リベラル・アーツ
リベラル・アーツ(英: liberal arts)とは、
- 伝統的に、古代ギリシャ・ローマに理念的な源流を有し、欧州の大学制度において中世以降から19世紀後半~20世紀まで[注釈 1]、「人が身につけなければならない学芸(学術・技芸)の基本」と見なされていた自由七科・自由学芸のこと。具体的には、文法学・修辞学・論理学の三学(トリウィウム)、および算術・幾何学・天文学[注釈 2]・音楽[注釈 3]の四科(クワドリウィウム)のことである。
- 現代では、「学士課程において、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野 (disciplines) を横断的に教育・研究する科目群・プログラム」に与えられることが多い名称である。具体的な教育・研究内容に関しては「リベラル・アーツ・カレッジ」「教養学部」を参照のこと。
本項では両方について述べる。
概説
リベラル・アーツの起源は、人間が自由人(兵役義務などを負う市民)と非自由人(奴隷)とに分けられていた古代ギリシャ・ローマでの、「自由人にふさわしい学芸[1]」である。これを理念的な源流として、中世欧州の大学においては七つの基礎的な学芸を指した。
欧米、とくにアメリカ合衆国では、おもに専門職大学院に進学するための基礎教育としての性格も帯びているともされている。
なお、日本語の「藝術」という言葉はもともと、明治時代に啓蒙家の西周によってリベラル・アートの訳語として創り出された和製漢語である。
由来
「リベラル・アーツ」の由来は複雑であり、簡潔に説明するのは専門家でも困難とされる[2]。
英語の「リベラル・アーツ」(liberal arts)の語源は、ラテン語の「アルテス・リベラレス」(artes liberales)である[3]。この「アルテス・リベラレス」は、古代ギリシャ語の「エンキュクリオス・パイデイア」(ἐγκύκλιος παιδεία)に対応する[4][5][注釈 4]。また「アルテス」(単数形: アルス, ars)は、ギリシャ語の「テクネー」(τέχνη)にも対応する[7]。
古代ギリシャにおいて「パイデイア」は「教育」や「教養」[8]、「テクネー」は「技芸」や「学芸」を意味し、どちらも多義的かつ重要な語だった。傾向としては、「パイデイア」は自由人のもの、「テクネー」は職人や奴隷のもの、という意味合いがあった[9]。ただし、「テクネー」の中でも修辞学(弁論術)などは自由人のものだった[7]。
そのような背景のもと、「エンキュクリオス・パイデイア」という語は、プラトンが『国家』第7巻で説いたような、基礎諸学科を指す語として使われた[10][注釈 5]。すなわちプラトンは、体育(古代ギリシャにおける体育)やムーシケー(文芸や詩歌、古代ギリシャにおける音楽)に加えて、哲学的問答を学ぶための準備として、17、18歳までの少年時代に、算術や幾何学、天文学を学ぶ必要があると説いた[12][注釈 6]。プラトンによれば、これは職人のための学芸とは区別される、彼の哲人国家論における統治者のための学芸だった[13]。プラトンの学園アカデメイアでも、同様の基礎諸学科すなわち「エンキュクリオス・パイデイア」が学ばれた[11]。ただし、「エンキュクリオス・パイデイア」の語はヘレニズム哲学の諸派においても使われ、含まれる学科もまちまちだった[11]。
古代ローマにおいては、キケロ『発想論』や『弁論家について』[3]、セネカ『倫理書簡集』第88書簡[3][注釈 7]、ウァッロの佚書[14][注釈 8]、アウグスティヌス『秩序論』[16]など、様々な文献で[17]、「アルテス・リベラレス」や類似表現が使われた。しかしながら、古代ローマにおいても含まれる学科はまちまちだった[17]。例えばキケロ『弁論家について』第3巻127節では、エリスのヒッピアスの言葉を引く形で、「自由人にふさわしい高尚な学芸」(liberales doctrinae atque ingenuae)として、幾何学・音楽・文学・詩人の薀蓄・自然学・倫理学・政治学を挙げている[18]。またキケロはプラトンと異なり、哲学よりも修辞学を上位のものとしていた[18]。
5世紀から6世紀(古代ローマ末期・中世初期)になると、マルティアヌス・カペッラ、カッシオドルス、ボエティウスら複数の人物が、後の「自由七科」(セプテム・アルテス・リベラレス、septem artes liberales、七自由学芸)に含まれる七科を決定付けた[19]。カペッラは『フィロロギアとメルクリウスの結婚』で、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽の七学科を擬人化した。カペッラは上記のウァッロの影響を受けていた[15](ただしウァッロは七科ではなく九科としていた)[14]。カッシオドルスは『綱要』第2巻で、「アルテス・リベラレス」の語源を説明した上で、カペッラを意識しつつ同じ七科をあてた[20][21]。ボエティウスは『三位一体論』などで、カッシオドルスと同様の学芸分類を行った[21]。
