ドミンゴス・パシエンシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ドミンゴス・パシエンシア Football pictogram.svg
Domingos Paciencia 2011.jpg
名前
本名 ドミンゴス・ジョゼ・パシエンシア・オリヴェイラ
ラテン文字 Domingos José Paciência Oliveira
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1969年1月2日(45歳)
出身地 レサ・ダ・パルメイラ
身長 175cm
体重 69kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1997
1997-1999
1999-2001
ポルトガルの旗 FCポルト
スペインの旗 CDテネリフェ
ポルトガルの旗 FCポルト
232 (97)
50 (6)
31 (9)
代表歴2
1989–1998 ポルトガルの旗 ポルトガル 35 (9)
監督歴
2005–2006
2006–2007
2007–2009
2009–2011
2011–2012
2012-2013
ポルトガルの旗 FCポルト B
ポルトガルの旗 ウニオン・レイリア
ポルトガルの旗 アカデミカ・コインブラ
ポルトガルの旗 スポルティング・ブラガ
ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン
スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ
1. 国内リーグ戦に限る。2010年3月18日現在。
2. 2010年3月18日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ドミンゴスDomingos)ことドミンゴス・ジョゼ・パシエンシア・オリヴェイラDomingos José Paciência Oliveira1969年1月2日 - )は、ポルトガルレサ・ダ・パルメイラ出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW

経歴[編集]

13歳のときにFCポルトのユースチームに入団した。1987年にトップチームに昇格するとフェルナンド・ゴメスからレギュラーポジションを奪い、1995-96シーズンには得点王に輝いた。

1997–98シーズンにスペインのCDテネリフェに移籍すると、ロイ・マカーイと2トップを組んだが完全に適応することはなく、2年後にはポルトに戻った。その後2001年に現役引退した。

ポルトガル代表としては1989年にデビューを果たし、UEFA欧州選手権1996に招集された。

引退後、ポルトのユースチーム及びリザーブチームのアシスタントコーチを務め、2006年にウニオン・レイリアの監督に就任した。その後アカデミカ・コインブラで2年監督をした後に、2009年、スポルティング・ブラガの監督に就任した。UEFAヨーロッパリーグ 2010-11ではチームを準優勝に導いた。2011年5月13日、スポルティング・リスボンと2年契約を結んで監督に就任した。UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ首位で決勝トーナメント進出を決めたが、国内リーグでは3位や4位にとどまり、2012年2月、成績不振により解任された[1]

2012年12月30日、リーガ・エスパニョーラの最下位に低迷するデポルティーボ・ラ・コルーニャの監督に就任した[2]が、2013年2月11日に解任された[3]

エピソード[編集]

16歳だったアンドレ・ビラス・ボアスボビー・ロブソンに引き抜かれた要因がパシエンシアの出場機会が少ないことを訴えた手紙だった。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ
ポルトガルの旗 FCポルト
個人

脚注[編集]

  1. ^ スポルティングがパシエンシア監督を解任”. UEFA.com (2012年2月13日). 2012年3月2日閲覧。
  2. ^ 前半戦終えて最下位に低迷するデポルティーボが監督交代を発表”. SOCCER KING (2012年12月31日). 2012年12月31日閲覧。
  3. ^ 泥沼デポルが2度目の監督交代”. Goal.com (2013年2月11日). 2013年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]