ロンクィル (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
USS Ronquil;0839609.jpg
艦歴
発注
起工 1943年9月9日
進水 1944年1月27日
就役 1944年4月22日
1953年1月16日
退役 1952年5月
1971年7月1日
除籍 1971年7月1日
その後 1971年7月1日スペイン海軍へ転籍
性能諸元
排水量 1,526トン(水上)
2,424トン(水中)
全長 311 ft 6 in (95.0 m)
全幅 27 ft 3 in (8.3 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
機関 フェアバンクス=モース
38D 8 1/8ディーゼルエンジン 4基
エリオット・モーター発電機2基
最大速 水上:20.25 ノット (37 km/h)
水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)
試験深度 400ft (120m)
巡航期間 潜航2ノット (4km/h) 時48時間、哨戒活動75日間
乗員 士官6名、兵員60名
兵装 5インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃、小口径機銃2基
21インチ魚雷発射管10門、

ロンクィル (USS Ronquil, SS-396) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はスズキ目の魚であるロンクィルに因んで命名された。

艦歴[編集]

ロンクィルは1943年9月9日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。1944年1月27日にC・M・エルダー夫人によって命名、進水し、1944年4月22日に艦長ヘンリー・S・モンロー少佐(アナポリス1933年組)の指揮下就役する。ニューイングランド沖での整調後、ロンクィルはハワイへ向けて出航した。1944年7月8日に真珠湾に到着し、準備訓練を行った。

第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月[編集]

7月31日、ロンクィルは最初の哨戒で東シナ海台湾方面に向かった。8月24日朝、ロンクィルは北緯25度10分 東経122度43分 / 北緯25.167度 東経122.717度 / 25.167; 122.717の台湾西北三貂角北方でモタ23船団を発見し、第三吉田丸(山下汽船、4,646トン)と福嶺丸(東亜海運、5,969トン)に対して魚雷を発射し、第三吉田丸は搭載の弾薬が爆発して轟沈、福嶺丸は近くの海岸に座礁して果てた。9月8日、ロンクィルは39日間の行動を終えてマジュロに帰投した[1]

9月30日、ロンクィルは2回目の哨戒で日本近海に向かった。哨戒期間の前半はベズゴ (USS Besugo, SS-321) 、ガビラン (USS Gabilan, SS-252) とウルフパックを構成して豊後水道で哨戒し、レイテ沖海戦に関連した日本海軍の艦隊の動きを見張った。海戦終了後、ロンクィルは11月8日に一旦サイパン島に寄航[2]。第101潜水群指揮官トーマス・B・クラークリング英語版大佐の指揮下、他の潜水艦[3]とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して、11月10日から日本の南方洋上に配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦に従事した。11月17日、ロンクィルはバーフィッシュ (USS Burrfish, SS-312) とともに北緯32度40分 東経140度09分 / 北緯32.667度 東経140.150度 / 32.667; 140.150八丈島近海で特設監視艇ふさ丸(千葉県、176トン)を攻撃。挟み撃ちによって、ふさ丸に打撃を与えていた。しかし、ロンクィルは戦闘の最中に艦の後部で爆発が起こった。原因は、ロンクィルの5インチ砲弾か40ミリ機関砲弾が、砲身がロンクィルの甲板に向いているときに誤って発射されて、ワイヤーに命中してしまったためである[4]。ロンクィルは耐圧区画が破られたため哨戒を打ち切った。11月28日、ロンクィルは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投[5]。艦長がロバート・B・ランダー(アナポリス1937年組)に代わった。

第3、第4、第5の哨戒 1945年1月 - 7月[編集]

1945年1月1日、ロンクィルは3回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。同海域で、日本本土を攻撃する陸軍爆撃機支援として救助艦任務に当たる一方、2月7日には呉竹丸(日本郵船、1,924トン)を撃破した[6]。2月14日、ロンクィルは43日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した[7]

3月11日、ロンクィルは4回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒でも実質救助艦任務がメインであり、B-29の乗員10名を救助した。4月24日、ロンクィルは45日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した[8]

5月19日、ロンクィルは5回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。しかし、この哨戒で戦果を挙げることはなかった。7月26日、ロンクィルは67日間の行動を終えて真珠湾に帰投した[9]戦争終結時、ロンクィルは次の哨戒に向けて真珠湾沖での訓練中であった。

戦後[編集]

ロンクィルは1945年の秋にサンディエゴへ戻り、カリフォルニア海岸沖の訓練演習に従事した。1947年1月、ロンクィルはサンディエゴを出航し平時における最初の西太平洋配備に就く。この哨戒は114日間にわたって行われ、タヒチカロリン諸島マリアナ諸島、日本、黄海などを訪れた。サンディエゴに帰還すると沿岸での活動を再開し、その後は攻撃および対潜水艦戦での第二次世界大戦の戦訓の具体化と戦後開発された新戦術を3年間にわたって訓練した。

