シモン・サブローザ
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 本名 | シモン・ペドロ・フォンセカ・サブローザ | ||||||
| ラテン文字 | SIMÃO Sabrosa | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1979年10月31日(32歳) | ||||||
| 出身地 | ヴィラ・レアル | ||||||
| 身長 | 170cm | ||||||
| 体重 | 64kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | MF / FW | ||||||
| 背番号 | 31 | ||||||
| 利き足 | 右 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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シモン・ペドロ・フォンセカ・サブローザ(Simão Pedro Fonseca Sabrosa, 1979年10月31日 - )は、ポルトガル出身のサッカー選手。トルコ・シュペルリガ・ベシクタシュJK所属。ポルトガル代表であった。ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ)、フォワード(左ウイング)。日本ではシマゥンやシマオ、シマンと表記されることもある。
リスボンの2大クラブであるSLベンフィカとスポルティング・リスボンでプレーした経験があり、スペインのFCバルセロナとアトレティコ・マドリードにも在籍した。ポルトガル代表としてはFIFAワールドカップとUEFA欧州選手権に2度ずつ出場し、通算85試合に出場して22得点を挙げた。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] クラブ
[編集] スポルティング・リスボン
ヴィラ・レアルのコンスタンティン村に生まれ、ルイス・フィーゴやクリスティアーノ・ロナウドを輩出したスポルティング・リスボンの下部組織に入団した。17歳だった1996年、ジル・ビセンテFC(Gil Vicente FC)戦でトップチームデビューすると、1997-98シーズンにはレギュラーの座を奪取した。1998-99シーズンにはリーグ戦で10得点とブレイクし、スポルティング在籍時には通算53試合に出場して12得点した[1]。
[編集] FCバルセロナ
1999年夏、移籍金1500万ユーロ(約24億7500万円)でスペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した[2]。1999-2000シーズンは左ウイングとしてプレーし、右ウイングのルイス・フィーゴと良いコンビを築いた。しかし、チームの戦術にうまく対応できず、わずか2シーズンの在籍に終わった。
[編集] SLベンフィカ
2001年夏、わずか2シーズンの在籍でFCバルセロナを離れ[3]、移籍金1200万ユーロ(約19億8000万円)で母国のベンフィカに移籍した[4]。すぐにファンのお気に入りの選手となり、キャプテンにも就任した。6シーズンの在籍期間中ずっとチーム得点王となり、リーグ全体を見渡しても得点ランキング上位に位置した。2004-05シーズンにはリーグ戦全試合にフル出場して15得点し、11シーズンぶりのリーグ優勝を飾った[5]。タッサ・デ・ポルトガルでも決勝に進出し、決勝のヴィトリア・セトゥーバル戦では4分にペナルティキックで先制点を決めたが、その後逆転されて準優勝に終わった。同シーズンのUEFAカップでも全試合に出場し、FKデュクラ・バンスカー・ビストリツァ戦(3-0)での2得点を含めて4得点した[6]。2005-06シーズンも好調を維持し、UEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝に進出した。チームが戦った10試合のうち8試合に出場し、グループリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦(1-2)ではアラン・スミスのファールによって自らが得た直接フリーキックを見事にゴールに蹴り込み、反撃の機運を高めた[7]。決勝トーナメント1回戦では前年度覇者のリヴァプールと対戦し、アンフィールドで行われた試合ではGKホセ・マヌエル・レイナの左側を射抜くシュートを決めた。2試合合計3-0で勝利し、準々決勝進出を決めた[8]。
2005年夏にはリヴァプールのターゲットになり[9]、約1200万ポンドのオファーが出されたが、ベンフィカがより高い金額を求めたために交渉は決裂した[10]。2006年夏にもマンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールなどのクラブが獲得に興味を示したが[11][12]、ベンフィカに残留する道を選んだ。
[編集] アトレティコ・マドリード
2007年7月20日、スペインのアトレティコ・マドリードと年俸250万ユーロ(約4億円)で4年契約を結んだ[13]。移籍金は2000万ユーロ(約32億4000万円)[14]。2007-08シーズンと2008-09シーズンは絶対的なレギュラーであり、2シーズン連続でリーグ戦7得点を挙げ、2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグ出場権内の4位となった。2009年4月12日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦において、100年以上の歴史を誇るアトレティコ・マドリードのリーグ戦通算4000得点目を決めた[15]。2009年夏にはアベル・レシーノ監督が就任し、チーム改造の最中にシモンはキャプテンに指名された[16]。2009-10シーズンのチームは全体的に低調なプレーぶりだったが、UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのAPOELニコシア戦(1-1)では引き分けに持ち込む得点を決め、グループリーグ3位でのUEFAヨーロッパリーグ出場に貢献した[17]。2010年1月14日、コパ・デル・レイのレクレアティーボ・ウェルバ戦(5-1)では、2試合合計同点に追いつく素晴らしいフリーキックなどで2得点を挙げた。UEFAヨーロッパリーグのガラタサライSK戦でも重要な得点を決め、決勝ではフラムFCに勝利して優勝した。2010年2月14日のFCバルセロナ戦では、それまでリーグ戦で無敗を続けていたチームに対して決勝ゴールを決め、勝負強さを見せつけた。
