ジミー・マカロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジミー・マカロック

ジミー・マカロック(Jimmy McCulloch、1953年6月4日 - 1979年9月27日)は、スコットランドグラスゴー出身のミュージシャンである。1974年から1977年までポール・マッカートニーウイングスのリード・ギターを務めたことで最も知られている。

11歳のとき"The Jaygers"というサイケデリック・バンドを結成し13歳の時バンド名を"One In A Million"に変えてデビューする。15歳で参加した "Thunderclap Newman" で、ザ・フーピート・タウンゼントプロデュースによるシングル "Something In The Air" が1969年7月英国チャートで1位を獲得し、マカロックは「英国1位獲得曲で演奏した最年少のギタリスト」となった。

サンダークラップ・ニューマンはその後1枚のアルバムを発表したが、シングルの英国1位に続くような成功は得られず、1970年に解散する。

1972年リードギタリストの感電死という悲しい事故がきっかけで、マカロックは同郷グラスゴー出身のブルース・ロック・バンドストーン・ザ・クロウズ( Stone The Crows)のアルバム "Ontinuous Perfomance" に参加することになった。

そして1974年、マカロックはポール・マッカートニーのウイングスに加入する。マカロック加入後初めて発表された曲はシングル「ジュニアズ・ファーム」(1974年)である。続いてマカロックはアルバム『ヴィーナス・アンド・マース』(1975年)、『スピード・オブ・サウンド』(1976年)、『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』(1976年)、『ロンドン・タウン』(1978年)に参加し、1977年脱退する。

ウイングス脱退後も、1977年にスモール・フェイセスの再結成ツァーに参加し、アルバム『78イン・ザ・シェイド』(78 In The Shade, 1978年)をリリースし、その後THE DUKESに参加(ジミー自身、生涯最後のバンドになった)『DUKE』(1979年)をリリースした。

1979年9月27日、ロンドン西部にあるメイダヴェイル(Maida Vale)の自宅で死亡した。死因はヘロイン過剰摂取による心臓発作である。26歳だった。