ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yqm (会話 | 投稿記録) による 2016年3月23日 (水) 11:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (曖昧さ回避ページに誘導する)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ファイル:João Carlos Costa.jpg
ジョアン・カルロス

ジョアン・カルロス・ダ・シルヴァ・コスタ(João Carlos da Silva Costa、1956年1月15日 - )は、ブラジル出身のサッカー指導者。鹿島アントラーズなどの監督を歴任し、Jリーグでは通算で4冠を獲得している。なお、サッカー選手としての経験は全く無く、指導者としてのキャリアの最初はフィジカルコーチである。

来歴

鹿島アントラーズ時代

1996年エドゥージーコの実兄)の後を受けて鹿島監督に就任。なお、ジーコは同時に鹿島のテクニカルディレクターに就任している。1998年のシーズン途中で辞任するまで2年半監督を務める。

1997年は年間王者こそ2ndステージ優勝のジュビロ磐田に譲ったものの年間勝ち点の合計では1位であり、2005年の制度であれば年間三冠である。1998年、主力選手の一人であったジョルジーニョとの確執がきっかけで辞任。

名古屋グランパスエイト時代

1999年、名古屋のこの年4人目の監督(代行も含む)に就任。後は連戦連勝。チームは天皇杯を制する。

しかし、2000年は選手層が薄くなったこと、主力に怪我人が続出したこと、そして大岩、望月、平野と確執(後に解雇)が原因で思うような成績があげられなかった。 2001年のシーズンファーストステージでは3位という成績を残したが、再び、主力選手との確執が原因で解任。

セレッソ大阪時代以降

J2降格の危機に瀕していたセレッソ大阪の監督に就任し、J1残留を託される。しかし、リーグ戦3試合を残してJ2降格が決まり降格直後に辞任する。後任の西村昭宏が残りのリーグ戦を全勝で終え、天皇杯は準優勝となる。

その後、2003年にはこの年からJ2に降格したコンサドーレ札幌の監督に就任するが、名古屋時代の確執から就任を待たず小倉隆史が退団、ブラジル人を3人揃えた外国人選手も確執などからシーズン中盤で総入れ替えになり、チームも低迷、シーズン途中で辞任となった。

指導歴

関連項目

外部リンク