2010年8月に行われたUEFAスーパーカップ・インテルナツィオナーレ・ミラノ戦(2-0)ではセルヒオ・アグエロの得点をアシストし、2010年9月22日のビジャレアルCF戦(1-1)では重要な得点を奪うなど、2010-11シーズンは開幕戦からの8試合で3得点を挙げる活躍を見せ、16戦中15試合に出場した。アントニオ・ロペス欠場時にはしばしばキャプテンを務めた。
[編集] ベシクタシュJK
2010年12月22日、ウーゴ・アルメイダやリカルド・クアレスマなどポルトガル人が多く在籍していたトルコ・シュペルリガのベシクタシュJKと契約を結んだ[18][19]。5月11日、テュルキエ・クパス決勝のイスタンブルBB(İstanbul Büyükşehir Belediyespor)戦(2-2、PK戦4-3)ではPK戦にもつれ込んだが、シモンが最終キッカーとして優勝を決めた。
[編集] 代表
1996年にはU-17ポルトガル代表としてUEFA U-17欧州選手権に出場して優勝した。1997年にはU-18ポルトガル代表に昇格し、1999年頃にはU-21ポルトガル代表のレギュラーであった。
19歳だった1998年11月18日、イスラエル戦でポルトガルA代表デビューした。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では6試合に出場して本大会出場に貢献したが、本大会直前に行われたフィンランド戦で左膝靭帯損傷の大怪我を負い、本大会出場を逃した[2]。
[編集] UEFA欧州選手権2004
2004年には母国で開催されたUEFA欧州選手権2004の出場メンバーに選ばれ、6試合中3試合に出場して準優勝という好成績に貢献した。準々決勝のイングランド戦で途中出場すると、相手MFフランク・ランパードの厄介なパスをインターセプトしてエルデル・ポスティガにクロスを送り、フリーのポスティガが同点に追いつくヘディングシュートを決めた。延長戦でも決着が付かずにPK戦にもつれ込んだが、シモンもPKを成功させて準決勝進出に貢献した[20]。
[編集] 2006 FIFAワールドカップ
2006年にはドイツで開催されたワールドカップに出場し、グループリーグのメキシコ戦(2-1)の24分に先制点を挙げた[21]。準々決勝ではイングランドと対戦し、再び勝敗の行方はPK戦に持ち込まれたが、PKを成功させて勝利した[22]。
[編集] UEFA欧州選手権2008
2008年にはスイスとオーストリアで共催されたUEFA欧州選手権2008のメンバーに選ばれ、3試合に出場したが、準々決勝でドイツに敗れた[23]。
[編集] 2010 FIFAワールドカップ
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では世界的なスター選手となったクリスティアーノ・ロナウドに注目が集まったが、ハンガリー戦(3-0)で2得点を挙げるなど[24]、同予選ではチーム内得点王となる4得点を挙げた[2]。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも選出され、7-0と大勝したグループリーグの北朝鮮戦ではきっちりと得点を奪った。
2010年8月27日、個人的な理由により代表引退することを発表した[25]。
[編集] 人物
[編集] 家族
3人兄弟の末子である。2009年3月15日、姪がケブラーダの海岸で溺死した[26]。既婚者であり、妻との間に一男一女がいる。
[編集] その他
Como Se Faz um Campeão(ハウ・トゥ・メイク・ア・チャンピオン)というタイトルの子ども向けサッカーDVDを発売している。このDVDではパス、トラップ、クロス、シュートなどサッカーの基本となる技術的要素を取り扱い、DVDの歴史上先例のない映像の技術効果を巧みに使って説明されている[27]。彼はまた、ZON Multimédiaからオファーを受けて高解像度チャンネルのSport TVの司会を務めた。この映像はリスボン郊外のエスタディオ・ナシオナル(Estádio Nacional)で撮影され、試合前の控室の様子が映されている[28]。
テレビゲームであるFIFA 10のポルトガル版ではフランク・ランパードとともにパッケージキャラクターを担当した[29]。
[編集] 所属クラブ
- 1996-1999
スポルティング・リスボン - 1999-2001
FCバルセロナ - 2001-2007
SLベンフィカ - 2007-2010
アトレティコ・マドリード - 2011-
ベシクタシュJK
[編集] タイトル
[編集] クラブ
SLベンフィカ
- タッサ・デ・ポルトガル 優勝 : 2003-04
- スーペル・リーガ 優勝 : 2004-05
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ 優勝 : 2005
アトレティコ・マドリード
- UEFAヨーロッパリーグ 優勝 : 2009-10
- コパ・デル・レイ 準優勝 : 2009-10
- UEFAスーパーカップ 優勝 : 2010
ベシクタシュJK
- テュルキエ・クパス 優勝 : 2010-11
[編集] 代表
U-17ポルトガル代表
- UEFA U-17欧州選手権 優勝 : 1996
ポルトガルA代表
- UEFA欧州選手権 準優勝 : 2004
- FIFAワールドカップ ベスト4 : 2006
[編集] 個人
- ポルトガル年間最優秀選手賞 : 2007
[編集] 勲章
- Medal of Merit, Order of the Immaculate Conception of Vila Viçosa (House of Braganza)[30]
[編集] 個人成績
[編集] クラブでの出場記録
| クラブ | リーグ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ | Europe | 通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
| スポルティング・リスボン | スーペル・リーガ | 1996–97 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 |
| 1997–98 | 21 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 26 | 1 | ||
| 1998–99 | 30 | 10 | 1 | 0 | 2 | 0 | 33 | 10 | ||
| 通算 | 53 | 12 | 5 | 0 | 4 | 0 | 62 | 12 | ||
