九州南西海域工作船事件

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九州南西海域工作船事件
2001年12月22日
場所東シナ海九州南西海域
結果 工作船の沈没
衝突した勢力
日本の旗 日本
巡視船4
P-3C哨戒機など
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
工作船1
被害者数
負傷3 工作船1沈没
死亡8
他、不明

九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に発生した不審船追跡事件のひとつ。不審船は巡視船と交戦の末、自爆自沈している。後の調査により北朝鮮工作船であった事が確定し工作船事件に呼称を変えた。

概要

1999年(平成11年)3月23日に、能登半島沖不審船事件が発生、日本近海で北朝鮮による工作船が暗躍している可能性が認められていた。

この事件における最初の不審船の情報は、2001年(平成13年)12月18日に在日アメリカ軍から情報を受け取った防衛庁(当時)により海上保安庁へと伝達された。海上保安庁はこの情報を元に東シナ海公海上で「長漁3705」と記された漁船のような外観の国籍不明船を発見し、「排他的経済水域(以下EEZと略)内において、漁船型船舶『長漁3705』の乗組員が『排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律 第5条第1項』の規定に違反する無許可漁業等を行っている疑いがあった」[1]として、漁業法に基づいて停船を命令、巡視船による立ち入り検査を試みたが、当該不審船(工作船)はこれを無視して逃走した。

これを受けて巡視船は漁業法違反(立入検査忌避)容疑で強制捜査を行うために上空や海面への威嚇射撃を行ったが、なおも不審船が逃走を続けたため、警告を発した後に警察官職務執行法を準用した海上保安庁法に基づいて機関砲による船体砲撃を行った。命中弾は不審船の燃料へ引火して火災を引き起こしたが、不審船(工作船)乗員が消火器毛布などで消火した。

海上が暗くなってから巡視船が不審船に強行接舷を試みたところ、不審船の乗員が巡視船に対して突如機関砲や小火器対戦車ロケット弾による攻撃を開始した。これを受けて巡視船側も正当防衛射撃で応射し、激しい銃撃戦が繰り広げられた。22日深夜になって当該不審船は自爆と見られる爆発を起こし、そのまま沈没した。この銃撃戦で日本側は海上保安官3名が銃弾を浴びて負傷し、不審船側は10名以上とされる乗組員全員が死亡したものと推定されている(8名の死亡のみ確認)。

事件発生直後は「九州南西海域不審船事件」等と呼称されていたが、沈没した不審船を海底から引き上げた結果、北朝鮮の工作船であることが判明し、その後は「九州南西海域工作船事件」と呼称されている。

事件の経過

米軍情報と不審電波

2001年(平成13年)12月18日頃に米軍から不審船に関する情報が防衛庁(当時)に提供され、それを受けて各通信所北朝鮮に関する無線の傍受を指示、翌12月19日喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉したため、海上自衛隊機は喜界島近辺海域を哨戒した。

工作船の発見

12月21日16時32分に鹿屋航空基地所属のP-3C哨戒機が、東シナ海の九州南西海域において「長漁3705」と記された不審な船を発見した。一報は17時30分に中谷元防衛庁長官に、18時頃には内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官にも伝えられた。

防衛庁は18時30分頃に鹿屋航空基地に帰投したP-3Cが撮影した画像を解析し、対象船舶は北朝鮮の工作船の可能性が高いと判断、翌12月22日1時に防衛庁長官に「工作船の可能性が高い」との分析結果が報告され、1時10分、内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、海上保安庁に通報した。

海上保安庁と自衛隊の出動

通報を受けた海上保安庁は、これを捕捉すべく追尾することとし、十(鹿児島)・十一(那覇)管区本部の稼動可能な航空機及び巡視船艇出動させた。また、七(福岡)八(舞鶴)管区等にも警戒態勢をとった。比較的速力の速いPM型巡視船あまみ」(当時名瀬海上保安部所属)、PS型「きりしま」(当時串木野海上保安部所属)、「いなさ」(当時長崎海上保安部所属)、「みずき」(当時福岡海上保安部所属)等が現着し追尾に当たった。また大阪府に基地を置く特殊警備隊(SST)を現場に派遣したが、最寄の海保航空基地から拠点となるPLH型巡視船への隊員と大量の資器材空輸に手間取り、実際には間に合わなかったとされている。これを教訓によりSST空輸を主たる任務とする固定翼機サーブ340B2機と海保内では一番大型のヘリコプターユーロコプターEC225LP2機が関西航空保安基地に配備されることとなった。

