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'''船戸 陽子'''(ふなと ようこ、[[1974年]][[4月23日]] - )は、[[日本]]の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]、[[ソムリエ]]。結婚により、現在の本名は'''八ヶ代 陽子'''(船戸は旧姓)<ref>[http://joshi-shogi.com/pdf/member_26.pdf 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 正会員名簿(平成26年2月26日現在)]</ref>


== 概要 ==
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== 人物 ==
== 人物 ==
父の影響で将棋を始める。趣味は旅行、写真。パソコン操作などに明るく、日本将棋連盟所属時の女流棋士会のイベントパンフレットの多くは船戸によるデザインだった。日本ソムリエ協会認定[[ソムリエ]]の資格を持っており、マイクロソフトのサイト「INNO.」にてコラムを連載。
父の影響で将棋を始める。趣味は旅行、写真。パソコン操作などに明るく、日本将棋連盟所属時の女流棋士会のイベントパンフレットの多くは船戸によるデザインだった。[[マイクロソフト]]のサイト「INNO.」にてコラムを連載。

[[日本ソムリエ協会]]認定[[ソムリエ]]の資格を持っている。日本ソムリエ協会のソムリエ資格受験には飲食店での数年間の実務経験が必要なため、当時は昼は女流棋士、夜は飲食店勤務を掛け持ちする生活が続いた<ref name=apagard>[http://blog.apagard.com/roslyn.php?itemid=4026 11/25: ソムリエ、女流棋士 船戸陽子さん 前編] - ロズリンの部屋</ref>。また他にも[[カラーコーディネーター]]、[[フラワーデザイナー]]の資格を持っている<ref name=apagard />。


2011年に[[結婚]]した際には、[[将棋]]になぞらえ「私は[[穴熊囲い|四枚穴熊]]に自陣に[[竜馬|馬]]まで引きつけていたにもかかわらず、彼の[[棒銀|原始棒銀]]に寄せ切られてしまいました」<ref>「所属女流棋士入籍のご報告」『[http://joshi-shogi.com/lpsa/news/news_110818.html 日本女子プロ将棋協会|LPSA|]』[[日本女子プロ将棋協会]]、[[2011年]][[8月18日]]。</ref>とのコメントを発表した。
2011年に[[結婚]]した際には、[[将棋]]になぞらえ「私は[[穴熊囲い|四枚穴熊]]に自陣に[[竜馬|馬]]まで引きつけていたにもかかわらず、彼の[[棒銀|原始棒銀]]に寄せ切られてしまいました」<ref>「所属女流棋士入籍のご報告」『[http://joshi-shogi.com/lpsa/news/news_110818.html 日本女子プロ将棋協会|LPSA|]』[[日本女子プロ将棋協会]]、[[2011年]][[8月18日]]。</ref>とのコメントを発表した。

2014年2月28日 (金) 14:23時点における版

 船戸 陽子 女流二段
名前 船戸 陽子
生年月日 (1974-04-23) 1974年4月23日(50歳)
プロ入り年月日 1988年3月17日
出身地 日本の旗 東京都渋谷区
師匠 高柳敏夫
段位 女流二段
戦績
一般棋戦優勝回数 4回
2011年8月21日現在
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船戸 陽子(ふなと ようこ、1974年4月23日 - )は、日本女流棋士ソムリエ。結婚により、現在の本名は八ヶ代 陽子(船戸は旧姓)[1]

概要

日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属する女流棋士である。また、ソムリエの資格も持つ。高柳敏夫門下。亜細亜大学出身。LPSA番号18。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は25。

来歴

1974年生まれ、東京都渋谷区出身。 1986年女流育成会に入会し、1988年に3級で女流棋士となった。1990年に1級、1991年に女流初段、2000年に女流二段となった。2008年6月30日付で日本将棋連盟を退会し、2008年7月1日より日本女子プロ将棋協会に入会した。日本女子プロ将棋協会設立当初ではなく、その後に移籍した初の例である。

人物

父の影響で将棋を始める。趣味は旅行、写真。パソコン操作などに明るく、日本将棋連盟所属時の女流棋士会のイベントパンフレットの多くは船戸によるデザインだった。マイクロソフトのサイト「INNO.」にてコラムを連載。

日本ソムリエ協会認定ソムリエの資格を持っている。日本ソムリエ協会のソムリエ資格受験には飲食店での数年間の実務経験が必要なため、当時は昼は女流棋士、夜は飲食店勤務を掛け持ちする生活が続いた[2]。また他にもカラーコーディネーターフラワーデザイナーの資格を持っている[2]

2011年に結婚した際には、将棋になぞらえ「私は四枚穴熊に自陣にまで引きつけていたにもかかわらず、彼の原始棒銀に寄せ切られてしまいました」[3]とのコメントを発表した。

昇段履歴

棋歴等

優勝:第14回・第19回(2008年)、第26回(2009年)、第37回(2010年)、第49回・第50回(2012年)
2012年10月、優勝経験者のみ出場の第50回1dayトーナメントで優勝し、初代グランドチャンピオン。

脚注

関連項目

外部リンク