東富山駅
東富山駅* | |
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駅舎(2011年9月) | |
ひがしとやま Higashi-Toyama | |
◄**富山 (6.6 km) (4.9 km) 水橋► | |
富山県富山市東富山寿町三丁目17-53 | |
所属事業者 |
あいの風とやま鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | ■あいの風とやま鉄道線 |
キロ程 |
48.2km(倶利伽羅起点) 金沢から66.0km 米原から242.6 km |
電報略号 | ヒト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,457人/日(降車客含まず) -2013年- |
開業年月日 | 1908年(明治41年)11月16日 |
備考 | 業務委託駅 |
東富山駅(ひがしとやまえき)は、富山県富山市東富山寿町三丁目にある、あいの風とやま鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
歴史
- 1908年(明治41年)11月16日 - 官設鉄道北陸線の富山駅 - 魚津駅間延伸時に東岩瀬駅として開業する(一般駅)[1][2]。これに合せて同年10月には駅前道路(現在の富山県道173号千原崎東富山停車場線)が完成していた[3]。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、北陸本線の所属駅となる[4]。
- 1913年(大正2年)10月17日 - 当駅構内の本線上で下り貨物列車と上り団体列車が衝突する事故が発生する(東岩瀬事故)[5]。即死者18名、重軽傷者50余名[5]、のちに死者は合計26名となった[6]。団体列車の乗客は今庄駅前運送店主催の善光寺参詣の旅行者であった[6]。その列車は4時20分当駅へ到着し、下りの貨物列車と交換するはずであったが、貨物列車は所定位置で停止し得ず、直江津方面のポイントを通過して本線に入ってようやく停まり、所定位置へ戻ろうと逆走したところへ反対方向から向ってきた団体列車と衝突したのであった[6]。この事故を教訓として本線へ合流する直前にポイントを設けオーバーランした車両を横道へそらして停止させる安全側線を設置することとなり、改良を繰返しつつ現在も使用されている[6]。
- 1926年(大正15年)7月3日- 当駅水橋駅間に浜黒崎仮停車場が開業する[7]。
- 1938年(昭和13年)9月- 駅前に不二越鋼材工業株式会社東岩瀬工場が設置され、県による東岩瀬臨海工業地帯造成事業の策定も相俟って、当駅は工業地帯への貨物駅と位置づけられ、当駅東岩瀬港間直通貨物線も着工されたが戦火のため完成に至らず、1944年(昭和19年)8月操業開始の不二越萩浦工場以遠区間の完成には至らなかった[6]。
- 1948年(昭和23年)8月30日- 当駅水橋駅間の浜黒崎仮停車場が廃止される[8]。
- 1950年(昭和25年)5月20日 - 富山港線越中岩瀬駅の東岩瀬駅への改称に合わせ、東富山駅に改称する[9]。
- 1958年(昭和33年)4月10日- 富山東富山間から分岐し、富山港線蓮町停車場に至る路線において貨物運輸の営業を開始する[10]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止する[11]。
- 1986年(昭和61年)11月1日- 東富山・蓮町間における貨物運輸の営業を廃止する[12]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
- 1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口の営業を開始する[13]。
- 2013年(平成25年)1月11日 - 当駅事務所の窓ガラスが何者かによって割られる事件が発生する[14]。
- 2014年(平成26年)6月18日 - 富山東富山駅間に開業を予定している新駅の設置箇所が決定する[15]。
- 2015年(平成27年)
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。このほか数本の側線も有している。単式の1番のりば側に駅舎があり、互いのホームは跨線橋で連絡している。
JR西日本北陸本線時代末期は、富山地域鉄道部が管理し、ジェイアール西日本金沢メンテックが駅務を受託[18]する業務委託駅であった。あいの風とやま鉄道の経営移管後も業務委託駅の形態は維持されたが[19]、みどりの窓口は経営移管に合わせて営業を終了した。
かつてはキヨスクがあったがのちに閉店し、自動販売機のみが設置されている。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先[20] | 備考 |
