コンテンツにスキップ

スチュワート・コープランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スチュワート・コープランド
Stewart Copeland in Marseille in 2008.
基本情報
出生名 スチュワート・アームストロング・コープランド
生誕 (1952-07-16) 1952年7月16日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州アレクサンドリア
ジャンル ロックレゲエポップ・ミュージックニュー・ウェイヴジャズ
職業 ミュージシャン作曲家
担当楽器 ドラムス
パーカッション
ヴォーカル
キーボード
ギター
活動期間 1975年 - 現在
レーベル A&Mレコード
Koch Records
共同作業者 カーヴド・エア
ザ・ポリス
アニマル・ロジック
オイスターヘッド
ギズモ
ギズモドローム
公式サイト www.stewartcopeland.net

スチュワート・アームストロング・コープランドStewart Armstrong Copeland1952年7月16日 - )は、アメリカ合衆国プロミュージシャンドラマー[注釈 1]で作曲家である。

イギリスロックバンドであるポリスThe Police)の創立者として知られ、ポリスが活動を停止してからは、様々なバンドのドラマーとしてロックに留まらず広い領域に影響を与えてきた。2010年の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて第7位に選出された。

一方、1980年代にフランシス・コッポラオリヴァー・ストーンの監督作品などの音楽を担当して以来、作曲家としても活動してきた。オーケストラのスコアリングも自ら担当して、映画、テレビ番組、ビデオ・ゲームのサウンドトラックからオペラやバレエ音楽まで手がけ、オーケストラを率いての公演も行なってきた。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

コープランドはバージニア州アレクサンドリアで4人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。父マイルス・コープランドJr(1916年〜1991年)はミュージシャンで[注釈 2]CIAエージェントでもあり、その前身である戦略情報局が設立された時のメンバーであった[1]。彼はレバノンベイルートでビューローチーフを務め、エジプト大統領ナセルとの関係も深かった。

生後数ヶ月で家族と共にエジプトカイロに転居し、1957年にはベイルートに転居した。少年時代を中東[注釈 3]で過ごし、12歳でドラムスを始めた[2]1967年から2年間イングランドの学校で学び、ロンドンでマックス・アブラムス[3]にドラムスを学んだ[4]。1973年から1975年まで、カリフォルニア州大学に通った。

カーヴド・エア

[編集]

学生生活が終わろうとしていた1975年、ロンドンで音楽マネージメントに携わっていた長兄のマイルスから、解散状態にあったプログレッシブ・ロック・バンドのカーヴド・エアのオリジナル・ヴァイオリニストだったダリル・ウェイが新しいバンドのドラマーを探していることを聞いた。彼はロンドンに渡ってウェイらに合流したが、ウェイやカーヴド・エアの他のオリジナル・メンバーが税金対策の為に急遽再結成ツアーを行なうことになったので、そのツアー・マネージャーを務めることになった[5]

ツアーが終了すると、ウェイとオリジナル・ボーカリストのソーニャ・クリスティーナ[注釈 4]がカーヴド・エアに残り、彼とギタリストのミック・ジャックスをメンバーに迎えて活動を継続することになった[5]。彼等は、マイルスが設立したBTMレコード[6]からMidnight Wire(1975年)とAirborne(1976年)の2作のアルバムを発表[7]。彼はドラムス担当に加えて、Airborneでは幾つかの収録曲の作曲に関与した。

ポリス

[編集]

1976年12月、既に解散することが決まっていたカーヴド・エアのラスト・ツアーの最中、1974年からジャズフュージョン・バンド、ラスト・イグジットを結成して活動していたスティングのステージを偶然見て一目惚れ、度重なる説得をして、1977年にスティング(ベース・ギター、ボーカル)、ヘンリー・パドゥヴァーニ(ギター)とポリスを結成[8]。彼等はマイルスが設立したイリーガル・レコードから、同年5月にデビュー・シングル'Fall Out'を発表した。

同年8月、ポリスはパドゥヴァーニに代えて、ソフト・マシーンエリック・バートン・アンド・ジ・アニマルズなどのギタリストだったアンディ・サマーズを迎えた[9]。コープランドは結成当初、パンク・ロックブームに乗るバンドの構想を立てていたが[8][10][注釈 5]、サマーズを迎えたポリスはレゲエやプログレッシブ・ロックなどの要素も組み入れ、1980年代を代表するバンドの1組となった。

彼とスティングは、サマーズがポリスに加入してまもなくドイツの音楽家で指揮者でもあるエバーハルド・シェーナーと活動したのをきっかけに、1978年にサマーズと共にシェーナーのアルバム制作に客演した[11][12][13]。彼は自伝で、シェーナーとの活動がポリスの音楽の進化に極めて重要であったとしている[14]

