ロジャー・ダルトリー

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Roger Daltrey
Roger Daltrey 2.jpg
基本情報
出生名 Roger Harry Daltrey
出生 1944年3月1日(71歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド, ロンドンハマースミス
ジャンル ロック, ハードロック, アート・ロック, ポップ・ロック
職業 シンガー, ソングライター, ミュージシャン, 俳優, 映画作家
担当楽器 ヴォーカル, ギター, ハーモニカ, パーカッション
活動期間 1959年 - 現在
レーベル Various
共同作業者 ザ・フー, RD クルセーダーズ

ロジャー・ハリー・ダルトリーRoger Harry Daltrey CBE1944年3月1日 - )は、イギリスのミュージシャン。ザ・フーのリード・ヴォーカリストとして最も有名である。歌手としてだけではなく俳優としても成功し、多くの映画や演劇、テレビドラマに出演した。身長164cm。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第61位[1]。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第27位[2]

来歴[編集]

生い立ち〜プロデビューまで[編集]

ロンドンのシェパーズ・ブッシュ地区に生まれる。幼少時から学業優秀で、アクトン郡グラマースクール在籍時にはクラスのトップであった。父親のハリーおよび母親のアイリーンは彼が大学まで進学することを望んだが、ルールを守って教師に従うという考えは自称「学校反逆者」であった彼の頭の中にはなかった。1959年ロックンロールの洗礼を受けたダルトリーは、木片を用いて最初のギターを製作した。その後、父親がエピフォン製のギターを買い与えている。まもなく彼は学校を放校処分となる。1961年、ザ・フーの前身バンド「ザ・ディトゥアーズ」を結成。昼間は板金工として働きながら、夜はディトゥアーズとして音楽活動を続けていた。当初ダルトリーはボーカル兼リード・ギターの担当であった。

やがてディトゥアーズはプロのエージェントから仕事を依頼されるほどにまで成長したが、本格的にプロデビューする事を望んでいたダルトリーと、現状に満足する他のメンバーの間には溝があった。ダルトリーは学校の後輩であったジョン・エントウィッスルを仲間に引き入れた。さらに前任のリズム・ギタリストが脱退したため、エントウィッスルの紹介でピート・タウンゼントが加入。さらに、バンド内のもう一人のボーカリストが脱退し、ダルトリーが仕事中に手を怪我したことで、タウンゼントがリード・ギタリストとなり、ダルトリーはボーカルに専念する事となる。 1964年、前のドラマーに代わりキース・ムーンが加入。バンド名をタウンゼントのクラスメートであるリチャード・バーンズが提案した「ザ・フー」に変更し、バンドは同年7月にメジャー・デビューを果たす。

1964年〜1983年[編集]

初代マネージャーのピート・ミーデンの命により、バンドはモッズ・バンドとして売り出され、バンド名もザ・フーからハイ・ナンバーズに変更した。モッズの衣装を着て歌う事に、「自分はテッズ(テディ・ボーイ)だった」と公言するダルトリーには、少なからず抵抗感があったようである。結局ミーデンの戦略は外れ、デビューシングルは不発に終わる。バンドもミーデンに不満を持っていたことから、新しいマネージャー、キット・ランバートクリス・スタンプの元で再始動することとなり、バンド名もザ・フーに戻した。

ザ・フー名義での1stシングル「アイ・キャント・エクスプレイン」はチャートの8位につけるヒットとなり、上々のスタートを切った。だが、1965年ヨーロッパツアー中、バンドは早くも危機に陥る。デンマークでのツアー中、楽屋でドラッグによりハイになったムーンに腹を立てたダルトリーは、ムーンの錠剤を全てトイレに流した。それに逆上し殴りかかってきたムーンをダルトリーが殴り返して気絶させると、そのまま脱退を告げたのである(但し、別のインタビューでは「自分がクビを宣告された」と証言している[3])。ダルトリーを除く3人はドラッグにはまっていたが、ダルトリーは「喉に悪いから」と手を出さずにいた。それが他の3人との間に軋轢を生む要因となっており、それがついに爆発した形となった。一時は後任にボズ・バレルが候補に挙がるまでに事態が進んだものの、マネージャーのキット・ランバートの説得により、ダルトリー脱退という最悪の事態はどうにか避けられた。

