B.J.アップトン

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メルビン・アップトン・ジュニア
Melvin Upton Jr.
サンディエゴ・パドレス #2
アトランタ・ブレーブス時代
(2013年4月17日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 バージニア州ノーフォーク
生年月日 (1984-08-21) 1984年8月21日(39歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目(全体2位)
初出場 2004年8月2日
年俸 $13,050,000(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

メルビン・エマニュエル・アップトン(Melvin Emanuel Upton, 1984年8月21日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州ノーフォーク出身のプロ野球選手(外野手)。現在は、MLBサンディエゴ・パドレスに所属している。

2015年2月にB.J.アップトン(B.J. Upton)から登録名を変更した[2]。メディアによっては、姓をアプトンと表記するところもある。ニックネームは「B.J.」。

3歳年下の弟ジャスティン・アップトンは、2005年ドラフト全体1位でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。ドラフトの順位という点では、過去最高の兄弟となる。

経歴

アマチュア時代

父マニーは学生時代に野球バスケットボールのプレー経験があり、2008年現在はNCAAのバスケット審判員を務め、母イボンヌは若い頃はソフトボールに打ち込み、中学校と高等学校で体育教師をしていたというスポーツ一家に生を受ける。B.J.とジャスティンは少年時代から「教会へ行き礼拝をさせ、勉強をしなければスポーツもさせない」と言う厳格な教育方針の下、規律正しく育てられた。二人の兄弟は幼い頃から競い合い、毎日のように自宅の庭でプレーしていたが、性格は対照的で、活発なジャスティンに対してB.J.は比較的大人しい子だったと言う。また、長じてからの身体を見比べてもジャスティンは堂々たる体躯を誇るが、B.J.は「アルフォンソ・ソリアーノに良く似ている」と言われるほどスリムで、この点も対照的である[3][4][5]

グリーンブライア・クリスチャン・アカデミー在学時の成績は、56試合に出場して打率.645(45四球に対して三振数はわずかに4)、24本塁打、83打点、68盗塁(盗塁死0)[6]2001年は全米高校2ndチームに(当時は内野手として)選抜され、翌2002年は同代表チームに選抜される。同年6月4日、タンパベイ・デビルレイズから1巡目(全体2番目)でドラフト指名を受け、この時は「いずれバリー・ラーキンデレク・ジーターアレックス・ロドリゲスと並び賞されるであろう」との高評を得た[7]。しかし、アップトンが高額を希望したため交渉は難航。結局、9月16日に460万ドルで契約成立となったが、既にシーズンは閉幕を迎えており、プロ・デビューは翌年春に持ち越しとなった[7]

デビルレイズ・レイズ時代

2003年マイナーリーグ(A級とAA級通算)で130試合に出場し、打率.297、8本塁打、62打点、出塁率.388、OPS.819、40盗塁を記録、サウスアトランティック・リーグのオールスターに出場した他、レイズ内のマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞。遊撃手として56個もの失策を犯したが、同リーグ監督選のベスト・ベースランナーとベスト・インフィールド・アーム、No.1有望株の3部門に選定[8]

2004年は、ベースボール・アメリカ誌の「野球界の有望な選手」として2位にランクされ[9]、AAとAAA級通算で98試合に出場して打率.315、14本塁打、51打点、出塁率.406、OPS.911、20盗塁と着実に成長を遂げる。守備では35失策を記録したものの、同誌が選ぶマイナーリーグ・オールスター代表チームに選出。8月1日、メジャー初昇格。翌2日、対ボストン・レッドソックス戦において9番・指名打者スタメン起用され、ティム・ウェイクフィールドからキャリア初安打となる右前安打を放つなど、3打数1安打1四球2出塁1得点の好結果でデビュー戦を飾った。19歳でのメジャー・デビューは球団史上最年少であり、ルー・ピネラ監督をして「A-RODの再来」[10]と言わしめた。

2005年はメジャー未出場に終わったものの、AAAで139試合に出場、打率.303、出塁率.392、OPS.882、44盗塁の好成績を挙げ、7月10日にはフューチャーズゲームに出場[8]。53個もの失策を犯したが、ベースボール・アメリカ誌選のマイナーリーグ・オールスター2ndチームにも選出され[11]インターナショナルリーグのモスト・エキサイティング・プレーヤーに選定される[8]

2006年はAAAで106試合に出場して出塁率.374、46盗塁(両リーグ最多)。33失策も記録したが、7月12日にはインターナショナルリーグのオールスターに出場。マイナーでは遊撃手であったが、8月1日にメジャー再昇格を果たしてからは三塁手コンバート。20日と22日に左肩を故障したこともあり[12]、結果を残せずに終わったが、50試合に出場して経験を積んだ。

