八事

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日本 > 愛知県 > 名古屋市 > 昭和区 > 天白町大字八事
八事
八事交差点 (2021年(令和3年)8月)
八事交差点
(2021年(令和3年)8月)
八事の位置(愛知県内)
八事
八事
天白町大字八事の位置
八事の位置(名古屋市内)
八事
八事
八事 (名古屋市)
北緯35度8分24.73秒 東経136度58分30.88秒 / 北緯35.1402028度 東経136.9752444度 / 35.1402028; 136.9752444
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
名古屋市
行政区 天白区
人口
(2019年1月1日現在)[WEB 1]
 • 合計 785人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
468-0071[WEB 2]
市外局番 052
ナンバープレート 名古屋

八事(やごと)は、愛知県名古屋市昭和区天白区地名、および昭和区・天白区に跨り、かつて「八事山」と呼ばれた丘陵地一帯の広域地名である。現行行政地名としては天白区に天白町大字八事として存在する。

地理[編集]

興正寺五重塔
興正寺中門

現存する行政地名としての天白区天白町大字八事の区域は区北西部に存在するほか、天白川部分に残存する。

八事の地名の由来は「岩(や)が凝(こご)る」、つまり地盤が固いことを示したものが変化したものと云われ、ごつごつとした岩の多い山であった[1]。広域地名としての八事は興正寺に近い八事交差点周辺のことを指すことが多く、興正寺裏の広い雑木林は興正寺公園となり八事山の面影を残している。

山手通等の幹線道路沿いは繁華街の様相を呈し、ブランドショップを中心とした多くの専門店、ブティックに加え、ショッピングセンター家電量販店ホテル病院、かつては中京テレビ放送が社屋を構えていた商業地区であり、通り沿いを中心に多くの高層マンションや商業ビルが林立する。その一方で、閑静な住宅街としての一面も持っており、大通りから離れた丘陵地には低層の高級マンションや広大な敷地の邸宅地も垣間見る事ができる。周辺一帯は名古屋市の特別用途地区による文教地区に指定され中京大学南山大学名城大学名古屋大学などがキャンパスを構えている[WEB 3]

池沼[編集]

  • 天白渓下池

小字[編集]

  • 裏山(うらやま)
  • 上沓打場(かみくつうちば)
  • 山田(やまだ)

歴史[編集]

江戸時代初期、徳川家康の命により名古屋城下から信州及び岡崎城下を結ぶ物流ルートとして飯田街道が開削された。同時代中期の貞享3年に八事山興正寺が飯田街道沿いに開かれ、周辺が門前町として形成され、八事山の代名詞となり一帯は八事邑を名乗った。

明治40年に愛知馬車鉄道(後の尾張電気軌道)が開業した頃から名古屋の保養地的地域となっていく。名古屋財界の社交場である「八勝倶楽部」は明治43年八勝館として料理旅館の経営を開始[2]大正元年には尾張電気軌道の経営者・江口理三郎によって「八事遊園地(現在の天白区表山下池公園周辺)」、「尾電八事球場(現在の天白区弥生が岡一帯)」、「競馬場(現在の天白区表山一丁目一帯)」などの施設が建設され、馬車鉄道も延伸し路面電車化(後の名古屋市電八事線)され‟八事電車”の愛称で親しまれた。

八事はトヨタ自動車創業家の豊田喜一郎中日新聞創業家の大島家などの多くの実業家たちの別宅が多数立ち並び別荘地名所として発展した。大正時代に入ると区画整理が始まり、昭和時代に入った頃には名古屋市内有数の高級住宅街として知られるようになった。

そして太平洋戦争中である昭和17年に名古屋帝国大学移転に始まり、戦後の高度成長期には次々と大学キャンパスが作られ名古屋を代表する文教地区となった。また、地下鉄鶴舞線の各駅周辺は学生街を形成し、地元のとある大学はパンフレットで「名古屋のカルチエ・ラタン」と紹介していた。

年表[編集]

行政区の変遷[編集]

八事を含む町名[編集]

天白区[編集]

昭和区[編集]

周辺の教育機関[編集]

大学[編集]

国立
私立

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

その他の学校[編集]

周辺施設[編集]

ロマンロード専門店街

八事駅周辺[編集]

天白町大字八事[編集]

交通[編集]

八事駅

鉄道駅[編集]

名古屋市営地下鉄名城線
名古屋市営地下鉄鶴舞線

道路[編集]

脚注[編集]

WEB[編集]

  1. ^ 町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年2月9日閲覧。
  2. ^ 郵便番号検索 愛知県名古屋市天白区の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2021年4月17日閲覧。
  3. ^ 特別用途地区の概要” (PDF). 名古屋市住宅都市局建築指導部 (2018年4月). 2019年12月30日閲覧。

書籍[編集]

  1. ^ 名古屋市計画局 1992, p. 695.
  2. ^ 『古地図で楽しむなごや今昔』溝口常俊(2016)p.165
  3. ^ a b c d 名古屋市計画局 1992, p. 801.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 名古屋市計画局 1992, p. 875.
  5. ^ 名古屋市計画局 1992, p. 68.
  6. ^ a b 「告示第八百九十五號」『愛知県公報』第784号、愛知県、953頁、1934年8月24日。 
  7. ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 793.
  8. ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 874.
  9. ^ 『広報なごや No.525(天白区版)』名古屋市、1991年9月1日、10頁。 
  10. ^ 『広報なごや No.538(昭和区版)』名古屋市、1992年10月1日、14頁。 

参考文献[編集]

  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。全国書誌番号:93012879 
  • 「The Showa」委員会『ザ・しょうわ Vol.3 歩いてみませんか昭和区 八事山興正寺』2000年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]