ロンクィルは1952年5月にメア・アイランド海軍造船所入りし、 GUPPY IIA 近代化改修が行われた。船体およびセイルは水中での高速化のため流線型となり、水中における長時間活動を可能とするための新型の容量が増加したバッテリーが装着された。また、シュノーケルの装備により潜望鏡深度でディーゼル機関を使用することが可能となる。新型ソナーおよび火器管制装置を始めとする電子機器も装備された。

ロンクィルは1953年1月16日に再就役し、6月12日に日本に向けて出航した。ロンクィルは7月19日に横須賀に到着し、1852年のマシュー・ペリー代将の訪問を祝う黒船祭に参加した。8月から9月にかけてロンクィルは日本近海での対潜およびその他の作戦に参加したが、この活動のパターンはその後の配備でも同様に行われた。

1953年12月11日、ロンクィルはサンディエゴに帰還し、オーバーホール、回復訓練および海軍予備役兵の訓練、艦隊演習で1年を費やす。1955年3月21日に第2の西太平洋配備に就き、帰還は9月後半であった。続く2年間は本国の西海岸沖での活動に従事し、1957年7月31日に極東での7ヶ月間の配備に入った。

1958年7月3日から7月7日までロンクィルは艦隊の他の艦艇と共に、「グレート・ホワイト・フリート」のサンフランシスコ到着50周年記念祭に参加した。つづいて通常任務を再開し、1959年4月6日にサンディエゴを出航、5ヶ月間の西太平洋配備に就く。1960年7月から8月までロンクィルは僚艦およびカナダ海軍と共に東太平洋における対潜演習に参加した。

1961年初秋にロンクィルは再び極東に赴き、1962年3月に帰還した。全国ラジオおよびテレビネットワークのための対潜訓練デモンストレーションに参加後、オーバーホールと沿岸活動の期間に入る。ロンクィルは1963年11月にサンディエゴを出航し、第7艦隊の配備に就いた。カリフォルニアに帰還すると西海岸での作戦活動を再開、1964年の後半にベトナム配備の準備を開始する。1965年2月、ロンクィルは東南アジアへの5ヶ月間の配備に就いた。

1966年中頃にロンクィルは再び第7艦隊に加わり、1967年2月にサンディエゴに帰還、カリフォルニア沖合での活動を始めた。これは8月に中断され、映画『北極の基地/潜航大作戦』(ジョン・スタージェス監督)の撮影で架空の原子力潜水艦タイガーフィッシュ (USS Tigerfish, SSN-509) として使用された。

12月26日、ロンクィルは再び日本に向かって出航した。今回の配備中、ロンクィルはアメリカ海軍、イギリス海軍オーストラリア海軍、カナダ海軍および海上自衛隊共同で行われた演習に参加した。1968年7月2日に西海岸に帰還し、その後1969年7月4日に極東に向けて出航、同年のクリスマスイブにサンディエゴに帰還した。

1970年1月末、ロンクィルはオーバーホールおよび修理期間に入り、その後東太平洋で訓練および艦隊演習に従事した。1970年8月に第7艦隊配備が行われ、サンディエゴには1971年3月5日に帰還した。今回の配備の功績でベトナム勲功章が授与された。

スペイン海軍で[編集]

1971年7月1日にロンクィルは退役、除籍され、相互防衛援助計画の下スペイン海軍に移管された。スペイン海軍では潜水艦のパイオニアであるイザク・ペラル英語版に因んでイザク・ペラル (SPS Isaac Peral, S-32) と命名された。イザク・ペラルは艦長ペドロ・ソレール・ヨリフ少佐の指揮下サンディエゴを出航、新たな母港のスペインカルタヘナに8月22日到着した。

イザク・ペラルは1982年に退役が決定したが、後継のシロコ (SPS Siroco, S-72) の就役までその退役は延期された。イザク・ペラルは1984年4月3日にスペイン海軍を退役した。

ロンクィルは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.20
  2. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.76
  3. ^ シルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) 、ソーリー (USS Saury, SS-189) 、トリガー (USS Trigger, SS-237) 、バーフィッシュ、スターレット (USS Sterlet, SS-392) 、タンバー (USS Tamber, SS-198)
  4. ^ 木俣, 266ページ
  5. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.86
  6. ^ 『横須賀防備隊戦時日誌』、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
  7. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.133
  8. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.173
  9. ^ 「SS-396, USS RONQUIL」p.207

参考文献[編集]

  • SS-396, USS RONQUIL(issuuベータ版)
  • 第五監視艇隊『昭和十九年十一月二十二日 特設監視艇ふさ丸戦闘詳報』(昭和19年10月5日~昭和20年2月20日 第5監視艇隊戦時日誌戦闘詳報) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030238700
  • 横須賀防備隊『自昭和二十年二月一日至昭和二十年二月二十八日 横須賀防備隊戦時日誌』(昭和20年2月1日~昭和20年3月31日 横須賀防備隊戦時日誌(4)

) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030386000

  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5

外部リンク[編集]