ナポリタン

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ナポリタンの一例。後方右側に粉チーズ、中央はタバスコペッパーソース。本文中にあるベーコン、玉ねぎ、ピーマンは見られない。

ナポリタンは、スパゲッティをタマネギ、ピーマン等と共にケチャップで炒めた洋食[1]。 戦後、アメリカ合衆国から入ってきたヌードルが日本で土着化した料理である[1][2]。類似の名を持つスパゲッティ・アッラ・ナポレターナとは関係が無く、むしろイタリア料理で言うとスパゲッティ・アマトリチャーナに近い[1]。 バブル期以前の昭和日本では、喫茶店、軽食堂などで広く提供されていたほか、家庭的なおそうざいとして喫食される庶民の味であった。

調理方法と概要[編集]

日本パスタ協会おすすめレシピ[3]によると、スパゲッティベーコンタマネギピーマントマトを具材にトマトケチャップをからめ、炒めて作る。ベーコンはハムウインナーソーセージ等に置き換わることがある。好みでタバスコペッパーソースや粉チーズをかける。

ある調査結果によると、東京地区の既婚者の22.6%がナポリタンが食卓に上ると回答しており、ケチャップメニューの中ではオムライスに次ぐ第4位であった[4]ように、簡便かつ柔軟性の高い料理法と相まって広く受け入れられていることがわかる。

スパゲッティ・アッラ・ナポレターナ[編集]

スパゲッティ・アッラ・ナポレターナ(Spaghetti alla Napoletana)スパゲティ・アッラ・ナポレターナドイツ語版は、ニンニクの香りを移したオリーブ油にトマトとバジルを加えて煮込み裏ごししたソースをスパゲッティに絡めた料理である[5][6][7][8]

ナポレターノソースは、トマトソースまたはポモドーロソースとは異なる(トマトソースは刻みタマネギ、セロリ、ローリエが入り、バジルは必ずしも入らない)[9][10][11][12][13][14][15]

なお、「ナポリ風煮込み」Ragù napoletano(牛ひき肉のトマトソース煮込み)をペンネなどのショートパスタに合わせることがあるが、これはラグーという別系統の肉料理であり、喫茶店風ナポリタンやスパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌとは関係がない。都市ナポリとも無関係[16]

喫茶店風ナポリタンの調理[編集]

麺をやわらかく太目に茹でて湯を吸わせ、サラダ油で和えて冷蔵庫で一晩置く。客の注文が入ってからケチャップ、具とともにフライパンで炒めつつ再加熱する。油で和えるのは麺と麺がくっつくのを防止するためであり、麺に水を吸わせるのは、冷蔵保存と再加熱時に水分が飛んで麺が乾燥するのを予防するためである[17]

日本経済新聞のコラム「食べ物新日本奇行」でナポリタンに関する討論が行われたことがあった。この中で編集委員の野瀬泰申は、麺を茹でおいて客の注文が入ってから再加熱する(立ち食い蕎麦と同様の方式)調理法は、イタリア移民が少ない地域では世界的に行われていることを指摘した上で、提供までの時間短縮の目的であると結論付けている[17]

なお、パスタをフライパンに入れてソースとからめるのはパスタ調理では一般的なプロセスであって、ナポリタン特有のものではないが、汁気が飛ぶまで炒めるのは、ほかのスパゲッティソースでは類を見ない。

浅田次郎はエッセイ集『パリわずらい 江戸わずらい』の中でナポリタンを次のように描写している:

「正統のナポリタンは、アルデンテなどであってはならぬ。きのう茹で上げて冷蔵庫に眠っていたような、ブヨブヨのスパゲッティが好もしい。それを少々のタマネギとウインナソーセージの薄っぺらな輪切りと、真赤なトマトケチャップで炒める。」--浅田次郎『パリわずらい 江戸わずらい』小学館2014年、p.148

また、大衆食エッセイの専門家東海林さだおはナポリタンを次のように描写する:

