ランプレイ (潜水艦)

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USS ランプレイ
基本情報
建造所 マニトワック造船
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1944年2月22日
進水 1944年6月18日
就役 1944年11月17日
退役 1946年6月3日
除籍 1971年9月1日
その後 1960年8月21日アルゼンチン海軍に貸与。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
主機 ゼネラルモーターズModel 16 V16ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25 ノット
水中:8.75 ノット
航続距離 11,000 海里/10ノット時
潜航深度 試験時:400 ft (120 m)
乗員 士官6名、兵員60名
兵装
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ランプレイ (USS Lamprey, SS-372) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はヤツメウナギ目の総称に因んで命名された。

ウミヤツメ(Sea lamprey
ノーザンブルック・ランプレイ(Northern brook lamprey

艦歴[編集]

ランプレイは1944年2月22日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工した。6月18日にW・T・ネルソン夫人によって命名、進水し、11月17日に艦長ウィリアム・T・ネルソン少佐(アナポリス1930年組)の指揮下就役する。ミシガン湖での公試後、ランプレイは12月12日にイリノイ州ロックポート英語版で浮きドックに納められる。ミシシッピ川に向かい、12月13日にニューオーリンズに到着した。その4日後、太平洋に向けて出航する。

哨戒[編集]

1945年2月17日、ランプレイは最初の哨戒で南シナ海に向かった。3月29日まで台湾沖および香港で救助任務に従事し、4月8日にシンガポール海峡を通過、翌9日にカリマタ海峡を通過しジャワ海に入った。この頃には日本軍艦艇の大半は海の藻屑と消え、この哨戒でランプレイは敵艦を発見することはなかった。4月22日、ランプレイは59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がリュシアン・B・マクドナルド少佐(アナポリス1938年組)に代わった。

5月21日、ランプレイは2回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。ジャワ海を通過して哨戒海域に向かったランプレイは、5月28日にブルーバック (USS Blueback, SS-326) と共に600トンの日本軍護衛艦に対して砲撃を行った。6月29日、ランプレイは40日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。

7月26日、ランプレイは3回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。沿岸に沿って目標の探索を行ったランプレイは、8月8日にシンガポール海域に入り、ペンギボー島西方で小型艇を砲撃により沈めた。その後哨区においてイギリス海軍潜水艦スピアヘッド (HMS Spearhead, P263) と任務を交代しボルネオ方面に向かった。8月12日にスラバヤから荷物を運ぶヨットを砲撃により撃沈。8月15日、終戦の報せを受け取ったとき、ランプレイはスクーナーに対して攻撃を行うため接近中であった。8月20日、ランプレイは25日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[2]

ランプレイは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。

戦後・アルゼンチン海軍にて[編集]

ARA サンティアゴ・デル・エステロ
基本情報
運用者  アルゼンチン海軍
艦歴
就役 1960年11月3日
退役 1971年
その後 予備部品として解体。
要目
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ランプレイは8月31日にスービック湾を出航し、9月22日にサンフランシスコに到着した。その後メア・アイランド海軍造船所で係留され、1946年6月3日に退役、太平洋予備役艦隊入りする。長く保管された後、ランプレイは1960年7月21日にアルゼンチンへ貸与され、サンティアゴ・デル・エステロ (ARA Santiago del Esteroe, S-12) としてアルゼンチン海軍で就役した。アルゼンチン海軍では、サンタフェ (ARA Santa Fe, S-11) とともに、司令塔を改修した後に訓練用として使用された。また、1966年10月にはフォークランド諸島に派遣され、テクニカルダイバーのグループを上陸させた。この話は最近、アルゼンチン海軍の関係者が明らかにしたものである。アルゼンチン海軍での現役任務後、1971年9月1日にアメリカ海軍に返還され除籍された。その後アルゼンチンに完全に売却され、予備部品として使用されるため解体された。

脚注[編集]

  1. ^ 「SS-372, USS LAMPREY」p.5
  2. ^ 「SS-372, USS LAMPREY」p.72

参考文献[編集]

外部リンク[編集]