原町田

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原町田
町田駅前の街並み(原町田6丁目)
町田駅前の街並み(原町田6丁目)
原町田の位置(多摩地域内)
原町田
原町田
原町田の位置
北緯35度32分31秒 東経139度26分44秒 / 北緯35.54194度 東経139.44556度 / 35.54194; 139.44556
日本
都道府県 東京都
市町村 町田市
地域 町田地域
面積
 • 合計 1.005 km2
人口
2015年平成27年)4月1日現在)
 • 合計 13,288人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
194-0013
市外局番 042(相模原MA)
ナンバープレート 多摩
※座標はJR町田駅付近

原町田(はらまちだ)は、東京都町田市の地名。現行行政地名は原町田一丁目から六丁目。住居表示実施済み。人口は13,288人(住民基本台帳 2015年4月1日現在[1])。郵便番号は194-0013。

地理

町田市中部に位置する。町田市の中心地で、南多摩・相模(武相)地域最大の繁華街にあたる。 東は高ヶ坂、南は金森金森東、北は森野中町南大谷、西は神奈川県相模原市南区上鶴間本町と接している。

西端をJR横浜線が通り、小田急小田原線が北端を通っている。周辺道路はいずれも交通量が非常に多いため、渋滞が発生しやすい。

河川

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、原町田3-14-8の地点で27万7000円/m2となっている。[2]

歴史

町田駅前の商店街

室町幕府の成立初期に琵琶湖に定住していた土方氏夏目氏山村氏(三橋一族)は主君である足利基氏が鎌倉に下向した際に従い関東に入った。三橋一族は関東で争乱が相次いだため鎌倉から大石氏八王子城滝山城沢山城と遷っていった。その後三橋新右衛門が北条氏照に永世帰農を請願、認可される。三橋一族は原野を開墾したのではないかとされている。[3]

鎌倉時代頃より鎌倉街道が通っていたが、江戸時代半ば頃までは鎌倉時代に宿の置かれた本町田が中心で、この地域は農地や原野が広がっていた。江戸時代後期頃、八王子から横浜へ生糸を運ぶための絹の道や、東海道大山街道の脇往還がこの地を通り物資の中継地となったため、次第に生糸取引や宿場として栄えるようになり、製糸・織物・乾物を中心とした商業も盛んに行われた。昭和に入ると、近隣地域に原町田陸軍病院原町田陸軍通信学校原町田陸軍兵器学校(いずれも原町田と冠しているが所在地は相模原市)や陸軍士官学校(座間市)が移転し、1942年綾瀬市大和市にまたがる厚木飛行場が完成すると、軍人や軍属の住民が周辺地域に増加し、原町田周辺がより発展することとなった。第二次世界大戦時は陸軍関係の学校や病院は相模大野周辺に多かったものの、軍需工場が少なかったためか空襲の被害は少なかった。

