田中智美

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田中 智美 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 田中 智美
ラテン文字 Tomomi Tanaka
国籍 日本の旗 日本
所属 第一生命
生年月日 (1988-01-25) 1988年1月25日(36歳)[1]
生誕地 千葉県成田市[2]
身長 154cm[1]
体重 39kg[1]
自己ベスト
3000m 9分25秒30
5000m 15分41秒59 (2013年)
10000m 32分27秒70 (2012年)
ハーフマラソン 1時間09分24秒 (2014年)
マラソン 2時間23分19秒 (2016年)
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田中 智美(たなか ともみ、1988年1月25日[1] - )は、日本女子の元陸上競技選手。専門種目は長距離走マラソン。主な実績に、2016年リオデジャネイロオリンピック女子マラソン日本代表(19位)、2014年横浜国際女子マラソン優勝、2016年名古屋ウィメンズマラソン2位など。

経歴・人物[編集]

大学時代まで[編集]

1988年1月25日千葉県成田市出身[2]。玉造幼稚園、成田市立成田小学校を経る。本人は走る事が苦手と自認していたが、周囲では「小さい時からかけっこが速かった」との評判だった。「成田市ロードレース大会」で小学校5年(1998年),小学校6年(1999年)と優勝し、頭角を現した。成田小学校時代の同級生にサッカー選手船山貴之ジェフユナイテッド市原・千葉、中学でも同級生である)、2年後輩にプロ野球選手唐川侑己投手千葉ロッテマリーンズ)がいる。その後、成田市立成田中学校千葉英和高等学校に進学するも県大会出場がやっとで、全国高等学校駅伝競走大会はおろか、インターハイなどの全国大会の出場は無かった。

高校卒業後は玉川大学に進学。当初は教師志望だったが、陸上競技も続けたかったため半ば門前払いを受けながら[3]も陸上部に入部。大学時代も全国大会での出場経験はなかったが、ここで勝負勘を養った。

実業団入り後・初マラソンで4位[編集]

そうした田中の走りに注目した第一生命保険山下佐知子監督1991年世界陸上東京大会銀メダリスト1992年バルセロナオリンピック4位)の勧誘を受けて、2010年に大学卒業後、第一生命に入社。入社後は、同僚の尾崎好美2009年世界陸上ベルリン大会銀メダリスト・2012年ロンドンオリンピック18位)の練習相手として実力を着実に上げた。そして、2011年の第31回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会でアンカー(6区)を務め、第一生命の9年ぶり2度目の優勝に貢献した。翌2012年には全日本実業団ハーフマラソンで、自身初の全国大会優勝を飾った。2014年の第34回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では5区で5人抜きの快走を見せ、区間2位と好成績を残した。2015年現在は、第一生命のキャプテンを務めている。

マラソンを始めたきっかけは、2000年シドニーオリンピックの女子マラソン種目で高橋尚子が日本女子陸上界において、史上初の金メダルを獲得した事である。尾崎好美にも触発され、2014年3月9日に開催された名古屋ウィメンズマラソンでフルマラソンデビューを果たした。そして、いきなり2時間26分05秒のタイムで4位[4]に入賞した(日本人選手では木崎良子早川英里に次いで3位)。この大会での実績が認められ、野口みずき福士加代子も参加しているナショナルチームの練習に初招集された。

横浜国際女子マラソンで優勝しながら世界陸上落選[編集]

マラソン2戦目となる、世界陸上北京大会の女子マラソン日本代表選考も兼ねた、2014年11月16日の横浜国際女子マラソン(同年・第6回大会限りで開催終了)では、レース前半で先頭集団から一旦離れるも、その後20km付近で集団に追い付いた。ゴール手前の40km付近からはフィレス・オンゴリケニア)とデッドヒートを繰り広げ、ラスト300mでオンゴリ選手を突き放し、2時間26分57秒とタイムは平凡ながらも初のフルマラソン優勝を果たした[5]。さらに国内選考レース(横浜・大阪・名古屋)では唯一の日本人優勝(男女を通じても優勝は田中のみ)を果たした事で、世界陸上選手権の女子マラソン代表入りは濃厚と報道されていた。

