知床旅情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Katsuya (会話 | 投稿記録) による 2021年7月27日 (火) 15:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

しれとこ旅情
森繁久彌シングル
B面 旅がらす
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 日本コロムビア
チャート最高順位
テンプレートを表示
知床旅情
加藤登紀子シングル
B面 西武門哀歌
リリース
ジャンル フォーク
レーベル 日本グラモフォン
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1971年度年間2位(オリコン)
  • 加藤登紀子 シングル 年表
    帰りたい帰れない
    (1970年)
    知床旅情
    1970年
    少年は街を出る
    1971年
    テンプレートを表示

    知床旅情」(しれとこりょじょう)は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲。初出時の題は『しれとこ旅情』。1960年発表。

    解説

    知床を舞台にしたご当地ソング。知床とは、北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす[2]知床国立公園があり、2005年7月17日には世界遺産に登録された。

    楽曲制作者は、俳優業のほかに歌手としてNHK紅白歌合戦への出場歴もある森繁久彌である。森繁が1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島の羅臼村(現:羅臼町)に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で披露された。

    1962年大晦日に放送された第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露された[3]1963年にザ・エコーズがレコード化した(森繁のシングル「オホーツクの舟唄」のB面に収録)[1]1965年に森繁がセルフカバーしたものがシングルレコードとして発売された[1]

    なお、森繁は1975年3月にNHKホールで挙行された日本放送協会開局50周年記念式典において、昭和天皇香淳皇后の御前で「知床旅情」を歌唱している。

    また1970年加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がついた。翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間チャートで2位にランクインした。加藤盤の累計売上は140万枚[4](または138万枚[5])を記録。また、同楽曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場をしたほか、1969年に続いて2度目の第13回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞している。同楽曲のヒットの要因としては、当時日本国有鉄道ディスカバー・ジャパンのキャンペーンを展開していたことの相乗効果もあったといわれている[4]

    なお、加藤版の歌詞は森繁版とは若干異なる。加藤がうろ覚えのまま歌っていたためという[6]。加藤は1968年、後に夫となる藤本敏夫との初デートで、別れの時に初めて「知床旅情」を聴いた[7]

    加藤は1980年代には中国でコンサートを行っており、残留日本人孤児と共に中国語でこの曲を歌い、泣いたことがある[8]

    NHK紅白では、およそ20年後の第41回NHK紅白歌合戦でも加藤登紀子によって歌われた。2005年、第56回NHK紅白歌合戦の開催にあたりNHKが大々的に行ったアンケート「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜[9]では、紅組対象の上位99位にランクインした。

    1993年と1997年に教育出版が発行する中学校の音楽教科書に掲載されている[10]

    目梨郡羅臼町にある、海に面した「しおかぜ公園」には、森繁久彌が出演した上記映画『地の涯に生きるもの』(原作は戸川幸夫『オホーツク老人』)の老人の像と、「知床旅情」の歌碑が建立されている。また、斜里郡斜里町のウトロ地区のウトロ港の近くにある三角岩の前にも、「知床旅情」の歌碑がある。

    歌詞には知床の名所・名物が多く登場する。例えば、斜里町の町花が「はまなす」、その斜里町と本楽曲の歌碑がある「ラウス(羅臼)[11]」を結ぶ国道334号にある「」から「クナシリ」を望むことが出来る(「」は歌詞に登場する単語)。

    この曲については、高木東六から出だしが「早春賦」に類似していると指摘された[6]。また、歌詞にある「白夜(びゃくや)」についても、北海道では白夜は見られないことや、正しい読みは「はくや」であると指摘された[6]。「白夜」についても、「知床旅情」以後全国では「びゃくや」の読みが一般化したとされ、NHKでも「びゃくや」を標準読みにしている[12]。また、森繁は2番の歌詞にある「ピリカ」(本人はアイヌメノコ=若い女性の意味のつもりで歌っていた)が羅臼地方で「ホッケの幼魚」の意味で使われることを知り、気にかかっていたという[6]

    シングル

    森繁久彌盤

    1. しれとこ旅情
      作詞・作曲:森繁久彌/編曲:山本直純
    2. 旅がらす
      作詞:久保田宵二/作曲:古賀政男/編曲:佐伯亮
      中野忠晴のカバー[1]
      • (日本コロムビア/SAS-531)