8世紀から9世紀(カロリング朝ルネサンス期)になると、カール大帝の学芸振興政策により、自由七科が教育の根幹に位置づけられ[22]、アルクイン『アルス・グラマティカ(文法学)』などで自由七科が論じられた[23]。10世紀には、教皇シルウェステル2世がボエティウスの影響のもと自由七科を扱った。12世紀ルネサンス期には、シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ)が『ヘプタテウコン(七自由学芸の書)』を著した。
13世紀に大学(ストゥディウム・ゲネラーレ)が学芸の中心地になると、神学部・法学部・医学部に進む前の学芸学部(哲学部や教養学部とも)で自由七科が教えられた[24]。1215年には、教皇特使ロベール・ド・クールソンによって、自由七科の最初の体系的カリキュラムが示された[25]。
また中世初期から、「アルテス・リベラレス」と対になる「アルテス・メカニカエ」(artes mechanicae)も理論化された[26]。12世紀サン・ヴィクトルのフーゴーは『ディダスカリコン(学習論)』で、織物制作・武具製造・商業・農業・食料生産・医術・演劇の七技芸を「アルテス・メカニカエ」とした[26]。
19世紀以降は、英国のジェントルマン教育や米国のリベラル・アーツ・カレッジに、自由七科の理念が引き継がれた[27]。英米の大学ではしばしば、自由学芸を象徴する七女神の立像が、講堂(オーディトリアム)の高みにぐるりと飾られている。
内容
三学(トリウィウム)
5世紀のマルティアヌス・カペッラ『フィロロギアとメルクリウスの結婚』には、三学(トリウィウム, trivium)が暗示されているが、この言葉が使われるようになったのは、カロリング朝ルネサンス期(8世紀–9世紀)のアルクインからであり[20]、次節の「クワドリウィウム」に倣って造語された[28]。
四科(クワドリウィウム)
以下の数学的四学科を括ること自体は、プラトン『プロタゴラス』に伝えられるエリスのヒッピアスや、6-7世紀のイシドールスによって行われているが、四学科を「クワドリウィウム」(quadrivium, 四つの道)と呼ぶことは、6世紀のボエティウスに始まる[6]。
日本におけるリベラル・アーツ
日本におけるリベラル・アーツ教育
日本でのリベラル・アーツ教育における米国との大きな違いは、米国における「リベラル・アーツ・カレッジ」は学部で幅広く基礎分野を学んだのちに大学院に進学することを前提としているのに対し、日本ではリベラル・アーツを修了した学生の大学院進学率が低いという点である。 その他の点においても、日本独自の発展を見せている。日本におけるリベラル・アーツ教育は、「様々な知に触れることで、汎用的な思考力を養う[29]」を軸に、主に3タイプに分けられる[30]。
- ①遅い専門化
遅い専門化(英: late specialization)とは大学入学時には細かく専攻を決めず、基礎分野である人文科学・社会科学・自然科学を網羅的に幅広く学べる課程を据え、学びながら専攻を自分で決めていくという過程のことである。米国の「リベラル・アーツ・カレッジ(教養)→大学院(専門)」というプロセスと同じ構造である。学生にとっては、「実際に学びながら、自分の専攻を垣根なくじっくりと選ぶことができる」というメリットがある。後述の「学際系」の分野も専攻の対象に含まれる。東京大学教養学部や国際基督教大学が、人文科学・社会科学・自然科学を網羅しており、この形式を採っている。 - ②学際系
日本で生まれている独自のリベラル・アーツ教育。専門分野を持ちながらも、複数の学術分野を横断した教育が行われる。主に以下の2パターンに大別される。- 一つのテーマを複合的な学術的視点から考察する
政策学や環境学、メディア学や人間科学など単一の学術分野では対応できないテーマを扱う場合が多い。 教養学部の名前を冠さず、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス (SFC) をはじめとした総合政策学部・国際関係学部・外国語学部・観光学部・ゼロ免課程(教育学部)・危機管理学部・社会科学部などで行われている。 - 一つの専門領域を深く学びつつ、それを支える複数の学術領域も学ぶ
学部の専門教育と並行して、「リベラル・アーツ」プログラムが設置されているケース(獨協大学[31]、上智大学、東京女子大学の「全学共通カリキュラム」)。「副専攻制度・ダブルメジャー制度」などを採用しているケースも見られる(早稲田大学、上智大学[32]、国際基督教大学、獨協大学、大手前大学など)
- 一つのテーマを複合的な学術的視点から考察する
- ③4年間を通じて国際教養教育のみを行うケース
