暫定王座

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暫定王座(ざんていおうざ、: interim championship)は、プロボクシングにおいて正規王者が負傷・病気などやむを得ない事情で長期的に防衛戦を行えない場合の特別措置で、その王者とは別の選手を一時的に王者に置く制度。

概要[編集]

正規王者がやむを得ない事情で長期間防衛戦を行えなくなった場合、(当該団体の判断により)その選手の王座保持を認めたうえで上位ランカー同士による王座決定戦を行い、その勝者を一時的に王者として認定する。その一時的に認定された王者が「暫定王者」である。

暫定王者となった選手には正規の王者と同じようにチャンピオンベルトが贈られる。さらに、正規王者と同様に防衛戦を行うこともできるので、肩書きに「暫定」という言葉が付く以外、正規王者と立場的には何ら変わらない。

正規王者が防衛戦を行える状況になり次第、正規王者と暫定王者双方に対し速やかに王座統一戦を行うよう義務付けられる。統一戦において暫定王者が勝利した場合、その選手が新正規王者となるが記録上は王座防衛となる。

なお、正規王者が統一戦を行うことなく王座を返上もしくは剥奪された場合、暫定王者が自動的に新正規王者として認められるケースもあれば、暫定王座に据え置いたまま上位ランカーとの正規王座決定戦に出場させるケースもある。

歴史[編集]

1952年に当時の世界フェザー級王者サンディ・サドラー兵役に着いた後、1953年2月9日パーシー・バセットアメリカ合衆国)がEBU欧州フェザー級王者レイ・ファメンションフランス)に勝ち、初の暫定世界王者となったが統一戦は実施されなかった為にバセットの暫定王座は自動消滅。

現在の、メジャーな世界王座認定団体発足後においては、1983年WBCが、バンタム級王者ルペ・ピントールの休養に伴い、アルベルト・ダビラVSキコ・ヒメネスを暫定王者決定戦と認定したのが最初である(ピントールの王座剥奪に伴い同勝者たる暫定王者アビラが自動昇格、アビラにKO負のヒメネスは死亡、リング禍)。

頻繁に認定が行われるようになった端緒は1991年9月19日にWBC世界バンタム級王者となった辰吉丈一郎が同年12月左眼網膜裂孔であることが判明し、王座を返上することなく療養を開始した後、1992年3月20日ビクトル・ラバナレスメキシコ)が李勇勲(韓国)に勝って暫定王者と認定されたことである(同年9月にラバナレスが辰吉に勝ち、王座統一)。

その後、1993年7月22日には、正規王者辺丁一負傷により設定された暫定王者決定戦で、辰吉丈一郎がビクトル・ラバナレスに判定勝ちし、暫定王座を獲得。同年9月には左目の網膜剥離が判明し、一旦、暫定王座を返上しプロボクサーとしての活動を余儀なくされたがたが、1994年7月2日のノンタイトルの再起戦のリングに上がった時点で(試合結果にかかわらず)プロボクサーとして再び活動可能な健康状態を取り戻し暫定王者在位中に活動休止された事を余儀なくされた配慮からWBCから再び暫定王座認定・返還を受けた(同年12月4日に正規王者薬師寺保栄との統一戦を行い、薬師寺が王座統一した)。

この後、WBA1998年から同制度導入し、プロボクシングでは頻繁に暫定王座決定戦が行われるようになる。

2011年2月5日のヘスス・ゲレスラモン・ガルシアWBOからの対戦指令に基づくものとはいえ、並立したWBO世界ライトフライ級暫定王座の統一戦として行われた。試合はゲレスが判定勝ちを収めWBO世界ライトフライ級暫定王座を統一したが、暫定王座の統一を懸けた異例の王座統一戦であった。

2011年4月9日のロバート・ゲレーロマイケル・カティディスはWBA世界ライト級暫定王座決定戦兼WBO世界ライト級暫定王座決定戦というWBAとWBOの2団体のライト級の暫定王座決定戦として行われた。(カティディスは2010年11月27日にWBA世界ライト級スーパー王者でWBO世界ライト級正規王者のファン・マヌエル・マルケスに敗れWBO世界ライト級暫定王座から陥落しているし、ゲレーロはIBFでフェザー級とスーパーフェザー級の2階級制覇を果たしているがライト級では正規王座も暫定王座も戴冠していなかった。無冠同士による暫定王座決定戦がWBAの暫定王座決定戦とWBOの暫定王座決定戦を同時に行うという形で行われた一戦である。)