| FCバルセロナ | ラ・リーガ | 1999–00 | 21 | 1 | * | * | 7 | 0 | * | * |
| 2000–01 | 25 | 2 | * | * | 9 | 0 | * | * | ||
| 通算 | 46 | 3 | * | * | 16 | 0 | * | * | ||
| SLベンフィカ | スーペル・リーガ | 2001–02 | 26 | 11 | 1 | 0 | – | 27 | 11 | |
| 2002–03 | 33 | 18 | 0 | 0 | – | 33 | 18 | |||
| 2003–04 | 31 | 12 | 4 | 1 | 10 | 2 | 45 | 15 | ||
| 2004–05 | 34 | 15 | 4 | 3 | 10 | 4 | 48 | 22 | ||
| 2005–06 | 24 | 9 | 3 | 2 | 8 | 2 | 35 | 13 | ||
| 2006–07 | 24 | 11 | 3 | 1 | 12 | 4 | 39 | 16 | ||
| 通算 | 172 | 76 | 15 | 7 | 40 | 12 | 227 | 95 | ||
| アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 2007–08 | 30 | 7 | 3 | 0 | 8 | 3 | 41 | 10 |
| 2008–09 | 33 | 7 | 3 | 0 | 8 | 2 | 44 | 9 | ||
| 2009–10 | 34 | 2 | 8 | 3 | 17 | 2 | 59 | 7 | ||
| 2010–11 | 16 | 4 | 1 | 1 | 7 | 1 | 24 | 6 | ||
| 通算 | 113 | 20 | 15 | 4 | 40 | 8 | 168 | 32 | ||
*Information not available
[編集] 代表での年別出場試合数
| 代表 | 年 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| ポルトガル代表 | 1998 | 1 | 1 |
| 1999 | 0 | 0 | |
| 2000 | 5 | 0 | |
| 2001 | 5 | 0 | |
| 2002 | 4 | 0 | |
| 2003 | 8 | 3 | |
| 2004 | 12 | 1 | |
| 2005 | 5 | 2 | |
| 2006 | 12 | 5 | |
| 2007 | 6 | 2 | |
| 2008 | 9 | 4 | |
| 2009 | 11 | 3 | |
| 2010 | 3 | 1 | |
| 通算 | 80 | 22 | |
[編集] 代表での得点
| # | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1998年11月18日 | 2–0 | 2–0 | 親善試合 | ||
| 2. | 2003年4月30日 | 1–1 | 1–1 | 親善試合 | ||
| 3. | 2003年8月20日 | 1–0 | 1–0 | 親善試合 | ||
| 4. | 2003年10月11日 | 2–2 | 5–3 | 親善試合 | ||
| 5. | 2004年10月13日 | 5–1 | 7–1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 6. | 2005年9月3日 | 5–0 | 6–0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 7. | 2005年9月3日 | 6–0 | 6–0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 8. | 2006年6月3日 | 0–1 | 0–3 | 親善試合 | ||
| 9. | 2006年6月3日 | 0–2 | 0–3 | 親善試合 | ||
| 10. | 2006年6月21日 | 2–0 | 2–1 | 2006 FIFAワールドカップ | ||
| 11. | 2006年11月15日 | 1–0 | 3–0 | UEFA欧州選手権2008予選 | ||
| 12. | 2006 年11月15日 | 3–0 | 3–0 | UEFA欧州選手権2008予選 | ||
| 13. | 2007年2月6日 | 0–1 | 0–2 | 親善試合 | ||
| 14. | 2007年9月12日 | 1–0 | 1–1 | UEFA欧州選手権2008予選 | ||
| 15. | 2008年5月31日 | 2–0 | 2–0 | 親善試合 | ||
| 16. | 2008年8月20日 | 2–0 | 5–0 | 親善試合 | ||
| 17. | 2008年9月6日 | 0–3 | 0–4 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 18. | 2008年11月19日 | 4–2 | 6–2 | 親善試合 | ||
| 19. | 2009年10月10日 | 1–0 | 3–0 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 20. | 2009年10月10日 | 3–0 | 3–0 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 21. | 2009年10月14日 | 2–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
| 22. | 2010年6月21日 | 2–0 | 7–0 | 2010 FIFAワールドカップ |
[編集] 脚注
- ^ City diary: Lisbon UEFA.com、2004年5月17日
- ^ a b c Player profile ESPNsoccernet
- ^ Sabrosa offers Barcelona ultimatum BBC Sport、2000年7月18日
- ^ “Miccoli to lead Benfica line”. UEFA.com (2005年8月31日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ Portugal – List of Champions RSSSF
- ^ Banská Bystrica 0 – 3 Benfica UEFA.com、2004年9月16日