2000年以降に設置された国際教養学部がこの形式である(早稲田大学、国際教養大学、法政大学など)。自然科学や数学といった理系分野の専攻は設置されず、これら分野の講義があったとしても、概論レベル止まりであることが多い。国際性が正面切って出されており、学生からも「広く浅くは学べたが、あまりに浅すぎた」「教授達が力を出しきれていない」「(経済学など一つの分野において)段階的、体系的に学べるようになっていないので、初級・中級・上級もレベルの差がない」「広く浅すぎて結局何を勉強したのか分からない」「本来、米国で大学院進学を前提に作られているのに、日本では大学院に進学せずに行き止まり。無理がある」など、専門性の弱さを指摘する声もある[33]。
歴史
数学者であり複数の大学で学長を務めた大口邦雄は著書『リベラル・アーツとは何か——その歴史的系譜』[34]で、東京大学教養学部と国際基督教大学 (ICU) 教養学部を日本におけるリベラル・アーツ教育機関の代表としてあげている。
前者の東京大学は、第二次世界大戦前の旧制高等学校の伝統を受け継ぐものである。旧制高等学校は戦後になって4年制大学に改組されると、多くの大学において教養部(一般教育課程・教養課程)がリベラル・アーツ教育の役目を担ってきた。しかし東京大学においては、教養部ではなく教養学部を独立した学部として設置した点で特徴的である。
後者のICUは米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後作られたものであり、人文科学・社会科学・自然科学の3領域を網羅し、専攻を自分で選ぶ教育を少人数で行う点、そして米国リベラル教育学会の認定を受けるなど世界基準の教育を行う点で、旧来の日本の大学とは一線を画すものとなった。リベラル・アーツ教育と国際性の2つを特徴とするICUの教育システムは、その後多くの大学にも引き継がれるようになる。
また旧制高等学校からの歴史を持つ大学群に関して事例を挙げると、浦和高等学校を継ぐ埼玉大学は当初設置の文理学部を1965年に教養学部へと改組した[35]。このほかの旧制高等学校からの歴史を持つ大学はその教養部を学際系学部に改組してきている。京都大学総合人間学部(第三高等学校)、名古屋大学情報学部(第八高等学校)、広島大学総合科学部(広島高等学校)などをはじめ、学際系学部として独立している。
加えて、師範学校を前身とする国立の教育大学はGHQの指示で米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後に設立された大学である。これらの大学は、人文科学、社会科学、自然科学および芸術の専攻からなる少人数教育を行なっており、1970年前後に国の方針で教育大学教育学部に改組する以前はリベラル・アーツの訳語である自由学芸から引いた学芸大学学芸学部という名称であった。なお東京学芸大学は教養系を、大阪教育大学は教養学科を設置し、現代的なリベラル・アーツ教育を行なっている。同様に、リベラル・アーツ・カレッジに範をとった津田塾大学は現在も学芸学部という名称を使用している。
21世紀に入ってからは社会科学・人文科学専攻とその周辺の学際領域専攻やビジネス専攻に限定した国際教養学部等の設置が目立ち、その事例として早稲田大学での学部設置や、公立大学法人の国際教養大学の設立が挙げられる。本来は人文科学・社会科学・自然科学の3領域の基礎分野すべてを網羅するのが現代のリベラル・アーツの基本であるが、日本においては戦前の旧制高等学校の「文科と理科」及び戦後の高等学校の「文系と理系」の分類が先行し、「リベラル・アーツ」を掲げつつもいわゆる文系分野が主たる領域となって3領域すべてをカバーしない(例えば、ビジネス専攻と社会科学系・国際系の学際領域専攻のみに限定され、芸術学や宗教学や数学や物理学などの専攻ができず、また教育職員免許状は英語しか取得できない)など、専攻可能な分野に偏りがある場合もある。特に自然科学については専攻として一切設けられていないことが多い。
上記のように、旧来の一般教育・教養課程を改組することでリベラル・アーツ教育(もしくはリベラルアーツと直接の関わりを必ずしも明示しない学際教育)を担う学部・プログラムを設置する大学が少なくない。その豊かな教員構成を活用して、これらから敷衍されうる分野も扱われるようになった。この他、全学での単位互換を行うといった制度への取り組みも挙げられる。
なお一部で「教養学」という言葉を、学術の体系化されたいち分野として用いることがある[1][2][3]が、「教養学」という名称を「学術の一分野」として用いた学術団体は2012年時点で存在していない。例として2011年に設立された学術団体であるJAILA(日本国際教養学会)を挙げると、同会は会則で「学際的立場」を基礎としており、「学際的な学会」として研究活動を「哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、教育、外国語、環境など」[4]の多方面に広げている点を示しているのみである。
リベラルアーツ教育を行う大学