日本プロボクシング史における男子暫定世界王者は前出の辰吉、2003年WBAバンタム級戸高秀樹、2006年WBAミニマム級高山勝成、2008年WBCスーパーバンタム級西岡利晃・2009年WBAスーパーウェルター級石田順裕、2013年WBAフライ級江藤光喜の合わせて6人。このうち、辰吉・高山は初防衛戦を兼ねた正規王者との統一戦、戸高・江藤は暫定王者として挑戦者を迎えた初防衛戦、石田は暫定王者として挑戦者を迎えた初防衛成功後に前正規王者のスーパー王座昇格に伴う新正規王座決定戦にそれぞれ敗れ、正規王座を獲得することなく王座を手放している。一方、西岡は獲得直後の挑戦者迎えての初防衛戦を控えた時期に前正規王者の名誉王者移行で新正規王者に自動的に昇格した。JBCが女子プロボクシング公認した2008年にWBCライトフライ級富樫直美が挑戦者を迎えての初防衛成功直後に前正規王者返上に伴い自動昇格。

日本のジム所属の男子世界王者で正規王者として暫定王者との統一戦に臨んだケースは、前出の辰吉、薬師寺の他、WBCフライ級勇利アルバチャコフ(1997年11月チャチャイ・イーリックジムに判定負け)、WBAミニマム級新井田豊(2004年10月ファン・ランダエタに判定勝ち、2007年4月高山に判定勝ち)、WBAフライ級坂田健史(2007年7月ロベルト・バスケスに判定勝ち)、WBCフライ級亀田興毅2010年3月ポンサクレック・ウォンジョンカムに判定負け)、WBAスーパーフェザー級内山高志(2011年大晦日ホルヘ・ソリスに11RTKO勝ち、2012年大晦日ブライアン・バスケスに8RTKO勝ち)、前出の亀田がWBAバンタム級でも(2012年12月ウーゴ・ルイスに判定勝ち)、WBAスーパーフライ級河野公平(2013年5月リボリオ・ソリスに判定負け)、WBAミニマム級宮崎亮(2013年9月ヘスス・シルベストレに判定勝ち)、WBOバンタム級亀田和毅(2014年11月アレハンドロ・エルナンデスに2-1判定勝)

日本のジム所属の女子世界王者で正規王者として暫定王者との統一戦に臨んだケースは、JBCが女子プロボクシング公認以前の日本女子ボクシング協会管轄下の選手ではWBCストロー級初代菊地奈々子(2007年5月、アメリカカリフォルニア州リムーアでカリーナ・モレノに判定負)、JBC管轄下では前出の富樫(2010年4月ノンムアイ・ゴーキャットジムに判定勝ち)、WBAミニマム級多田悦子(2010年4月リア・ラムナリンと引分、2011年4月イベス・サモラに判定勝ち)


(ベネズエラ国籍ながら日本・東京帝拳を拠点に活動し西岡と同門で、大阪市での辰吉をメインとする興行でデビュー)ホルヘ・リナレスは2007年7月21日、無敗のまま24戦目で生涯初の世界戦。アメリカネバダ州ラスベガスで元WBCスーパーバンタム級王者オスカー・ラリオスメキシコ)とWBCフェザー級暫定王座決定戦を争い、10回TKO勝で一時的に暫定王座に認定。しかし数日後には正規王者池仁珍が他の格闘技(K-1)転向に対する懲罰として王座剥奪で同試合開催前に遡り正規王座決定戦に認定、という事例も。


朝鮮民主主義人民共和国建国以来2人目のオリンピック優勝者(バルセロナフライ級チェ・チョルスも祖国でプロデビューし一時期は日本・協栄ジムに拠点置き中華人民共和国移動後にPABAフェザー級暫定王座獲得し初防衛成功したが統一戦出場や正規王座自動昇格せずに返上。

問題点[編集]

本来なら、上記の理由でなければ暫定王者は設けないはずだが、正規の王者が正規に防衛しているにもかかわらず、暫定王者を認めることがある。これは、王座の承認料を主な収入源とする王座認定団体が、タイトルマッチの数を増やすために行っていると指摘する専門家もいる。ボクシングライターの芦澤清一は、WBCについてはグラシアノ・ロッシジャーニとの裁判に負け、裁判所から巨額の賠償金の支払いを命じられたために承認料稼ぎの暫定戦の数を増やしているのではないかと指摘している。加えて、芦澤は王座の価値が落ちてしまうことから暫定戦の自制を提案している[1]IBFでは、1999年に起こった贈収賄事件を機に、暫定王座の設置基準についてより厳格なものに定めており、2011年まで暫定王者はわずか5人(うち2人は事件前)しか認定されていない(ただし、しばし1・2位を空位にして指名挑戦者決定戦を行っており、代替策と見る向きがある)。WBCについては、ロッシジャーニ裁判の影響で防衛戦を行わない王者への安易な剥奪が出来ない為か、暫定王座の代わりの複数の休養王者と指名試合不成立による窮余の策で設けられたWBCダイヤモンド王座が存在する。

