アリス出版

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アリス出版は、かつて存在した自動販売機雑誌編集プロダクション1970年代から1980年代にかけて自販機本の最大手だった。創設者は備前焼陶芸家小向一実(こむかい ひとみ)。旧社名は平和出版[1]

歴史[編集]

設立[編集]

アリス出版は1975年頃に小向一実の個人事務所として発足したのが始まりとされている[2]。ただし初期からアリス出版の下請けを行っていた九鬼(KUKI)中川徳章によれば「1974年にアリス出版の仕事をするために会社を作った」と証言しており、正確な創設時期は依然不明のままである[3]

元々小向は、インテリ向け性風俗雑誌『風俗奇譚』、アングラ系サブカル誌『黒の手帖』、実話誌ヒットパンチ』、三流劇画誌漫画大快楽』などで知られる「檸檬社」という老舗出版社でエロ実話誌を作っていた。しかし、厳格な倫理規定に加えて出版取次が檸檬社の出版物をゾッキ本として正規の流通ルートから外して古書市場に流していたことに小向は兼ねてより不満を抱いていたという[4]。なお、亀和田武は檸檬社での後輩編集者であった[5]

その後、自販機本出版取次最大手「東雑」(東京雑誌販売)の中島規美敏社長が設立した「平和出版」で小向はグラフ誌を制作するアルバイトを頼まれた。この「平和出版」という社名は、当初、池袋西口の平和通り入口に事務所があったことに由来する[6]

そこで小向は出版取次を介さず、自動販売機のみで雑誌を流通させることが出来る自販機本(当時は雑誌コードを取らない唯一独自の販路だった)に強い興味を持つようになる[7]。この平和出版での編集作業は小向がほとんど一人で行っていたため、いつの間にか平和出版は小向の個人事務所になっていったという[2]。しかし、すでに平和出版と同名の老舗出版社(1960年〜2005年)が存在していたため、ある時期から社名を平和出版から「アリス出版」に変更したとされている[8]。なお、亀和田武は「アリス出版」という社名の発案者は自身であり、「入社後最初の仕事」だったと回想している[6]

平和出版がいつアリス出版を名乗るようになったのか正確な時期は不明であるが、亀和田武が編集長として創刊(のちに「迷宮」の米沢嘉博が編集)したエロ劇画誌劇画アリス』が1977年9月に創刊していることから、その頃までにはアリス出版を名乗っていたとみられている[8]。ただし、亀和田武は、入社してから『劇画アリス』を創刊するまでには1年間ほどの期間があったとし、また、小向・亀和田と経理担当の女性との三人[9]で出版社を創業したのは1976年夏だったと、回想している[6]

初期[編集]

当初は小向の個人事務所として始まったアリス出版であったが、設立から半年後に檸檬社から亀和田武を招き入れ、二人で制作したエロ本を東雑が全国の自販機に流すという形で実質的なスタートを切る[10]

アリス出版の自販機本は、それまでのエロ本実話誌には無かったドラマ性やストーリー性を大胆に導入したことから爆発的なヒットを記録し[11]、一躍自販機本の最大手出版社に躍り出る。小向によれば「写真を組み合わせてストーリーを作る」というエロ本の手法は自身が編み出したものであるとのことで「それ以前の実話誌の写真ってヒドかったじゃない。女のハダカを見せるってことに全然リアリティがない。突然脱がして、とかやってたわけでしょ。俺も別にドラマがやりたいとかじゃないんだよ。そうじゃなくて、センズリする時って、誰でもある程度ドラマを組み立ててるわけでしょ。だから、そういう手法って当然有効なわけじゃない」と語っている[4]