しかし2015年3月11日日本陸上競技連盟が発表した世界陸上女子マラソンの最後の3枠目の座は、大阪国際女子マラソンで日本人トップの2位[6]で田中より18秒先着だった重友梨佐天満屋)に決まった[7]ため、田中は世界陸上の座を逃してしまった。尚、1983年第1回世界陸上競技選手権(ヘルシンキ大会)が開催されて以降、マラソン国内選考会において優勝しながら世界陸上のマラソン日本代表から落選(辞退者を除く)したのは、2015年現在田中智美1人だけである[8][9]

名古屋ウィメンズマラソンで日本人トップの2位・リオ五輪日本代表選出[編集]

2015年9月27日ベルリンマラソン・女子の部は2時間28分丁度で日本人トップの8位に入る[10]。その後同年12月の第35回全日本実業団対抗女子駅伝等にも出場せず、大好物のビールも一切断ち、オーストラリアニュージーランドなどで約70日間の海外合宿を行っていた[11]

2016年8月開催予定の、リオデジャネイロオリンピック女子マラソン代表最終選考会を兼ねた、同年3月13日の名古屋ウィメンズマラソンでは、終始先頭集団に加わった。30kmでペースアップした同大会2連覇のユニスジェプキルイ・キルワバーレーン)を田中一人が追ったものの、33km過ぎで遅れ始める。その後37km手前で小原怜(天満屋)が田中に追いついてからは、ゴール地点のナゴヤドームまで壮絶なデッドヒートを繰り広げたが、残り100mで田中がラストスパートで突き放し、3位の小原とは僅か1秒差の2時間23分19秒で自己記録更新・日本選手トップの2位となり、念願のリオ五輪女子マラソン日本代表選出をほぼ確実にした[12]。それから4日後の3月17日、念願のリオ五輪女子マラソン日本代表へ正式に選出された[13]

リオデジャネイロ五輪・女子マラソンは19位、入賞成らず[編集]

2016年8月21日、期待されたリオ五輪・女子マラソン本番だったが、16km付近は先頭集団から遅れて第2集団に待機。25km過ぎで福士加代子ワコール)を一旦追い越し日本人首位に立つも、レース終盤福士に追い抜かされる。結局日本人二番手の19位に終わり、前回ロンドン五輪女子マラソン代表の尾崎好美同様に、8位入賞も遠く及ばなかった[14][15]

リオデジャネイロ五輪後[編集]

リオ五輪後の田中は、体重増による調整不足や度重なる怪我の影響などで、公式レースから遠ざかっていたが、約1年半が経過した2018年3月18日まつえレディースハーフマラソンに出場し、1時間11分39秒で優勝した[16]。そしてリオ五輪から2年半振りのフルとなる、2019年1月27日開催の大阪国際女子マラソンへ出走を決意する[17]。だが、レース序盤の5km過ぎで早々先頭集団から遅れ始め、結局見せ場は殆ど作れないまま、2時間29分台の7位(日本人5着)に終わる。マラソングランドチャンピオンシップ(MGC・2020年東京オリンピック女子マラソン選考会)出場権獲得も果たせず、ゴール後の田中は「完走は出来たけど、私を声援する方々の期待に応えられなかった」と悔し涙を流していた[18][19]。結果的にこの大阪国際女子が、田中の現役最後のフルマラソンと成った。

現役引退[編集]

2019年11月24日の第39回全日本実業団対抗女子駅伝大会(クイーンズ駅伝)では、アンカー・6区に出走し、21分50秒の区間10位だった(第一生命グループは2時間17分44秒の総合12位)。その大会終了の後、翌2020年2月9日開催の全日本実業団ハーフマラソンを最後に、現役引退する事を表明。田中は「故障が重なり思うように走れず、今年の7月頃に引退を決断した。今は『やりきった』という感じが有る。弱い選手だったが、『オリンピックに出たい』と思いつつ、『成長する』と山下監督を信じ続けてこられた。第一生命の応援団に支えられて有り難かった」と清々しい表情でコメントした[20]