やがてバンドの主導権は、最年長のダルトリーから作曲能力に秀でているタウンゼントに移る。1971年には、エントウィッスルがバンド内でいち早くソロ活動に着手する。しかし、あくまでダルトリーはザ・フーのシンガーとしての立場にこだわり、ソロ活動に興味を示す事はなかった。それが変わったのは1973年。往年のポップ・シンガー、アダム・フェイスとその相棒のデヴィッド・コートニー、そして彼らがマネージメントをしていた新人ソングライターのレオ・セイヤーに出会ったことがダルトリーをソロ活動へ向かわせるきっかけとなった。楽曲、プロデュースを彼等3人にゆだねて製作されたダルトリーの1stソロ・アルバム『Daltrey』(全米45位)は、ザ・フーとは違った彼の一面を見せる作品となった。

1975年、ダルトリーは俳優デビューを果たす。1969年にザ・フーが発表した、オペラ様式のコンセプトアルバム『トミー』の映画化にあたり、主人公のトミーを演じたのである。この映画がダルトリーの俳優としての才能を開花させ、以降様々なドラマ、映画に出演するきっかけとなった。また同年、自身2枚目のソロ・アルバム『Ride A Rock Horse』をリリースする。前作とは打って変わってハードな楽曲がならび、売り上げは前作を大きく上回り、全英14位、全米28位にまで上った。

1977年、3枚目のソロ・アルバム『One Of The Boys』には、ポール・マッカートニーハンク・マーヴィンなど、豪華ゲストが多数参加した。ザ・フーからはエントウィッスルも参加している。だが売り上げは前作ほどは伸びず、全英45位、全米46位に終わった。

1978年、キース・ムーンが急逝。1980年、映画『McVicar』(日本未公開)に主演。同映画のサウンドトラック盤『McVicar』には、ザ・フーのメンバー全員が参加しており、便宜上はダルトリー4枚目のソロ・アルバムという扱いではあるが、むしろザ・フーの課外活動の意味合いが強い。本作はダルトリーのソロ史上最高の売り上げ(全米22位)を記録した。

1983年以降[編集]

1982年、ザ・フー解散。1984年、解散後初となる5枚目のソロ・アルバム『Parting Should Be Painless』をリリースするも、全米102位とセールス的には奮わなかった。しかし、翌1985年に、タウンゼントが楽曲提供したシングル「After The Fire」がヒット。日本でもスズキ・カルタスCMソングに起用された。同曲を収録した6枚目のアルバム『Under A Racing Moon』も全米42位につけた。このアルバムを引っ提げ、ソロでは初のコンサート・ツアーを敢行する。ツアーではザ・フーの楽曲も披露し、盛況なツアーになった。また同年7月にはザ・フーを再結成し、ライブ・エイドに出演する。

1987年、7枚目のソロアルバム『Can't Wait To See The Movie』をリリースするもチャート・インを果たせず。ダルトリーはしばらく音楽活動から遠ざかり、俳優業の方が主軸になる。しかし、1989年のザ・フーのデビュー25周年記念ツアーを経て、再びソロアルバム製作に意欲を燃やす。1992年、8枚目のソロ・アルバム『Rocks In The Head』をリリース。だがプロモーション不足と北米限定での発売ということもあり、前作同様チャート・インを果たせなかった。本作を最後にダルトリーのオリジナル・アルバムは2014年現在まで製作されていない。1994年にはライブ・アルバム『A Celebration: The Music of Pete Townshend and The Who』をリリースしている。同年のカーネギー・ホールでのコンサートを収録したもので、タウンゼントやエントウィッスルもゲスト出演している。

2012年4月にはソロで来日し、東京・横浜・大阪・名古屋で公演を行う。2014年には、ウィルコ・ジョンソンとコラボレートしたアルバム『GOING BACK HOME』をリリース。

音楽スタイル[編集]

ややハスキーがかったパワフルな声質を持つが、本人は自分の声を気に入っていないという[4]。ザ・フーのコンサートでは、タウンゼントのギター破壊が注目を集めたが、ダルトリーもまたコードを軸にマイクを投げ縄の如く振り回すパフォーマンスで観客を魅了した。上記のとおり、元々はリードギター担当だったため、ギターも弾けるが、ザ・フーではあくまでボーカルに徹し、ハーモニカタンバリン以外の楽器は使用してこなかった。だが、ソロ活動や近年のステージではギターを弾きながら歌う事もある。また、自ら作詞作曲を行う事はあまりなく、ダルトリーがザ・フーのために書いた曲は、「エニウェイ・エニハウ・エニホエア[5]、「シー・マイ・ウェイ」[6]、「アーリー・モーニング・コールド・タクシー」[7]、「ヒア・フォー・モア」[8]の4曲のみである。ソロにおいても、外部ミュージシャンに作曲を依頼する事が多く、自作曲はあまりない。 「ザ・フーの作品で最も気に入っている作品は何か」という問いに対し、「全部気に入っているが、あえて1曲選ぶなら「ビハインド・ブルー・アイズ」(アルバム『フーズ・ネクスト』収録曲)だ」と答えた[9]

