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*[[にっぽん城紀行]](関西テレビ、ナレーター)
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*テノヒラサイズの人生大車輪(舞台)
*テノヒラサイズの人生大車輪(舞台)
*[[ちかえもん]](2016年) ‐ 横川敏斎


== CD・DVD ==
== CD・DVD ==

2016年11月26日 (土) 11:09時点における版

桂 吉弥かつら きちや
桂 吉弥
結三柏は、桂米朝一門定紋である。
本名 富谷 竜作(とみや りゅうさく)
生年月日 (1971-02-25) 1971年2月25日(53歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府茨木市
師匠 桂吉朝
活動期間 1994年 -
活動内容 上方落語
所属 米朝事務所
公式サイト 桂吉弥ホームページ
受賞歴
1997年ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞

1998年NHK新人演芸大賞」新人賞
2005年「第42回なにわ芸術祭」新人賞
2006年咲くやこの花賞
2008年「第2回繁昌亭大賞」奨励賞
2008年「第3回繁昌亭大賞」大賞
2008年芸術祭賞」大衆芸能部門 新人賞 2013年芸術祭賞」大衆芸能部門 優秀賞
2014年「平成25年度花形演芸大賞」大賞

備考
上方落語協会会員

桂 吉弥(かつら きちや、1971年2月25日 - )は、大阪府茨木市出身の落語家俳優上方落語協会会員で、所属事務所米朝事務所。『真室川音頭』を高座の出囃子に用いる縁で、山形県真室川町の観光親善大使「まむろがわ大使」を務めている[1]。また、妻の出身地に当たる島根県安来市から、「安来市ふるさと大使」を委嘱されている[2]

2人の子どもを持つ既婚者で、現在の本名は富谷 竜作(とみや りゅうさく)。旧姓は新保(しんぼ)だったが、結婚を機に富谷姓を名乗っている。現在は、兵庫県尼崎市に在住。

人物

両親とも養護学校の教員だった新保家の長男として出生。実父は大阪府立藤井寺養護学校(現・大阪府立藤井寺支援学校)の校長として定年を迎えた[3]。吉弥自身も、小学校で児童会の会長、中学校で生徒会長・ブラスバンド部長を務めていた。

大阪府立春日丘高等学校から、実父が卒業した神戸大学教育学部に進学。高校時代には、体育教師になることを志しながら、サッカー部で活動していた(ポジションは中盤)。しかし、大阪教育大学筑波大学の入学試験で不合格になったことを機に、目標を小学校の教師に改めた[3]。大学への進学後は、落語研究会に所属。中学生時代にブラスバンド部でフレンチホルンを吹いていたことにちなんで、「甲家楽破(かぶとやらっぱ)」という高座名で活動していた。後に会長へ就任。現在の夫人は、落語研究会の1年先輩で、吉弥を同会に勧誘していた。その一方で、実父の学生時代と同じく、夏場にはボランティアで「朝日キャンプ」(朝日新聞厚生文化事業団が主催する児童向けキャンプ)のリーダーを務めている[3]

落語研究会の活動を通じて桂吉朝の落語に心酔したことが高じて、大学在学中の1994年11月に吉朝へ入門。同年12月に、落語家としての初高座を果たした。大学を卒業する1995年には、2月から吉朝の師匠・桂米朝の自宅への住み込み修業を予定していたが、1月17日に当時住んでいた神戸市灘区内で阪神・淡路大震災を経験。吉弥自身は幸いにも難を逃れたため、修業の開始を1か月だけ遅らせることを条件に、「朝日キャンプ」の震災ボランティア活動に参加した[3]

1995年3月から3年間、兄弟子の桂あさ吉らと共に、米朝の自宅で内弟子として住み込み修業。内弟子生活を終えてからは、現在に至るまで、吉弥の実家近くに住む有志の自宅で「春日寄席」と称する落語会を定期的に開いている[3]

また、落語家として活動するかたわら、NHKのテレビドラマにもたびたび出演。2004年大河ドラマ新選組!』では、山崎烝役を演じた。2007年10月から2008年3月までは、上方の落語界を舞台にしたNHK大阪放送局制作の連続テレビ小説ちりとてちん』に、「徒然亭草原(つれづれていそうげん)」という架空の落語家役で出演。これを機に、関西地方で放送される複数のテレビ・ラジオ番組でレギュラーを務めるなど、活動の幅を大きく広げている。