小向体制期の代表的なグラフ誌に、制作費を惜しみなく投入した歴史エロ超大作『日本売春史』[11]職権乱用警察官容疑者の女性をレイプする『濡れた警棒』シリーズ[11]ウサギを飼育している変態男が行きずりの女性を拉致監禁して飼育する豊田薫制作のアングラエロ本『生娘飼育』[11]、巨匠・杉浦則夫カメラマンに迎えて茅葺き屋根の農家でセーラー服の妹と兄の情交をドラマチックに描写した『兄・妹』[12]などがある。

合併と分裂[編集]

アリス出版は知名度が上がるにつれ、ユニークな才能を持つ若手編集者が続々と集まるようになり、週刊誌ワイドショー番組の取材が来るなど各方面から注目を集めるようになっていった[13]

最盛期の1980年にはアリス出版のライバル企業であった明石賢生の「エルシー企画」(自販機本Jam』発行元)と合併する(明石は副社長に就任)。しかし、わずか数か月後の8月に明石が突如独立し、これに追従する形で旧エルシー企画とアリス出版の殆どの編集部員が明石が新たに立ち上げた「群雄社出版」にスピンアウトした[14]。なお、この分裂事件は社内での軋轢ではなく、東雑と明石の関係悪化に起因するものであったといわれている[15]

また時期を同じくして、警察当局の調べでモデルクラブから派遣されたヌードモデルの中に未成年者がいたことが判明したため、社長の小向が児童福祉法違反の容疑で逮捕される(その後、小向は業界から自主引退した)[16]。さらにこの頃から日本PTA全国協議会による悪書追放運動警察当局からの摘発、地方公共団体青少年保護育成条例制定など自販機ポルノに対する規制強化が進んだこともあり、アリス出版は年々縮小、衰退の道を辿った。

末期[編集]

1980年の分裂事件と小向の引退によって、初期のメンバーがすべて抜けたアリス出版だったが、その自由奔放な社風を慕って入社した竹熊健太郎藤原カムイ神崎夢現ピストン原田などの若手編集者らが後期のアリス出版を支え、経営悪化の中でも質の高いグラフ誌を世に送り出していた[17]

アリス出版がいつ消滅したのかは未だに謎に包まれたままであるが、『少女アリス』編集長だった川本耕次1985年頃までにアリス出版が消滅したのではないかと推測している[18]。その一方で21世紀に入るまでアリス出版の残党による編集プロダクションが存在していたとする証言もある[19]

B級ニュースマガジン『GON!』(ミリオン出版1996年2月号に掲載された特集記事「あの伝説の自販機エロ本出版社・アリス出版は実在していた!!」によると、1990年代のアリス出版はエロ本を手がけながら、旅行グルメといった一般の単行本ムックなども制作する編集プロダクションとして活動していたという。また、アダルト関係ではビデオ出版の成人雑誌『ブルセラ少女隊』、「アリス文庫」というブルセラ系のミニ写真集、ビニ本復刻CD-ROM自動販売機用のアダルトビデオも制作していた。ただし、いずれも「アリス出版」というブランドはクレジットされていない[20]

初代社長の小向一実は1997年のインタビューで「当時を振り返って、あの頃やってきたことをどう思いますか?」という竹熊健太郎の質問に次のように答えている。「そりゃ楽しかったよ。一番楽しかったよ。だって好きなことができたんだもん。当時の仲間も、皆そう言うと思うよ」[21]

代表的な出版物[編集]

エロ本の体裁を装いながらサブカルチャーアングラカルチャーに深くコミットしたカルチャーマガジンで、当時の自販機本が個人もしくは数名程度のスタッフによって製作されていたのに対し、本誌ではスタッフだけで30人以上が参加するなど自販機本関係者が総動員されたかのような誌面が展開されていた[28]エルシー企画神崎夢現いわく、最初に『Jam』の影響を受けた自販機本が本誌であるという[29]。しかし「鈴木いづみベッドインタビュー」(聞き手:山崎春美)など、エロ以上にカルチャー色の強い誌面・内容は、自販機本の一般的な読者層から支持を得ることが出来ず、2号を最後に佐山は編集長を降板し、編集部も解散となった。その後、エロ路線に誌面を刷新するが、わずか4号で廃刊した[28]。本誌が短期間で廃刊したことについて評論家小田光雄は「自販機による流通販売の限界を告げていたことになろう」と述べている[28]

