蒲蒲線

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大田区東西鉄道蒲蒲線(おおたくとうざいてつどうかまかません)とは、1989年大田区が発表した東京急行電鉄(東急)の蒲田駅京浜急行電鉄(京急)の京急蒲田駅を連絡する東西鉄道の整備案を基に、大田区などが計画している鉄道路線である。空港連絡鉄道として位置づけられる。2000年代前半には動きがほとんど見られなかったが、2007年に勉強会が発足、2011年11月には事業主体のひとつになることが予想される東急電鉄が投資家へ構想を発表するなど、動きを見せ始めている。

目次

[編集] 計画

東急多摩川線矢口渡駅付近から、東急蒲田駅・京急蒲田駅付近の地下を経由し、京急空港線大鳥居駅に至る。矢口渡駅 - 蒲田駅間に設けられる分岐地点から、大鳥居駅まですべて新規に地下線路を敷設する。大鳥居駅からは、羽田空港直通運転をする。

東急線と京急線は軌間(レールの間隔)が異なるため、直通運転はできない[1]。東急側は東急多摩川線矢口渡駅 - 蒲田駅間の分岐地点から東急蒲田駅付近の地下まで単線の線路を建設し、その場所に「東急蒲田駅地下駅(仮称)」を新設する。京急側は、東急蒲田地下駅の同じホームの逆側から大鳥居駅まで、同様に単線の線路を地下に建設し、大鳥居駅付近の分岐地点で京急空港線に合流する。なお、京急蒲田駅付近の地下には交換駅の「南蒲田駅(仮称)」が建設される。

直通運転はしないが、東急蒲田地下駅は東急側と京急側の単線の線路が同じホームに発着し、同じホームでの乗り換えが可能となる[1]

なお、現在大田区役所となっている建物の西端の地下には、トンネルは掘られていないものの鉄道トンネルを建設するための用地が確保されており、そのための用地であることが建物図面にも表記されている[2]

[編集] 運行計画

2000年1月の運輸政策審議会答申第18号の中で将来構想として提示された路線案のうちの一つとして、東急多摩川線を介して東急東横線へ、さらにその先の東京地下鉄副都心線へと直通する構想もある。この中では、埼玉県西部から池袋渋谷を経由して羽田空港へ直結する路線として位置づけられている。

大田区の構想でも、東急側は蒲田駅から東横線・副都心線を経由して西武・東武方面へ運行することが想定されている[1]

[編集] その他の構想

このほか軌間可変電車(フリーゲージトレイン)方式の採用も検討されている。この場合直通が可能となる[2]

[編集] 現状

大田区によると、2007年10月に国、都、区、東急、京急による勉強会を立ち上げたところ、都以外は前向きな姿勢を示したとされる[3]。また、東急電鉄は2011年11月15日までに投資家への説明において蒲蒲線建設検討を発表、国などに支援を求める計画を明らかにしている[4]

[編集] 本計画の課題

本計画実現には以下に挙げるような課題がある。今後、計画具体化するまでにこれらの課題解消が必要となる。

  • 短い路線のため、採算性に問題がある。ただし、大田区は都市鉄道等利便増進法の制定で問題が解決されたとしている[5]
  • 地上が建物密集地のために全線地下線とせざるをえず、建設費が高額になる[5]
  • 行政主導の計画であり、建設や運営の主体がどこになるか予定されていない。
  • 予定事業費1,000億円以上のうち、東急、京急は一切費用負担しない。総工費の1/3は大田区が負担するため費用対効果の面から多額の地元負担が問題視されている。当初目的の蒲田駅と京急蒲田駅との連絡ならば現在でも路線バスが頻発しており、運賃が100円と低廉であることから建設意義は薄い。
  • 前述の通り、京急と東急では軌間が異なる。そのため本計画が実現しても1回乗り換えが生じてしまう。現在でも、池袋駅や渋谷駅から羽田空港へは1回の乗り換え(浜松町駅ないし品川駅)しか要しない状況で、わざわざ乗り換えを要する新線を建設するだけの需要と必要性があるのかが未知数。
  • 空港線の終着駅である羽田空港国内線ターミナル駅のプラットホームおよび線路の配置が1面2線で、現状の列車本数でも一杯であり、駅を改良しない限り蒲蒲線の利用客をカバーするだけの列車が入り込む余地がない。計画案は、羽田空港駅(当時)の改良について何も言及していない。
  • 2011年の大田区長選挙では、羽田空港の再国際化が地元活性化に繋がっていない、または蒲田は単なる通過点だとして、蒲蒲線計画中止を公約に掲げた候補者が現れた[6]

[編集] 備考

  • 第二次世界大戦後に、日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ軍が接収した羽田空港への物資輸送用として、国鉄蒲田駅から京急空港線(当時は東急穴守線)に乗り入れる通称「蒲蒲連絡線」が存在した。1945年9月、京浜蒲田駅(現在の京急蒲田駅)より先は従来の上り線を撤去し、代わりに1,067mm軌間の線路が敷設され、国鉄の運行によるアメリカ軍の貨物輸送が1952年11月まで行われていた。国鉄蒲田駅と京浜蒲田駅の間には小規模の操車場も設置されていた。いずれも現在は撤去され、連絡線跡地は道路などに転用されている。
  • 大東急(現在の小田急電鉄京王電鉄京浜急行電鉄相模鉄道の路線を含んでいた時代の東京急行電鉄)時代にも、戦後復興策の一環として目蒲線蒲田駅と品川線京浜蒲田駅を連絡線を敷設して結合する計画が浮上したが、まもなく大東急が分割されたため、この計画は自然消滅した。
  • 同様に環状八号線を導入空間とし、羽田空港から北区赤羽と結ぶ環状鉄道エイトライナー構想がある。

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

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