川奈ホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

川奈ホテル(かわなホテル)は、静岡県伊東市川奈にあるリゾートホテルである。

歴史[編集]

設立[編集]

明治時代に大倉喜七郎が、イギリス留学中の20世紀初頭、貴族たちが利用していたゴルフ場、乗馬、テニス、フィッシング、プールなどの施設を備えたスコットランドにあるリゾートホテル、グレンイーグルスホテル(以前サミットで使用)に滞在し、感銘を受けて帰国後、大倉財閥の別荘として建設される。

1941年12月の大東亜戦争太平洋戦争)開戦直後には、戦時交換船で帰国するまでの間のイギリス大使館やアメリカ大使館員の抑留先となり、その後は海軍の病院となる。戦後は連合国軍による接収を経て大倉財閥の元へ戻る。

第二次世界大戦後[編集]

東京急行電鉄総帥の五島慶太からホテル前に伊豆急行線の駅を作る提案を受けた時に、「当ホテルはリゾートホテルの趣旨を理解された、それなりのステータスのお客様を対象としており、それらの方々は自家用車で来られるわけであるから電車で来場する一般客を対象としているわけではなく、そのために騒がしくなることはホテルの趣旨に反する」と断った逸話は有名な話である。現在もホテル前には駅はなく、細い道路で来場するしかなく、周囲とは隔絶されたホテルを守っている。1962年昭和37年)に開業したホテルオークラとは後述の経営譲渡まで提携関係にあったが、同社の子会社ではない。

経営再建[編集]

1980年代後半以降のバブル景気時代に、筆頭株主の大倉事業(大倉直系会社)や大倉商事投機などを目的に、自社が保有する関係会社の株式や川奈ホテルの不動産を担保にして複数の都市銀行から融資を受けるが、1998年平成10年)に大倉商事が自己破産する。この影響により、一部の銀行が担保保全のため大倉事業が拠出した川奈ホテルの不動産抵当権(約340億円)の仮差押を実施し、大倉直系企業の経営危機が表面化する。

これにより資金繰りが悪化し、1984年(昭和59年)に募集した1口3,000万円のゴルフ会員権の逓減全額償還(譲渡禁止で30年間に亘り分割で預託金を満額償還し、権利が失効するもの)という川奈ホテル独自の方式について、償還の打ち止めを1999年(平成11年)に1年間、翌2000年(平成12年)に4年間延ばして実施したが、収支は好転せず、2002年(平成14年)5月21日に670億円の負債を抱えて東京地裁民事再生法を申請し経営破綻した。

1998年(平成10年)以来、川奈ホテルと水面下で交渉していたとされる堤義明が率いてきたコクド2006年(平成18年)に(株)プリンスホテルへ事業承継)が再建スポンサーとして早期に名乗りを上げる。2つのゴルフ場を会員制からパブリック制に転換し、会員権の預託金の価値を大幅縮減することを条件として、同年8月1日付けでホテルとゴルフ場を併せて220億円で買収した(内160億円が銀行の抵当権解消に充当)。以後、コクド(現:プリンスホテル)子会社として運営されている。

経営難の元にあった1998年4月18日、当時の日本国内閣総理大臣橋本龍太郎ロシア連邦大統領ボリス・エリツィンによる首脳会談(いわゆる川奈会談)が行われた。

付属施設[編集]

ゴルフコースが有名である。

大島コースと富士コース、二つのゴルフコースを持ち、日本では珍しい海沿いのコースとして人気がある。特に、富士コースはフジサンケイレディスクラシックが開催されるチャンピオンシップ・コースということもあり、非常に人気が高い。

あくまでホテル付属の施設であるため、原則として宿泊者以外のプレーはできなかった。経営再建後、大島コースのみ「日帰り客」でも利用可能とされ、専用クラブハウスが設置されている。

1970年代中頃、当ゴルフコースを訪れていた大村智が周辺から土を採取した。この土壌より分離された放線菌が抗寄生虫薬開発の鍵となり、大村は2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

特産品[編集]

売店で販売されている自家製フルーツケーキは、他所では入手できないため、川奈ならではの土産品として有名である。

交通[編集]

外部リンク[編集]