2007年はシーズン開幕戦から9番打者として先発出場を果たし、ポジションは岩村明憲の加入もあってセカンドを守ることになった。5月27日と6月5日にはキャリアハイとなる1試合4安打を放ったが[13][14]、6月8日の試合で走塁中に左足を痛めて[15]約1か月間戦線離脱。7月13日に復帰してからは、「B.J.は攻撃に専念させたい」との球団フロントの意向によって中堅手にコンバート[4]。復帰後間もない15-21日にかけて6試合中4試合で3安打を放ち、特に20日には自身初の1試合2本塁打を叩いた。この活躍により、プレーヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞(16-22日の週)。8月22日は松坂大輔から決勝点となる2点本塁打をライトスタンドに叩き込み、24日からは4番に定着[13][14]。故障に見舞われたものの、初めて規定打席をクリアし、23歳以下ではMLB史上5人目[16]となる打率3割、20本塁打、20盗塁を達成。ボールの見極めが上達し[17]、更に長打率はリーグ9位、OPSは同10位、外野補殺数は同6位[18]とブレイク、飛躍のシーズンとなった。

2008年は開幕当初は4番に座っていたが、4月16日からは3番を、7月20日からは2番を務めた[19]。8月以降は3度も怠慢プレーを理由にベンチに下げられる失態を演じ[20]、9月には左足負傷により10試合休場したものの[12]、シーズン通算では自己最多の145試合に出場した上、リーグ2位の盗塁数(44)と補殺数(16[21])とレンジ・ファクター(2.84[22])、同4位の四球数(97)、同7位の出塁率(.383)をマーク。身体能力と出塁能力、両面において高いパフォーマンスを発揮した[23]ポストシーズンでは16試合に出場して66打数19安打、打率.288、7本塁打、16打点、出塁率.333、長打率.652、6盗塁。ポストシーズンにおける単年7本塁打はアメリカンリーグのタイ記録であり、球団史上初となるリーグ制覇の原動力になった[24]ワールドシリーズでは1勝4敗でフィラデルフィア・フィリーズに敗北したが、レイズの24盗塁はそれまでの21盗塁を塗り替えるポストシーズン新記録となった[24]。シーズン終了後の11月11日に左肩の手術を受けている[25]

フォロースルーを取るB.J.アップトン、2007年

2009年は、開幕から一週間遅れの4月13日(対ヤンキース戦)から戦列に復帰し、打順は1番になった。そして3打数1安打3四球4出塁2盗塁2得点とインパクトを与え、「彼は一段と進歩・成長している、新しい役割に見事に順応している」とジョー・マドン監督を感心させた。マドンは更に「彼はリッキー・ヘンダーソンルー・ブロックに比肩する存在になれるかもしれない」と述べ、アップトンのリードオフとしての攻撃能力に一目置いている[26][27]。10月2日、対ニューヨーク・ヤンキース戦でサイクル安打を達成した。第1打席で走者一掃の三塁打を放つと、3回の第2打席で左中間へ二塁打。4回の第3打席では右中間へ2点本塁打。さらに5回の第4打席で右前安打を放ち、球団初のサイクル安打を達成した。8回にも左前安打を放ち、この試合5打数5安打6打点を記録した。

ブレーブス時代

2012年のオフにFAになり、11月28日にアトランタ・ブレーブスと総額約7500万ドルの5年契約を結び移籍した[28]。同年オフにジャスティンもブレーブスに移籍したため兄弟揃ってプレーすることになった。

2013年4月23日の対ロッキーズ戦(ケアーズ)の5回にホームランを放つと、つづく打者の弟ジャスティンもホームランを放ち、ポール・ウェイナーロイド・ウェイナー兄弟に続いて、メジャーで2例目の兄弟での連続ホームランを75年ぶりに記録した[29]。レギュラーシーズンでは、ジャスティンと共に打線の牽引役となる事を期待されたが、126試合の出場で打率.184・151三振を記録し、大不振に陥った。守備面では、センターで4失策を犯した。

2014年は、復活を期して臨んだシーズンだったが、2年連続で不振を極めた。2年ぶりとなる規定打席到達を果たし、同じく2年ぶりとなる3ケタ安打と2ケタ本塁打・盗塁を記録したが、打率.208・自己ワーストの173三振を喫した。守備でも不振を呈し、7失策・DRS-7だった。

2015年2月に登録名をメルビン・アップトン・ジュニアに変更した。

パドレス時代

2015年4月5日にキャメロン・メイビンカルロス・クエンティンマット・ウィスラージョーダン・パローベック、さらにこのシーズンのドラフト指名権とのトレードで、クレイグ・キンブレルとともにサンディエゴ・パドレスに移籍した[30]。弟のジャスティンもオフにパドレスにトレードで移籍していたため再び兄弟揃って同じチームでプレーすることとなった。