教養学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学
- 東京大学(駒場キャンパス)
- 国際基督教大学(ICU)
- 埼玉大学(文理学部からの改組)
- 東海大学
- 東北学院大学
- 放送大学(放送大学学園法に基づく特別な学校法人)
- 都留文科大学(文学部初等教育学科及び社会学科からの改組)
国際系学部等でリベラル・アーツ教育を行う大学
- 早稲田大学国際教養学部
- 国際教養大学国際教養学部(AIU)
- 上智大学国際教養学部(比較文化学部を改組)
- 千葉大学国際教養学部(2016年4月開設)
- 法政大学グローバル教養学部
- 獨協大学国際教養学部(また他学部でも「全学共通カリキュラム」として相当する教育が行われている)
- 創価大学国際教養学部
- 南山大学国際教養学部
- 中京大学国際教養学部
- 桃山学院大学国際教養学部
- 帝塚山学院大学リベラルアーツ学部
- 広島女学院大学国際教養学部
- 宮崎国際大学国際教養学部(2005年の学部改組に伴い比較文化学部より変組)
- 玉川大学リベラルアーツ学部
- 桜美林大学リベラル・アーツ学群
- 神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部[36](GLA)
- 関西外国語大学英語キャリア学部、外国語学部、英語国際学部
- 武蔵大学国際教養学部
教育学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学
理工系学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学
リベラル・アーツ教育を主体とする女子大学
- お茶の水女子大学
- 奈良女子大学
- 福岡女子大学
- 宮城学院女子大学
- 津田塾大学
- 東京女子大学
- 学習院女子大学
- 聖心女子大学
- 相模女子大学
- 同志社女子大学(英語表記はDoshisha Women's College of Liberal Arts)
- 大阪樟蔭女子大学
- 神戸女学院大学
- 福岡女学院大学
- 東洋英和女学院大学
学際教育を行う学部を持つ大学
- 群馬大学社会情報学部
- 名古屋大学情報学部(旧教養部)
- 京都大学総合人間学部(旧教養部)
- 神戸大学国際人間科学部(2017年に国際文化学部(旧教養部)と発達科学部(旧教育学部)を再編統合)
- 鳥取大学地域学部(旧教育学部)
- 岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラム
- 広島大学総合科学部(旧教養部)
- 徳島大学総合科学部(旧教育学部)
- 高知大学土佐さきがけプログラム
- 九州大学共創学部(旧21世紀プログラムを発展的に改組)
- 横浜市立大学国際教養学部
- 宮崎公立大学人文学部
- 慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部(SFC)
- 成城大学文芸学部
- 日本大学文理学部
- 多摩大学グローバルスタディーズ学部
- 札幌大学地域共創学群
- 敬和学園大学人文学部
- 名古屋文理大学情報メディア学部情報メディア学科
- 名古屋芸術大学芸術学部芸術学科芸術教養領域リベラルアーツ・コース
全学部横断型のリベラルアーツ教育プログラムを持つ大学
東京経済・岡山・高知・九州の4大学のプログラムは独立した学部ではなく、全学部が協力して教育を行う特別なコースとなっている。学生には個別の学部ではなく、プログラム独自の学生証が発行される。
リベラルアーツ教育を行う各種学校
その他
東京都八王子市にある大学セミナー・ハウスのシンボルマークは白地に緑の切り株であるが、それについている7枚の葉は自由七科を表している。
脚注
注釈
- ^ 国家・地域によって、この位置づけの変化が起きた年代は微妙に異なる。英国、フランス、ドイツそれぞれでも異なった。また、個々の大学でも異なった。
- ^ 円運動についての学術。現在の地理学にも近い。
- ^ ここでいう「音楽」の教育の範疇は、現代の音楽教育のそれとは異なる。
- ^ 「エンキュクリオス」は形容詞で、「輪の中で」「円形の」そこから転じて「通常の」「日常的な」「一般におこなわれている」を意味する[6]。
- ^ クセノクラテスに関する断片などからの推測による[11]。
- ^ プラトン自身は、立方体(3次元)に関する研究もなされるべきとするが、学術としては未開拓のまま残されているとして具体的な科目を挙げていない。
- ^ 「アルテス・リベラレス」が「エンキュクリオス・パイデイア」と対応づけられるのも、このセネカの書簡に由来する[4]。
- ^ 12世紀シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ)の『ヘプタテウコン』(七自由学芸の書)で報告される[15]。
出典
- ^ 半田 2010, p. 38.