その現役ラストランと成った全日本実業団ハーフマラソン・女子の部では、1時間11分47秒の18位で完走を果たす[21]。レース後の田中は、所属先・第一生命の関係者や親族らに対して、「想像以上に沢山の方々が応援に来て頂いて、とても幸せな21Kmだった。第一生命に入社して、頑張って来て良かった」と感謝の言葉を述べ、涙ぐみながら挨拶。監督の山下佐知子は「とても難しい引退レースで、最後まで立派に走ってくれた」と愛弟子を称え、チームメートと共に花束を贈呈していた[22]

2015年世界陸上落選騒動・2016年リオ五輪代表選出・2020年東京五輪選考(女子マラソン)見直し等[編集]

田中智美が世界陸上北京大会・女子マラソン日本代表から落選した理由について、日本陸連は、田中がレース前半にハイペースの先頭集団を追わなかったことを消極的だと判断し[23]、「重友選手については、前半から積極的にレースをした。また横浜での出場選手のレベルは名古屋や大阪よりも劣っていた[24]前田彩里伊藤舞、重友梨佐は、日本陸連が定めた派遣設定記録の2時間22分30秒を目指す走りだった。後ろからペースを上げての2時間22・23分台なら評価するが[25]」(酒井勝充強化副委員長)と説明した。その記者会見の席で、ロサンゼルス五輪女子マラソン日本代表・スポーツジャーナリスト増田明美は「なぜ同じ26分台で大阪で3位[6]だった重友さんなんでしょうか?重友さんは確かに復調の兆しがあったが、後半5キロの失速を見るとまだまだのように見えた。優勝した田中さんには圧倒的な強さがあったと思う。これで本当に良いのでしょうか?重友さんの選考はすごく主観が入っているという事ですよね??[25][26]」と、日本陸連関係者に猛抗議する一幕もあった[27]

田中の所属する第一生命の山下佐知子監督も「田中智美が世界で戦うには力不足なのは謙虚に受け止めねばと思いますが、今回の選考理由はまだ受け入れられません」「(重友の2時間26分39秒と)記録も18秒しか変わらないのに。田中自身もショックを受けている」と悔しさを露わにした[28][29]。また、十種競技日本男子元チャンピオンタレント武井壮ツイッターFacebookで、「一発選考じゃないから不公平が起きる。今回の場合、名古屋ウィメンズマラソンで強くて速かった前田彩里1人だけ内定にして、あとの上位選手は決め手が無いんだから、全員補欠でナショナルチーム入り。で、ナショナルチーム内で大会2ヶ月前に最終選考一発勝負すりゃいいと思う」とコメントする[30]など、異議が上がった。

世界陸上男子マラソンで4回(2011年大邱大会2013年モスクワ大会2017年ロンドン大会2019年ドーハ大会)日本代表選出の公務員ランナー(当時、2019年4月よりプロランナーに転向)・川内優輝は「優勝して選ばれないというのはどうなんでしょうか…他に優勝した選手がいるのなら分かりますけど。重友さんはトップに3分以上つけられた[6]のに、笑ってゴールしたのも気になりました。ただ選ばれたことに重友さんは何も悪くないし、罪はないですよ」と田中と重友を気遣いつつも、日本陸連の選出方法に疑問を呈していた[31]。さらに今回世界陸上北京大会・男子マラソンに初選出の今井正人は、「男女共3人目は誰になるのか微妙なのかな、と思っていました」と語り、「優勝した選手が選ばれない事に驚いた?」と尋ねると「そうですね」と答えている[32][33]。そして2000年シドニー五輪女子マラソン覇者・2001年女子マラソン世界記録達成者(ベルリンマラソン)で、現在日本陸連の理事を務める高橋尚子は「田中さんが有利だと思っていた。陸連に直接意見を言ったが、返答は代表発表会見と同じ感じで憤慨した」「選ばれた側の重友さんも苦しいはず。勝っても負けても選手が前を向けるようにしなければ」「(日本陸連の)理事を辞める事も考えたが、中にいないと出来ない事がある。今後も選手達を守っていきたい」等と述べていた[34]

