生きるに値しない命
生きるに値しない命(いきるにあたいしないいのち、レーベンスウンヴェアテスレーベン、英語:Life unworthy of life、ドイツ語:Lebensunwertes Leben)とは、劣等的な資質の持ち主とされた人々を安楽死させるというナチス・ドイツの人種衛生学的な政策におけるフレーズである。安楽死計画は1940年に実行に移され、知的障害者(ダウン症含む)や精神障害者が特別病院のガス室で殺害された(暗号名T4作戦)。人種主義的政策の一環でもあるこの作戦の手法は、絶滅収容所でのユダヤ人などの殺害に受け継がれ、いわゆるホロコーストに帰結した。
経過
このフレーズは1920年に、法学者のカール・ビンディングと精神科医のアルフレート・ホッヘが、その著書のタイトル「Die Freigabe der Vernichtung Lebensunwerten Lebens (生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁)」で初めて用いたものである。
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カール・ビンディンク
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アルフレート・ホッヘ
ナチス・ドイツおよびナチ支配下のヨーロッパの国においては、“健康な純粋アーリア人”の対蹠に位置する「社会的逸脱者」あるいは「社会的な混乱の原因」と見なされた者が、このカテゴリーに分類された。「社会的逸脱者」のカテゴリーには、精神障害者、 政治的な反体制派、同性愛者、混血者が該当した。一方、「社会的混乱の原因」のカテゴリーには、聖職者、共産主義者、ユダヤ人、シンティ族(ロマ)、エホバの証人信者、非コーカソイド、ポーランド人など様々な社会的グループの人々が該当した。これらの中でユダヤ人はほどなくしてジェノサイド政策の主要なターゲットとなった。
この考え方は、ナチスのイデオローグによって「生きるに値しない命」とされた人々を組織的に殺戮する施設である絶滅収容所に帰結した。この概念はまた、ナチスの人種政策だけでなく、様々な人体実験や優生学をも正当化した。「生きるに値しない命」の対象にはスラヴ系諸民族、とりわけドイツに隣接するポーランド人も含まれていた。
アドルフ・ヒトラーは、東部戦線の将校に対して、すべてのポーランド系またはポーランド語を話す男性、女性、子供を、「哀れみや慈悲をかけずに」殺すように指示を書き取らせ、ハインリヒ・ヒムラーは次のように書き残している。「すべてのポーランド人は、この世から消えるだろう。優秀なドイツ人が、ポーランド人を破壊することが、主要な任務であるとみることは最重要だろう」ヒトラーの著書『我が闘争』にあるように、ナチスは最終的には東欧を生存圏として支配し、ここに居住するスラヴ系諸民族の排除を目指していた。
関連書籍
- ジョルジュ・ベンスサン著、吉田恒雄訳 『ショアーの歴史 ユダヤ民族排斥の計画と実行』 白水社(文庫クセジュ)、2013年 ISBN 978-4-560-50982-1