野津田町

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野津田町
町田GIONスタジアム
野津田町の位置(多摩地域内)
野津田町
野津田町
野津田町の位置
北緯35度35分18.19秒 東経139度27分1.25秒 / 北緯35.5883861度 東経139.4503472度 / 35.5883861; 139.4503472
日本の旗 日本
都道府県 東京都
市町村 町田市
地域 鶴川地域
面積
 • 合計 3.044 km2
人口
(2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
 • 合計 10,273人
 • 密度 3,400人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
195-0063[3]
市外局番 042 (相模原MA)[4]
ナンバープレート 多摩

野津田町(のづたまち)は、東京都町田市町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は195-0063[3]

地理[編集]

町田市の中北部に位置する。東西に鶴見川が流れ、北東の町境には小野路川が流れる。北部と南東部と南西部は丘陵地帯となっている。

主に参道橋以西の鶴見川周辺と、薬師池公園の西で七国山の北と、野津田公園の東で綾部原トンネルの上辺りには畑が多く残っている。

東部は金井町の一部と薬師台、南部は本町田、西部と南西部は山崎町、北西部は図師町、北部は小野路町、北東部は大蔵町と接する。

河川[編集]

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、野津田町字綾部1314番14の地点で10万9000円/m2となっている。[5]

歴史[編集]

武蔵国都筑郡余戸郷に属し、その後、多摩郡小山田庄に属し、その後、多摩郡柚木領に属した。「野津田郷」とも呼ばれた。村の広さは東西28町、南北20町[6][7]

鶴見川、小野路川、薬師池(福王寺溜池)、その他用水路により、比較的多くの水田や畑があった。

江戸時代に、野津田村は最初、捉飼場(鷹を訓養する場所)になったが、後に留場(放鷹の地で水鳥などを生息、繁殖させるため漁猟禁止地域)に組み込まれた。その後、金沢藩前田家の鷹場になった。

南部にあった多くの山林は長い間開発されなかったが、昭和の後期から宅地化が進んだ。

地名の由来[編集]

蔦(ツタ)が茂っていたことに由来し「野蔦」と呼ばれた[6]

沿革[編集]

  • 1577年天正5年) - ため池(現在の薬師池)の工事開始。
  • 1590年(天正18年) - ため池完成。徳川家康の領地になる。
  • 1615年元和元年) - 設楽長兵衛乗業が代官になる。
  • 1625年寛永2年) - 今井九右衛門昌安・忠昌が代官になる。
  • 1658年万治元年) - 中川八郎左衛門某代官になる。
  • 1683年天和3年) - 池田新兵衛重富が代官になる。
  • 1684年貞享元年) - 八木仁兵衛長信が代官になる。
  • 1689年元禄2年) - 西山八兵衛昌親が代官になる。
  • 1692年(元禄5年) - 古郡文右衛年明が代官になる。
  • 1698年(元禄11年) - 竹村惣右衛嘉躬が代官になる。
  • 1700年(元禄13年) - 関東郡代 伊那半左衛門忠順の管轄。
  • 1704年宝永元年) - 旗本 多賀主税高国の知行地。
  • 1707年(宝永4年) - 富士山の噴火でため池が泥砂で埋まった。(3年間かけて泥砂をさらった。)
  • 1716年享保元年) - 多賀氏の失脚により再度幕府の直轄地。
  • 1721年(享保6年) - 一部が旗本 富田甲斐守知郷の知行地と幕府の直轄地に分かれる。支配が分かれても一村としてのまとまりを守ることを村内で確認。その後、残りの幕府の直轄地の一部が旗本 山口安房守直重の知行地。
  • 1722年(享保7年) - 残りの幕府の直轄地の一部が旗本 由比長兵衛邑の知行地。
  • 1728年(享保13年) - びゃく打ち(土砂崩れ)による大被害。広南(現在のベトナム)から2頭のが渡来し、翌年、将軍吉宗の上覧を受けた。(象は1741年(寛保元年)に中野村百姓原助らに払い下げられた。)
  • 1733年(享保18年) - 残りの幕府の直轄地が旗本 高井兵部少輔信房の知行地。以後、幕末まで旗本4家による支配が続く。
  • 1817年文化14年) - ため池が再び泥砂で埋った。(その後、再び掘り直した。)
  • 1868年慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事の管轄となり、その後東京府、さらに神奈川県に移管される。
  • 1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
  • 1873年(明治6年) - 区番組制により第八区四番組となる。
  • 1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区一小区となる。
  • 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
  • 1889年(明治22年) - 野津田村と小野路村・金井村・大蔵村・真光寺村・広袴村・能ヶ谷村・三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
  • 1893年(明治26年) - 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
  • 1943年昭和18年) - 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
  • 1958年(昭和33年) - 町田町、鶴川村、忠生村堺村が合併し、町田市野津田町となる。
  • 1975年(昭和50年)12月26日 - 東京都により七国山緑地が「七国山緑地保全地域」に指定。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 薬師池公園が開園。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月1日 - 野津田町と金井町のそれぞれ一部より薬師台一〜三丁目を新設。
    • 11月3日 - 町田市立自由民権資料館が開館[8]
  • 1990年平成2年)10月1日 - 野津田公園が開園。
  • 1996年(平成8年)2月29日 - 東京都より「町田関ノ上緑地保全地域」に指定。
  • 1998年(平成10年)10月27日 - 東京都より「町田民権の森緑地保全地域」に指定。
  • 2005年(平成17年)3月26日 - 綾部原トンネルが開通する[9]