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1 | ■あいの風とやま鉄道線 | 下り | 魚津・泊・糸魚川方面 | |
2 | 一部の列車 | |||
上り | 富山・金沢方面 | |||
3 |
- 2015年3月14日時点で、2番のりばを使用する定期旅客列車は、1日につき上下1本ずつである[20]。
- 列車運転指令上では、1番のりばが「下り本線」、2番のりばが「中線」、3番のりばが「上り本線」となっている。
貨物取扱
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっているが、貨物列車の発着は無い。貨物の荷役設備は特に設けられておらず、専用線も当駅には接続していない。
かつては、不二越東富山事業所や大協石油・岩谷産業の油槽所へ続く専用線があったが、1990年代までにすべて廃止された。
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである[21]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
2004年 | 1,477 |
2005年 | 1,492 |
2006年 | 1,470 |
2007年 | 1,439 |
2008年 | 1,402 |
2009年 | 1,328 |
2010年 | 1,340 |
2011年 | 1,354 |
2012年 | 1,419 |
2013年 | 1,457 |
駅周辺
工場が多く立地しているが、住宅も多い。駅勢圏人口(駅から半径2km範囲の人口)が県内では高岡駅、富山駅に次いで多い26,400人である[要出典]。
- 富山県岩瀬スポーツ公園
- 富山市民球場アルペンスタジアム
- 東富山体育館
- 東富山温水プール
- 東富山テニスコート
- 不二越東富山事業所
- 東富山駅前郵便局
- 富山県立富山東高等学校
- 富山県立富山北部高等学校
- 高朋高等学校
- 富山市立北部中学校
- 富山市立大広田小学校
- 国道415号
路線バス
駅前の広場に路線バスは乗り入れていない。なお、近隣のバス停として、駅西側の県道172号(産業道路)にある「中田」バス停および、駅北側の国道415号にある「東富山駅口」バス停があり、それぞれ徒歩約5分程度である。
その他
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
隣の駅
脚注
- ^ 逓信省告示第1145号、『官報』第7617号所収、明治41年14日、大蔵省印刷局
- ^ 石野哲輔、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB
- ^ 「富直線開通について」、『東岩瀬郷土史会年報』第9号所収、昭和58年8月、東岩瀬郷土史会
- ^ 鉄道院告示第54号、『官報』第7891号所収、1909年(明治42年)10月12日、大蔵省印刷局
- ^ a b 富山市史編修委員会、『富山市史』第二巻、昭和35年4月、富山市役所
- ^ a b c d e 草卓人編、『鉄道の記憶』、平成18年2月、桂書房
- ^ 『官報』4158号、大正15年7月3日、内閣印刷局
- ^ 『官報』第6488号、昭和23年8月30日、大蔵省印刷局
- ^ 「日本国有鉄道公示第89号」『官報』1950年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和33年4月7日日本国有鉄道公示第111号(石野哲輔、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB)
- ^ 昭和59年1月30日日本国有鉄道公示第174号(『官報』号外9号、昭和59年1月30日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和61年10月30日日本国有鉄道公示第138号、『官報』17914号、昭和61年10月30日、大蔵省印刷局
- ^ 『JR時刻表』1992年11月号・12月号
- ^ http://webun.jp/item/1073283 (北日本新聞平成25年1月11日)
- ^ http://webun.jp/item/1102762 (北日本新聞平成26年6月18日)
- ^ http://webun.jp/item/7167393(北日本新聞平成27年3月15日)
- ^ "ICカードサービス開始日について" (Press release). あいの風とやま鉄道株式会社. 30 January 2015. 2015年7月10日閲覧。
- ^ 営業エリア(会社案内) - ジェイアール西日本金沢メンテック(2013年11月23日閲覧)
- ^ あいの風とやま鉄道 利用の手引き - あいの風とやま鉄道(2015年3月16日閲覧)
- ^ a b 東富山駅発車時刻表 - あいの風とやま鉄道(2015年4月14日閲覧)
- ^ 富山県統計年鑑による。
関連項目
外部リンク
- 東富山 ご利用案内 | あいの風とやま鉄道株式会社 - あいの風とやま鉄道