- ^ 菱刈 2010, p. 37.
- ^ a b c 鈴木 2019, p. 35.
- ^ a b 納富 2014, p. 72.
- ^ 小林 2007, p. 7.
- ^ a b 小林 2007, p. 4.
- ^ a b 菱刈 2010, p. 31.
- ^ 山田 2008, p. 218.
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- ^ 山田 2008, p. 218f.
- ^ a b c 納富 2014, p. 70f.
- ^ 『国家』7巻
- ^ 『国家(下)』(岩波書店)藤沢令夫の訳
- ^ a b 小林 2007, p. 6.
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- ^ a b 小林 2007, p. 10.
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- ^ アルクイヌス著、山崎裕子訳 1992.
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- ^ a b 斎藤 1995, p. 11.
- ^ 山田 2008, p. 217.
- ^ Marrou, Henri-Irénée (1969). "Les arts libéraux dans l'Antiquité classique". pp. 6–27 in Arts libéraux et philosophie au Moyen Âge. Paris: Vrin; Montréal: Institut d'études médiévales). pp. 18–19.
- ^ 国際基督教大学 特設サイト「what's liberal arts」より
- ^ 『大学Times』Vol.2、2011年7月
- ^ 外国語学部、経済学部、法学部
- ^ 文学部横断プログラム、および外国語学部
- ^ 早稲田大学 土屋礼子ゼミジャーナル「リベラルアーツの魅力は何か」より
- ^ 大口 2014.
- ^ “埼玉大学の沿革”. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月25日閲覧。
- ^ “グローバル・リベラルアーツ学部 | 神田外語大学”. 神田外語大学 - 外国語を学ぶなら. 2021年2月4日閲覧。
参考文献
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- カッシオドルス著、田子多津子訳「綱要」『中世思想原典集成 第5巻 後期ラテン教父』上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社、1993年 ISBN 978-4582734157
- シャルトルのティエリ著、井澤清訳「ヘプタテウコン(七自由学芸の書)」『中世思想原典集成 第8巻 シャルトル学派』上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社、2002年 ISBN 978-4582734188
- 赤坂真人「大学における教養教育の意義」『吉備国際大学研究紀要(人文・社会科学系)』第31号、吉備国際大学、77-90頁、2021年 。
- 大口邦雄『リベラル・アーツとは何か その歴史的系譜』さんこう社、2014年。ISBN 978-4902386646。
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- 斎藤稔「人文学としてのアルス(芸術)」『藝術研究』第8号、広島芸術学会、1-22頁、1995年 。
- 鈴木円「セネカの書簡88におけるリベラル・アーツ批判」『昭和女子大学現代教育研究所紀要』第5号、昭和女子大学現代教育研究所、35-44頁、2019年 。
- 半田智久「セブンリベラルアーツとはどこから来た何ものか」『お茶の水女子大学人文科学研究』第6号、お茶の水女子大学、149-160頁、2010年 。
- 納富信留「〈提題〉古代ギリシア・ローマにおける「自由学芸」の教育」『中世思想研究』第56号、中世哲学会、70-79頁、2014年 。
- 菱刈晃夫「メランヒトン以前・以後のリベラル・アーツ」『初等教育論集』第11号、国士舘大学初等教育学会、30-60頁、2010年 。
- 山川明子「アウグスティヌスにおけるリベラル・アーツ観」『人間文化論叢』第8号、お茶の水女子大学、135-143頁、2005年 。
- 山田耕太「ギリシア・ローマ時代のパイデイアと修辞学の教育」『敬和学園大学研究紀要』第17号、敬和学園大学、217-231頁、2008年 。