    加藤登紀子盤

    1. 知床旅情
      作詞・作曲:森繁久彌/編曲:竹村次郎
    2. 西武門(にしんじょう)哀歌
      作詞・作曲:川田松夫/編曲:竹村次郎
      • (日本グラモフォン/ポリドール DR-1572)[13]

    オホーツクの舟唄

    オホーツクの舟唄
    森繁久彌シングル
    B面 しれとこ旅情(ザ・エコーズ)
    リリース
    ジャンル 歌謡曲
    レーベル 日本コロムビア
    テンプレートを表示
    オホーツクの舟唄(知床旅情)
    倍賞千恵子シングル
    B面 誰がきめたの
    リリース
    ジャンル 歌謡曲
    レーベル キングレコード
    倍賞千恵子 シングル 年表
    ふるさと
    1975年
    オホーツクの舟唄(知床旅情)
    1976年
    幸せってどんな色
    1977年
    テンプレートを表示

    オホーツクの舟唄は、「知床旅情」の元歌で森繁久彌が作詞・作曲している。

    歌詞は1番・2番で知床の冬の厳しさを歌い、3番で春の訪れを喜ぶとともに、かすかに見える国後を「我がふるさと」と言い、いつか帰れる日を願う、というものである。なお、楽曲のテーマ性から北方領土返還を訴える啓発運動で歌われたりもしている[14]

    この「オホーツクの舟唄」は、1963年に森繁自身もレコーディングし、シングルレコードとして発売している[1]が、倍賞千恵子が主に歌っており、1976年にシングルレコードとして発売し、また倍賞自身のアルバムに収録されている。

    徹子の部屋』の第1回放送の中で、このタイトルで歌唱した。

    シングル

    森繁久彌盤

    1. オホーツクの舟唄
      作詞・作曲:森繁久彌/編曲:浜坂福夫
      映画『地の涯に生きるもの』主題歌
    2. しれとこ旅情
      作詞・作曲:森繁久彌/編曲:小杉仁三/歌:ザ・エコーズ
      • (日本コロムビア/SAS-61)

    倍賞千恵子盤

    1. オホーツクの舟唄(知床旅情)
    2. 誰がきめたの
      • (キングレコード/GK-12)

    カヴァーした主な歌手

    関連作品

    脚注

    1. ^ a b c d e 『決定盤 森繁久彌大全集』日本コロムビア、2007年、COCP-34538〜9、付属ライナーノーツ
    2. ^ 具体的に「知床」と名の付く市町村はない。
    3. ^ 合田道人著『怪物番組 紅白歌合戦の真実』(2004年、幻冬舎刊)に掲載の記録では、「知床旅情」でなく「しれとこ旅情」である。
    4. ^ a b 富澤一誠のフォークが好き! “ディスカバー・ジャパン”キャンペーンが後押しした大ヒット「知床旅情」、OnGen、2006年6月14日。
    5. ^ 長田暁二『昭和歌謡 流行歌からみえてくる昭和の世相』敬文舎、2017年、151頁。ISBN 978-4-906822-76-8
    6. ^ a b c d 「メロディーとともに (24) 知床旅情」『神戸新聞』1999年10月8日付夕刊、3面。
    7. ^ ■ 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌、読売新聞、2010年2月10日。
    8. ^ 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌知床特集
    9. ^ NHK紅白歌合戦で聴きたい曲を、はがき・インターネットなどで募ったもので、現時点では2005年のみ実施された企画となっている。
    10. ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、760-761頁。ISBN 978-4816922916
    11. ^ 加藤登紀子歌唱の1991年版だと「知床」に差し替えられている。
    12. ^ 「白夜」の読み方は?”. NHK放送文化研究所 (2000年6月1日). 2021年1月26日閲覧。
    13. ^ 1970年11月発売で1971年11月まで『日本グラモフォン』 11月から『ポリドール株式会社』。(ポリドール・レコード#日本ポリドール株式会社 → 日本グラモフォン株式会社 → ポリドール株式会社
    14. ^ 産経新聞 2012年7月5日付 産経妙より

    関連項目