「ケチャップで味付けされていて、具はウインナーソーセージを薄く輪切りにしたものとか、ハムとか缶詰のマッシュルーム、玉ねぎと言ったところ。ナポリタンは茹でたてであってはならず、茹でおきでなければならなかった。大量に茹でおいて、客の注文があると、フライパンで具と一緒にケチャップで炒めて出す。」[18]--東海林さだお「ホットドッグの丸かじり」丸かじりシリーズ23,pp.152-157

以上から分かる通り、喫茶店風ナポリタンでは、製粉会社が指示する茹で時間を無視して意図的に茹ですぎにした上で、茹で上がったものを一晩置くところに、独特の食感を出す工夫がある。

起源と歴史[編集]

トマト、大西洋を渡る[編集]

トマトが新大陸からスペイン経由でナポリに伝わったのは1554年のことである[19]。 ナポリはシチリアとともにスペイン・ハプスブルク朝に支配されていたため、スペインを通じて新大陸の食材が手に入りやすい環境にあった[20]。 トマトソースのパスタはナポリには17世紀末には存在していた[21]

歴史的にトマトベースのソースを記した最初のイタリア料理書は、イタリア人シェフ、アントニオ・ラティーニが著し1696年に2巻本で発行されたLo Scalco alla Moderna 「近代的家令」である[22]。 ラティーニは在ナポリスペイン副王の宰相に家令として仕えた人物である[23][24]

ラティーニは「スペイン風トマトソース」を記している。これは、皮をむいて刻んだトマト、タマネギ、胡椒、イブキジャコウソウ、ピーマンを混ぜたものであった[25]。 ただし、このソースは茹でた肉につけるためのものであった[26]

当時のナポリのスパゲッティ屋台の情景を描いた絵が残っているが、屋台の親父が茹で上がったスパゲッティを一抱え半もある椀に盛り上げ、労働者らしい客はめいめい大椀から手づかみで麺を顔の上に吊るしてそれを下から口で受け止めるという食べ方であったようだ[25]

1839年にナポリのヴォンヴィチーノ公爵であるイッポリート・カヴァルカンティが著した "La Cucina Teorico-Practica"(料理の理論と実践)という料理書において、「トマトソースのヴェルミチェッリ」が現れたのがトマトとパスタを合わせた料理が文献に出る最初のようである[27]。 ナポリでは17~18世紀頃にかけてトマトソースでスパゲッティを食べる習慣が普及したが、トマトソースはナポリとその近郊でしか食べることができなかった[28]

こうしたことから、他の都市の者はトマトソースをナポリ風(ナポレターナ)と呼んだが、当のナポリ人はこのトマトソースを単に la salsa 「ソース」と呼んだ。ナポリにあったトマトソースのスパゲッティがフランスに伝わりスパゲッティ・ナポリテーヌ spaghetti napolitaineと呼ばれるようになった[21][29]

高級西洋料理としてのスパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ[編集]

明治期の西洋料理レストランでは、フランスで西洋料理を学んだコックが多かったため、パスタは最初はベシャメルソースを使ったグラタンのようなフランス料理として調理されていた[21][30]。トマトソースが日本に伝わると、トマトソースのスパゲッティはフランス料理「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」として出された[31]。材料は輸入に頼るしかないので、ホテルや高級レストランでのみ扱われる高級料理だった[21]。本稿で登場する三越百貨店ホテルニューグランドも、戦前は正装していく場所であって[32]、いずれも申し分なく高級料理店である。

横浜市教育委員会が発行した「横浜の食文化」79ページには、昭和9年1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこには「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。これが、日本でナポリタンが提供されていることがわかる現時点での最古の記録である。なお、ニューグランド館内に展示されている昭和10年のメニューにも「Spaghetti Napolitaine」があるが、こちらにはカタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている。

銀座・煉瓦亭には大正10年の時点でイタリアンというメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものという。これはトマトピューレを用いたソースである[33]から、それなりの厨房設備と人手が無ければ出せない高級西洋料理だったと思われる。


