天谷宗一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
天谷 宗一郎
広島東洋カープ #49
20130818 Souichiro Amaya, outfielder of the Hiroshima Toyo Carp, at Yokohama Stadium.JPG
2013年8月18日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県鯖江市
生年月日 (1983-11-08) 1983年11月8日(33歳)
身長
体重
178 cm
87[1] kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 ドラフト9巡目
初出場 2004年8月20日
年俸 2,400万円(2017年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

天谷 宗一郎(あまや そういちろう、1983年11月8日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手外野手)。妻はフリーアナウンサー坪山奏子

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

福井県立福井商業高等学校時代は、バッティングセンスと俊足から「北陸のイチロー」と呼ばれていた。2年夏の選手権大会では、県大会決勝で内海哲也李景一らを擁する敦賀気比高に延長10回の死闘の末、3-2で勝利し甲子園出場を決めている。しかし甲子園では7番右翼手で出場したが初戦敗退。この時のチームメイトには1学年上に山岸穣がいた。翌年の春の甲子園では3番打者として1回戦で1本塁打を含む3安打、1イニング2盗塁の活躍を見せた。夏の甲子園も出場し3期連続出場となった。

50m走6秒0の俊足と選球眼のよさ、鋭いスイングが認められ、2001年のドラフト広島東洋カープから9巡目で指名され、入団。背番号は69に決まった。福井商からのプロ入りは同僚の横山竜士以来7年ぶり。

プロ入り後[編集]

