シェイ・スタジアム
シェイ・スタジアム William A. Shea Stadium | |
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施設データ | |
所在地 |
123-01 Roosevelt Avenue Flushing, New York 11368 |
起工 | 1961年10月28日 |
開場 | 1964年4月17日 |
取り壊し | 2009年2月18日 |
所有者 | ニューヨーク市 |
グラウンド | 天然芝 |
建設費 | 2850万ドル |
設計者 | Praeger-Kavanaugh-Waterbury |
使用チーム • 開催試合 | |
ニューヨーク・メッツ(MLB)(1964年 - 2008年) ニューヨーク・ジェッツ(NFL)(1964年 - 1983年) ニューヨーク・ヤンキース(MLB)(1974年 - 1975年、1998年) ニューヨーク・ジャイアンツ(NFL)(1975年) | |
収容人員 | |
55,601人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
左翼 - 338 ft (約103.0 m) 左中間 - 378 ft (約115.2 m) 中堅 - 410 ft (約125.0 m) 右中間 - 378 ft (約115.2 m) 右翼 - 338 ft (約103.0 m) バックネット - 80 ft (約24.4 m) |
フェンス | 8 ft (約2.4 m) |
シェイ・スタジアム(Shea Stadium)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ区フラッシングのフラッシング・メドウズ・コロナ・パーク北端にあった野球場。MLBニューヨーク・メッツの旧本拠地。1974年と1975年にはニューヨーク・ヤンキースもヤンキー・スタジアムの改修工事のために仮本拠地としていた。
また、アメリカンフットボール(NFL)に使用されていた時期もあり、開場から1983年までニューヨーク・ジェッツが、1975年の1年だけニューヨーク・ジャイアンツが本拠地にしていた。
日本語媒体では、特にロック・ミュージック関係の報道において、綴り通りにシェア・スタジアムと表記されることがあるが、現地読みとは遠い。1975年の天覧試合の報道ではシェー・スタジアムと表記された。
2009年4月に新球場シティ・フィールドがオープンしたことに伴い取り壊され、跡地は駐車場になっている。
フィールドの特徴
多くの選手を悩ませていたのが、近隣にあるラガーディア空港である。シェイ・スタジアムが同空港の離着陸コースのほぼ真下に位置するため、騒音が選手の集中力をかき乱すことが多々あった。シェイ・スタジアムでプレーする時だけ耳栓をつける選手もいたほどである。
外野は左右対称であった。広めなため、外野手には守備範囲の広さが必要。また、外野席がほとんど設置されていないため、吹き込んでくる風の影響を受けやすかった。よって長打が出にくく、投手有利の球場であった。
内野は芝が長いため、球足が遅かった。
設備、アトラクション、演出
シェイ・スタジアムは当初、90,000人収容の巨大スタジアムとして建設が進められたが、建設途中で計画が変更されたため、外野席が左中間の一部を除いて存在せず、代わりに超巨大スコアボードやビッグ・アップルが設置された。
超特大スコアボードは外野右中間フェンス後方に設置されていた。開場当時はスタジアラマ・スコアボードと呼ばれ、スクリーンには選手のスライド写真などが映し出されたが、その部分は後に広告スペースとなった。上部にはニューヨークの摩天楼を象った照明があったが、2001年9月11日の同時多発テロ発生後、世界貿易センタービル・ツインタワーを象った部分にリボンがかけられた。
ビッグ・アップルは中堅フェンス後方に設置。メッツの選手がホームランを打つと、巨大な帽子のディスプレイの中からメッツのロゴマークが入った大きなリンゴのオブジェが現れた。これはニューヨーク市の愛称「ビッグ・アップル」にちなんだもの。1998年、ヤンキー・スタジアムの観客席が一部破損したため、ヤンキースが1試合だけホームゲームをシェイ・スタジアムで行ったことがあるが、そのときヤンキースのダリル・ストロベリー(元メッツ所属)がホームランを放つとビッグ・アップルが姿を現した。メッツ以外の選手がホームランを放った際にビッグ・アップルが出てくるのは異例である。ただしリンゴに描かれたメッツのロゴを隠すためか、上半分のみの登場となった。このオブジェはシティ・フィールドにも受け継がれている。
スタジアム名の由来
このスタジアム名の由来となったのは、弁護士のウィリアム・A・シェイ(en:William Shea)である。1957年にブルックリン・ドジャース、ニューヨーク・ジャイアンツの両球団がそれぞれ ロサンゼルス、サンフランシスコへ移転し、ニューヨークからナショナルリーグの球団がなくなってしまった。そこで、ニューヨークにナショナルリーグの新チームを創設しようと尽力したのがシェイだった。メッツはシェイの功績を讃え、2008年からシェイを永久欠番と同格で扱っている。
メッツのユニフォームに使用されている色のうち、当初のオレンジはジャイアンツの、青はドジャースのチームカラーである。またこの二色はニューヨーク市の旗にも使われているなど、同市を象徴する色でもある。
主要な出来事
野球
- 1964年4月17日 - パイレーツ戦で開場(パイレーツ 4-3 メッツ)。本塁打第一号はパイレーツのウィリー・スタージェル。
- 1964年7月7日 - オールスターゲーム開催(ナ 7x-4 ア)。
- 1964年9月1日 - ジャイアンツの村上雅則がデビュー。日本人初の大リーガーが誕生した。1イニングを被安打1、2奪三振の無失点に抑えた(メッツ 4-1 ジャイアンツ)。
- ワールドシリーズ開催:1969年、1973年、1986年、2000年
その他
- 1965年8月15日 - ビートルズが当時史上最大の屋外コンサートを行った。このコンサートは史上初の野球場でのコンサートであった。
- 1973年12月16日 - O・J・シンプソン(ビルズ)がNFL史上初となる1シーズン2000ヤードのランを記録した。
- 1975年10月5日 - 昭和天皇、香淳皇后がアメリカンフットボールNFLニューヨーク・ジェッツ対ニューイングランド・ペイトリオッツを観戦。
- 1976年6月26日 - 異種格闘技戦「格闘技世界一決定戦」として、グランドにリングを組みプロレスラーアンドレ・ザ・ジャイアント対プロボクサーチャック・ウェプナーが行なわれ、プロボクシング統一世界ヘビー級王者モハメド・アリとプロレスラー・アントニオ猪木が日本から中継された。(参照アントニオ猪木対モハメド・アリ)
- 1979年10月3日 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がミサを行った。
外部リンク
前本拠地: ポロ・グラウンズ 1962 - 1963 |
ニューヨーク・メッツの本拠地 1964 - 2008 |
次本拠地: シティ・フィールド 2009 - 現在 |
前本拠地: ポロ・グラウンズ 1960 - 1963 |
ニューヨーク・ジェッツの本拠地 1964 - 1983 |
次本拠地: ジャイアンツ・スタジアム 1984 - 現在 |
前本拠地: イェール・ボウル 1973 - 1974 |
ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地 1975 - (1シーズン限り) |
次本拠地: ジャイアンツ・スタジアム 1976 - 現在 |
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