古川ロッパの日記[34]には、昭和9年12月22日の記載に、「三越の特別食堂でナポリタンを食した」ことを記している。ただし、ロッパの記述には「汁気が切れていない」と批評や「淡々とうまい」と感想を記しており、戦後の喫茶店風スパゲッティナポリタンの描写とは異なる。

フランス料理のスパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌがどのような料理であったのか。エスコフィエなどを総合すると、次のようなものであったらしい: 塊の牛肉に串やフォークで穴をあけ、茹でてフォン・ブラン(出し汁)を取る。肉は使わないので取り除く。オリーブ油、ラードを鍋に敷き、みじん切りのタマネギ、ニンジンを炒め、ワイン、裏ごししたトマトを加えて煮詰める。このスーゴでアルデンテに茹でたパスタに味をつける。おろしチーズを添えて供する[35]。 つまり、スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌは極めて手の込んだ料理なのであるが、供食される時点では固形の肉は入っていない。これは、そもそもフランス料理においてはスパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌが単品の料理ではなく、正餐のうちの「その他の付け合わせ」(autre garnitures)の位置づけであることによる。 正餐であれば別皿でおかずが付かなければならないところだが、スパゲッティを単品で食べるようになるのは、アメリカ合衆国での変容を受けた結果である[36][37]

しかし、戦前のこれらのパスタ料理は太平洋戦争によっていったん忘れ去られることになる。コトレットやクロケットが、とんかつや芋コロッケとして土着化に成功したのに対し、なぜかパスタ料理は土着化することがなく、太平洋戦争による文化的分断を乗り越えることができなかった[38]。古川ロッパが占領下のパスタについて、戦前のレストランで出されていたヨーロッパ風のパスタ料理とは異なると嘆いている[39]とおり、戦後の日本に出現したものは戦前の系譜を受け継いでいないものであった。

ナポリ人、大西洋を渡りケチャップに遭う[編集]

イタリアからアメリカへの移民はナポリ近傍のカンパニア地方、およびシチリア出身者が多かった。移民たちは母国から輸入したパスタを食べていたが、その食文化はそれ以外のアメリカ人に広まることはなかった。というのは、新大陸に移住したイタリア系移民たちは、それに先立って移住していたドイツ系移民による同化圧力を受けたのである。移民の家庭にまでケースワーカーが送り込まれ、具なしパスタのような食文化は修正され否定されていった[40]

豚肉食文化のドイツ系アメリカ人による同化圧力の下でパスタ文化が生き残るには、二つの道のいずれかを選ぶしかなかった: 一つは、異国風料理であると断った上でイタリア料理店として差別化を図る道。 もう一つは、美食に関心の薄いアメリカ人の嗜好に合わせて大衆化する道である。大衆化の結果生まれたのが、スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせたスパゲッティ・ウィズ・ミートボールである [41]。 さらに、1960年代になるとパスタソースをケチャップで作るレシピが紹介される[41]。 大衆化の道を選んで成功を収めたのがボヤルディ兄弟である。ボヤルディはスパゲッティの缶詰を製造し、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍へ供給する契約を取り付けることに成功した。 それまでパスタ料理に馴染みの無かったアメリカ人であったが、アメリカ全土から集められたGIたちが兵隊食の缶詰スパゲッティでスパゲッティに親しんだ[42][43][17]

ところが、缶詰のスパゲッティは缶詰食品の必然としてたっぷりとしたソースにスパゲッティが浸かっており、特に具は入っておらずバジルも使っていない。ソースは砂糖で甘味を増してあり、さらにコーンスターチでとろみを付けてある[44]。事実上、スパゲッティのケチャップ漬けである[45]

缶詰スパゲッティはデュラム小麦ではなく薄力粉で打った麺なので、アメリカ人はコシの無い軟らかい麺に慣れ親しむことになった[43]

このコシの無いケチャップ漬けスパゲッティが、のちにGHQと共に日本に伝わることになる。[46]

占領下の日本[編集]