2002年 - 2003年
1年目は、二軍で40打数2安打、打率.050と打球が前に飛ばない状態だったが、8四球を選び2盗塁を記録し、この頃から選球眼のよさの片鱗を見せていた。2年目は打撃が向上し、二軍で1番を任された。一時は打率4割を超え、前半戦は二軍の首位打者を独走していた。後半戦になると苦手な外角の変化球を攻められ打率を落としたが、最終的に二軍成績は打率.266、6本塁打、27盗塁で、ウエスタン・リーグ盗塁王のタイトルを獲得した。四死球が多く出塁率は3割5分を超えた。
2004年
前年オフから取り組んでいた一本足打法をやめ、元のすり足打法に戻すなど打撃面で試行錯誤を続けた。初めて一軍の春季キャンプに参加したが、オープン戦打率.133と結果が残せなかった。8月20日にプロ3年目で一軍初昇格したが2打数無安打、盗塁を1つも決められず、30日に二軍降格となった。再昇格後の10月3日の対阪神戦でプロ初スタメン、第1打席でプロ初安打を放ち、積極的な走塁で二塁を陥れるなど、自慢の足も披露した。ウエスタン・リーグでは2位に20個差をつけ、42盗塁で2年連続盗塁王のタイトルを獲得するなど、快足ぶりを発揮した。
2005年
前年オフに左足靭帯を痛め、春季キャンプでは捻挫し、開幕二軍スタートとなった。6月14日のウエスタンでの対中日戦では二盗を試みスライディングした際に右肩を脱臼した。怪我に泣かされて一軍での出場は2試合に終わった。
2006年
5月に一軍へ昇格したものの、約1か月で二軍落ち。主に代走での出塁だったが、盗塁は0、打撃でも8打数0安打とアピールできなかった。一方で二軍では最高出塁率.366、24盗塁で3度目となる盗塁王の2つのタイトルを獲得した。
2007年
背番号を49に変更した。4月28日の対阪神戦でプロ初本塁打を記録。しかし5月に入り一時期一軍のレギュラーを奪うなど大きく飛躍するかと思われた矢先、牽制球で帰塁する際に左肩を痛めて戦線離脱。以後一軍に戻ることはなく、20試合の出場に終わった。
2008年
春季キャンプで監督のマーティ・ブラウンに「才能、打撃センス、スピードが魅力。ぜひ使いたい」と絶賛され、3月28日の開幕戦(対中日戦)で1番・中堅手として初の開幕スタメンを果たす。4月5日の対横浜戦での延長10回、那須野巧から自身初となるサヨナラ安打を放ち[3]、4月半ばには首位打者に立つなど、課題だった打撃が大きく向上した。また、前年まで凡ミスが目立った外野守備も本来の広い守備範囲が生かされるようになり、阪神から移籍してきた赤松真人とともに鉄壁の外野を形成。最終的に規定打席にわずか3打席届かず、打率も.263にまで下がったものの、自己最多の135試合に出場。飛躍のシーズンになった。4月5日横浜戦では自身初となるサヨナラ安打を放ち、その試合のヒーローインタビューでは、「おいしいお酒を飲んで明日も球場に来てください!」とユニークな発言をして球場のファンを沸かせた。翌4月6日の横浜戦でも長谷川昌幸とともにヒーローインタビューに立ち、「明日は月曜日で仕事があると思うのでお酒は控えめに」と発言した。
2009年
4月3日の開幕戦で8番・右翼手で出場。4月は調子は上がらなかったものの、5月になると調子を上げて3番打者に起用され、チーム打率が2割台前半に低迷する中で打率.400を記録して気を吐いていたが、5月13日の対阪神戦でファウルを打った際に右手有鈎骨を骨折し、長期離脱を余儀なくされた[4]。しかし、驚異的な回復力を見せ、49日後には二軍で実戦復帰、7月15日の対横浜戦に「3番・右翼」で先発出場し一軍復帰した[5]。骨折の影響で94試合の出場にとどまり、前年同様に規定打席には届かなかったものの、自身初の打率3割・5本塁打・41打点をマークした。
2010年
オープン戦で打率3位の.396をマークし、3番・中堅手に抜擢されるが、いざシーズンに入ると打率1割台後半から2割前後を推移する深刻な打撃不振に陥り、打撃好調の赤松や廣瀬純にスタメンを奪われることが多くなる。後半戦からは多少持ち直したが、前半戦の不振が響き打率.245と成績を落とした。4月28日の対横浜戦で、チームでは正田耕三1989年10月15日の対中日戦で1試合6盗塁を記録)以来21年ぶりとなる1試合4盗塁を記録し、8月27日の対巨人戦では延長11回に野間口貴彦から逆転サヨナラ3ラン本塁打を放つなど、要所では印象的な活躍は見せたものの、赤松と投手の左右で併用されるなど完全にレギュラーに定着するには至らなかった。
8月22日の対横浜戦では、8回表にブレット・ハーパー齊藤悠葵から放ったセンターへのホームラン性の打球を、およそ1.8mのフェンスを駆け上がってエビ反り状態になりながらも好捕。この時、齊藤はホームランを打たれたと思い込んでいたため、天谷が捕球するのを見て目を丸くして驚いていた。このようなビッグプレーは8月4日の対横浜戦でも同僚の赤松が見せており(ちなみにその時の投手も齊藤であった。打者は村田修一)、天谷はそれを「すごく意識するようになった」らしい。22日の未明、日本テレビのスポーツニュースで赤松のプレーが特集された際に、マツダスタジアムに展示されている、天谷がフェンスによじ登ってホームランキャッチする姿を模した「激突!天谷くん」人形が紹介されており、僅か一夜明けてそれを現実の物としてしまった。なお後日、登ったフェンスのすぐ下にフマキラーベープの広告を出していたため、同社から天谷にベープ、薬用ハンドソープなどが送られたことが、広報である比嘉寿光のブログで明らかになった。同様に赤松も、よじ登ったフェンスに広告を掲載していた石窯タカキベーカリーからパンの詰め合わせが贈られている。
2011年
開幕当初から打撃不振で5月には打率1割台に低迷、二軍落ちも経験した。6月に一軍復帰後は復調したかに見えたが、夏場以降に再び調子を落として代打や代走・守備固めでの起用が多くなり、打率.210と不本意な成績に終わってしまった。12月27日に坪山奏子(広島ホームテレビアナウンサー)と結婚したことを発表[6]
2012年
不調のため開幕二軍スタートとなり、5月になって一軍昇格。6月にかけて徐々に調子を上げ、6月は16試合連続安打を記録するなど月間打率.373をマーク、一時は打率.327まで上げた。6月中旬からは1番打者として固定して起用され、同月17日の西武戦では西武ドーム岸孝之から初回先頭打者初球ホームランを打つなどチームを勢いづけ、同時期に打撃好調で4番を打った岩本貴裕とともに3位浮上の原動力となった。7月までは打率3割台を維持していたが8月以降調子を落とし、打順も5番や7番に下がったり、相手左投手が先発の試合はスタメンから外れることもあった。それでも8月25日の阪神戦でチーム20年ぶりとなるランニングホームランを打ったり、9月27日の巨人戦で9回裏に逆転サヨナラヒット(記録上は安打と外野手の失策)を打つなど、印象的な活躍も見せた。最終的には打率.264に終わったものの、過去2年を上回る成績を残した。
2013年
シーズンを通して一軍と二軍を往復する日々が続き、レギュラー定着後以降最少となる34試合の出場に留まった。また、プロ5年目の2006年以来7年ぶりのシーズン無本塁打に終わり、打率.208と打撃不振に陥った。二軍では75試合に出場し、打率.289、3本塁打の成績を残した。
2014年
チームが8連敗していた6月14日、開幕から左打ちの右翼手として1軍に帯同していた松山竜平が前日の西武戦にて左膝負傷したのに伴いシーズン初の一軍登録。その日のロッテ戦に1番ライトでスタメン復帰すると第1打席からヒット、さらに翌日6月15日には2年ぶりとなる先頭打者ホームランを放ち、チームを連敗から脱出させた。その後も7月2日巨人戦や、8月20日横浜戦でも先頭打者ホームランを放つ。8月以降は堂林翔太鈴木誠也、復帰した松山などにスタメンの座を奪われたものの、左の代打として、代打打率.333、代打出塁率.440の成績を残した。
2015年
前年より試合数を落とし、30試合、打率.214、2打点、3盗塁だった。5月21日に登録抹消され、それ以降1軍出場は無かった。また、4月7日の巨人戦で、1点リードの9回にレフトの守備固めとして起用されたが、亀井義行が放ったレフトへのフライを風の影響もあり落球し、2塁への進塁を許しその後、井端弘和がタイムリーを放ち2塁ランナーが返り、同点に追いつかれ、最終的にチームは敗戦した。このシーズンは守備のミスも目立ってしまった。
2016年
開幕一軍入りを果たした。2戦目に7番ライトで出場し、第3打席で決勝タイムリーを放ちチームのシーズン初勝利に貢献した。その後もスタメン出場の機会に恵まれ、決勝打を放つなど活躍したが、好調は長続きせず6月5日に登録抹消となった。その後も一軍と二軍を往復するシーズンとなり、55試合の出場に終わった。代打で30回起用(24打数)されるも1本もヒットを打てないなど、3本の決勝打を放った開幕後の好調期以外は打撃不振に苦しみ打率.175に終わった。