だが田中はこの無念の想いを糧にして、翌2016年3月の名古屋ウィメンズマラソンでは日本人トップの2位に入り、同年8月のリオ五輪女子マラソン日本代表入りを果たす。それでも、その記者会見の席で田中は当事者として、リオ五輪では前年8月の世界陸上北京大会で入賞者(7位)の伊藤舞(大塚製薬)が先に五輪即内定となった件に関し「伊藤さんがどうとかでは無いですが、このまま(世界陸上入賞で五輪内定)では日本人同士の争いになってしまう。世界に向かないといけないのに、入賞を目指すだけではと感じています」と意を決したような表情で私見を述べた。その上で山下監督も「今思っても1年前の事は納得していない。誰もが同意する説明の仕方を、当事者に出来るように気を付けてほしい」と改めて日本陸連へ注文を付け、さらに五輪男女マラソン代表3枠に対して選考会が4レースも有る状況に、「一発選考が良いかはっきり言えない処も有りますが、少なくとも分母と分子位は合わせるか、分母を少なくするかは出来る筈」等と提言している[35]

しかしリオ五輪本番では、田中(19位)を含め男女マラソン日本代表6人全てが、メダル及び8位入賞も届かなかった。特に女子マラソン日本代表は3大会連続してメダル・入賞を逃す不振に、日本陸連はマラソン選考について大幅な見直しを検討[36]。リオ五輪後の2016年11月2日、山下佐知子監督は日本陸連ナショナルチーム・女子強化コーチに就任する[37]。翌2017年4月18日、日本陸連は2020年東京オリンピック・男女マラソン日本代表選考の詳細方針を発表し[38][39]、さらに同年8月23日には、当選考競技会の正式名称を「マラソングランドチャンピオンシップ(通称:MGC)」と公表した[40]

マラソン全成績[編集]

年月 大会 順位 記録 備考
2014年3月9日 名古屋ウィメンズマラソン 4位[4] 2時間26分05秒 初マラソン・仁川アジア大会選考レース
2014年11月16日 横浜国際女子マラソン 優勝 2時間26分57秒 初優勝・世界陸上北京大会選考レース
2015年9月27日 ベルリンマラソン 8位 2時間28分00秒 日本女子トップ
2016年3月13日 名古屋ウィメンズマラソン 2位 2時間23分19秒 自己記録・日本人トップ・リオデジャネイロ五輪選考レース
2016年8月21日 リオデジャネイロオリンピック 19位 2時間31分12秒 日本女子では二番手
2019年1月27日 大阪国際女子マラソン 7位 2時間29分03秒 MGCシリーズ第7弾2020年東京オリンピック選考会)・現役最後のマラソン

脚注[編集]