海上自衛隊も、情報を受けて佐世保地方隊の一部に緊急出航を命じた。11時20分に佐世保基地から護衛艦こんごう」「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を現場へ向かわせている。政府からは、海上自衛隊特別警備隊(SBU)に出動待機命令が発令された。

巡視船が現場に到着するまでの間、海上自衛隊と海上保安庁の航空機が空から不審船を追尾し、監視していた。なお不審船は発見以来、中国の上海方面に向かって西へ逃走を始めていた。

海面や空中への威嚇射撃と船体への射撃

12時48分に現場に到着した巡視船「いなさ」は、「漁業法励行」のため、船尾に国旗を掲揚していない不審船に対して停船を求めた。しかし不審船はこれを無視して逃走を続けたため、拡声器無線による多言語、旗りゅう信号発光信号汽笛等による音響信号、発炎筒による、度重なる停船命令を行った。しかし、不審船はさらに逃走を続け、この時点で「漁業法違反容疑(立ち入り検査忌避)」が成立したため、巡視船は「停船しなければ砲撃を行う」という意味の旗りゅう信号をマストに掲揚し、朝鮮語などの多言語で同様の射撃警告を行った後、逃走防止のため、「警察官職務執行法第7条」を準用した「海上保安庁法第20条1項」を遵守しながら、14時36分からRFS20mm機関砲による不審船の上空及び海面への威嚇射撃を行った。

不審船は威嚇射撃も無視して中国側EEZに向けて逃走を続ける一方、立ち入り検査と威嚇射撃を止めさせるためか、乗組員が甲板上で中国の五星紅旗のような赤い布を振って見せた。

海上保安庁法第20条の規定によれば、海上保安官は正当防衛、緊急避難、凶悪犯罪者の検挙以外には人身に対する危害射撃を行ってはならず、従来は人身に危害を加える可能性が排除できない船体射撃を行うことは控えていた、しかし本件では、本庁は「RFS付き機関砲であれば、乗員に危害を加えずに船体射撃が可能」という判断を基に船体射撃を行うことを決定した。そして、16時13分から「いなさ」が、不審船の船尾にあると推定される機関を破壊するために、警告放送の後に20mm機関砲による船尾への船体射撃を行った。

しかし、不審船は船尾に上陸用舟艇を隠すために船首部分に機関を設置していたため、不審船はなおも逃走を続けた。次に、「みずき」が「撃つぞ。船首を撃つから船首から離れろ。」との警告の後、船首への船体射撃を行った。この際、射出された曳航弾が船首の甲板のドラム缶に備蓄されていた予備の燃料に命中したことにより、不審船は出火したが、工作員によって消火器毛布を使った消火活動が行われるとともに、延焼防止のため風上に船尾を向けて後進をかけて炎を船首に追いやることで、30分で鎮火がなされた。

巡視船に取り付けられている赤外線カメラの映像で、この火災の際に不審船の左舷側から乗組員が何らかの物体を海中に投棄したのが確認されているが、物体はすぐに海中に沈んだため回収するには至らなかった。この物体は暗号表などの機密性の高いもの、あるいは覚せい剤などの違法な物品ではないかと推測されている。

21時00分に「みずき」が再び船体射撃を行ったが、装填していた20mm機関砲の弾薬がなくなったため、弾薬を再装填するために「みずき」は一時離脱した。その後も、不審船は停止と逃走再開を何度か繰り返し、低速で逃走を続けた。逃走する方角には無関係の漁船団が多数操業していることがわかり、民間人を巻き込まないためには特殊警備隊の到着を待たずして不審船を確保する必要が生じた。

不審船からの反撃と銃撃戦

22時00分、低速で逃走する不審船に対し、「いなさ」が距離を取って監視し、「あまみ」と「きりしま」が不審船(工作船)を挟撃、強行接舷を試みた。その際、不審船に乗っていた複数の武装工作員が、巡視船側から不審船側の船体へ先制攻撃してきたことに対する正当防衛・反撃として、対空機関銃ZPU-2、PK系軽機関銃及びAKS-74突撃銃による巡視船に対する銃撃を開始した。