太平洋戦争終戦後、アメリカ軍占領下の日本では物資の輸入がGHQにより制限されたので、西洋の物資や文化はすべて進駐軍から流れ込むことになった。進駐軍が持ち込む食材や食文化が市中に流れ、日本でもアメリカ風のスパゲッティが作られるようになった[47]。 野毛「米国風洋食 センターグリル」は昭和21年の開業時よりナポリタンにケチャップが使用されていた[48](横浜ニューグランドの戦後営業再開は昭和27年)。

神奈川県横浜山下町にあるホテルニューグランド第4代総料理長高橋は、ナポリタンは第2代総料理長入江茂忠が戦後考案したと述べている[47][49]。入江は、進駐軍の兵士が食べる具なしケチャップスパゲッティの粗末さを「芸が無い」と考え、生トマト、タマネギ、ピーマンとハムの細切れ等を入れたスパゲッティを考案したという[47]

入江は「中世ナポリにこのようなスパゲッティがあった」と述べていたという[47]が、トマトソースにタマネギとピーマンが入るスタイルは、イブキジャコウソウが入らないことを除けばアントニオ・ラティーニの記したスペイン風トマトソースのスパゲッティをそのまま残したものである[25]

入江のナポリタンはケチャップ和えではなく生トマトとトマトピューレを使ったソース[50][51](すなわちナポリタンソース)である以上、ケチャップ入り焼きうどんと言うべき喫茶店風ナポリタンに到達していない[21]。また、入江は師であるサリー・ワイルからフランス料理を学んでいたのだから、スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌという名の(トマトソースの)フランス料理が戦前からあったことを知らなかったはずはない[21]。このスパゲッティは後にナポリタンという名で普及することになる[47]。また、平田嵯樹子著「食の味、人生の味・辻嘉一・小野正吉」によると、戦前のニューグランドで修行経験のある小野正吉は、「スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドーリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ」と発言している。

しかしその一方で7割方茹でたパスタを冷まし、5時間以上放置した上で湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す、といった日本向けの工夫は入江の功績と見做されるものである[52]。またナポリタンにピーマンやハムを入れるのはスパゲッティ・アッラ・ナポレターナではあり得ず[53]、具の構成は中世ナポリのピーマン入りスパゲッティを再現した入江の手によるアレンジである。

上野は、アメリカ合衆国のスパゲッティ・ウィズ・ミートボールがナポリタンのルーツであり、それが戦後の占領軍を通じて伝わったものと推定している[54]


国産化と普及[編集]

終戦直後の日本では食糧は政府の統制下にあったが、昭和27年、食糧事情の好転を受けて統制が一部解除され、製粉業は自由に原料を買い取って製粉できるようになった[55]

昭和29年にイタリアからパスタ自動製造機が輸入されたのをきっかけに国産パスタが量産できるようになり、パスタが一般にも浸透していった[56]

1953年の朝鮮戦争の終結が引き金となり、アメリカ合衆国の太平洋側の港では輸出を待つ小麦が大量の滞貨となった。305隻のリバティー船を倉庫代わりにしていた[57]。そこでアメリカ政府は、軍事政策と農産物の輸出を組み合わせた全く新しい法制度を作った。これが相互防衛援助協定(Mutual Security Act, MSA)である。これは、アメリカからの支援として食料等が引き渡されるが、その代金は米ドルではなく自国通貨(日本の場合は日本円)でプールされる。プールされた資金は、その8割がアメリカ政府が被援助国での調達に使い、2割は防衛産業のため日本政府に贈与される[58]。つまり、MSA資金は日本の再武装に使われていた。日本の場合総枠は5000万ドルであった。 しかし、MSA法は本来軍事が主目的であったため、さばける農産物の量は限定的であるうえ、被援助国から見れば、かならず軍事義務が付いてくるので、食糧支援としては使いにくかった[59]。のちにMSA法は、小麦の輸出を盛り込んだ農業貿易促進援助法(The agricultural trade development and assistance act)、通称PL480法に引き継がれる。 日本の再武装については保安隊#概要も参照されたし。

