エスクデロ・セルヒオ

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エスクデロ・セルヒオ Football pictogram.svg
名前
本名 セルヒオ・アリエル・エスクデロ
愛称 セル、セルヒト
ラテン文字 Sergio Ariel ESCUDERO
基本情報
国籍 日本の旗 日本
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 1988年9月1日(26歳)
出身地 スペインの旗 スペイングラナダ
身長 171cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 韓国の旗 FCソウル
ポジション FWOH、SH
背番号 9
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-12
2012
2013-
日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
韓国の旗 FCソウル (loan)
韓国の旗 FCソウル
81 (7)
20 (4)
45 (6)
代表歴2
2008 日本の旗 日本U-23 5 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年7月17日現在。
2. 2009年12月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エスクデロ・アリエル・セルヒオ(Sergio Ariel Escudero、1988年(昭和63年)9月1日 - )は、日本サッカー選手。スペイングラナダ出身。ポジションはフォワードオフェンシブハーフ、サイドハーフKリーグFCソウル所属。

来歴[編集]

父親のセルヒオ・エスクデロ浦和レッドダイヤモンズでプレーし、引退後にも浦和下部組織の育成に携わったことから、3歳から8歳までを日本で過ごす。その後アルゼンチンへと帰国したが、2000年に再度来日。以後柏レイソル青梅を経て、ジュニアユース、ユースと浦和の下部組織に所属。

2005年4月29日、16歳7ヶ月の若さで浦和トップチーム登録[1]。同年5月21日のナビスコカップ第3節、対アルビレックス新潟戦において16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。9月8日、浦和とプロ契約を締結した[2]埼玉県埼玉栄高校(父が同校サッカー部を指導)に在学していたが、プロ入りと同時に退学。

2006年3月29日のナビスコ杯・FC東京戦でプロ初ゴール[3]。2007年6月11日には日本国籍を取得2008年5月15日フランスで行われたトゥーロン国際大会に向けたU-23日本代表に初選出された。

浦和ではサポーターの高い期待を集めつつも、出場機会に恵まれなかったが、2009年フィンケ監督が就任すると、途中出場やスタメンとしてコンスタントに出場を重ねるようになり、5月5日柏レイソル戦でリーグ戦初ゴールを挙げた。 その後は度々負傷で離脱することもあったが、最終的には自己最多となる公式戦30試合に出場した。

2010年はキャンプ中から好調を維持し、3月6日鹿島アントラーズ戦で自身初の開幕スタメン出場を果たしたが、その後は度重なる負傷に悩まされ復帰しては再発をして離脱するを繰り返し、前年より出場試合数は減ってしまった。ただし、8月21日湘南ベルマーレ戦、9月25日アルビレックス新潟戦では貴重な追加点となるゴール、11月27日川崎フロンターレ戦では試合終盤に同点ゴールを決めるなど、度々チームを救う活躍を見せることもあった。

2011年は終盤戦まで出場機会に恵まれなかったが、監督が堀孝史に交代後は1トップのFWとして定着し、高い身体能力を生かしたプレーで前線の起点になっていたが、11月26日アビスパ福岡戦の前半に相手GKと接触した際に負傷し途中交代、左半膜様筋損傷と診断され[4]、以降全ての公式戦を欠場した。

2012年は負傷が続き、浦和ではリーグ戦1試合に途中交代で出場したのみに留まっていた。同年7月17日、韓国KリーグFCソウルへの半年間の期限付き移籍が発表された(オプションで完全移籍あり)。移籍後はスタメンを勝ち取り、主力として2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。同チームに所属する日本国籍の選手は、前園真聖(当時のチーム名は安養LGチーターズ)以来2人目となる。シーズン終了後の同年12月、完全移籍を発表している。

2013年は背番号を9に変更し、2012年に引き続き主力としてプレー。一時は調子を落としたが監督の崔龍洙からのアドバイスから建て直し、チームの初AFCアジアチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献した。決勝では、自身初出場し(浦和レッズ在籍時にチームは決勝に出場したが、ベンチ外だった)1stレグで先制点をあげ、その後逆転を許したがデヤン・ダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついた。2ndレグでも再びダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついたが、アウェーゴールの差で優勝は逃した。

人物[編集]

  • 16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。
  • 元々はアルゼンチンとスペインの2重国籍だったが、2007年6月11日日本国籍を取得(なお、父のセルヒオも同時に帰化している)。
  • ブラジルグレミオに所属しているダミアン・エスクデロアルゼンチンU-23代表)は従兄弟にあたる。
  • 日本とアルゼンチンで育ったが、日本の方が長かったため日本語が第一言語。スペイン語も堪能。家族との会話はスペイン語。
  • 当時チームメイトだった田中マルクス闘莉王のアドバイスから北京オリンピックサッカー日本代表に選ばれた際、登録名を漢字表記の競飛王に変更しようとしていた、しかし代表登録の遅れから選出されず登録名変更も無くなってしまった。しかし何時代表に呼ばれても良い様にスパイクには競飛王の刺繍が入っている。
  • ハンバーガーコーラが大好物であり、体重の増加に苦しんでいた。近年[いつ?]では自重して体重を絞り込むなどプロ意識を強く持つようになってきている。
  • 2010年8月21日に行われた湘南ベルマーレ戦でゴールを決めた際、喜びのあまりユニフォームをまくり上げ上半身を露出したことでイエローカードを受けてしまった。この時はこれで通算4枚目のイエローカードとなってしまい、累積警告で次節の鹿島アントラーズ戦に出場することができなくなってしまった。
  • ACL決勝で、広州恒大足球倶楽部相手に2試合で1ゴール・2アシストの活躍で、監督のマルチェロ・リッピは「彼はアジアナンバーワンだ」と言わしめた[5]
  • 2013年12月8日、結婚したことを発表した[6]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

As of 2014-05-10

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2005 浦和 34 J1 5 0 2 0 0 0 7 0
2006 1 0 3 1 0 0 4 1
2007 15 1 0 0 0 0 0 1 0
2008 13 0 1 0 2 1 16 1
2009 23 3 7 1 0 0 30 4
2010 17 3 3 0 2 1 22 4
2011 20 1 6 1 0 0 26 2
2012 1 0 0 0 - 1 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2012 ソウル 26 Kリーグ 20 4 - - 20 4
2013 9 34 4 - 3 0 37 4
2014 9 11 2 - 1 0 12 2
通算 日本 J1 81 7 22 3 4 2 107 12
韓国 Kリーグ 65 10 - 4 0 69 10
総通算 146 17 22 3 8 2 176 22
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2008 浦和 15 1 0
2013 ソウル 9 12 2
2014 ソウル 9 7 1
通算 AFC 13 2

経歴[編集]

代表歴[編集]

  • 2008年 U-23日本代表(北京五輪代表候補メンバー)

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]