人物[編集]

最年長であったダルトリーは、初期のザ・フーにおいては絶対的なリーダーであり、小柄な体格にもかかわらず腕っ節が強く、必要な場合には暴力も使いバンドを牽引した。タウンゼントは「ロジャーはすべてを自分の思うようにした。もし彼に反対したら、普通は拳を食らったよ(Giuliano, p. 26)」と証言している。やがてタウンゼントが作曲家として頭角を現すようになり、バンドの主導権はダルトリーからタウンゼントに次第に移っていったが、後年、この事がダルトリーとタウンゼントの間に個人的確執を生む事になる。しかし、近年のインタビューで、ザ・フーの解散理由について尋ねられ、「当時のピートは、ツアーのプレッシャーについてよく話しており、このままでは彼が自殺してしまうのではと思い、ザ・フーの解散を決めた」と答えており、タウンゼントの事を慮って解散させた事を打ち明けている[10]。また、タウンゼントが児童ポルノサイトにアクセスした容疑で警察から捜索を受けた時も、一貫してタウンゼントを擁護した[11]。タウンゼントはダルトリーに感謝の念を表している[12]。 32歳の若さで死亡したキース・ムーンについては、彼を救ってあげられなかった事を非常に後悔していると語っている[9]。さらに「キースにとって安心できる存在は、ザ・フーの中では僕だけだった」とも語っており、リーダーの座をタウンゼントに譲ってからも、ダルトリーがバンドの精神的支柱であった事を窺わせている[4]

上記のとおり、他のメンバーとの仲が悪くなろうとも、ボーカリストとして喉を大事にするためにドラッグには一切手を出さないなど、生真面目な性格である一方で(但し、「自分はマリファナどまりだった」とも語っており、全く手を出さなかったわけではない様である[4])、タウンゼントからは「(ダルトリーは)面白いと思ったら、ファンと一緒になって悪い事でも何でもやった」とも指摘されている[13]

私生活では2度の婚姻を経験している。1度目の結婚は1964年。1児をもうけたが1968年に離婚。現在の妻であるヘザーとは1971年に結婚、3人の子供を授かった[14]

ディスコグラフィー[編集]

  • Daltrey (1973)
  • Ride a Rock Horse (1975)
  • One of the Boys (1977)
  • McVicar (1980)
  • Parting Should Be Painless (1984)
  • Under a Raging Moon (1985)
  • Can't Wait to See the Movie (1987)
  • Rocks in the Head (1992)
  • A Celebration: The Music of Pete Townshend and The Who (1994)
  • GOING BACK HOME (2014) ウィルコ・ジョンソンとの共作

出演作品[編集]

映画

ドラマ

  • CSI:科学捜査班シーズン7(第9話)"(原話(CBS)の場合2006年、WOWOWで2008年ゲスト出演)

他多数

出典・脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Roger Daltrey”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ ザ・フーのロジャー・ダルトリー、バンドを追い出された大喧嘩を振り返る
  4. ^ a b c DVD『ザ・キッズ・アー・オールライト』収録のロジャー・ダルトリーインタビューより。
  5. ^ ザ・フーの2ndシングル。タウンゼントとの共作。
  6. ^ ザ・フーの2ndアルバム『ア・クイック・ワン』収録曲。
  7. ^ David Langstonとの共作。ザ・フー3rdアルバム『セル・アウト』のアウトテイク。リイシューCDに収録。
  8. ^ ザ・フーのシングル「シーカー」B面曲。
  9. ^ a b ザ・フーのロジャー・ダルトリー 亡き盟友キース・ムーンについて語る
  10. ^ ロジャー・ダルトリー「ピート・タウンゼントの命を救いたくてザ・フーを解散した」
  11. ^ ザ・フーのロジャー・ダルトリー、“ピートは小児性愛者ではない”
  12. ^ Townshend pays tribute
  13. ^ ザ・フーのドキュメンタリー映画『ザ・キッズ・アー・オールライト』より。
  14. ^ http://www.imdb.com/name/nm0002032/

参考文献[編集]

  • 『ザ・フー アルティミット・ガイド』レコード・コレクターズ増刊、2004年。

外部リンク[編集]