この銃撃を受けて、巡視船には正当防衛が成立したため[要出典]、巡視船は全速力で退避しながら64式小銃と20mm機関砲を発射した。ZPU-2が使用されることはなかったが、武装工作員は自動小銃を用いて執拗に銃撃を繰り返した上、対戦車擲弾発射器RPG-7を用いて2発の対戦車擲弾(ロケット弾)を発射した。しかし、波で激しく船体が揺れており、視界不良もあって命中しなかった。このロケット弾発射の様子は、上空を飛ぶ海上保安庁機の採証装置(赤外線カメラ)に映像として記録された。「あまみ」から撮影していたビデオ映像にも、画面は真っ暗だったが、飛翔物体が「あまみ」の上を通過した音が記録されており、ロケット弾が通過した音と推定されている。防弾の施されていない「あまみ」は銃撃戦による損害が大きく、船橋を100発以上の銃弾に貫通され、3名の負傷者を出している。

武装工作員は、視界不良の中で巡視船が放つ曳光弾の光を頼りに自動小銃を発射した。日向灘不審船事件を契機に誕生し、船橋部分が防弾化されていた「きりしま」「いなさ」の損害は軽微であったが、船橋だけではなく主機(エンジン)にも被弾した「あまみ」は、3基ある主機のうち1基が停止した。

銃撃戦が長引いた理由としては、海上保安庁は警察機関の一つであり、該船の撃沈や乗員の殺傷による無力化ではなく拿捕・逮捕を目的とするため、20ミリ機関砲が持つ本来の3000発/分の発射速度を500発/分に制限しており、弾薬も、警告射撃に活用するために曳光弾は保有するが炸薬を充填した榴弾も保有していないことがあげられる。

自爆・沈没

22時13分、当該不審船は海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末、自爆による爆発炎上を起こして[1]東シナ海沖の中国EEZ内で沈没した。自爆による火柱が吹き上がるのと同時に沈没したことから、轟沈とも表現される。工作船が自爆する瞬間まで、武装工作員は巡視船にむけて自動小銃を発砲し続けた様子が映像に記録されている。沈没の直後、弾薬の補給を終えた「みずき」も現場に戻ってきた。

本件後に行われた公安当局の解析で、自爆の寸前に不審船から北朝鮮本国に「党(朝鮮労働党)よ、この子は永遠にあなたの忠臣になろう」「万歳」とのメッセージを含んだ電波が発信されたことが判明している。

朝鮮人民軍の装備は、韓国や日本と比べて急速に陳腐化が進んでいる。その代わり、北朝鮮の兵士や工作員たちには主体思想なる独自の国家概念や人生観に基づくマインドコントロールが施され、自爆テロIED(即席爆発装置)の研究をしているとみられていたが、それが本件によって裏付けられた。

事件後

漂流者の発見

23時45分、海上保安庁の巡視船と航空機は6人が漂流しているのを発見したが、武装工作員の自爆や抵抗の恐れがあったため、一切の救助行為を行えなかった。

海上保安官が救助用の浮き輪を投げたが、救助を拒否して沈んでいったという「みずき」船長の証言もある[2]

船体の引き上げ

船の科学館で展示された北朝鮮の工作船
船尾から内部を見る(2003年9月撮影)

能登半島沖不審船事件などでも海上警備行動発令を忌避してきた経緯のある自由民主党所属国会議員野中広務ら、日本国内の「親北朝鮮派」とみなされる政治家や、マスコミの一部の間では、北朝鮮に対する「配慮」と、沈没地点が中華人民共和国のEEZ内であったことから、沈没船体引き上げに対する反対意見があった。

しかし、野中と対立関係にある小泉政権は断固引き上げを前提として中華人民共和国と交渉を重ね、最終的に日中外相会談にて口上書が交わされた。これを受け、海上保安庁は捜査の一環として沈没した不審船の引き上げを実行した。なお、中華人民共和国側のEEZ内での引き上げ作業や捜査を許可した中華人民共和国に感謝して、日本政府から1億5000万円の「謝礼」が支払われた。

沈没した不審船の船体および海底に散らばった遺留品は、2002年9月11日に海中より回収され、鹿児島県の港に運び込まれ、鑑識による分析が行われた。その結果、船は北朝鮮の工作船であり、回収された遺体は北朝鮮の工作員であると断定された。遺体は被疑者としての鑑定後、北朝鮮政府が引き取らなかったことから行旅死亡人として扱われ、火葬された上で鹿児島市無縁仏の墓所に葬られた。事件としては漁業法違反と殺人未遂罪で鹿児島地検に書類招致された後に、鹿児島地検は被疑者死亡による不起訴処分としている。

船体の引き上げによって得られた成果の一つには、工作船の弱点に関する発見があった。海上保安大学校では、研究チームが船体を検分して精密な模型を制作し、様々な実験を行なったところ、波の高さが3メートルを超えた場合、不審船の速力は大幅に低下することが判明した。事件当時、工作船が悪天候の中を低速で逃走した謎は解明された。