昭和29年(1954)3月に日米は日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(Mutual Security Act, MSA)に調印し、アメリカ合衆国産小麦50万トンを受け入れることとなった。国内農業保護の観点から反対する意見も出たが、昭和28年に凶作があり、食糧管理法を厳格に運用しても計画の50%ちょっとしか米穀が供給できない状況下での決断であった[60]

米国小麦の受け入れ開始と前後して、昭和31年、日本食生活協会がオレゴン小麦栽培者連盟の契約により、キッチンカーを使った栄養指導を開始。キッチンカーで津々浦々を巡り、主婦層に直接、粉食推進、油摂取拡大による栄養改善を指導した[60][61]

キッチンカーの献立には小麦と大豆を使うことが米国側からの条件であったので、パンはもちろんのこと、スパゲッティ、パンケーキ、ドーナッツなど小麦粉と油を使う料理が実演とともに無料でふるまわれた[62]。 ここで言うキッチンカーは今日でいうワゴン車を改造したようなものではなく、バスの車体の後ろ半分が開くようになっており、車内に備え付けた厨房で調理した料理をそのまま供食できるというものであった。 調理にあたったのは同乗した栄養士たちであった。栄養士たちは、改造バスを12台もポンと支給した資金力に驚きいぶかしんだが、お金の出所については追及しないのが暗黙の了解であったという。

キッチンカーで紹介されたスパゲッティがナポリタンであったかどうかは文献からは分からないが、ソース料理が炒め物へと化けることによって、高級西洋料理であったスパゲッティがフライパンで簡単に作れる家庭的なお惣菜に変わっていくのはこの時期で、焼きそばたこ焼きといった粉モン文化が急拡大するのもこの時期に一致し、ナポリタンは焼きうどん同様の油で炒める調理法が取り入れられたものと、という説がある[21]

しかしながら、ここでアメリカ合衆国から輸入されたメリケン粉薄力粉であった。もともとオレゴン州で獲れる小麦はウェスタンホワイト種という軟質小麦であったためである。アメリカ合衆国にもデュラム小麦が無いわけではなかったが、その産地はロッキー山脈より東側の中西部諸州に限られており、日本向けに太平洋側へ輸送するのはコスト面で無理だった[63]。薄力粉でスパゲッティを打ったところでグルテンが少ないためコシのある麺にならない。ナポリタンで使うスパゲッティが軟らかいのは、原料の小麦の違いによる必然であった[21][17]

アメリカ合衆国からのデュラム小麦の輸入は昭和40年代中ごろに一時期だけ実施された[61]が、現在は輸入していない[64]

昭和30年代になると国産スパゲティーが開発された。そこで販売促進のデモンストレーション用に調理が比較的簡単なメニューとしてナポリタンが選ばれ、さらに学校給食のメニューにも取り入れられるなどしたため、ナポリタンの知名度は急速にアップした[65][21]。当時トマトピューレは庶民の手には入り難く庶民には肉も高価であったため、代用としてケチャップと安価な赤い色のウインナー魚肉ソーセージ等を使う調理法が生みだされ、現在の一般的なナポリタンが確立された。このナポリタンのあらかじめ茹置きした麺をフライパンで味付けしながら炒め直しする調理法は簡便なことから、ナポリタンは給食以外にも家庭、喫茶店及び学食などの庶民的定番メニューとして親しまれて、全国的に定着していった。

しかし、「ミートソースのように煮込む必要が無い」という点が買われたナポリタンであったが、「煮込むどころか炒める必要すらない」レトルトの業務用ミートソースが登場し、さらに同時期に登場した電子レンジにより麺の再加熱に炒める必要がなくなり、調理スペースが手狭な列車の食堂車ではもっぱらミートソースとなっていった[66]

昭和30年代の時点ではまだ当該ケチャップスパゲッティはナポリタンという名で呼ばれていなかった。昭和40年代にソース入りゆで麺のパックがナポリタンという商品名で発売されたことにより、ナポリタンの名で広く知られるようになった。

