ホルヘ・アルセ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ホルヘ・アルセ
基本情報
本名 ホルヘ・アルマンド・アルセ・アルメンタ
通称 Travieso(やんちゃ坊主)
階級 スーパーバンタム級
身長 168cm
リーチ 175cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 1979年7月27日(33歳)
出身地 メキシコシナロア州ロスモチス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 71
勝ち 61
KO勝ち 46
敗け 7
引き分け 2
無効試合 1
テンプレートを表示

ホルヘ・アルマンド・アルセ・アルメンタJorge Armando Arce Armenta、男性、1979年7月27日 - )は、メキシコプロボクサー。元WBO世界ライトフライ級王者。元WBC世界ライトフライ級王者。元WBC世界フライ級暫定王者。元WBA世界スーパーフライ級暫定王者。元WBO世界スーパーフライ級王者。元WBO世界スーパーバンタム級王者。元WBO世界バンタム級王者。メキシコ人初の5階級制覇王者。アメリカ大手プロモータートップランクとメキシコ大手プロモーションサンフェル所属。かつてはイグナシオ・ベリスタインの指導も受けていた。

強烈なパンチ力を持ち、チャンスとなると回転の速い連打のラッシュを見せる。メキシカン独特の左アッパーによるボディブローは大きな武器となっている。闘争心溢れる戦いぶり、やや童顔な顔つきから「Travieso(トラビエソ、やんちゃ坊主の意)」の愛称で呼ばれる。リングに入場する時はいつも黒いカウボーイハットをかぶって棒付きキャンディを咥えて入場するのがトレードマークで、時には馬に乗ってカウボーイ風に入場することもある。試合に勝利した後の雄叫びも人気を集め、メキシコ国内ではバラエティ番組に出演していることもあって、ボクシング選手の枠を超えた大きな人気を博している。フランシスコ・アルセは弟。

目次

来歴 [編集]

ライトフライ級時代 [編集]

1979年メキシコロスモチスで生まれ、アマチュアのキャリアをほとんど積むことなく1996年1月19日に16歳でプロデビューした。

デビューの年の6月21日に後にWBC世界ライトフライ級王者となるオマール・ニーニョ・ロメロメキシコ)と対戦しており、1回TKOでプロデビュー後初黒星を喫している。

1997年7月21日、メキシコパシフィックコーストライトフライ級王座決定戦でロレンソ・トレホに3-0の判定勝ちで王座を獲得した。

1997年11月12日、レオナルド・グティエレスに判定勝ちし、WBAフェデセントロライトフライ級王座を獲得した。

1997年12月12日、ビクトル・ブルゴスに判定負けを喫し、WBAフェデセントロライトフライ級王座の初防衛に失敗し王座から陥落した。

1998年2月6日、ミゲル・マルティネスに3-0の判定勝ちでNABO北米ライトフライ級王座を獲得した。

1998年12月5日、ファン・ドミンゴ・コルドバアルゼンチン)を3-0の判定勝ちで下し、19歳でWBO世界ライトフライ級王座を獲得した。 しかし、同王座は1度防衛したものの1999年7月31日にマイケル・カルバハルアメリカ)に11回1分53秒TKO負けを喫し2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

1999年11月29日、ラディスラオ・バスケスの持つNABO北米ライトフライ級王座に挑戦し、2-0の判定勝ちを収めNABO北米ライトフライ級王座の再獲得に成功した。

2000年4月7日、ファン・ハビエル・ラゴスとWBC世界ライトフライ級ユース王座決定戦で対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した。同王座は2度防衛し返上した。

2001年10月20日、ファニト・ルビリアル(フィリピン)とWBC世界ライトフライ級暫定王座決定戦で対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した。

2002年7月6日に正規のWBC王者であった崔堯三韓国)と王座統一戦が行われ、6回TKOで勝利して正規王者の座に就いた。 この王座を7度に渡って防衛すると、2005年2月に返上して階級を上げた。

フライ級時代 [編集]

階級をフライ級に上げたアルセは、正規王者のポンサクレック・ウォンジョンカムタイ)に挑むためフセイン・フセイン(オーストラリア)とWBC世界フライ級挑戦者決定戦を行い、10回TKO勝利を収めポンサクレックへの挑戦権を獲得したが当時正規王者のポンサクレックは怪我のためタイトル戦が出来ない状態であったため、WBCはアルセとアンヘル・ピリオロ(コロンビア)との対戦を暫定王座決定戦とした。この試合にアルセは3回2分45秒TKO勝利を挙げ、WBC世界フライ級暫定王座を獲得した。

その後、ポンサクレックとの間で王座統一戦が行われるべきであったが両者の間で対戦条件が合わず、統一戦が行われないまま正規王者と暫定王者の2人の王者が存在し、それぞれが防衛戦を行うという異例の状態が1年間以上続き、ついに対戦が行われないままアルセは4度防衛した暫定王座を返上した。

