「神田三崎町」の版間の差分
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[[File:旧・商経学部校舎前の三崎町停留所(1938年頃).jpg|thumb|180px|left|1938年頃の三崎町停留所]] |
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江戸開府以前は当該町域は三崎村と呼ばれた。[[江戸時代]]に[[徳川家康]]をはじめとする歴代の将軍が[[城下町]]として開発し、[[大名]]や[[旗本]]の[[武家屋敷]]が立ち並ぶ町となった。江戸時代を通じて[[神田小川町|小川町]]と呼ばれ、幕府の[[講武所]]が設けられた。[[1866年]]([[慶応]]2年)11月に講武所は廃止され、陸軍所が吸収。[[明治維新]]後は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の練兵場として使用された。[[1872年]]([[明治]]5年)に[[東京府]]下の町が新町名に改称した際に、当該町域も「三崎町」と改称した<ref>[http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/kandamisaki.html 町名由来板:神田三崎町(かんだみさきちょう)]、千代田区ホームページ、2018年1月1日</ref>。 |
江戸開府以前は当該町域は三崎村と呼ばれた。[[江戸時代]]に[[徳川家康]]をはじめとする歴代の将軍が[[城下町]]として開発し、[[大名]]や[[旗本]]の[[武家屋敷]]が立ち並ぶ町となった。江戸時代を通じて[[神田小川町|小川町]]と呼ばれ、幕府の[[講武所]]が設けられた。[[1866年]]([[慶応]]2年)11月に講武所は廃止され、陸軍所が吸収。[[明治維新]]後は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の練兵場として使用された。[[1872年]]([[明治]]5年)に[[東京府]]下の町が新町名に改称した際に、当該町域も「三崎町」と改称した<ref>[http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/kandamisaki.html 町名由来板:神田三崎町(かんだみさきちょう)]、千代田区ホームページ、2018年1月1日</ref>。 |
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その後、[[1890年]](明治23年)に陸軍練兵場は[[三菱財閥|三菱社]]に払い下げられ、跡地の開発が始められた。同じく三菱が所有する[[丸の内]]が[[オフィス街]]に開発されたのと違い、三崎町は[[市街地]]として開発された。 |
その後、[[1890年]](明治23年)に陸軍練兵場は[[三菱財閥|三菱社]]に払い下げられ、跡地の開発が始められた。同じく三菱が所有する[[丸の内]]が[[オフィス街]]に開発されたのと違い、三崎町は[[市街地]]として開発された。 |
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1947年(昭和22年)3月15日に神田区と麹町区が合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更が行われ、当該町域も「神田三崎町」となった。1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、旧来の町名である「三崎町」に戻されたが、2018年(平成30年)1月1日に再度「神田三崎町」に町名変更されている。 |
1947年(昭和22年)3月15日に神田区と麹町区が合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更が行われ、当該町域も「神田三崎町」となった。1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、旧来の町名である「三崎町」に戻されたが、2018年(平成30年)1月1日に再度「神田三崎町」に町名変更されている。{{clear}} |
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=== 沿革 === |
=== 沿革 === |
2021年8月26日 (木) 01:52時点における版
神田三崎町 | |
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JR水道橋駅西口(2016年6月2日) | |
北緯35度42分2.51秒 東経139度45分14.17秒 / 北緯35.7006972度 東経139.7539361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 千代田区 |
地域 | 神田地域 |
人口 | |
• 合計 | 963人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
101-0061[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
神田三崎町(かんだみさきちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示実施済み。現行行政地名は神田三崎町一丁目から神田三崎町三丁目。郵便番号は101-0061[2]。
地理
東京都千代田区の北部に位置する。一丁目から三丁目が東から西に配される。北部は神田川に接し、これを境に文京区後楽・本郷にそれぞれに接する。東部は千代田区神田猿楽町に接する。南部は千代田区西神田に接する。西部は日本橋川に接し、これを境に、千代田区飯田橋に接する。交通面では水道橋駅の駅前であり、商業地としてオフィスビルや商店が多いほか、大学などの教育施設も多く見られる区域である。