出身者[編集]

関連会社[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 84-87頁。
  2. ^ a b 竹熊 & 小向 1997, p. 172「檸檬社にいながらバイトで4、5冊作ったかな。いわゆるグラフ誌ね。64ページ、ヌード写真だけで構成するってやつ。あんなの簡単じゃない。写真貼り付けるだけだから、編集のへの字にもなんないような仕事だよ。そのエロ本作ってたのが平和出版っていうんだ。これは東雑が作った会社でね、といっても編集はほとんど俺がやってんだけど。で、その半年後くらいに、今度は俺が金出してアリス出版作った。俺が27の時だから、76、7年あたりかな。(中略)アリスは俺が金出して作った会社なんですよ。ただ、平和出版もアリスも最初は俺の個人事務所みたいなものだったから、外から見てたら、違いがわからなかったかもね。まあ実際、本は全部東雑に卸してたわけだから、その意味じゃ子会社みたいなものかもしれないけどさ(笑)。でも子会社かどうかなんて、考えたこともない」.
  3. ^ 「アリス出版の創立は1975年だと言われているのだが、初期のアリス出版から手伝っていたLANDAの中川徳章氏(現KUKI経営者)によれば『1974年にアリス出版の仕事をするために会社を作った』という話もあり、あるいは1974年から話は出ていて、そのために組織を作り、実際に出版されたのが1975年という事なのかも知れないが、出版をはじめてからも複雑な経緯があり、なかなか正確に時期を特定できない」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 84頁。
  4. ^ a b 竹熊 & 小向 1997, p. 173.
  5. ^ 亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.204
  6. ^ a b c 亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.205
  7. ^ 竹熊 & 小向 1997, p. 173「俺は檸檬社でエロ実話誌を作ってたわけだけど、通常の実話誌ってのがすごく嫌だったわけ。だって一応東日販(東販〈現・トーハン〉・日販=書籍雑誌の流通を担う大手の取次)通してるのに、まず普通の本屋じゃ見かけないわけじゃん。どこの本屋に置いてあるのって話でさ。そんなの組合やってるとわかるわけよ。経理の流れとか本の流れとか。東日販もさ、おそらく流してないわけ。ただとりあえず流す形だけとって、それでゾッキ本(正規の流通ルートを通さず格安で扱われる本)として、そういうのを扱う特殊な場所に流すわけね。普通の書店に流れないんだもん、そんな本作ってても何のパブリック性もないし。そりゃ内容はひどかったけどね(笑)。だって表現は全然自由じゃないわけでしょ。倫理規定がどうしたとか考えながらエロ本作っても面白くないよ。そのてん自販機ってのは、取次も書店も通さない唯一のルートだから、そこが魅力だった。自分たちの、俺なんかの感覚で全部できるからね」.
  8. ^ a b 「もっとも平和出版を名乗っていた時代はさほど長くない。神田に同名の老舗エロ本出版社があったので、すぐに名前を変える事になる。ここでやっと『アリス出版』と名乗るようになるのだ。アリス出版を名乗るようになった正確な時期は不明だが、確認されているところでは『劇画アリス』の創刊が1977年9月22日。ちなみにアリス出版の下請けだったLANDAの中川氏が独立してKUKIを作り『GAL PRESS』の名義で『SISTER』という雑誌を作り始めるのも同じ時期なので、この頃、東京雑誌販売グループでは急速に発刊点数を増やしていたものと思われる」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 87頁。
  9. ^ 「私が、檸檬社から、アリス出版に移籍する際に、周囲の友人たちが、親切に忠告してくれたのは、『だって、キミ、あそこは自販機専門の雑誌社だよ。ああいうところに堕ちたら、もう二度と、マットウな編集者稼業は出来なくなるよ』というものだった。アリス出版は、当時は、編集者は私以外には、檸檬社で同僚だった社長のみ、他には事務の女のコが一人いるだけだった。現在は自動販売機に関連している雑誌社の数も多いが、その頃はアリスと同じ販売ルートではLC企画ママ〕があるのみだったし、他にも、千日堂出版、アップル社があるのみだった。出版文化の中でも、エロはその最底辺と言われてきたが、その中でも、自販機専門出版社はカーストの最底辺を形成していた」亀和田武「総括」『劇画アリス』通巻22号(アリス出版/迷宮'79)pp.88-89
