プライス (潜水艦)

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USS Plaice;0839009.jpg
艦歴
発注
起工 1943年7月14日
進水 1943年11月15日
就役 1944年2月12日
退役 1947年11月
除籍 1973年4月1日
その後 1963年9月7日ブラジル海軍へ転籍
性能諸元
排水量 1,526トン(水上)
2,424トン(水中)
全長 311.8 ft (95.0 m)
全幅 27.3 ft (8.3 m)
吃水 15.3 ft (4.6 m)
機関 フェアバンクス=モース
38D 8 1/8ディーゼルエンジン 4基
エリオット・モーター発電機2基
最大速 水上:20.25 ノット (37 km/h)
水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)
試験深度 400ft (120m)
巡航期間 潜航2ノット (4km/h) 時48時間、哨戒活動75日間
乗員 士官6名、兵員60名
兵装 4インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃、小口径機銃2基(1945年5月)[1]
5インチ砲1基、40ミリ機関砲2基、小口径機銃2基(1945年7月)[2]
21インチ魚雷発射管10門

プライス (USS Plaice, SS-390) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はカレイの一種であるアメリカン・プライスに因んで命名された。

艦歴[編集]

プライスは1943年7月14日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。1943年11月15日にエリナ・ファッツィによって命名、進水し、1944年2月12日に艦長クライド・B・スティーヴンス・ジュニア少佐アナポリス1930年組)の指揮下就役する。整調および訓練後、プライスは4月15日にパナマ運河に向けて出航し、5月13日に真珠湾に到着した。

第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月[編集]

6月3日、プライスは最初の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。6月30日、プライスは北緯28度20分 東経141度23分 / 北緯28.333度 東経141.383度 / 28.333; 141.383聟島北西80キロの水域で元特設砲艦百福丸(尼崎汽船、986トン)を撃沈。7月5日には、北緯27度50分 東経141度20分 / 北緯27.833度 東経141.333度 / 27.833; 141.333西之島北東約40キロの水域で特設捕獲網艇興義丸三光汽船、857トン)を撃沈した。7月18日には輸送船団を攻撃して時雨型駆逐艦の撃沈を報じ[3]、後日第50号駆潜艇を撃沈とされたが[4]、同艇は7月21日に空襲で沈没している[5]。7月25日、プライスは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した[6]

8月17日、プライスは2回目の哨戒で日本近海および南西諸島方面に向かった。9月7日の午後遅くに、北緯27度26分 東経126度54分 / 北緯27.433度 東経126.900度 / 27.433; 126.900の地点で金剛丸(国際汽船、7,043トン)クラスの特設巡洋艦と思しき艦船に対して魚雷を発射し、1本の命中を得たと判断された[7]。9月24日には北緯29度3分 東経129度15分 / 北緯29.050度 東経129.250度 / 29.050; 129.250の地点で、扶桑型戦艦に対して6本の魚雷を発射。スクリューを止める効果はあったと判断された[8]。3日後の9月27日未明、プライスは北緯29度41分 東経128度02分 / 北緯29.683度 東経128.033度 / 29.683; 128.033トカラ列島宝島北西50キロの水域で、陸軍特殊船吉備津丸日本郵船、9,575トン)などが加わったヒ72船団を護衛し門司に向かっていた第10号海防艦を撃沈。輸送船に対しても3本の魚雷を命中させたと判断された[9]。10月7日にミッドウェー島に寄港し、翌日、スレッシャー (USS Thresher, SS-200) と共に真珠湾に回航された。10月12日、プライスは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した[10]

第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年3月[編集]

11月9日、プライスは3回目の哨戒で日本近海に向かった。四国九州方面および東シナ海と哨戒。12月9日未明、プライスは女島灯台沖でレッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) 、シーデビル (USS Sea Devil, SS-400) とともに空母隼鷹戦艦榛名重巡洋艦利根と、それらを護衛中の駆逐艦を発見。レッドフィッシュが隼鷹を撃破し、プライスかシーデビルのどちらかが駆逐艦を撃破した[11]。12月20日、プライスは39日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。