ポリスのオリジナル・アルバムとよく挙げられる収録曲:

  • Outlandos d'Amour - "So Lonely", "Roxanne", "Can't Stand Losing You"
  • Regatta de Blanc - "Message in a Bottle", "Walking on the Moon", "The Bed's Too Big Without You"
  • Zenyatta Mondatta - "Driven to Tears", "Don't Stand So Close to Me", "Man in a Suitcase"
  • Ghost in the Machine - "Invisible Sun", "Every Little Thing She Does Is Magic"
  • Synchronicity - "Synchronicity I", "King of Pain", "Wrapped around Your Finger", "Every Breath You Take", "Synchronicity II"

彼等は1984年1月に活動停止を宣言した。

ソロ活動及びコラボレーション

[編集]

彼はポリス在籍中、クラーク・ケントKlark Kent)というペンネーム芸名レコーディングを行なった[15][注釈 6]1978年にイギリスのヒット・チャートに入った"Don't Care"、1980年にリリースされたグリーン10インチアルバムであるKlark Kentなどである[16]。1978年にBBCトップ・オブ・ザ・ポップスに出演して、覆面をしたスティング、サマーズ、ポリスのツアー・マネージャーのキム・ターナー[17]、カーヴド・エアのオリジナル・ドラマーだったフロリアン・ピルキントン・ミクサをバックにリップ・シンクで"Don't Care"を披露した。

1985年アフリカへの巡礼[18]の結果生まれたソロ・アルバムThe Rhythmatistを発表[19]。旅の模様を捉えた約一時間の映像作品The Rhythmatistも発表した[20][21]

1987年ジャズ・ベーシストのスタンリー・クラーク[22]シンガーソングライターデボラ・ホーランドとトリオを結成。3人は1989年にアニマル・ロジックAnimal Logic)と名乗って、マイルスのI.R.S.レコードから同名のファースト・アルバム[23]を発表し、世界ツアーにも出た。その後はレコード・セールスは下がり、1991年にセカンド・アルバム[23]を発表したが、バンドは続かなかった。2022年、再結成して31年ぶりの新曲を発表した[24]

2000年プライマスLes Claypool(ベース・ギター)、フィッシュTrey Anastasio(ギター)と、ジャム・バンドのオイスターヘッドOysterhead)を結成[25]。彼等は2001年にアルバムThe Grand Pecking Orderを発表[26]

2002年、元ドアーズレイ・マンザレク(キーボード)とロビー・クリーガー(ギター)に、新作アルバムのレコーディングとツアーに起用されたが、怪我のあと、相互に民事訴訟を起こすという形に終わった。

2005年アバンギャルドギタリストDavid Fiuczynskiと新しいプロジェクトのギズモGizmo)をスタートさせた[27]

2015年、クラシック・ピアニストのジョン・キムラ・パーカーメトロポリタン歌劇場管弦楽団のバイオリニストのユーン・クワォン、スタンリー・クラークに学んだベーシストで作曲家でもあるマーロン・マルチネス[28]ウインドシンセサイザー奏者でコープランドと共に映画音楽を手がけてきたジャッド・ミラー[29]の4人とオフ・ザ・スコアOff The Score[30]を結成。同年5月20日にトロントで開かれた21C ミュージック・フェスティバルに出演した[31][32]ほか、2017年まで断続的にアメリカでコンサート活動を行なった。

2017年、マーク・キング(ベース・ギター、レベル42)、ヴィットリオ・コスマ[27][注釈 7](キーボード、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)、エイドリアン・ブリュー(ギター、キング・クリムゾン)とギズモドロームGizmodrome)を結成して、同名アルバムを発表。

2022年、インド出身の作曲家であるリッキー・ケジとの共作アルバムDivine Tidesで、第63回グラミー賞のニューエイジ音楽アルバム賞を受賞。

客演として、ピーター・ガブリエルロジャー・ダルトリーなどのアーティストのバックでもドラムを演奏した。

ポリス再結成

[編集]

2007年、第49回グラミー賞でポリス再結成を果たし、ワールドツアーを敢行。同年5月のカナダを皮切りにアメリカやヨーロッパを回り、2008年2月に最終地の日本に来た。

作曲家としての活動

[編集]

サウンドトラック

[編集]

