狭山丘陵

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狭山丘陵
野山北・六道山公園の展望台から見た狭山丘陵(2007年6月撮影)
野山北・六道山公園の展望台から見た狭山丘陵(2007年6月撮影)
所在地 日本の旗 日本 埼玉県東京都
位置
延長 11km
4km
Project.svg プロジェクト 山
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狭山丘陵(さやま きゅうりょう)は、日本関東平野西方、埼玉県東京都の都県境に東西11km、南北4km、総面積約3,500haの規模で広がる丘陵である。周囲は武蔵野台地となっている。

概要[編集]

埼玉県所沢市入間市から、東京都東村山市東大和市武蔵村山市西多摩郡瑞穂町跨っている。狭山湖(山口貯水池)多摩湖(村山貯水池)水源保護林があったために、広域の里山の環境(景観を含む)が保持されている。

地形・地質[編集]

基盤となる地層は狭山層と呼ばれる洪積層(下位を三ツ木礫層、上位を谷ツ粘土層と分ける)で、その形成を当初は第三期最終の鮮新世としていたが、後にゾウの化石の発見[注 1]により新生代前期更新世(180万-100万年前)に始まったと考えられている[1][2]。この地層は、関東造盆地運動のために傾斜し、上位の地層とは不整合になっている。

以降は海水準変動を経て一時的に海の底になったが概ね陸地であったとされ、西側の山地から古多摩川による砂礫が、南の古相模川のものとともに扇状地状に厚く堆積し、最も海面が低下した最終氷期(ウルム氷期では7万年 - 1万年前)までに隆起扇状地[注 2]および洪積台地を形成した。この当時の河川は概ね南西から北東に流れており、荒川上流や入間川不老川黒目川(多摩丘陵では乞田川南浅川など)の現在の流れの方向はそれを示唆している[3](この時期に成立した台地面を多摩面と称している)。

関東平野の南部が隆起するに従って扇頂の現在の青梅付近から古多摩川の河道は北東から南東に向きを変え、河岸段丘を作りながら河谷を下げて、多摩面の台地を現・多摩川の流れが分かち、南の多摩丘陵と別かれて北側に島状に残ったものが狭山丘陵である。同じころに活発化した火山活動により富士山のものを主とする降灰が多摩面の上に厚く堆積して関東ローム層(古い下層から順に下末吉層、武蔵野層、立川層とよばれる)[4]となった。現在の扇頂の青梅付近の標高がおよそ 180m なのに比して狭山丘陵の西端部では 194m もの標高がある(東部ではおよそ 90m 前後)。台地との比高は 40m - 50m ほどある。

狭山丘陵の西端部を北西から南東方向に立川断層[注 3]が走っている[5]

開発史[編集]

近世以前[編集]

豊かな自然に恵まれた当地域は、遥か石器時代の昔から多くの人々に利用されてきた。 遺跡の宝庫であり、230以上が確認されている。

開発と保存の近現代[編集]

昭和以降、当地域は大規模な開発が行われ、第二次世界大戦前は東京市による水源開発、第二次世界大戦戦後は西武グループにより、西武ドーム西武園ゆうえんちに代表されるレジャー開発が行われてきた。

一方でこれまでに高等植物1000以上・鳥類200種以上が確認されている。準絶滅危惧(NT)種であるオオタカも棲息する。

最東端の八国山周辺は、宮崎駿が監督した長編アニメ映画『となりのトトロ』で舞台のモデルとされたことから、本作の公開年(1988年昭和63年)の前後より以降日本で広く知られるようになった。作品の人気により狭山丘陵の全域は「トトロの森」の愛称を得、直接的にあるいは作品を通じて間接的に親しまれる地域となった。なお、八国山周辺の都県境より埼玉県側は西武グループによって宅地開発されているため、映画のような雰囲気が現存するのは東京都側のみとなっている。

1990年平成2年)には、狭山丘陵の自然と文化財を守るためのナショナルトラスト運動トトロのふるさと基金」が設立され、翌年には1号地の買取に成功。以来、この団体は2013年(平成25年)10月時点で、埼玉県所沢市内に20ヶ所、東京都東村山市内に1ヶ所のトラスト地(合計面積は約4万0,010)を所有している。取得に投じた合計金額は約3億0,878万円となっている。

また、狭山丘陵に程近い、狭山湖に発する柳瀬川の中流部、西武鉄道池袋線が渡河する点の西側(秋津駅の西北西500m)、埼玉県所沢市北秋津と東京都東村山市秋津町にまたがり柳瀬川両岸にある「淵の森緑地」で柳瀬川右岸の雑木林約1500m²を市民が宅地開発から守るため募金を行い東村山市に寄付するという運動も成功した[6][7][8]。東村山市ではこの寄付金もあわせて、緑地を買い取ることにしている。

脚注[編集]

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  1. ^ 同じ成因とされる東側の東京層から示準化石であるナウマンゾウの化石が見つかっている。
  2. ^ この場合は地殻変動ではなく、海面低下による相対的な隆起を指す。最終氷期では海面が 80m - 140m も下がっていた。
  3. ^ 現在、南部では断層が見つかっていないとして箱根ヶ崎断層の名が提案されている。

参照[編集]

  1. ^ 所沢市立所沢図書館 (2015年1月15日). “狭山丘陵について、どのようにできたのか知りたい。”. リファレンス共同データベース. 2016年3月7日閲覧。
  2. ^ 貝塚 2011, p. 72.
  3. ^ 貝塚 2011, p. 47,79.
  4. ^ 貝塚 2011, p. 61.
  5. ^ 東京大学地震研究所 『立川断層帯の重点的な調査観測』平成24年度 立川断層帯トレンチ調査 (PDF)
  6. ^ 読売新聞、2007年6月12日 [1]
  7. ^ NHKラジオ第1放送、2007年6月23日。
  8. ^ 淵の森保全連絡協議会

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]