1945年1月23日[12]、プライスは4回目の哨戒でスキャバードフィッシュ (USS Scabbardfish, SS-397) 、シーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。哨戒海域でアーチャーフィッシュ (USS Archer-fish, SS-311) 、バットフィッシュ (USS Batfish, SS-310) 、ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) からなる別のウルフパックが合流。今回の長期に及ぶ哨戒では敵の対潜作戦に直面することとなったが、遭遇した獲物は3月1日に発見した小型、中型の輸送船および3隻の護衛艦から成る船団のみであり、その船団に対して3度にわたる攻撃を行ったが、1つの命中を得ただけと判断された[13]。3月23日、プライスは58日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がリチャード・S・アンドリュース(アナポリス1931年組)に代わった。

第5、第6の哨戒 1945年4月 - 1945年月[編集]

4月26日、プライスは5回目の哨戒で千島列島およびオホーツク海方面に向かった。最初の敵との遭遇は5月13日であり、プライスは4隻の海上トラックと4隻の小型ラガー (船)英語版を発見して追跡。その後浮上して択捉島の入り江に追い込み[14]、4インチ砲および40ミリ機関砲で砲撃を行い、海上トラック全てとラガー2隻を撃沈した。大口径砲の弾薬を全て消費したプライスは、残る2隻のラガーに対して20ミリ機銃などで攻撃し、破壊した。5月18日には、それぞれ250トンほどの7隻の漁船を発見。20ミリ機銃などでの攻撃で2隻を破壊した。6月13日、プライスは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

7月18日、プライスは6回目の哨戒で東シナ海に向かった。この哨戒では敵との接触はなかったが、アメリカ陸軍航空軍B-25の乗員を救助し、翌日海軍の哨戒機に彼らを引き渡した。8月15日に日本は降伏。8月24日、プライスは35日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。

戦後・ブラジル海軍で[編集]

戦後プライスは1947年11月まで太平洋で活動し、その後メア・アイランド海軍造船所で予備役となる。ブラジル海軍に貸与するため1963年5月18日に活動状態に復帰し、9月7日に相互防衛援助計画に基づき引き渡された。

プライスはブラジル海軍でバイア (Bahia, S-12) の艦名で就役する。当初は5年間の貸与予定であったが、その期間は延長された。1972年にバイアはサントスのブラジル技術博物館に売却された。プライスは1973年4月1日にアメリカ海軍から除籍された。

プライスは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.242,243
  2. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.290
  3. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.53,54,68,70
  4. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
  5. ^ 『父島方面特別根拠地隊戦闘詳報第三号』
  6. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.36,37
  7. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.106,107
  8. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.108,109 。木俣『日本戦艦戦史』422ページによれば、第二戦隊(西村祥治中将)の戦艦山城と扶桑がを出航したのは前日の9月23日。しかし『日本戦艦戦史』には9月24日に雷撃を受けた記述はなく、あるいは山城と扶桑が雷撃に気付いていなかった可能性がある
  9. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.110,111
  10. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.97
  11. ^ 槇を撃破したのは、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIではプライス、木俣『日本水雷戦史』589ページではプライスの名を挙げながらもシーデビルとしている
  12. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.165
  13. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.211,212,213,214,215,216
  14. ^ 「SS-390, USS PLAICE」p.268

参考文献[編集]

  • SS-390, USS PLAICE(issuuベータ版)
  • 父島方面特別根拠地隊司令部『父島方面特別根拠地隊戦闘詳報第三号 自昭和十九年七月十九日至昭和十九年七月二十日父島及母島ニ於ケル戦闘』(昭和19年6月15日~昭和19年8月5日 父島方面特別根拠地隊戦時日誌戦闘詳報) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030275200
  • 第一海上護衛隊司令部『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』(昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030141500
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 山高五郎『図説 日の丸船隊史話』至誠堂(図説日本海事史話叢書4)、1981年
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年

外部リンク[編集]