
- 西村祥治 - 大日本帝国海軍中将、レイテ沖海戦第一遊撃部隊第三部隊(通称・西村艦隊)・第二戦隊司令官 / 旧制秋田中学(現秋田高)から転入(男鹿市出身)
- 畑福俊英 - 元プロ野球選手
- 戦後
- 寺田典城 - 参議院議員・前秋田県知事(大仙市(旧大曲市)出身)
- 千田謙蔵 - 元横手市長・東大ポポロ事件の当事者(横手市出身)
- 柴田正敏 - 第73代全国都道府県議会議長会会長・第68代秋田県議会議長・秋田県議会議員・元雄物川町議会議員(旧雄物川町出身)
- 御法川信英 - 衆議院議員・元財務副大臣(大仙市(旧大曲市)出身)
- 寺田学 - 衆議院議員・元内閣総理大臣補佐官(横手市出身)
- 笹山晴生 - 東京大学名誉教授・元学習院大学教授・歴史学者(横手市出身)
- 西村幸次郎 - 一橋大学名誉教授・元早稲田大学教授・法学者(湯沢市(旧雄勝郡)出身)
- 井関健 - 北海道大学教授(薬学研究院・生命科学院臨床薬剤学研究室)・北海道大学病院薬剤部長
- 三浦哲 - 東北大学大学院准教授(大学院研究科・地震噴火予知研究観測センター)
- 土田武史 - 早稲田大学教授・元中央社会保険医療協議会会長・商学博士
- 佐藤克廣 - 北海学園大学法学部教授
- 上田準二 - 元株式会社ファミリーマート代表取締役社長(横手市(旧大森町)出身)
- 本郷元 - 元仙台地方裁判所長(大仙市(旧大曲市)出身)
- 渡辺良平 - 地方シンクタンク協議会代表幹事
- 佐藤登 - サムスンSDI常務取締役・前株式会社本田技術研究所主任研究員・工学博士(横手市(旧十文字町)出身)
- 島森路子 -広告批評編集長・エッセイスト(横手市出身)
- 柿崎明二(76期) - 菅義偉内閣首相補佐官(横手市平鹿町醍醐出身)
- 泉谷閑示 - 医学者(十文字町出身)
- 齋藤隆夫 - 元北都銀行頭取
- 豊島ミホ - 小説家(湯沢市(旧雄勝町)出身)
- 佐々木桂 - 詩人・エッセイスト(東成瀬村出身)
- 佐々木久実 - 日本画家(仙北郡美郷町(旧六郷町)出身)
- 皆川嘉博 - 彫刻家、秋田公立美術大学教員
- 大坂昌彦 - ジャズミュージシャン・専門誌「スイングジャーナル」の読者投票で1995年からドラム部門連続1位(横手市(旧平鹿町)出身)
- 三井マリ子 - 北欧社会研究家(横手市出身)
- 佐藤淳 - NHKアナウンサー(大仙市(旧西仙北町)出身)
- 竹林宏 - NHKアナウンサー(横手市(旧十文字町)出身)
- 佐藤誠太 - NHKアナウンサー(横手市(旧十文字町)出身)
- 長岡杏子 - TBSアナウンサー(横手市出身)
- 加藤多佳子 - フリーアナウンサー
- 煙山力 - 元東京都文京区長(美郷町(旧千畑町)出身)
- 石田航星 - 早稲田大学准教授、建築生産学者
- 秋田県内首長
教職員
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 横手市 2011, p. 194.
- ^ a b c d 横手市 2011, p. 490.
- ^ “横手高等学校整備事業 管理校舎棟建築工事”. 工事現場情報. 横手建設. 2023年7月4日閲覧。
- ^ “横手高等学校 旧校舎C工区解体工事”. 工事現場情報. 横手建設. 2023年7月4日閲覧。
- ^ “新校舎の建築について”. 更新情報. 秋田県立高等学校. 2023年7月4日閲覧。
- ^ a b 横手市 2011, p. 193.
- ^ a b c d e 横手市史編さん委員会 1981, p. 379.
- ^ a b c “沿革”. 横手高校について. 秋田県立高等学校. 2023年7月4日閲覧。
- ^ 横手市 2011, p. 195.
- ^ a b c 横手市史編さん委員会 1981, p. 380.
- ^ “部活動の紹介”. 秋田県立横手高等学校. 2023年7月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 横手市編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。
- 横手市史編さん委員会『横手市史 昭和編』横手市、1981年。