白壁

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「ふれ愛のみち白壁」石碑
(白壁五丁目・東白壁小学校前)

白壁(しらかべ)は、名古屋市東区の地名。住居表示実施地域であり、現行行政地名は白壁一丁目から白壁五丁目が置かれている。郵便番号461-0011。

以下において本項で扱う白壁一丁目から白壁五丁目までの町丁を個別に指す場合には、適宜「白壁」を省略し「○丁目」の形式で記述する。

地理[編集]

旧豊田家門・塀(四丁目)。
敷地にはマンションが建てられたが、門・塀は残されている。

名古屋市東区のJR中央本線より西側の地域の北部を構成する地域であり、北区および中区と接している。地域を南北に走る空港線(国道41号)と東西に走る出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)を中心とする。両者の交点が清水口交差点座標: 北緯35度10分59.4秒 東経136度54分48.7秒である。

空港線(国道41号)の西側南にある一丁目には名古屋市市政資料館名古屋拘置所といった行政施設がある。また、清水橋(出来町通が名古屋城の堀跡を越える際の橋)を越え中区に入ると名古屋市役所愛知県庁にも近い。地域全体としては住宅や小規模なビルが多いが、空港線の東側南にある四丁目、五丁目は主税町や橦木町とともに武家屋敷の面影を残し、名古屋市によって「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定される[1]とともに、文化のみちの中核を成している。

出来町通の北側西にある二丁目、北側東にある三丁目は隣接する北区からの坂が続いている[注 1][2]。 坂を下り北区の清水・大杉地区へ出ると、今までとは趣が全く違う戦前からある古い住宅街が建ち並んでいる。名古屋市随一の高級住宅街というところから、県内の財界・著名人も多く住んでいる。

歴史[編集]

白壁地区のうち現町名の由来となった旧白壁町地域は、江戸時代禄高にして三百石級の組頭階級の武家屋敷が多く立ち並んでいた[注 2][3]。中でも豊田太郎左衛門の武家屋敷は当時としては珍しい白塗りで、これが見事であったためその後周囲の屋敷もこれを真似て白壁の屋敷が多くなったことから地名になったとされる[注 3][2][4]。その他の地域も、旧長塀町・東二葉町・西二葉町など尾張徳川家家老であった成瀬家・竹腰家の中屋敷やその家中の者が居住していたと考えられている地域が多い。明治以降には町並みの道路改修が行われ、また太平洋戦争後の復興事業により周辺地域との間で町域の移動があったが、1980年(昭和55年)2月の住居表示実施によりこれらの各町(2町の全部と9町の一部)が白壁一丁目から五丁目までに再編成され[注 4][2]、現在に至っている。

交通[編集]

基幹バス新出来町線・白壁停留所付近

白壁地区は地区内を走っていた名古屋市電が廃止された1971年(昭和46年)以降は[注 5]名古屋市東区の中では公共交通機関の点でやや恵まれていない面があったが、1985年に基幹バス新出来町線が地域を東西に貫通する愛知県道215号田籾名古屋線(出来町通)で運行開始されたことによりかなり改善が図られた。詳細は「基幹バス (名古屋市)」を参照。

鉄道[編集]

次の駅が利用可能であるが、いずれも駅としては地域外にある[注 6]

道路[編集]

以下の2本の幹線道路の他、生活道路についてもほぼ碁盤目に整備されている。ただし一方通行となっている道路も多い。

なお、白壁地域内にある基幹バス新出来町線の停留所は清水口と白壁の2ヶ所である。

公立小中学校の学区[編集]

白壁地区の大部分が名古屋市立山吹小学校区であるが、三丁目・四丁目の一部と五丁目は名古屋市立東白壁小学校区となっている。

これら2校の公立中学校進学先は、名古屋市立冨士中学校となる[注 7]。名古屋市においては公立学校選択制が導入されていないことから、学区の移転を伴う住居移転がない場合、卒業した小学校に対応して進学する公立中学校が決まる。

2010年国勢調査実施時における世帯数・人口は、一丁目が218世帯916人、二丁目が596世帯1024人、三丁目が714世帯1483人、四丁目が465世帯951人、五丁目が104世帯251人、地区全体では2097世帯4625人となっている。白壁地区以外も含まれることとなるが、各小学校区の人口密度はkm2あたりでそれぞれ、山吹小学校区10509人、東白壁小学校区10528人となっている。

※記述にあたっては、『名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成22年国勢調査)』行政区別統計表[5]を参照した。

施設[編集]

愛知県立明和高等学校

カッコ内はそれぞれの施設が所在する地区である。

文化のみち関連[編集]

その他[編集]

  • 石原裕次郎の楽曲『白い街』の2番に白壁町[注 8][2]が登場する。
  • 白壁界隈の高級住宅地に住むマダムのことを「シラカベーゼ」と呼ぶことがある。これは名古屋の女性雑誌「メナージュケリー」の2001年創刊時にライターが生んだ単語である[6]。また、名古屋を拠点に活動する女性ラッパーANTY the 紅乃壱のミニアルバムに同名の楽曲が収録されている。

ギャラリー[編集]

中区との境の清水橋。ここを越えると官公庁街。 
四丁目の町並み。 
北区との境の坂(三丁目)。ここを下ると北区清水・大杉地区。 
旧料亭樟(四丁目)。 
敷島製パン本社(五丁目)。 
文化のみち百花百草(四丁目)。 
名古屋市市政資料館(一丁目)。 
東白壁小学校(五丁目)。 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この地域は名古屋台地(熱田台地)の北端にあたり、台地の下に向かって坂となっている。
  2. ^ 『東区史』P55 - P56参照。
  3. ^ 『なごやの町名』P142においても同様の記述があり、『蓬州旧勝録』による説とされている。
  4. ^ 白壁一丁目から五丁目となったのは、清水町・東二葉町の全部と長塀町・白壁町・主税町・上堅杉町・東外堀町・西二葉町・長久寺町・芳野町・赤塚町の一部である。『なごやの町名』P142参照。
  5. ^ 1967年2月に名古屋市電高岳線清水口 - 赤塚間が廃止され、1971年4月には同線東新町 - 清水口間も廃止となった。
  6. ^ 東大手駅は駅としての所在地は中区。ただし駅出口は白壁地区内の明和高等学校正面(住所地としては東区三の丸)となる。清水駅・尼ヶ坂駅は北区所在。
  7. ^ 冨士中学校の校区を構成する小学校区は、山吹小学校・東白壁小学校の他に名古屋市立東桜小学校である。
  8. ^ 『白い街』の発売は1967年(昭和42年)であり、当時は名古屋市東区においては住居表示は未実施であった。旧白壁町は2012年9月現在の白壁四丁目・五丁目の一部にあたる。

出典[編集]

  1. ^ “町並み保存地区”. 名古屋市住宅都市局まちづくり企画部歴史まちづくり推進室. (2012年10月23日). http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/11-2-12-4-0-0-0-0-0-0.html 2012年11月17日閲覧。 
  2. ^ a b c d 『なごやの町名』(名古屋市計画局 1992年3月31日発行)。
  3. ^ 『東区史(名古屋市)』東区史編さん委員会編、東区総合庁舎建設後援会発行(1973年8月20日刊)。
  4. ^ 『尾張名古屋大百科』P72参照。
  5. ^ “名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成22年国勢調査)統計表(区別)(2)東区”. 名古屋市総務局企画部統計課. (2011年4月22日). http://www.city.nagoya.jp/somu/page/0000023639.html 2012年9月20日閲覧。 
  6. ^ 名古屋発、セレブミセスマガジン「メナージュケリー」
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関連項目[編集]