選手としての特徴

細身ながらも、ずば抜けた運動能力を有するアスリート。本来遊撃手であったが、2007年7月から外野手に転向。以後、一躍ブレイクした。2014年まで登録名にしていたニックネームの"B.J."は"Bossman Junior"の略。彼の父のニックネームが"Bossman"だったことに由来する[12][3][4][6]

「ライトニング・クイック・バット」とも称される傑出したバットスピードを最大の武器とし、パワー・アベレージ双方の面で結果を残せる選手と広く考えられている。加えて、最高水準のスピードと盗塁技術、広大なレンジ(守備範囲)と大砲に例えられるほどの強肩、そして確かな選球眼を兼ね備える5ツール・プレーヤー(7スキル・プレーヤーとも)。長打量産の副産物として三振数も多いが、ボールを鋭く見極め、四球を選んで出塁出来る。レギュラーに定着した2007年から2008年までの2年間で162個の四球を選んでおり、出塁率はいずれも.380を超えている。2008年には97四球をマークしているが、これは24歳以下の若手選手としては1991年フランク・トーマス(138個)以来、ア・リーグ17年ぶりのことである[31]。レイズ時代の監督だったジョー・マドンはアップトンの運動能力と野球センス、スピードと意欲的な走塁、選球眼とセレクティブなアプローチを賞賛しているが、とりわけ送球能力に関しては「B.J.の外野からの返球を見る限り、初速・精度いずれもリーグ最高だろう」と高い評価を下している[12][23][32][33][34][35][36][37][38][39]

その反面、遊撃手として守備が必ずしも優れているとは言えないが、アップトンがあこがれ目標とするデレク・ジーター[4]も過去守備に悩まされた経験があるために[8]、かつては「アップトンもいずれ遊撃手として大成するのではないか」と考えられていた[32][33][34]。しかし2007年7月からは中堅にコンバート、守備負担は大幅に軽減された[12]。アップトンはリトルリーグ入団以降、一貫して内野手を務めて来たが、「守備に就いている際に細かい神経を使わずに済む」と外野転向を前向きに捉えている[4]

しかし、稀に怠慢プレーを見せることもあり、2010年6月27日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では打球を真剣に追わず三塁打としてしまい、それをエバン・ロンゴリアから注意されて逆ギレ、ダグアウトで口論になっている。

マイナー5年間の通算成績は、打率.296、出塁率.391、OPS.848、150盗塁。

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 TB 45 177 159 19 41 8 2 4 65 12 4 1 1 1 15 0 1 46 1 .258 .324 .409 .733
2006 50 189 175 20 43 5 0 1 51 10 11 3 0 0 13 0 1 40 1 .246 .302 .291 .593
2007 129 548 474 86 142 25 1 24 241 82 22 8 1 4 65 4 4 154 14 .300 .386 .508 .894
2008 145 640 531 85 145 37 2 9 213 67 44 16 3 7 97 4 2 134 13 .273 .383 .401 .784
2009 144 626 560 79 135 33 4 11 209 55 42 14 3 3 57 0 3 152 7 .241 .313 .373 .686
2010 154 610 536 89 127 38 4 18 227 62 42 9 1 4 67 1 2 164 13 .237 .322 .424 .745
2011 153 640 560 82 136 27 4 23 240 81 36 12 2 3 71 4 4 161 16 .243 .331 .429 .759
2012 146 633 573 79 141 29 3 28 260 78 31 6 4 8 45 0 1 169 13 .246 .298 .454 .752
2013 ATL 126 446 391 30 72 14 0 9 113 26 12 5 1 6 44 2 3 151 7 .184 .268 .289 .557
2014 141 582 519 67 108 19 5 12 173 35 20 7 3 2 57 5 1 173 6 .208 .287 .333 .620
2015 SD 87 228 205 23 53 12 4 5 88 17 9 3 2 0 21 2 0 62 1 .259 .327 .429 .757
通算:11年 1320 5319 4683 659 1143 247 29 144 1880 525 273 84 21 38 552 22 22 1406 92 .244 .324 .401 .726
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

参考資料

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  20. ^ スラッガー編集部 「Quotes」『月刊スラッガー No.127 , 2008年11月号』日本スポーツ企画出版社、70頁頁。 
  21. ^ American League Leaderboards ≫ 2008 ≫ Outfielders ≫ Fielding Statistics” (英語). FanGraphs. 2008年12月29日閲覧。※A(Assist、補殺)をクリック。
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関連項目

外部リンク