なぜ、対戦条件が合わなかったか詳細は不明だが、どうしても対戦場所を自身の祖国であるタイにしたいポンサクレック側のオファーと、アルセ側の要求するファイトマネーの折り合いがつかなかった、といわれている。

スーパーフライ級時代 [編集]

暫定王座を返上したアルセはスーパーフライ級に階級を上げた。2006年9月23日にマシブレレ・マケプラ(南アフリカ)とWBC世界スーパーフライ級王座指名挑戦者決定戦を行い、これに4回TKOで勝利して挑戦権とWBCインターナショナルスーパーフライ級王座を獲得した。下の階級から上がってきたという不安を全く感じさせない戦いぶりだった。

2007年4月14日、WBC世界スーパーフライ級王者クリスチャン・ミハレス(メキシコ)に挑んだが、ミハレスに圧倒され0-3の判定負けを喫した[1]

一時期はバンタム級での試合も行ったが(後に世界王者となるトマス・ロハス(メキシコ)とWBCラテンアメリカバンタム級王座決定戦を行い6回TKO勝ちでこの試合に勝利している)2008年9月15日にWBA世界スーパーフライ級暫定王者ラファエル・コンセプションパナマ)に挑戦し、コンセプションが9回終了時に棄権を申し出た為、アルセがTKO勝利で暫定王座を獲得した。なお同日、名城信男日本)がWBA世界スーパーフライ級王座決定戦に出場し、正規王者となった。

2008年11月1日に正規王者の名城がいるにもかかわらず同国人の元WBO世界フライ級チャンピオンのイシドロ・ガルシアと防衛戦を行い4回48秒TKO勝ちで初防衛に成功した。

2009年2月7日、ホンダセンターにて、WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級スーパー王者ビック・ダルチニアン(オーストラリア)と対戦し、11回終了時にアルセの目尻の傷が悪化しドクターストップが掛かり、3団体統一王座の獲得に失敗すると共に王座から陥落、WBA世界スーパーフライ級暫定王座はダルチニアンの持つスーパー王座に吸収される形で消滅した。

2009年6月27日、フェルナンド・ルマカド(フィリピン)とIBFインターナショナルスーパーフライ級王座決定戦を行い、3回35秒KO勝ちで王座を獲得し再起に成功した。

2009年9月15日、ダルチニアンの返上に伴い行われたIBF世界スーパーフライ級王座決定戦に出場するもシンピウェ・ノンクアイ(南アフリカ)に0-3の判定負けを喫し、王座返り咲きに失敗した[2]

2010年1月30日、マービン・ソンソナ(フィリピン)の計量失格に伴い剥奪されたWBO世界スーパーフライ級王座決定戦に出場し対戦相手アンキー・アンコタ(インドネシア)の左目上の裂傷により7回1分34秒負傷判定になり、判定勝ちで王座獲得に成功し3階級制覇を達成した。その後、王座は返上した[3]

2010年7月31日、元WBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョ(メキシコ)と対戦し、1回2分56秒KO勝ちを収めた。

スーパーバンタム級時代 [編集]

2010年9月18日、メキシコシナロア州クリアカンのエスタディオ・バノルテでロレンソ・パーラベネズエラ)とWBO世界スーパーバンタム級王座挑戦者決定戦で対戦したが、両者が決め手を欠き、1-1(98-93、95-95、94-97)の三者三様の判定で引分となり、両者共に王座挑戦権獲得に失敗した。

友人でもあるフェルナンド・モンティエルが所属しているチームに復帰。ここから4階級制覇を目指す道を目指した。

2011年5月7日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスMGMグランドにて、WBO世界スーパーバンタム級王者ウィルフレド・バスケス・ジュニアプエルトリコ)に挑戦。ダウンを奪われ不利になり危うく判定負けになるところだったが、最終回、バスケスをロープにつめ顔面を一気に滅多打ち。その後クリンチした際にバスケス側のセコンドが水を投げ入れ試合をストップし大逆転となる12回55秒TKO勝利でメキシコ人初の4階級制覇という偉業を達成した[4]

2011年9月24日、メキシコバハ・カリフォルニア州メヒカリのアウディトリオ・デル・エスタードで、2階級制覇を狙うシンピウェ・ノンクアイと2年ぶりに再戦し、序盤にダウンを奪いそのままリードを奪い、4回自身もピンチに陥るも、一気に連打で捕え、滅多打ちにして守りに回って止まったノンクアイを4回2分1秒レフェリーストップとなるTKO勝利で破り2年前の雪辱を果たしたと同時に、この階級で初防衛に成功した[5]

2011年11月19日、WBO世界スーパーバンタム級王座を返上し、バンタム級に転向[6] 。 同日、ノニト・ドネア(フィリピン)がWBO世界バンタム級王座返上し、スーパーバンタム級に転向。

2012年12月15日、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストントヨタセンターにて、WBO世界スーパーバンタム級王者ノニト・ドネアと対戦し、3回2分59秒KO負けを喫し1年振りの王座返り咲きに失敗、試合後のリング上のインタビューで現役引退を表明した[7]

