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シモン・ペドロ・フォンセカ・サブローザ(Simão Pedro Fonseca Sabrosa, 1979年10月31日 - )はポルトガル出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。日本語ではシマゥンやシマオ、シマンと表記されることもある。
[編集] プレースタイル
ドリブルでペナルティーエリア内に切れ込み、ラストパスを送るというのがプレースタイルであるが隙あらば自らも積極的にシュートを打っていく。ボールキープも出来る。国内ではルイス・フィーゴの後継者となると言われている。
近頃ではウイング、サイドハーフ、セカンドトップ、トップ下までこなし、移籍市場では常に話題になっている。
[編集] 略歴
スポルティング・リスボンの下部組織で育ち、1996-1997シーズンからトップチームに帯同、翌シーズンにはレギュラーを奪取した。1999-2000シーズンには前シーズン10得点の活躍を見込まれ、フィーゴの抜けたバルセロナに移籍金1500万ユーロ(約24億7500万円)で加入した[1]。しかし、チームの方針に馴染めず、2年後には移籍金1200万ユーロ(約19億8000万円)でベンフィカに移籍した[2]。ところがスーペルリーガ復帰後は再び大活躍を見せ、ベンフィカに久々のタイトルをもたらす要因となった。2006-2007シーズン開幕前にリバプール入団が間近だったが破談となった。2007年7月26日、アトレティコ・マドリードへ移籍。移籍金は2000万ユーロ(約32億4000万円)[3]で同クラブと年俸250万ユーロ(約4億円)の4年契約を結んだ。
代表にはU-18ポルトガル代表のスターとして活躍し、1998年のイスラエル戦で満を持して代表デビューを果たした。2002 FIFAワールドカップ予選でも6試合に出場し本大会行きに貢献した。しかし、直前に行われたフィンランド戦にて左膝靭帯損傷という全治4ヶ月の大怪我を負いワールドカップの大舞台を掴みかけながらも手放さざるを得なくなった。ただし、復帰後は国内リーグ得点王の状態で母国開催であったEURO 2004にて準優勝メンバー入り(ただし、途中出場が多かった)、2006 FIFAワールドカップ出場と相変わらずな活躍を見せている。
[編集] 所属クラブ
[編集] 脚注