  10. ^ 竹熊 & 小向 1997, p. 173「アリスは最初、俺一人でスタートした。できるよ、あれくらい。そんなに雑誌数も多くなかったし、自分で写真も撮れるからね。最初はカメラマンなんて使わなかった。事務の女の子を一人入れて、それで半年くらい経って呼んだのかな、カメちゃんをね。で、俺らの作った自販機本が売れ始めてさ、東雑もこれで利益が上がると踏んだから、どんどん出版点数を増やそうってことになって」.
  11. ^ a b c d 竹熊 & 小向 1997, p. 173 - 174.
  12. ^ 「この時期の代表作は『兄・妹』。カメラマンが杉浦則夫です。この頃は既に杉浦則夫は巨匠でギャラが高かったので、自販機グラフ誌では珍しい。しかも、ちゃんと絵コンテ作ってその通りに撮っている。茅葺き屋根の古い農家で、妹はセーラー服に定番のキャットガーターで、そこはかとなく寺山っぽいアングラ臭もあり、自販機グラフ誌の傑作です」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 86頁。
  13. ^ 神崎 2017, p. 110「自販機本は最盛期を迎え、ワイドショーに出ていたE・H・エリックがマイクを持ってテレビ取材に来た。モデルの募集だけでなく社員の募集も行っていたが、知名度が上がると入社希望者も増え、ユニークな才能を持つ者が続々と社員編集者として入ってきた。アリス出版は『自販機本業界の講談社』とも言われていた」.
  14. ^ 「1980年8月、アリス出版から古いスタッフを中心に何人かがスピンアウトしてビニ本業界に身を投じる事となる。そして、1980年というと、日本PTA全国協議会有害図書販売規制立法請願を国会に提出したという年でもある。そこでもっとも問題になったのは、自販機が未成年でも自由にエロ本が買えるという事であり、その代表格として目の敵にされたのが、業界最大手のアリス出版だったというのは、想像に難くない。 小向氏が顧間に退いたり、エルシー企画が合併されたりといった動きの中で、編集プロダクションでなく、自前で本を出して儲けたいという元エルシー企画社長の明石氏が1980年の8月に独立し、古くからのアリス出版、エルシー企画のメンバーのほとんどがそれに同行したのだ」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 120頁。
  15. ^ 竹熊 & 小向 1997, p. 175「そうこうするうちに、旧・エルシー組か明石を中心に退社し、別会社を作るという情報が流れた。これは結局事実となり、それが群雄社となるのである。しかし元・エルシー系社員の証言によると、これは別に小向やアリスに問題があるのではなく、あくまでも東雑との関係によるものだという。実はこの頃、明石は自販機本とは別に、一般の取次に乗せる出版を計画しており、高田馬場にそのための事務所を借りていた。これが東雑サイドに『クーデター』と誤解され、怒った明石が旧・エルシー社員とアリス社員の一部を連れて、本当に独立してしまったというものだ。わずか一年に満たずして合併アリスは分裂してしまった」.
  16. ^ 竹熊 & 小向 1997, p. 175「誰かが未成年のモデル使っちゃってさ。だいたい年齢なんかいちいちチェックしてるわけじゃないしね。それで事情聴取されて。もちろん責任は社長の俺にありますよ。あれだけの人数で毎月たくさんの本作ってて、俺も一々チェックできるものじゃないけど、でも最終的な責任は全部俺だからね。それで俺、会社を辞めることにしたわけ。でね、退社してすぐに俺、アメリカに行ったの。アメリカでポルノやってるトップの連中と話したかったのよ。こいつら何考えて作ってるんだってことを確かめたかった。俺、興味ないって言ってもさ、ポルノやってたわけじゃない。それで世界のトップに会って話して、自分にオトシマエつけようと思って。それで、そいつらと話したら……凄かったね。やっぱり奴ら命張ってるわけよ。ホントに好きっていうか、使命感があって。(中略)それで日本じゃ考えられないようなすごく過激なものを出してる。しかも一生の仕事としての誇りを持ってるの。ああ、これはかなわないと。とてもじゃないけど、俺はポルノを一生の仕事だと思えないなと。それで、スパッと心が整理できたんだ。ポルノから引退する決意が固まったんだよ」.