バンタム級時代 [編集]

2011年11月26日、メキシコシナロア州マサトランのプラザ・デ・トロスにおいて、ドネアの王座返上に伴うWBO世界バンタム級王座決定戦でアンキー・アンコタと1年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちで王座獲得、メキシコ人史上初の5階級制覇を達成した(その後スーパー王座に認定された)[8]

2012年2月18日、メキシコバハ・カリフォルニア州メヒカリ のパレンケ・デル・FEXで、ロレンソ・パーラと当初はWBO世界バンタム級王座の初防衛戦の予定だったが、パーラの資格問題が発覚した影響でノンタイトル戦に急遽変更。10回戦を行い、5回左アッパーからのボディショットでダウンを奪いそのまま10カウントを聞かせKO勝ち。過去にWBO世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦での引き分けになった因縁の対戦に決着を付ける完勝で再戦を制した)[9]

2012年6月9日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスのMGMグランドでヘスス・ロハス(プエルトリコ)とWBO世界バンタム級王座の初防衛戦の予定だったが、WBOがそれを認めずスーパーバンタム級契約でのノンタイトル戦として行われたが、2回無効試合に終わった[10]

試合後、WBO世界バンタム級王座を返上し、スーパーバンタム級に再転向した。

2012年9月22日、メキシコシナロア州ロスモチスのヒムナシオ・ポリフンシオナルで行われたフェザー級ノンタイトル10回戦で元WBO世界バンタム級王者マウリシオ・マルチネス(パナマ)と対戦し、3-0(99-90が2者、97-92)の判定勝ちを収めた。

パフォーマンス [編集]

試合後のコメントが有名で、試合後のコメントは国内で大きな話題を呼ぶこともある。特に、クリスチャン・ミハレスとの再戦要求についてコメントを求められることが多く、 WBO世界スーパーバンタム級王座の初防衛戦後には「今更再戦を要求してどうする。いままで俺が要求したのにすべて断ったじゃないか。遅すぎるし、もしやりたければ列に並んで待ってもらう。」 と言ったり、トマス・ロハスが八百長を告発については、「あいつは何が言いたいんだ。俺はやっていないし、コメントのすべてがでっち上げだ」と話し完全否定するなど強きの発言が多い。亀田家とは付き合いが多く、亀田興毅とは自分に似てる部分がありすっかり意気投合している。統一戦については前向きで、ぜひやりたいと話した。

獲得タイトル [編集]

<メジャー団体世界王座>

<国内・地域王座>

<備考>

脚注 [編集]

  1. ^ <ボクシング>ミハレス アルセを降し3度目の防衛に成功 - 米国 AFPBB News 2007年4月15日
  2. ^ ソト豪快KO アルセは不発 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年9月18日
  3. ^ アルセ、WBO王座獲得 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月31日
  4. ^ アルセ、バスケスを最終回TKO ボクシングニュース「Box-on!」 2011年5月8日
  5. ^ アルセ、エルナンデスも防衛 メキシコの世界戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年9月26日
  6. ^ アルセがS・バンタム級王座を返上 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月20日
  7. ^ ドネア、アルセ沈める WBO・J・フェザー級ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月16日
  8. ^ アルセ5階級制覇 WBOバンタム級決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月27日
  9. ^ アルセ、老雄パーラをKO ボクシングニュース「Box-on!」 2012年2月21日
  10. ^ 37歳ベイリー劇的TKO勝ち IBFウェルター級王座決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年6月11日

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]

前王者
ファン・ドミンゴ・コルドバ
第9代WBO世界ライトフライ級王者

1998年12月15日 - 1999年7月31日

次王者
マイケル・カルバハル
暫定王座決定戦 対戦者
ファニト・ルビリアル
WBC世界ライトフライ級暫定王者

2001年10月20日 - 2002年7月6日

次暫定王者
王座統一戦により消滅
前王者
崔堯三
第22代WBC世界ライトフライ級王者

2002年7月6日 - 2005年(返上)

空位
次タイトル獲得者
エリック・オルティス
暫定王座決定戦 対戦者
アンヘル・アントニオ・ピリオロ
WBC世界フライ級暫定王者

2005年7月30日 - 2006年(返上)

次暫定王者
返上により消滅
前暫定王者
ラファエル・コンセプション
WBA世界スーパーフライ級暫定王者

2008年9月15日 - 2009年2月7日

次暫定王者
王座統一戦により消滅
空位
前タイトル保持者
マービン・ソンソナ
第15代WBO世界スーパーフライ級王者

2010年1月30日 - 2010年(返上)

空位
次タイトル獲得者
オマール・ナルバエス
前王者
ウィルフレド・バスケス・ジュニア
第16代WBO世界スーパーバンタム級王者

2011年5月7日 - 2011年11月19日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ノニト・ドネア
空位
前タイトル保持者
ノニト・ドネア
第17代WBO世界バンタム級王者

2011年11月26日 - 2012年6月(返上)

空位
次タイトル獲得者
プンルアン・ソー・シンユー