世帯数と人口[編集]

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
野津田町 4,068世帯 10,273人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]

番地 小学校 中学校
1~2465番地、2467~2487番地、2490~3071番地
3079~3095番地、3143番地の2~7、3145~3146番地
3148~3161番地、3165~3170番地、3174~3178番地
3191番地、3230番地、3474~3475番地
3477~3479番地、3483~3487番地、3494~3542番地
3570~3573番地、3576~3578番地、3581~3583番地
3602番地
町田市立鶴川第一小学校 町田市立鶴川中学校
2466番地、2488~2489番地、3074~3078番地
3096番地~3143番地の1、3144番地、3147番地
3162~3164番地、3171~3173番地、3179~3190番地
3192~3226番地、3237~3473番地、3476番地
3480~3482番地、3488~3493番地
町田市立藤の台小学校 町田市立薬師中学校

交通[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

モノレール計画[編集]

2022年1月28日、多摩都市モノレールの町田方面への延伸に関し、野津田町西部の野津田高校町田市立陸上競技場の近辺を通過するルートが選定されたことが東京都より発表された[11]

施設[編集]

町田市立自由民権資料館
文化
教育
商業
警察
公園緑地
毎年、参道橋付近で行われていた「鶴見川・泳げ鯉のぼり」
町田市立薬師池公園
  • 南部
    • 町田市立薬師池公園日本の歴史公園100選
      • 薬師池 (福王寺溜池)
      • 大賀ハス田
      • 萬葉草花園
      • 椿園
      • 旧永井家住居 (国の重要文化財)
      • 旧荻野家住居 (東京都指定有形文化財)
    • 東京都七国山緑地保全地域
    • 東京都町田民権の森緑地保全地域
      • 町田ぼたん園(民権の森公園)
寺院神社
福王寺薬師堂

出典[編集]

  1. ^ 土地・気象 【町田市統計書 第50号2016(平成28)年度発行】”. 町田市 (2017年3月21日). 2018年1月21日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口表”. 町田市 (2018年1月15日). 2018年1月21日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月21日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月21日閲覧。
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  6. ^ a b 森山兼光 『町田郷土誌』 1996年6月(久美堂)
  7. ^ 『町田の郷土史Ⅰ、第6回 『野津田村年代記』 を手がかりに』, 2002年
  8. ^ 町田の教育2015 4.生涯学習町田市
  9. ^ 多摩ニュータウンタイムズ 鎌倉街道 綾部原トンネル開通
  10. ^ 市立小・中学校の通学区域”. まちだ子育てサイト(町田市) (2018年4月1日). 2018年4月1日閲覧。
  11. ^ 多摩都市モノレール町田方面延伸 ルート検討委員会”. 東京都都市整備局 (2022年1月28日). 2022年2月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]