日本ボクシングコミッション(JBC)事務局長安河内剛は2009年夏、石田順裕の暫定王座獲得時に「今後は暫定王座を正規王座たる世界王座と同様に取り扱うか、検討の余地が有る」とコメントしている。その後、特にWBAで暫定王座の乱発が相次ぎ、石田の暫定王座取り扱いも問題視されため、これらに業を煮やしたJBCは2010年3月にWBA暫定王座について精査した上で、不当なものであると判断された場合は世界王座と認めない方針を示した。(JBCは前出の江藤を歴代世界王者にカウントしていない。したがってプロボクシング世界チャンピオン会非会員である。)

WBAのヒルベルト・メンドサ・ジュニア副会長は2010年に「ボクシング・ビート」のインタビューで暫定王座の乱発について、「ボクサーたちにより多くのチャンスを授与するため」「審判、プロモーターが潤い、一般のファンも満足する機会が増える」「拮抗した好ファイトがより多くなる」などとコメントしており、この制度は今後も継続されると見られた。だが、現行の暫定王座に対する批判が加盟国のプロモーター及び選手から殺到したため、2012年1月4日付のWBAランキング更新にあたり、17階級中14階級で君臨していた暫定王者をすべて世界ランク1位に格下げした[2]。ただし、WBA女子暫定王座については指名挑戦権と同等のものとみなしている。

IBFはWBA・WBC・WBOとは異なり、暫定王座を極力作らない方針を採っている。1999年の贈収賄事件後にランキング見直しを施した際、より厳格な制度に改められ、以降は負傷など正当な理由のない暫定王座を設けていない(他3団体の暫定乱立はIBF事件以降特に激しくなった)。そのため、2010年までのIBF暫定王者はロビー・リーガンフリオ・ディアスザブ・ジュダーシャンバ・ミッチェルロバート・アレンの5名と極めて少ない。このうちリーガンとジュダーについては捜査が入る以前の暫定王者である。

現在では原則1・2位を空位として指名挑戦者決定試合を行っている。


なお、日本王座の場合は暫定王座が1999年春から創設。暫定戦から4ヶ月以内に正規王座・暫定王座の統一戦を行う義務があり、その間にそれぞれの王者が防衛戦を行うことはルールで禁じている。

(日本タイトル史上における暫定王座創設及び特異な事例:1997年1月チャンピオン・カーニバル_(ボクシング)ウェルター級王座決定戦で堀内稔名嘉原誠と3R負傷引分と一旦発表されたが後日覆り正当なパンチによる出血としてTKO勝ちで暫定王座認定。ダイレクトリターンマッチで名嘉原が判定で堀内に雪辱し正規王座に)

問題があるとされる暫定王座戦[編集]

芦澤清一は、問題のある暫定王座戦として、2008年9月18日にパナマ市で行われたトリプル世界タイトルマッチを挙げている。この興行では WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチと同階級の暫定王座決定戦が同時に行われた。暫定王座の存在が、正規の王者が怪我や病気、および何らかの理由で長期的に防衛戦を行えないときなどの制裁措置であるならば、これは起こりえないはずである。また、2008年9月15日に日本で行われたWBA世界スーパーフライ級王座決定戦では、同日にメキシコでも同級の世界暫定王座決定戦が開催された。さらに暫定王座決定戦に勝利したホルヘ・アルセは、正規王者になった名城信男との統一戦は行わず、WBO世界フライ級王者のイシドロ・ガルシアと防衛戦を行うこと決めてしまった。元来、WBAのスーパーフライ級には、WBC王座を獲得してWBAから統一王者に格上げされたクリスチャン・ミハレスがおり、そのため一つの団体の同じ階級に世界王者(統一・正規・暫定)が3人も存在するという事態が起きたことを指摘した。

ボクシング以外の暫定王座[編集]

UFC修斗キックボクシングWWEなどの各種格闘技でもボクシング同様の暫定王座を設けることがある。細部のルールは各団体によって異なるが、大まかな部分はプロボクシングと同じである。

一方、選手権試合が正規王座決定戦の条件を満たさないために「暫定王座」となることもあり、この場合正規王座は置かれず、本来の「暫定王座」とはニュアンスが異なるものである。この事例としては「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜」におけるアリスター・オーフレイムトッド・ダフィーの試合がDREAMヘビー級暫定王座決定戦として行われ、勝ったオーフレイムが同暫定王座を戴冠した。これは元々オーフレイムがジョシュ・バーネットアンドレイ・アルロフスキーと正規王座決定戦として対戦する予定だったのが、両者とも交渉がまとまらず、折衷案としてダフィーとの「暫定王座」決定戦となったものである[3]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ ボクシング時評『ボクシング・ワールド 競馬最強の法則11月号増刊』、KKベストセラーズ、2008年11月20日、63頁。
  2. ^ 暫定王者を1位に降格=WBA 時事ドットコム 2012年1月6日
  3. ^ アリスターvsダフィーは暫定王座決定戦 - デイリースポーツ 2010年12月30日