1983年、映画監督のフランシス・フォード・コッポラの依頼[33][注釈 8]で映画『ランブルフィッシュ』の音楽を担当して、ゴールデングローブ賞の作曲賞にノミネートされた。これをきっかけにコープランドは、映画『ウォール街』(1987年)、『トーク・レディオ』(1988年)、『見ざる聞かざる目撃者』(1989年)、テレビ番組『ザ・シークレット・ハンター』(1985年-1989年)、Dead Like Me(2003年-2004年)、ビデオゲームスパイロ・ザ・ドラゴン』などのサウンドトラックを担当した。

なお彼はテレビドラマ『バビロン5』(1993年-1999年)のテレビジョンパイロットである『序章(前編・後編)』"The Gathering"(ビデオ/LD邦題:CGスペース・アドベンチャー バビロン5)の音楽を担当したが、番組が週次でシリーズ化されると担当は元タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)のクリストファー・フランケに変わった。またテレビジョンパイロットのライターズ・エディションにもフランケの音楽が採用された。

オペラ・バレエ・管弦楽曲

[編集]

『ランブルフィッシュ』の制作スタッフの一人であったマイケル・スムーインサンフランシスコ・バレエの監督になり、コープランドにバレエの作曲を依頼した。彼は依頼に応えて『リア王』を作曲し、サンフランシスコ・バレエはこの作品を1984年に初演した[34]。彼はこの活動をきっかけに、クリーブランド・オペラの総監督であったデビッド・バムバーガーにオペラの作曲をもちかけられて[注釈 9]、4年間を費やしてHoly Blood and the Crescent Moonを作曲した[35]

彼が作曲した作品には以下のものが含まれる[36]

  • 1986 King Lear, San Francisco Ballet, Michael Smuin
  • 1988 Emilio, Trento Baller, Italy
  • 1989 Holy Blood and the Crescent Moon, Cleveland Opera
  • 1992 Horse Opera, Opera for Channel 4, United Kingdom
  • 1993 Noah's Ark/Solcheeka, Seattle Symphony Orchestra
  • 1994 Casque of Amontillado, Holders Easter Season, Barbados
  • 1994 Prey, Ballet Oklahoma
  • 1999 Kaya, Eve, and Grace, Catania Music Festival
  • 2003 La Notte della Taranta, Melpignano, Puglia
  • 2008 Celeste, Savannah Music Festival, featuring Daniel Hope (Violin)
  • 2009 Retail Therapy, La Jolla Music Society Summerfest
  • 2009 Ben Hur Live, European arena your, score by Copeland

その他

[編集]

イギリスの打楽器グループであるEnsemble Bash[37]が、アルバムLaunch[38](1996年)とA Doll's House[39](2012年)で、それぞれ彼の'Gene Pool'と'Breather'を取り上げた。2003年にはドイツの打楽器グループであるElbtonalPercussion[40]が、全収録曲が彼の作品であるアルバムElbtonalPercussion Plays Stewart Copelandを発表した[41]

2006年に、自ら監督を務めてポリスを描いた映画Everyone Stares: The Police Inside Outサンダンス映画祭に出品した。2008年2月のポリスの再結成公演に続いて、映画のプロモーションのため同年春に単独で再来日し、パンクスプリングにDJとして出演した。

2006年4月、BBC放映のテレビ番組『Just the Two of Us』にジャッジとして出演。この番組は8人のセレブリティが8人のプロの歌手とデュエットを組んで歌を歌うという趣向である。

2009年、自伝"Strange Things Happen: A Life With The Police, Polo And Pygmies"[42]を上梓。

家族

[編集]

ロレーヌ・コープランド(1921年〜2013年)はスコットランド人考古学者[33]

長兄マイルス(コープランド3世、1944年〜)はインディレーベルを創業してポリスをデビューさせて初期のマネージャーも務めた。のちI.R.S.レコードを創業しR.E.M.ゴーゴーズを世に送り出した[1]

次兄イアン(1949年〜2006年)は、ポリス、シンプル・マインズザ・キュアーB-52'ゴーゴーズナイン・インチ・ネイルズR.E.M.などのブッキング・エージェンシーを務めた[1]。2006年に56歳で病没。

姉のロレーヌ(レニー)は1988年にベストセラーになった"Going International: How to Make Friends and Deal Effectively in the Global Marketplace"を執筆した[43][44]

ドラミング

[編集]

ポリス時代には、3人編成という少人数バンドで、手数が多いのにもかかわらず曲に彩りを与え歌を引き立たせる独自のドラムスタイルで注目を集めた。複雑なリズムを叩きながらも同時にハーモニーも歌う。