工作・犯罪関連者の検挙

警察による捜査の結果、工作船は1998年に南西諸島沖の東シナ海で暴力団に覚せい剤を売り渡し「高知県沖覚せい剤密輸事件」に関連していたことも判明した。

押収された遺留品は日本国内用の携帯電話J-PHONEプリペイド式携帯電話「J-T03」)、GPSプロッター、ポケコントランシーバー(以上は日本製)、鹿児島県枕崎市沿岸の詳細な地図、金日成バッジ等であった。当時は、携帯電話の契約者の身元を確認するシステムが甘く、契約者の特定には至らなかったが、岐阜県内の販売店で購入されたものであった。そのメモリーには、日本国内の反社会的勢力(指定暴力団)の関連者で、韓国民団に偽装在籍していた特別永住者の男性‘U‘との数十回におよぶ通話記録が残っていた。

北朝鮮工作機関による犯罪の多くは、日本で生まれ育った「土台人」と呼ばれる特別永住者の人脈を利用して行われたとされる。公安調査庁元長官の談話によれば、暴力団フロント企業等の反社会的勢力の内部には、すでに特別永住者の人脈が張り巡らされており、他方では、これらの反社会的勢力の構成員による外国人参政権の実現や日韓併合当時の戦後補償の要求、自衛隊への批判といった対日有害活動が行われていると言われている。

この事件がきっかけで「疑惑の人」となったU特別永住者は、無職者であるにもかかわらず出処不明の大金をつかんで高級クラブ通いやゴルフ等の豪遊を繰り返していたが、公安警察が彼の身辺を洗い出していくうちに、犯罪への関与が明白となった。2004年、ついにU特別永住者は、窃盗犯から8台の盗難車を購入し、北朝鮮に不正輸出しようとした罪で逮捕された。

さらに、日朝首脳会談が終わった直後の2002年10月にも事件を起こしていたことが発覚した。U特別永住者は、松山眞一ことチョ・ギュワ会長が率いる極東会および、牧野国泰ことイ・チュンソン会長が率いる松葉会に属していた暴力団幹部2人(F被告・M受刑者の両名)と結託し、漁師を脅迫して借り上げた漁船を使い、鳥取県沖の海上で北朝鮮からやってきた貨物船ツルボン1号と会合し、230kgもの覚せい剤を密輸した罪も発覚し、公安警察に再逮捕された。

U特別永住者は容疑を全面的に否認して黙秘を貫いた挙句、薬物事犯に対する最高刑である無期懲役判決を受けて下獄した。結局、U特別永住者は自らが関与した事件や、北朝鮮工作機関との関係について何も語らなかったが、現在は獄中から「無実、冤罪」を訴え続けている。密輸の共犯として、暴力団幹部2人も無期懲役判決を受けて下獄したが、F被告は控訴審の公判中にを患って千葉県の病院に入院したところ脱走し、それから約1か月後に癌で病死した遺体となって発見された。

工作船から発見された武装

工作船は固有の武装として連装対空機関銃を備えていたほか、多くの携行兵器が積み込んでいた事が判明した。

携行火器は北朝鮮軍の第一線にもあまり配備されていない最新鋭の物ばかりであった。RPG-7無反動砲といった対戦車兵器は、無誘導ではあったが成形炸薬弾を発射するので、巡視船に命中すればあらゆる部分の上部構造の外殻を貫通でき、爆圧や破片で設備・人員に被害を与え、巡視船を撃破できる。また、突撃銃の放つ小口径高速弾汎用機関銃が掃射する機関銃弾(フルサイズ小銃弾)は、事件当時の海上保安官に支給されていた防弾ベストを貫通して、人員を殺傷する能力があった。

対空機関銃はかつての対戦車ライフル用弾丸を使用しているため貫通力に優れ、炸薬も入っており、巡視船の上部構造に被害をもたらせる。携行対空ミサイルは5kmの射程を持つといい、チャフフレアを装備していない海保機・民間機が射程内に入れば撃墜することが可能。

北朝鮮の工作船に装備されていた2連装14.5mm対空機関銃(2003年9月撮影)

最終的に回収できた兵器は以下の通り。


工作船の保存

横浜海上防災基地の「工作船展示館」

引き揚げ直後は検証終了後スクラップ処分される予定であったが、日本船舶振興会(現:日本財団)がすべての経費を負担して東京への移送を実施。船の科学館で公開場所の無償提供を行い、2004年2月まで一般公開された。