- ^ “United save their best until last”. UEFA.com (2005年9月27日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Simão sends Liverpool crashing out”. UEFA.com (2006年3月8日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ Wallace, Sam (2006年1月5日). “Liverpool confident they will land £8m Simao”. London: The Independent 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Liverpool fail in move for Simao”. BBC Sport. (2005年8月31日) 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Sunday's gossip column”. BBC Sport. (2006年7月2日) 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Tuesday's gossip column”. BBC Sport. (2007年4月24日) 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Comunicado” (Portuguese). CMVM (2007年7月26日). 2010年6月10日閲覧。
- ^ “シマンがアトレティコ移籍に合意”. UEFA.com (2007年7月26日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ “Simão enters Atlético history by scoring goal number 4,000”. Atlético Madrid's website (2009年4月13日). 2010年1月6日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Simao Sabrosa proud to captain Atletico Madrid”. Goal.com (2009年7月21日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ “APOEL denied by Simão strike”. UEFA.com (2009年11月25日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Simão Sabrosa abandona el Atlético de Madrid y ficha por el Besiktas” (Spanish). Atlético Madrid (2010年12月22日). 2010年12月22日閲覧。
- ^ “Simao Sabrosa Beşiktaş’ta” (Turkish). Besiktas JK (201012-23). 2010年12月23日閲覧。
- ^ “Hosts hold their nerve”. UEFA.com (2004年6月24日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ Portugal progress as pool winners UEFA.com、2006年6月21日
- ^ England – Portugal Report FIFA.com、2006年7月1日
- ^ “Portugal ousted by German power show”. UEFA.com (2008年6月19日). 2010年1月7日閲覧。
- ^ “Simao brace propels Portugal”. FIFA.com (2009年10月10日). 2010年1月7日閲覧。
- ^ “Portugal winger Simao Sabrosa retires from international football”. Goal.com (2010年8月27日). 2010年8月31日閲覧。
- ^ IMDB profile
- ^ Simão Sabrosa – Como Se Faz Um Campeão DVD.pt (ポルトガル語)
- ^ “Simão é rosto de campanha do canal HD da Sport TV” (Portuguese). SAPO.pt (2008年9月2日). 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Simão Sabrosa imagem FIFA 10 em Portugal” (Portuguese). EA Portugal. 2010年1月6日閲覧。
- ^ “Selecção distinguida pelo Duque de Bragança” (Portuguese). Cristiano Ronaldo News. (2006年8月30日) 2006年8月30日閲覧。
[編集] 外部リンク
- Stats and profile at Zerozero
- Stats at ForaDeJogo (ポルトガル語)
- BDFutbol profile
- シモン・サブローザ - National-Football-Teams.com
- PortuGOAL profile
- GOAL.com profile
- FootballDatabase profile and statistics
- Official website (ポルトガル語)
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1 リュシュテュ | 3 イスマイル | 4 M・フェルナンデス | 5 イブラヒム | 6 シヴォク | 7 クアレスマ | 8 フェリ | 9 H・アルメイダ | 10 べべ | 11 ムスタファ | 13 ヒルバート | 15 M・アウレリオ | 17 エクレム | 18 ネジプ | 19 メフメト | 20 シモン | 21 ブラク | 22 エルサン | 23 ホロシュコ | 24 J・アウヴェス | 27 シドネイ | 28 エルンスト | 33 エドゥ | 55 コークマツ | 66 タンユ | 80 ムハンマド | 90 ウムト | 93 アティンサ | 99 ジェンク 監督: カルバリャウ |
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