選手としての特徴・人物[編集]

キャッチボールをする天谷

自分のバッティングスタイルを守るために、バッターボックスに入る際は小声で「センター(返し)、センター…」とつぶやいているという。俊足のため併殺打が少なく、一定以上の長打力もあるので、様々な打順をこなせるユーティリティ性をもつバッターである。選球眼が良く、2008年2010年はシーズン打率が2割5分前後で終わっているがいずれも3割を大きく超える出塁率をマークしている。

一軍に定着した2008年は左翼・中堅での起用が主で、外野で最も肩力が要求される右翼での出場はほとんどなかったが、外野が広く、右翼線を抜けた打球が即三塁打につながるマツダスタジアムに本拠地が変わった2009年は、守備範囲を重視した首脳陣の意向により右翼手にコンバートされている。

昔からいい選手のものはどんどん真似していこうと思っており、スパイク赤星憲広(元阪神)、グラブは同僚である廣瀬純のモデルを着用していると述べている。

モデルとして活躍している伽奈とは実家が近く幼なじみであるが、天谷本人は「モデルというより、単なる友達」と語っている(2008年9月9日の中国新聞夕刊より)。

サンフレッチェ広島に所属していた槙野智章(現在は浦和レッドダイヤモンズ所属)とは親交があり、実際に広島アスリートマガジン(2009年2月号)で対談したことがある。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 広島 10 12 11 1 2 0 1 0 4 1 1 2 0 0 1 0 0 4 0 .182 .250 .364 .614
2005 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2006 17 9 8 3 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 4 0 .000 .111 .000 .111
2007 20 39 31 6 8 0 0 1 11 2 2 2 2 0 5 0 1 7 0 .258 .378 .355 .733
2008 135 443 392 49 103 8 1 4 125 24 13 9 11 2 34 0 4 76 2 .263 .326 .319 .645
2009 94 361 317 35 95 14 7 5 138 41 12 10 6 5 31 0 2 62 4 .300 .361 .435 .796
2010 123 382 335 46 82 11 2 6 115 35 18 10 1 3 37 0 6 72 3 .245 .328 .343 .671
2011 100 187 167 15 35 6 3 1 50 12 8 2 3 0 14 0 3 33 2 .210 .283 .299 .582
2012 108 397 359 44 95 21 0 6 134 25 12 9 2 1 32 0 3 64 3 .264 .329 .373 .702
2013 34 62 53 5 11 1 0 0 12 1 3 1 0 0 9 0 0 15 0 .208 .323 .226 .549
2014 59 128 111 20 35 4 2 3 52 6 4 3 0 0 16 2 1 27 0 .315 .405 .468 .875
2015 30 34 28 1 6 0 0 0 6 2 3 4 0 0 6 0 0 7 1 .214 .353 .214 .567
2016 55 96 80 12 14 2 0 1 19 8 3 0 0 1 13 0 2 16 1 .175 .302 .238 .540
通算:13年 787 2152 1894 237 486 67 16 27 666 157 80 53 25 12 198 2 23 388 16 .257 .332 .352 .684
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2004 8 4 0 0 0 1.000
2005 1 1 0 0 0 1.000
2006 8 5 0 0 0 1.000
2007 10 7 0 1 0 .875
2008 127 184 5 3 1 .984
2009 91 156 4 6 1 .964
2010 93 176 6 4 1 .978
2011 76 83 3 0 2 1.000
2012 99 171 2 0 1 1.000
2013 23 21 1 0 1 1.000
2014 41 44 2 1 0 .979
通算 577 852 23 15 7 .983
  • 2014年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 69 (2002年 - 2006年)
  • 49 (2007年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]