精密かつエネルギッシュで、スネアドラムではなくバスドラムバックビートを打つという、レゲエに影響を受けた革新的なドラムスタイルで知られる。彼の独特のサウンドの特徴は、硬くてハイピッチにチューニングした“クラック”スネアドラムとリムショットをその中心に置き、しばしばハイハットとバスドラムだけで演奏される手数の多い巧みなハイハットワークにある。ポリリズムを用いるアプローチは、同時代のドラマーに大きな影響を与えるその独特なプレイスタイルを確固とするものである。ただし『ポリス・ライヴ』などを聴くと、かなりリズムが「走る」タイプのドラマーであることがわかる。高橋幸宏は彼のドラミングの特徴として、タイミングが前であること、フラムを多用することを挙げている[45]

高い技術・腕前を見せるよりも、歌・楽曲への敬意としてグルーヴを強調するプレイで知られる。彼はこのことの重要さをドラム・クリニックで強調している。彼は観客に何かを示せる数少ない現代のドラマーの1人だ、と紹介され、シンプルなロックのビートを2分間、叩いてみせた。僅か2分間だったにもかかわらず、ドラミングの微妙な変化はグルーヴを増し、観客の心を満たしてみせた。シンプルで楽曲を壊さない、それでいて存在感のあるプレイスタイルが彼の持ち味と言えよう。

TAMAのドラムとパイステシンバルを長きに渡り愛用している。パイステからは、近年スチュワート・コープランドモデルのライドシンバルが発売された。シンバルのエッジとカップ部分以外の全体がメタリックブルーに着色されていると言う特徴を持つ。また、日本が誇るパーカッショニストのツトム・ヤマシタとTAMAの共同開発の「オクタバン」を画期的に使用していた。グリップはレギュラーグリップで、ほぼ全曲の演奏をこなす。左手のスナップや指先のコントロールは絶妙である。

ディスコグラフィ

[編集]

以下、一部は引用文献に基づく[46]

カーヴド・エア
ストロンチウム90
  • 『ポリス・アカデミー』 - Police Academy (1997年、Ark 21 Records)
ポリス
エバーハルト・シェーナー
クラーク・ケント
スチュワート・コープランド
  • The Rhythmatist (1985年)[49]
  • The Equalizer and Other Cliff Hangers (1988年)[50]
  • From Rumble Fish To Gridlock'd (1997年)[51]
  • Orchestralli (2003年)[52]
  • La Notte Della Taranta (2004年)[53]
  • The Stewart Copeland Anthology (2007年)[54]
  • Music From Ben Hur Live (2009年)[55]
  • Athana Symphonic Experience (2013年)[56]
アニマル・ロジック
オイスターヘッド
ギズモドローム
スチュワート・コープランド & リッキー・ケジ
  • Divine Tides (2021年)[58]
サウンドトラック
  • Rumble Fish (1983年)[59]
  • 9½ Weeks (1986年)[60]
  • Out of Bounds (1986年)[61]
  • Wall Street (1986年)[62]
  • Talk Radio (1986年)[63]
  • Earth Girls Are Easy (1989年)[64]
  • Noah's Ark (Audiobook, with James Earl Jones) (1989年)[65]
  • Men at Work (1990年)[66]
  • Rapa Nui (1994年)[67]
  • Silent Fall (1994年)[68]
  • Highlander II (1994年)[69]
  • Boys (1996年)[70]
  • The Leopard Son (1996年)[71]
  • The Pallbearer (1996年)[72]
  • Four Days in September (1998年)[73]
  • Very Bad Things (1998年)[74]
  • Little Boy Blue (1998年)[75]
  • Pecker (1998年)[76]
  • Simpatico (1999年)[77]
  • Boys and Girls (2000年)[78]
  • Dead Like Me (2010年)[79]
客演

フィルモグラフィ

[編集]

以下、一部は引用文献に基づく[80]

映画
TV

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ドラムやパーカッション以外にも管楽器弦楽器鍵盤楽器など多くの楽器を演奏する。
  2. ^ 若い時には、グレン・ミラーチャーリー・バーネットレイ・ノーブル等の下でトランペットを演奏した。コープランドは父親の楽器を引き継いで所有し、また演奏している。
  3. ^ レバノン。
  4. ^ コープランドは1982年にクリスティーナと結婚したが、1991年に離婚した。
  5. ^ 彼が作詞作曲した'Fall Out'に顕著である。
  6. ^ ボーカルと楽器演奏を全て一人で行なった。プロデュースはザ・ポリスのアルバムのエンジニアリングを担当したナイジェル・グレイとコープランドとの共同作業による。
  7. ^ Gizmoにも参加していた。
  8. ^ 自伝によると、自分の子供達の頼みは何でも聞き届けるコッポラが、息子から「ポリスのドラマーがいい」と言われて連絡してきた。
  9. ^ コープランドは「リア王」の公演後の記者会見でもっとバレエ曲を作曲するつもりかと問われて、「そう、オペラを書き終わったら」と答えた。彼は冗談を言ったつもりであり、会場でも笑いが起こったが、バムバーガーの息子が偶然にこの模様をテレビで見て、父親にコープランドの事を話した。
  10. ^ Flashbackと、サマーズやスティングが客演したアルバムからの編集アルバム。

