三井マリ子

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三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は、日本評論家、元政治家

経歴[ソースを編集]

秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校からお茶の水女子大学文教育学部を卒業(専攻は英米文学)。米国コロンビア大学大学院修士課程修了(専攻は比較教育学女性学)。上智大学法学部学士入学するが、後に中退。桐朋女子中学校・高校、野津田高校駒場高校英語教員を経て、東京都議会議員(2期)。1993年には第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区より無所属で立候補するが落選。その後、佛教大学非常勤講師法政大学教員を経て豊中市男女共同参画推進センター「すてっぷ」館長、武生市男女共同参画センター名誉館長を歴任。1993年以降久しく政治活動は行っていなかったが、2012年11月、第46回衆議院議員総選挙において秋田3区より民主党公認候補として出馬。しかし小選挙区で敗北、重複立候補した比例東北ブロックでも復活ならず落選した[1][2]。落選後は民主党を離れ、自身の選挙再出馬はないものの、交流のある議員・候補者の選挙応援などは行っており、政治活動を継続している。東海大学非常勤講師。北欧社会研究家。

活動・主張[ソースを編集]

東京都議会議員時代に「東京都男女平等オンブズマン条例」推進、「女性副知事登用」「女性のみの制服撤廃」、「公費ミスコン廃止」などに関して参画・策定した。国民の個人の自由を尊重するという理由で、選択的夫婦別姓制度を支持している。同様の理由で、同性愛も尊重し、同性婚を支持していることをHPで記載している。

裁判[ソースを編集]

2007年東京都都知事選において「アサノと勝とう! 女性勝手連」の一員に名を連ね、浅野史郎の支援活動の「呼びかけ人」となった(アサノと勝とう! 女性勝手連)。また、「すてっぷ」館長(非常勤)の雇止めの取消しを求めて大阪地裁に提訴する。その裁判が行われる際、傍聴席を上回る数の傍聴者が詰めかけたため、開廷時間となっても審議が行えなかった。これに対し、裁判長が傍聴者のくじ引きを提案したが、傍聴希望者側が大法廷への移動を要求し、裁判長を罵倒するなどしたため、裁判長が退廷した。三井はこれに対し、傍聴希望者の不作法を非難するのではなく、「裁判長が自らの権利を侵害した」と主張している。支援者団体は2007年9月の判決以前、「新聞投稿キャンペーン」を行い、また、裁判所へ公正な裁判を求めるハガキ(文面指定[1])を送ることを呼びかけたが[2]、結局、訴えは棄却された(館長雇止め バックラッシュ裁判[3]。控訴審の大阪高裁は2010年3月、一審判決を破棄。「三井の行動に反対する宗教右翼等の勢力から受けた組織的な攻撃に市が屈した」「説明せずに常勤化に動いたのは人格権の侵害」と認定し、市に150万円の賠償を命令した。

2013年11月11日、民主党秋田県連代表の松浦大悟と当時の女性秘書2人を相手取り、民主党での政治活動を断念するよう強要され、供託金の分配も行われなかったとして、慰謝料など計約2760万円を求める訴訟を地裁横手支部に起こした[4]。 これを受けて民主党秋田県連は当初は、今回の衆院選では三井個人の資金は一銭も使われておらず、党の金を原資とした供託金は公金なのだから秋田3区総支部に戻すべきと主張。また、「三井氏の言動があまりにも酷く、これ以上応援できないとする支援者たちが続出していた」と主張した[5]。しかし、2014年5月10日、一転して三井の訴えを認め、供託金300万円を返金したことを明らかにした[6]。 その後の2014年10月に、秋田地検は民主党秋田県連代表の松浦大悟の当時の元秘書を嫌疑不十分で不起訴処分とした[7]

著書[ソースを編集]

単著[ソースを編集]

共著[ソースを編集]

脚注・参考文献[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]