1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、「三崎町」の町名が付けられたが、猿楽町とともに「神田」を冠称した「神田三崎町」への町名変更を求める住民運動が起き、2014年(平成26年)10月15日に千代田区議会で町名変更の議案が可決され、2018年(平成30年)1月1日より「神田三崎町」の名称が復活した[4]。しかし、「神田三崎町」の名は、1947年(昭和22年)3月15日に旧神田区と旧麹町区が合併して千代田区が誕生してから住居表示するまでの約20年使われたに過ぎない名称であり、伝統的な名称ではないとして反対する意見もある[5]。
歴史
江戸開府以前は当該町域は三崎村と呼ばれた。江戸時代に徳川家康をはじめとする歴代の将軍が城下町として開発し、大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ町となった。江戸時代を通じて小川町と呼ばれ、幕府の講武所が設けられた。1866年(慶応2年)11月に講武所は廃止され、陸軍所が吸収。明治維新後は陸軍の練兵場として使用された。1872年(明治5年)に東京府下の町が新町名に改称した際に、当該町域も「三崎町」と改称した[6]。
その後、1890年(明治23年)に陸軍練兵場は三菱社に払い下げられ、跡地の開発が始められた。同じく三菱が所有する丸の内がオフィス街に開発されたのと違い、三崎町は市街地として開発された。
1947年(昭和22年)3月15日に神田区と麹町区が合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更が行われ、当該町域も「神田三崎町」となった。1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、旧来の町名である「三崎町」に戻されたが、2018年(平成30年)1月1日に再度「神田三崎町」に町名変更されている。
沿革
町名の変遷
住居表示実施後 | 実施年月日 | 住居表示実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
三崎町一丁目 | 1967年4月1日 | 神田三崎町一丁目[8]、神田駿河台二丁目 |
三崎町二丁目 | 神田三崎町一丁目[9]、神田三崎町二丁目[10] | |
三崎町三丁目 | 神田三崎町二丁目[11] |
町名変更後 | 変更年月日 | 町名変更前(丁目・番・号の変更なし) |
---|---|---|
神田三崎町一丁目 | 2018年1月1日 | 三崎町一丁目 |
神田三崎町二丁目 | 三崎町一丁目 | |
神田三崎町三丁目 | 三崎町二丁目 |
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
神田三崎町一丁目 | 14世帯 | 27人 |
神田三崎町二丁目 | 270世帯 | 519人 |
神田三崎町三丁目 | 263世帯 | 417人 |
計 | 547世帯 | 963人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[13]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
神田三崎町一丁目 | 全域 | 千代田区立お茶の水小学校 | 千代田区立麹町中学校 千代田区立神田一橋中学校 |
神田三崎町二丁目 | 全域 | ||
神田三崎町三丁目 | 全域 |
施設
- 神田三崎町一丁目
- 東部。白山通りと錦華通りの間に挟まれた区域。各種オフィス・学校が多数立地している。
- 日本大学経済学部本館
- 大原学園(大原予備校)
- TAC水道橋校
- 東洋高等学校
- メニコン東京・水道橋ビル
- 日本基督教団三崎町教会
- 代々木アニメーション学院東京校
- 庭のホテル 東京
- 神田三崎町二丁目
- 中部。白山通りと水道橋西通りの間にはさまれた区域。地域内を三崎神社通りが通っている。各種ビル・商店や学校が見られる。
- 日本大学法学部(神田三崎町キャンパス:本館・2号館・4号館・5号館・6号館・10号館・11号館・13号館・15号館)
- 日本大学経済学部(7号館)
- 日本大学大学院法務研究科(旧日本大学通信教育部1号館を流用)
- 東京歯科大学(水道橋キャンパス・水道橋病院)
- LEC東京リーガルマインド水道橋本校
- TAC本社・水道橋駅前校舎
- 東京法科学院専門学校
- ドワンゴクリエイティブスクール
- 理研ビタミン本社
- 鉄建建設本社
- 三省堂本社
- 三崎稲荷神社
- 株式会社伊藤ガラス
- 神田三崎町三丁目
- 西部。水道橋西通りと日本橋川の間に挟まれた区域。学校・オフィスのほか出版社が多く立地している。
交通
- 東京都道301号白山祝田田町線(白山通り)
- 水道橋西通り
- 三崎神社通り
- 首都高速道路・出入口
脚注
- ^ a b “町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2019年2月12日). 2019年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
- ^ a b 三崎町・猿楽町の町名変更、千代田区ホームページ、2018年1月4日
- ^ 2013年12月2日放送『TOKYO MX NEWS』(夕方版、TOKYO MX)
- ^ 町名由来板:神田三崎町(かんだみさきちょう)、千代田区ホームページ、2018年1月1日
- ^ 1967年4月11日、自治省告示第81号「住居表示が実施された件」
- ^ 神田三崎町一丁目偶数番地および無番地の一部
- ^ 神田三崎町一丁目奇数番地および無番地の一部
- ^ 神田三崎町二丁目偶数番地
- ^ 神田三崎町二丁目奇数番地
- ^ “区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
外部リンク
文京区後楽 | 文京区本郷 神田駿河台 |
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飯田橋 | 神田猿楽町 | |||
神田三崎町 | ||||
西神田 |