ブレニー (潜水艦)

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USS ブレニー
手前からブレニー、駆逐艦ザ・サリヴァンズ、病院船サンクチュアリー(英語版)。(1976年8月、於フィラデルフィア海軍造船所)
手前からブレニー、駆逐艦ザ・サリヴァンズ、病院船サンクチュアリー英語版。(1976年8月、於フィラデルフィア海軍造船所
基本情報
建造所 エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS) →補助潜水艦 (AGSS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1943年7月8日
進水 1944年4月9日
就役 1944年7月27日
退役 1969年11月7日
除籍 1973年8月15日
その後 1989年6月7日、海没処分。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311フィート9インチ (95.02 m)
水線長 307フィート (93.6 m)
最大幅 27フィート3インチ (8.31 m)
吃水 16フィート10インチ (5.1 m)
主機 ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力 5,400馬力 (4.0 MW)
電力 2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離 11,000海里/10ノット時
潜航深度 試験時:400フィート (120 m)
乗員 士官6名、兵員60名
兵装
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ブレニー (USS Blenny, SS/AGSS-324) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はギンポ亜目に属する魚の総称に因んで命名された。

マーブルド・ブレニー(Marbled blenny
ヤエヤマギンポ(Jewelled blenny

艦歴[編集]

ブレニーは1943年7月8日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1944年4月9日にフローレンス・キング(アーネスト・キング提督の娘)によって命名、進水し、1944年7月27日に艦長ウィリアム・H・ハザード少佐(アナポリス1935年組)の指揮下就役する。

哨戒[編集]

11月10日、ブレニーは最初の哨戒で南シナ海に向かった。12月14日朝、ブレニーは木造の海上トラックを砲撃で撃沈した[2]。夜に入り、北緯15度46分 東経119度45分 / 北緯15.767度 東経119.750度 / 15.767; 119.750ルソン島サンタクルーズ沖で第28号海防艦を撃沈。12月23日には、北緯16度50分 東経120度18分 / 北緯16.833度 東経120.300度 / 16.833; 120.300の北サンフェルナンド北方で乾瑞丸(乾汽船、4,156トン)に魚雷4本を命中させて、これを撃沈した。同船はタマ36船団に加わって第10師団その他をルソン島へ向けて輸送していたが、機関故障で船団から脱落し単独で航行していたものであった[3]。1945年1月13日、ブレニーは62日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[4]

2月5日[5]、ブレニーは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月27日未明、ブレニーは北緯11度56分 東経109度18分 / 北緯11.933度 東経109.300度 / 11.933; 109.300インドシナ半島カムラン湾口付近で、南号作戦参加のヒ96船団を発見。1時35分ごろにタンカーあまと丸(石原汽船、10,238トン)に魚雷を命中させて撃沈した。その後しばらくは敵との接触はなかったが、3月20日夕刻、北緯11度18分 東経108度57分 / 北緯11.300度 東経108.950度 / 11.300; 108.950のインドシナ半島パラダン岬南西7キロ地点で、接岸航行を行っている南号作戦参加のヒ88I船団を発見。ブレニーは複数回攻撃を仕掛け、山国丸日本海洋漁業、557トン)、宝泉丸(アルコール輸送、1,039トン)、第二十一南進丸(南方油槽船、834トン)の3隻を一気に撃沈した。3月27日、ブレニーは49日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[6]

4月16日[7]、ブレニーは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。5月15日にはプラタス島の通信施設に対して艦砲射撃を行った[8]。5月25日、ブレニーは南緯06度04分 東経107度27分 / 南緯6.067度 東経107.450度 / -6.067; 107.450の地点で特設監視艇海龍丸長崎県、81トン)を撃沈[9]。5月30日には南緯04度09分 東経114度16分 / 南緯4.150度 東経114.267度 / -4.150; 114.267の地点で「Hokoku Maru」(不詳、520トン)[10]を撃沈した。6月9日、ブレニーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[11]

7月5日[12]、ブレニーは4回目の哨戒でジャワ海に向かった。7月16日、ブレニーは南緯05度16分 東経110度17分 / 南緯5.267度 東経110.283度 / -5.267; 110.283の地点で特設砲艦南海拿捕船、元オランダ未成掃海艇レグルス、2,400トン)を撃沈した[13]。また、哨戒の全期間を通じてジャンクサンパンなどを片っ端から破壊し[14]、この哨戒における浮上砲戦の回数は63回を数えた[15]。8月14日、ブレニーは40日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。

ブレニーは第二次世界大戦の戦功で4個の、朝鮮戦争の戦功で1個の従軍星章を受章した。また、ブレニーは8隻の日本船、合計18,262トンを撃沈した。

戦後[編集]

大戦終結後スービック湾を出航、9月5日にサンディエゴに到着したブレニーは、同年の残りを同海域で活動した。1946年から51年にかけてブレニーは、中国巡航(1946年8月 - 11月)、カナダへの士官候補生訓練巡航、アラスカ水域での2度の冬期巡航(1947年 - 48年、48年 - 49年)、ハワイ海域での艦隊演習、サンディエゴ海域での作戦活動を行う。ブレニーは1951年にGUPPY改修が行われ、同年の残りはサンディエゴ海域で活動した。1952年5月から11月まで極東を巡航し、韓国水域での朝鮮戦争の作戦支援のため35日間の哨戒を行った。1953年は西海岸沿いに活動した。1954年5月24日、ブレニーは大西洋艦隊に配属される。コネチカット州ニューロンドンを拠点として作戦活動に従事し、大西洋艦隊と共にNATOの対潜作戦演習に参加した。加えて潜水開発部隊と共に新型機材の実験を実施した。

その後、ブレニーは1964年頃に AGSS-324 (実験潜水艦)に艦種変更された。1969年11月7日に退役し、予備役艦隊で保管された後、1973年8月15日に除籍された。ブレニーの艦体は長く保管された後に、1989年6月にメリーランド州オーシャンシティの海岸から約15マイルの海域に人工岩礁として沈められた。

脚注[編集]

  1. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.8,32
  2. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.77
  3. ^ 駒宮, 310ページ
  4. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.65
  5. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.124
  6. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.170
  7. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 1」p.234
  8. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 2」p.47
  9. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II。船舶データは林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」による
  10. ^ 『日本商船隊戦時遭難史』には記載なし
  11. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 2」p.28
  12. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 2」p.75
  13. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」、正岡。Roscoe にはカウントされていない
  14. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 2」p.141,142,143,144,145
  15. ^ 「SS-324, USS BLENNY, Part 2」p.221

参考文献[編集]

  • SS-324, USS BLENNY, Part 1(issuuベータ版)
  • SS-324, USS BLENNY, Part 2(issuuベータ版)
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年、ISBN 4-425-31271-6
  • 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
  • 正岡勝直編「小型艦艇正岡調査ノート5 戦利船舶、拿捕船関係」『戦前船舶資料集 第130号』戦前船舶研究会、2006年

外部リンク[編集]