地名の由来

町田村(現在の本町田)の近隣の野を開拓した村であったことから。

沿革

  • 1582年天正10年)
    • 三橋新右衛門の開基により八王子の極楽寺の末寺として勝楽寺が現在地に創建される。
    • 当時の町田村(現在の本町田)の農民が農地拡大のため近隣の原野を開拓、町田村から分村し原町田村となる。残る旧来の町田村域は本町田村に改称。北条氏照に市開設が認可され、この年から定期市が開催される(六齋市)。
  • 1627年寛永4年) - 原町田村及び周辺地域が駿府藩徳川忠長領となる。
  • 1631年頃(寛永8年) - 旗本高木領となる。
  • 1698年元禄11年) - 旗本田中領となる。
  • 享保年間 - 1村1知行主の旗本領となる。
  • 1863年文久2年) - 米価が高騰、治安が悪化し原町田村で農兵隊が結成される。
  • 1868年慶応4年、明治元年) - 原町田村が武蔵知県事に属す。その後同年末までに東京府となるものの、多摩地域が横浜に居住する外国人の遊歩区域であるという神奈川県知事陸奥宗光の上申により神奈川県に移管される。
  • 1873年(明治6年) - 区番組制により8区2番となる。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により、南多摩郡に属する。
  • 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により原町田村・本町田村・森野村・南大谷村・金井村が5か村連合となる。連合戸長役場は原町田村に置かれる。
  • 1888年(明治21年)11月 - 神奈川県会議員初代議長である石坂昌孝らが民権政社融貫社を設立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 原町田村・本町田村・森野村・南大谷村が合併し町田村となる。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 多摩郡域が神奈川県から東京府に移管される。
  • 1908年(明治41年)9月23日 - 横浜鉄道東神奈川駅 - 八王子駅間が開業。原町田駅を開設。
  • 1913年大正2年)4月1日 - 町田村が町制施行し町田町となる。
  • 1927年昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道が開業。新原町田駅を開設。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 町田町が南村と合併する。
  • 1958年(昭和33年)2月1日 - 町田町が鶴川村堺村忠生村と対等合併、市制施行し町田市となる。その後、町田市が首都圏衛星都市に指定され、市内各所に大規模集合住宅が次々と建設されると、原町田地区に大型デパートなどが進出し商業地として急速に発展を始める。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1976年(昭和51年)
    • 4月11日 - 小田急電鉄が新原町田駅を町田駅に改称。
    • 9月23日 - 小田急電鉄町田駅ビル完成、小田急百貨店町田店開業。
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 横浜線原町田駅が駅前の再開発に伴い、小田急線の町田駅側に移転。町田駅に改称。
  • 1983年(昭和58年)10月31日 - 横浜線町田駅ターミナルプラザ開業。ターミナル口の使用開始。
  • 2002年平成14年)11月8日 - 都市計画道路 町田3・4・11号線(現・原町田大通り)の町田駅前通り~原町田中央通り間が開通[4]

六齋市

1583年(天正11年)前後に原町田村が町田村から分村した後、六齋市開催の権利を得たとして市を開いたが、それまで市を開催していた本町田村(旧来の町田村)側も権利を主張し市開催を1584年天正12年)前後から再び行なうようになった。両村は互いに譲らず紛糾し訴訟にまで発展、1587年(天正15年)北条氏が裁定し三斎市をお互いに開催することとなった。この市は明治時代に入ると六齋市に戻り、以後は絹の道の中継地となっていた原町田で行われるようになった。通称、「二六の市」と呼ばれ月6回開かれていた。 1767年明和4年)の「原町田村絵図」には市が開かれると浄運寺から勝楽寺門前(約500メートル)に店が並んでいたとされている。

交通

JR町田駅北口
町田バスセンター

鉄道

横浜線小田急小田原線町田駅

バス

主に神奈川中央交通により運行されている。小田急線・JR横浜線町田駅最寄の停留所は町田バスセンターである。

道路・橋梁

原町田大通り

施設

町田市立中央図書館
町田市立国際版画美術館
町田市立芹ヶ谷公園
勝楽寺
町田天満宮

町田駅周辺部の詳細については

行政
教育
警察
商業
ホテル結婚式場
  • ホテル ザ・エルシィ町田
  • ビジネスイン サンホテル
  • ホテル新宿屋
  • フレックステイイン町田(旧ウィークリーマンション町田)
郵便局
  • 町田駅前郵便局(旧ぱ・る・るプラザ町田内郵便局)
  • 原町田六郵便局
  • 原町田郵便局
金融機関
公園
寺院神社

脚注

  1. ^ 町丁別世帯数・人口表|町田市
  2. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  3. ^ 「「原町田村古地図」と「原町田宿ノ道巾10間」の検証」『地図中心』第447号、財団法人日本地図センター、2009年12月、pp. 32-35。 
  4. ^ 都市計画道路3・4・11号線が開通|町田市

参考文献

外部リンク

座標: 北緯35度32分31秒 東経139度26分44秒 / 北緯35.54194度 東経139.44556度 / 35.54194; 139.44556