当初は、その後の継続的な保存に必要な資金が調達できなかったことから、船の科学館での一般公開終了後にはやはりスクラップ処分される予定だったが、石原慎太郎東京都知事ら多くの人々の反対と、海上保安協会に寄せられた多くの国民による多額の寄付によって処分は中止され、同年12月10日から横浜海上防災基地内の海上保安資料館横浜館で展示され現在に至る。見学は無料。

日本に与えた影響

この事件は、日本国憲法施行後はじめての日本国による船体射撃だった。北朝鮮工作機関の犯罪行為が白日の元にさらされた事は、拉致問題に揺れる日本の世論にも大きな影響を与えた。

海上自衛隊海上警備行動こそ発動しなかったが、海保と連携して対応に当たった。一連の不審船事件は海上防衛の在り方にも一石を投じた事件であった。海上保安庁は今回の事件を教訓に、現場の海上保安官(乗組員)の生命保護のため巡視船艇の防弾化及び相手船舶を安全な距離から停船させるために高機能・長射程の機関砲の搭載、船艇の高速化、海上警備における水産庁漁業取締船との連携強化、航空機の輸送力アップ等を急速に進めることとなった。また、一部航空基地に配属が進んでいる機動救難士の発足の理由の一つとして、救急救命士資格を持った機動救難士による現場海上保安官の直接救護の目的もある。海上保安官に対しては、性能のよい防弾ベストを支給し、対テロ戦闘の訓練を行わせている。

日本財団では、この事件をきっかけとして、海上保安協会とともに海上保安庁公認の防犯ボランティア組織「海守」(うみもり)を結成し、インターネット等を通じて工作船への警戒や海の事故への注意を呼び掛けている。海守には、約6万人の会員が加入している。

批判

極少数の左派団体や和田春樹などの左派知識人[3]の中には、漁業法違反という名目での初動捜査や、まだ工作船から武力攻撃を受けていなかったにもかかわらず「先制攻撃的」に船体射撃を行ったことを、「法解釈の間違い」や「『違法』な戦闘行為」と主張している者もいる。

しかし、一定の条件下に限って、逃走と抵抗を防止をするために合理的に認められる範囲内において行う武器の使用は、「警察官職務執行法第7条」とそれを準用する旧「海上保安庁法」でも認められている[4][5]。日本のEEZ内では日本の経済的主権が認められ、不審船の逃走により国内法の「漁業法違反」(立ち入り検査忌避)が成立し[6]国連海洋法条約で追跡権が認められている[7]。「漁業法違反」に対する警察官職務執行法第7条を準用した船体射撃自体に違法性はなく、武器使用により人身に危害を加えてしまった場合の違法性阻却事由(免責)が成立しないだけである[4]

本件では、RFS付きの武器の使用により、乗員の死傷を避けた射撃が行えると判断して船体射撃を実施した[8]。また、仮に船体射撃によって乗員に危害を与えてしまっても、実際に拿捕臨検を行って乗員の状態を確認しない限り、「本当に危害を与えてしまったか」を判定する事が困難であるため、違法と判断される可能性は低い。実際に、本事件において不審船の乗員全てが自沈によって死亡しているため、「船体射撃によって乗員に危害が加えられていたかどうか」は重要視されていない。

一方、能登半島沖不審船事件を受けて改正された「海上保安庁法改正20条2項」により、対象船舶の違法行為の現認位置が日本領海内である、重大犯罪を犯す準備をしていると疑われる、等の一定の条件下に限って、危害射撃の違法性阻却事由(免責)が成立し、仮に本件の不審船の現認位置が日本領海内であったなら、船体射撃によって人身に危害を加えても違法とはならない[5]

脚注

  1. ^ a b 九州南西海域における工作船事件の全容について”. 海上保安庁 (2003年3月14日). 2010年12月22日閲覧。
  2. ^ 小森陽一『海上保安官になるには』ぺりかん社〈なるにはbooks 121〉、2004年4月。ISBN 4-8315-1077-7 
  3. ^ 和田春樹 (2002年3月7日). “意見書「『不審船』事件と日朝国交交渉の必要性」”. 2010年12月22日閲覧。
  4. ^ a b 警察官職務執行法第七条
  5. ^ a b 海上保安庁法第二十条
  6. ^ 漁業法第百四十一条
  7. ^ 国連海洋法条約 第111条
  8. ^ 「北朝鮮工作船がわかる本」海上治安研究会(成山堂書店)

関連項目

外部リンク