ただ、この際大阪を中心とする関西圏では「イタリアン」という商品名で発売されたため、この地域の喫茶店ではケチャップスパゲッティはナポリタンではなくイタリアンと呼ばれる。近畿地方はちょうど両者の境界にあり、ナポリタンとイタリアンの呼称が混在している[67]

バブル期のパスタ料理多様化[編集]

飲食店におけるスパゲティはミートソースかナポリタンの2種類しかないことがほとんどだったが[68]、80〜90年代の「イタメシブーム」によって多種多様な本格的パスタが紹介され、日本でも様々な本格的パスタが食べられるようになるに伴い、ナポリタンの人気は陰りを見せ、個人経営の喫茶店の減少とも相まってナポリタンを供食する飲食店は以前より減っていた[69]。 一方で、洋食メニューや弁当の付け合わせなどにもケチャップ味のスパゲティは定番として定着した。

人気再燃[編集]

近年、懐かしさや目新しさを求め、単体料理としてのナポリタン人気が再燃している[70]

この点について、片岡は、ナポリタンが復興したのではなく、バブル崩壊に伴う経済的縮小により本格イタリアンが衰退したのだという見方を紹介している[28]

コンビニエンスストアの弁当やレトルト・冷凍食品として販売されるなどの展開もみられるようになった。

地域バリエーション[編集]

諸外国事情[編集]

イタリア[編集]

ナポリにはケチャップ炒めスパゲッティはない[53]。米国生まれのトマトケチャップを味付けの主役に使用することはまずなく、ピーマンやハムが入ることはない。トウガラシ加工品であるタバスコペッパーソースが入ることもない。

漫画家ヤマザキマリは自身のイタリア留学時代の体験を綴った漫画エッセイ『それではさっそくBuonappetito!』(2007年、講談社、ISBN 978-4063376487)で、ナポリ出身の学生仲間と「ナポリタン」を巡る顛末を描いている。そこでも、トマトケチャップを用いる「ナポリタン」は「ナポリ料理ではない」と否定されている。ナポリ出身のルームメイトが作った一見ナポリタンらしきものはスパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナ(オリーブオイルで刻みタマネギとベーコンを炒め、白ワインとトマト水煮を入れて煮込むソースのパスタ)であった。イタリア出身者にとってはフライパンでスパゲッティを炒めることはありえず、パスタは茹でたらそのままソースに和えるだけという[74]

イタリアでは麺食が一般的になるのは1960年代以降のことである[75]。この点について前川健一は「戦後になってからアメリカからイタリアへ麺食文化が流入したのではないか」と推理している[76]伊丹十三はコラム集『女たちよ!』の中で、日本のナポリタンを強く批判した上で本格的なイタリアのトマトソースを紹介しているが、そのレシピはと言えばアメリカの食文化であるはずのタバスコペッパーソースを入れると書いている[77]

それ以外[編集]

  • 中国では、ナポリタンというとミートソースが出ることがある[要出典]
  • ロシアには「海軍風スパゲッティ」makaroniy po flotskiという料理がある。意図的に茹ですぎにしたスパゲッティと、刻みタマネギ、ほぐしたコンビーフを一緒にフライパンに入れて炒めるというもの。ケチャップを欠いていることを除けばナポリタンと同じものである[78]
  • ペルーにはタリャリンという小麦麺がある。トマト、牛肉、タマネギを炒めたソースをタリャリンにかけて食べる「タリャリン・デ・ロモ・サルタード」という料理がある。ロモ・サルタード風の麺という意味。麺も合わせて炒める場合もある[79]
  • ケチャップ消費大国であるスウェーデンには、シェルマカロニをケチャップで炒めたパスタ料理があると報告されている[80]
  • イギリスでは、トーストの上に缶詰スパゲッティを乗せ、これをナイフとフォークでトーストごと切り分けて食べる[81]

パスタ以外[編集]

カクテル[編集]

ホワイトキュラソー、オレンジキュラソー、ホワイトラムを使用したカクテル「ナポリタン」が存在する[82]