  1. ^ a b c d INVITED ATHLETES(名古屋ウィメンズマラソン2014)※No.18の欄に田中の名前がある。
  2. ^ a b 次の目標はリオ五輪 故郷・成田で快挙報告 横浜国際女子マラソンで優勝 田中智美選手千葉日報、2015年1月20日記事。
  3. ^ 玉川大学陸上競技部は全日本大学女子駅伝対校選手権大会に1999年以降、連続して出場している程の強豪校である。
  4. ^ a b 当初首位のマリア・コノワロワロシア)がドーピング違反で失格により、5位の田中は4位に繰り上がった。
  5. ^ 横浜国際女子マラソン 田中智美が初優勝、世界陸上代表へ前進スポニチ Sponichi Annex マラソン、2014年11月16日記事
  6. ^ a b c 当初首位のタチアナ・ガメラ=シュミルコウクライナ)がドーピング違反で失格、3位の重友は2位に繰り上がった。
  7. ^ 2015年8月30日に世界陸上北京大会・女子マラソンに出場した重友は、結局日本人最下位の14位に終わった。
  8. ^ なおオリンピックの女子マラソン日本代表選考では、過去1992年開催のバルセロナ五輪代表へ、共に国内選考会で優勝した谷川真理1991年東京国際女子優勝・補欠選出)と大江光子(1992年名古屋国際女子優勝)の二人が選出されなかった。
  9. ^ 23年ぶりV落選/女子マラソン代表選考 - 陸上 : 日刊スポーツ、2015年3月12日記事
  10. ^ 女子は田中智美8位、男子は五ケ谷宏司が9位 日刊スポーツ、2015年9月27日記事
  11. ^ 田中智美「決まったものと思っている」とリオ切符に自信…「おいしいビールが飲める」/マラソンサンスポ、2016年3月13日記事
  12. ^ 陸上:名古屋ウィメンズマラソン2016 田中、小原との激闘を制しリオ代表へ名乗り 優勝はキルワスポーツナビ、2016年3月13日記事
  13. ^ リオ代表の田中智美 1年越し雪辱 デイリースポーツ 2016年3月17日記事
  14. ^ リオ五輪 陸上【速報終了】金メダルはスムゴング 日本勢は福士の14位が最高 yahooニュース 2016年8月21日
  15. ^ ほかリオ五輪女子マラソン日本代表選手は、福士加代子が14位、伊藤舞が46位。
  16. ^ リオ代表の田中、まつえハーフマラソンで優勝 サンスポ 2018年3月18日記事
  17. ^ 引退か続行か、故障も乗り越えた田中智美がリオ以来のマラソンへ「応援してくれた方のために」 スポニチ 2019年1月26日記事
  18. ^ 女子マラソン速報 - 第38回大阪国際女子マラソン大会 スポーツナビ 2019年1月27日記事
  19. ^ 【大阪国際女子マラソン】2年半ぶりの田中智美、見せ場作れず号泣 産経新聞 2019年1月27日記事
  20. ^ リオ代表田中智美が来年2月で引退、MGC出場逃し 日刊スポーツ 2019年11月24日記事
  21. ^ 【女子マラソン】リオ五輪代表田中智美が引退…最後の実業団ハーフマラソンは18位 OLYMPIC CHANNEL 2020年2月9日記事
  22. ^ リオ五輪マラソン代表・田中智美 18位でラストレース終える、万感の思い「幸せな21キロ」 スポニチ 2020年2月9日記事
  23. ^ 世陸女子マラソン選考で波紋 唯一Vの田中落選 日刊スポーツ 2015年3月12日記事
  24. ^ 横浜では、ロンドンオリンピック女子マラソン金メダリストティキ・ゲラナエチオピア)も出場している(2時間29分13秒で6位だった)。
  25. ^ a b 増田明美さん異議「これでいいんでしょうか?」 - 陸上 : 日刊スポーツ
  26. ^ マラソン代表選考に増田明美さん「すごく主観入ってる」朝日新聞、2015年3月11日記事。
  27. ^ 増田明美さんと陸連幹部がバトル デイリースポーツ 2015年3月11日記事
  28. ^ 田中智美の落選、山下監督が無念/スポーツ デイリースポーツ 2015年3月11日記事
  29. ^ えっ?唯一の優勝者が代表落選…横浜Vの田中より大阪3位(当初)の重友 - マラソン スポニチ 2015年3月12日記事
  30. ^ 武井壮“モヤモヤ”マラソン代表選考に喝!独自プランも提案 スポニチ 2015年3月12日記事
  31. ^ 川内 女子マラソン選考で持論「優勝して選ばれないというのは…」 スポーツニッポン、2015年3月13日記事
  32. ^ 「有森、松野大騒動」から23年…マラソン"不可解"選考で遺恨勃発…」東スポweb 2015年3月13日記事
  33. ^ しかし今井正人は2015年8月22日開催の世界陸上北京大会・男子マラソン本番前に髄膜炎による体調不良で欠場した。
  34. ^ 尚子理事 不可解マラソン選考「憤慨」Vで落選・田中「有利だと」 スポニチ 2015年3月21日記事
  35. ^ 田中智美、入賞目標ダメ「一番きれいなメダルいい」 日刊スポーツ、3月18日記事
  36. ^ 3大会入賞なし…女子マラソン転換期、選考見直しも 日刊スポーツ<リオ五輪:陸上>、2016年8月16日記事
  37. ^ 瀬古氏が男女マラソン統括 日本陸連、新強化体制 日本オリンピック委員会、2016年11月3日記事
  38. ^ これにより、従来の五輪前年開催で世界陸上マラソン種目(2019年ドーハ大会)で日本人最上位・8位以内入賞者の「東京五輪即内定」の項目は完全除外された。
  39. ^ 東京五輪男女マラソンの選考方針/図解 日刊スポーツ、2017年4月19日記事
  40. ^ 五輪マラソン選考会は「グランドチャンピオンシップ」 日刊スポーツ、2017年4月19日記事

外部リンク[編集]