出典

[編集]
  1. ^ a b c Copeland (2009), p. 297.
  2. ^ Copeland (2009), pp. 8–10.
  3. ^ Discogs”. 2023年1月2日閲覧。
  4. ^ Copeland (2009), pp. 18–19, 303.
  5. ^ a b Copeland (2009), pp. 27–32.
  6. ^ Discogs”. 2023年1月2日閲覧。
  7. ^ stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  8. ^ a b 『THE POLICE & STING』 SHINKO MUSIC MOOK アーカイヴ・シリーズ Vol.16 シンコーミュージック 2008/1/31 ISBN 978-4-401-63173-5 History 1978-1983 立川芳雄 P21
  9. ^ Summers (2006), pp. 218–230.
  10. ^ 『rockin' on』 株式会社ロッキング・オン 2008年3月号 連載ROCK GREATS SPECIAL vol.27 THE POLICE P81
  11. ^ Summers (2006), pp. 239–247.
  12. ^ Discogs”. 2023年1月2日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2023年1月2日閲覧。
  14. ^ Copeland (2009), p. 304.
  15. ^ Copeland (2009), pp. 35–44.
  16. ^ stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  17. ^ Copeland (2009), p. 209.
  18. ^ Copeland (2009), pp. 57–71.
  19. ^ stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  20. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  21. ^ imdb.com”. 2023年3月15日閲覧。
  22. ^ Copeland (2009), p. 303.
  23. ^ a b stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  24. ^ deborahholland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  25. ^ Copeland (2009), pp. 109–123.
  26. ^ stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  27. ^ a b Copeland (2009), p. 301.
  28. ^ marlonmartinezmusic.com”. 2023年2月28日閲覧。
  29. ^ allaboutjazz.com”. 2023年2月28日閲覧。
  30. ^ offthescore.com”. 2023年2月28日閲覧。
  31. ^ worldmusicreport.com”. 2023年3月15日閲覧。
  32. ^ offthescore.com”. 2023年3月15日閲覧。
  33. ^ a b Copeland (2009), p. 298.
  34. ^ Copeland (2009), p. 86.
  35. ^ Copeland (2009), pp. 86–97.
  36. ^ Copeland (2009), pp. 307–308.
  37. ^ www.ensemblebash.com”. 2023年2月20日閲覧。
  38. ^ Discogs”. 2023年2月20日閲覧。
  39. ^ Discogs”. 2023年2月22日閲覧。
  40. ^ www.elbtonalpercussion.de”. 2023年2月20日閲覧。
  41. ^ Discogs”. 2023年2月20日閲覧。
  42. ^ stewartcopeland.net”. 2023年1月4日閲覧。
  43. ^ Library Thing”. 2022年12月24日閲覧。
  44. ^ Copeland (2009), pp. 297–298.
  45. ^ 『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ドラムズ&ベース 2回目〜ドラムの演奏におけるリズム論〜』(2010年6月5日初回放送)
  46. ^ Copeland (2009), pp. 306–307.
  47. ^ Discogs”. 2023年2月19日閲覧。
  48. ^ Discogs”. 2023年2月14日閲覧。
  49. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  50. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  51. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  52. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  53. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  54. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  55. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  56. ^ Discogs”. 2023年2月22日閲覧。
  57. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  58. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  59. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  60. ^ Discogs”. 2022年12月27日閲覧。
  61. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  62. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  63. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  64. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  65. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  66. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  67. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  68. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  69. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  70. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  71. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  72. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  73. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  74. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  75. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  76. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  77. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  78. ^ Discogs”. 2023年1月4日閲覧。
  79. ^ Discogs”. 2022年12月24日閲覧。
  80. ^ Copeland (2009), pp. 308–313.
  81. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  82. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  83. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  84. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  85. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  86. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  87. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  88. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  89. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  90. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  91. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  92. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  93. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  94. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。
  95. ^ imdb.com”. 2023年1月6日閲覧。

引用文献

[編集]
  • Copeland, Stewart (2009). Strange Things Happen: A Life With The Police, Polo And Pygmies. London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-733940-2 
  • Summers, Andy (2006). One Train Later: A Memoir. London: Piatkus. ISBN 978-0-7499-5150-4 

外部リンク

[編集]