このほか、見た目も色も材料も異なる複数のカクテルが「ナポリタン」と呼ばれている[83][84][85]

ナポリタンを主題とする文芸[編集]

文芸作品においては、ナポリタンはバブル期以前の昭和の庶民の家庭的幸せを暗示する食べ物として登場する。特に家族で外食する喜びの記憶と結びつけられる。例えば柏井壽『鴨川食堂』[86]

ナポリタンは、全体的にネバネバしていて上品に食べるのが難しいこと、甘酸っぱく濃いめの味付け、皿にどっしりと盛り上がるボリューム感などから、女性よりは男性から好まれる食べ物、またはより直截に「男の食べ物」とみなされる。例えば片岡義男『ナポリへの道』[28]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 21世紀研究会編『食の世界地図』文春新書 378,文芸春秋,2004年5月,p.108-109
  2. ^ 大矢復『パスタの迷宮』新書y_055,洋泉社,2002年2月,p.153,165
  3. ^ 日本パスタ協会
  4. ^ 福場博保、小林彰夫編『調味料・香辛料の事典』朝倉書店,1991年, p.272
  5. ^ [https:www.youtube.com/watch?v=Scdo8wvZzpE Youtube Stefano Barbatoの動画]
  6. ^ 岡田哲「コムギの食文化を知る事典」東京堂出版2001年、p201-202
  7. ^ 岡田哲「コムギ料理探究事典」東京堂出版1999年、p.173-174
  8. ^ 服部幸應「世界の六大料理基本事典」p77,東京堂出版,2015年2月
  9. ^ 「スパゲティ・ピザ」成美堂出版1999年、pp.42-43
  10. ^ 落合務「決定版 落合務の基本のイタリアン」講談社2007年3月、p.32
  11. ^ 片岡護「イタリア料理の基本II」新星出版社pp.10-11
  12. ^ 上村泰子「おいしいソース人気のタレドレッシング」成美堂出版1999年、pp.16-17
  13. ^ ロトンダ・イタリア料理研究会編『極旨パスタ』世界文化社2013年,p.8-9
  14. ^ 本多哲也著『リストランテ ホンダ おもてなしのイタリアン』ナツメ社2012年,p.8
  15. ^ 青木敦子著『おいしいイタリア料理の教科書』新星出版社2013,p.18
  16. ^ 21世紀研究会編『食の世界地図』文春新書 378,文芸春秋,2004年5月,p.96-97
  17. ^ a b c d 日本経済新聞「食べ物新日本奇行」シーズン4第10回
  18. ^ 東海林さだお「ホットドッグの丸かじり」丸かじりシリーズ23,朝日新聞社,2005年5月,pp.152-157
  19. ^ 池上俊一「パスタでたどるイタリア史」岩波ジュニア新書699、p.69
  20. ^ 池上俊一「パスタでたどるイタリア史」p.63-64
  21. ^ a b c d e f g h i 澁川祐子「ニッポン定番メニュー事始め」彩流社2013年9月、pp.38-45
  22. ^ Elizabeth David, Italian Food (1954, 1999), p 319, and John Dickie, Delizia! The Epic History of the Italians and Their Food, 2008, p. 162.
  23. ^ Alan Davidson, "Europeans' Wary Encounter with Tomatoes, Potatoes, and Other New World Foods" in Chilies to Chocolate: Food the Americas Gave the World, (University of Arizona Press) 1992.
  24. ^ Origins of Italian tomato sauce Foodtimeline.org. Retrieved 23 April 2011
  25. ^ a b c 池上俊一「パスタでたどるイタリア史」岩波ジュニア新書699、p.84-85
  26. ^ クリストフ・ナイハード著、シドラ房子訳『ヌードルの文化史』p.189
  27. ^ 橘みのり『トマトが野菜になった日』草思社,1999年12月,ISBN 4-7942-0938-X, pp.143-146
  28. ^ a b c 片岡義男「ナポリへの道」東京書籍、p.152
  29. ^ 石毛直道『文化麺類学ことはじめ』フーディアム・コミュニケーション株式会社刊、p.248-249
  30. ^ 「料理王国」2012年11月号「大特集日本のイタリア料理100年史」pp.2-3
  31. ^ 片岡義男「ナポリへの道」東京書籍2008年
  32. ^ 三宅艶子「ハイカラ食いしんぼう記」じゃこめてい出版1980年、p.214
  33. ^ 上野『ナポリタン』、p.18
  34. ^ 古川ロッパ 昭和日記 戦前篇
  35. ^ ヴィンチェンツォ・ブオナッシージ『決定版 新パスタ宝典』読売新聞社刊、1998年12月, pp.327-328
  36. ^ 『vesta』 86号,p.43「アメリカ--心のスパゲッティ」
  37. ^ 小菅桂子『トマトの日本史』ブックレット近代文化研究叢書2、昭和女子大学近代文化研究所発行2005年8月), p.24-25
  38. ^ 大矢,p.170
  39. ^ 大矢,p.178。ただし、大矢は『ロッパ食談』を引用している
  40. ^ 大矢,p151-153
  41. ^ a b カンタ・シェルク著、龍和子訳『パスタと麺の歴史』原書房、2017年1月,pp.94-95
  42. ^ ダナ・R・ガバッチア著、伊藤茂訳『アメリカ食文化』青土社2003年2月,pp.251-252
  43. ^ a b 石毛直道「文化麺類学ことはじめ」フーディアム・コミュニケーション1991年、p.250-251
  44. ^ ハインツ公式ウェブサイト
  45. ^ クリストフ・ナイハード著、シドラ房子訳『ヌードルの文化史』柏書房,2011年7月, p.119
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  47. ^ a b c d e 高橋清一「横浜流 すべてはここから始まった」東京新聞出版局2005年7月,pp.52-53
  48. ^ 雑誌『横浜ウォーカー』2013年6月号
  49. ^ 上野『ナポリタン』、pp.29-30
  50. ^ All About 洋食の元祖は横浜にあり
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  86. ^ 柏井壽『鴨川食堂』小学館2013年