  17. ^ 「その後も残ったメンバーでアリス出版は続く。1974年あたりから始まった自販機ポルノの流行も、1980年の夏をピークに、以後は機械が償却を迎えるとともに更新されることなく減らされ、それにつれて発行部数は激減してしまう。初期のメンバーがすべて抜けたアリス出版だが、その自由な社風を慕って集まった優秀な若手編集者ががんばっていたので、内容的にはクオリティの高いグラフ誌を作り続けていた。竹熊健太郎、神崎夢現、藤原カムイといった面々がそうで、その後メジャーで活躍するスタッフが経営的には苦しい後退戦を闘う」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 121頁。
  18. ^ 「アリス出版がその後、どうなったのかは定かではない。生まれた時と同じように、いつしか消えていったとしか言いようがない。私のコレクションで確認されている限りでは『セーラー服純情組』というのがある。タイトルがおニャン子クラブのグループや曲名とかのパクリなので1985年くらいだと思われるが、そこに記された奥付の住所は高田馬場のマンションの一室だ。サンシャイン60のワンフロアー借りあげようかという勢いだった時代から、わずか5年後」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 122-123頁。
  19. ^ 「もっともエロ本屋はしぶとい。それで消えたのかと思いきや、なんと『21世紀に入るまで仕事してたよ』と証言する人もいる。いよいよ事務所を閉める事になって、同業者に大量のポジを引き取らないかという交渉があったそうだ。結局、話は成立しなかったのでポジは行方不明だが、アリス出版の残党は編集プロダクションとして生き延びていたそうです。『ほら、エロ本屋さんてマジメだから』と、自分も根っからマジメなエロ本屋が教えてくれた。なんでも大手旅行雑誌の下請けとして、温泉取材の記事などを手がけ、コツコツとマジメに働いていたそうです」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 123頁。
  20. ^ アリス出版が制作した自動販売機用のアダルトビデオには「ダイアナ」というブランドがクレジットされている。
  21. ^ 竹熊 & 小向 1997, p. 175.
  22. ^ a b c d e 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 90頁。
  23. ^ 高取 1982, p. 141.
  24. ^ a b 昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介 - ウェイバックマシン(2011年8月24日アーカイブ分)
  25. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁。
  26. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第5回
  27. ^ 神崎 2017, p. 111.
  28. ^ a b c d 自販機本の時代”. 小田光雄. 論創社 (2017年11月15日). 2018年1月17日閲覧。
  29. ^ 神崎 2017, p. 107.
  30. ^ a b c d e f g ばるぼら「日本出版史のターニング・ポイント 自販機本の世界」『エロ本黄金時代』、51 - 61頁。 
  31. ^ 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた「雑誌」というワンダーランド大研究!』宝島社 1997年11月 193-194頁。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]