参考文献[編集]

  • 上野玲『ナポリタン! I'm crazy in Naporitan spaghetti!』扶桑社 2004年11月 ISBN 4594048323、文庫 小学館 ISBN 4094187022
  • 澁川祐子『ニッポン定番メニュー事始め 身近な食べもののルーツを探る。』彩流社 2013年9月 
  • 高橋清一『横浜流 すべてはここから始まった』東京新聞出版局 2005年7月
  • 小菅桂子『トマトの日本史』ブックレット 近代文化研究叢書2、昭和女子大学近代文化研究所発行,2005年8月
  • 21世紀研究会編『食の世界地図』文春新書 378,文芸春秋,2004年5月
  • 大矢復『パスタの迷宮』新書y_055,洋泉社,2002年2月
  • 『vesta』2012年春号(通算86号)、財団法人味の素-食の文化センタ
  • 池上俊一「パスタでたどるイタリア史」岩波ジュニア新書699
  • 岸康彦「食と農の戦後史」日本経済新聞社1996年
  • 高嶋光雪「アメリカ小麦戦略」家の光協会
  • 鈴木猛夫『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』藤原書店
  • 石毛直道『文化麺類学ことはじめ』フーディアム・コミュニケーション株式会社刊
  • 橘みのり『トマトが野菜になった日』草思社,1999年12月,ISBN 4-7942-0938-X
  • ダナ・R・ガバッチア著、伊藤茂訳『アメリカ食文化』青土社,2003年2月
  • クリストフ・ナイハード著、シドラ房子訳『ヌードルの文化史』柏書房,2011年7月
  • ヴィンチェンツォ・ブオナッシージ『決定版 新パスタ宝典』読売新聞社刊、1998年12月
  • カンタ・シェルク著、龍和子訳『パスタと麺の歴史』原書房、2017年1月
  • 服部幸應「世界の六大料理基本事典」東京堂出版,2015年2月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]