エピソード

  • 学生時代には『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)のヘビーリスナーで、笑福亭鶴光角淳一がパーソナリティを務めていた日の放送に「角淳二」というラジオネームでメッセージを投稿したこともあった。ちなみに、落語家として2010年4月からレギュラーを務める『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)では、2011年9月まで水曜日の放送で角と共演。2013年には、角がパーソナリティを務める『おとなの駄菓子屋』(MBSラジオ9月15日に放送)へ単独ゲストとして出演した。
  • 大学時代には、『3年B組金八先生』の坂本金八や、『熱中時代』の北野広大のような教師を目指していた。しかし、4年生の時に神戸大学附属住吉小学校で2年生に対する教育実習を経験したことをきっかけに、落語家への道を志すようになった。いわゆる「ゆとり教育」が本格的に始まった時期であったことに加えて、先生が負う責任の重さや、「先生よりも生徒が主人公」という実態に接したことで教師への適性に疑問が湧いたという。そこから、1人で背景からすべての演者を表現する落語の世界で生きることを模索。吉朝に宛てて手紙を書いたことをきっかけに、吉朝の落語会に日参するようになった[3]
  • 吉弥が吉朝への弟子入りを志願した当初、吉朝は弟子を取る意思を示さず、「神戸大学を卒業するのだから教師になれ」「他(の落語家)の所へ行ったらどうか?」という言葉で吉弥を諭していた。しかし、吉弥がなおも吉朝の楽屋へ通い続けるうちに、落語研究会の活動と並行しながら事実上の「見習い」として楽屋で身支度などを手伝うことを容認。米朝一門の入門芸に当たる「東の旅・発端」を吉朝から半年がかりで教わった末に、弟子入りを認められた[3]。ただし、吉朝の兄弟子に当たる桂ざこばは、自分より学歴の高い者への敵愾心と相まって最後まで弟子入りに反対した。吉弥自身も、弟子入りの後に、ざこばから「他人様の税金で国立大学に通って噺家かい!」と言われたことがあるという[4]
  • 米朝の自宅に住み込みで修業していた時期には、稽古の合間に兄弟子や師匠から急ぎの用事(雑用や運転手など)が突然入ることが多いため、内弟子としていつでも用意が出来るように待機することが苦痛だったという。もっとも、吉弥の内弟子時代には、米朝が人間国宝に認定。吉弥自身も、NHK紅白歌合戦の審査員に選ばれた米朝の付き人としてNHKホールで歌合戦の本番を鑑賞するなど、内弟子としては恵まれた境遇にあった[5]。また、内弟子時代には、米朝・枝雀の付き添いで新宿末廣亭の高座に出演。前座で「軽業」を披露した[5]
  • 山形県とは無縁の家庭で育ったにもかかわらず、同県の民謡である「真室川音頭」を高座の出囃子に用いているのは、吉朝への弟子入り前に出囃子の稽古で通っていた民謡教室で偶然耳にするうちに気に入ったからだという[6]。現在は、落語の前に音頭を歌うほか、地元の真室川町から「まむろがわ大使」を委嘱されている[7]
  • 落語家ながら『新撰組!』の山崎烝役へ抜擢された背景には、吉朝が生前笑殺軍団リリパットアーミー(関西を中心に活動していたわかぎえふ主宰の劇団)に入っていた関係で、関西の小劇団の舞台作品に数回客演していたことが挙げられる。三谷幸喜が『新撰組!』の脚本を執筆する際に、関西弁で台詞を言える役者を探していたところ、劇団の関係者を通じて吉弥を推挙されたという[3]。吉弥夫婦も三谷のファンで、吉弥が三谷にファンレターを送ったことも、『新撰組!』出演への決め手になったとされる。逆に、『新撰組!』の放送終了後には、吉弥が東京で開いた独演会を三谷が鑑賞している。
  • 『ちりとてちん』への出演は、NHK放送センターのディレクター時代に『新撰組!』の演出を担当していた伊勢田雅也が、NHK大阪放送局へ異動したことをきっかけに決まった。伊勢田が異動後に『ちりとてちん』のキャスティングを検討していたところ、『新撰組!』のキャストに落語家がいたことを思い出したことから、吉弥の起用につながったという[3]。ちなみに吉弥は、同作品で演じた「徒然亭草原」の役名を、放送終了後の高座でも使用。「枕噺(マクラ)」で観客のつかみを取れた場合に、「桂吉弥、またの名を『徒然亭草原』と言います」と名乗っている。劇中で演じた「ちりとてちん」を落語会で披露することも多く、劇中の他のネタの披露を主催者側から依頼されることもある。
  • 2006年暮れには天満天神繁昌亭にて師匠・吉朝の十八番ネタである「地獄八景亡者戯」を披露し、閻魔の庁での一芸披露大会では一度暗転させ高座を降り2006年に死去した内山田洋とクール・ファイブ内山田洋を登場させ「長崎は今日も雨だった」を熱唱した。
  • 2010年に同じ一門の桂紅雀と「べにや」のコンビ名でM-1グランプリに挑戦したが、2回戦で敗退している。
  • 2002 FIFAワールドカップ期間中に神戸ウイングスタジアムで開催された試合でボランティアスタッフを務めたり、産経新聞でコラムを連載したりするなど、学生時代からサッカーへの関心が強い。現在でも、出演番組でサッカーの話題が出るたびに、サッカーファンとしての一家言を披露。阪神タイガースのファンでもあることから、関東圏のスタジアムでサッカー日本代表の試合、関西圏で阪神の主催試合を観戦することも多い。
  • 『ちちんぷいぷい』では、水曜日の総合司会を角が務めていた時期から長らく、オープニングでの自己紹介の後に直近のニュース・話題にちなんだなぞかけを披露していた。桑原征平関西テレビ出身のフリーアナウンサー大阪芸術大学教授)とともにパーソナリティを務める『征平・吉弥の土曜も全開!!』(ABCラジオ)では、桑原と丁々発止のやり取りを展開しながら、放送中に天気予報の原稿を読んでいる。
  • 2011年2014年には、『おはようパーソナリティ道上洋三です』(ABCラジオ平日早朝の生ワイド番組)で道上とアシスタントが夏季休暇に入る8月中旬(全国高等学校野球選手権大会中継期間中)の放送で、桑原と共にパーソナリティ代理として出演。2014年8月19日(火曜日)の8時台「話のダイジェスト」では、当ページにおける学生時代から内弟子時代までの記述内容を検証しながら、桑原とのやり取りを通じて吉弥の半生を振り返る趣旨の特別企画を放送した[8]
  • 「安来市ふるさと大使」を務める関係で、2011年には、同市で開催された「第7回なかうみマラソン全国大会」に参加。ゲストランナーながらマラソンデビューを果たした。2013年10月27日開催の第3回大阪マラソンにも、毎日放送の番組出演者代表の1人として参加。フルマラソンの部を、4時間52分40秒で完走した。
  • 2014年1月からは、「境界なき記者団」のジャーナリスト(ニュースサイト『NO BORDER』の寄稿メンバー)としても活動。『NO BORDER』では、毎月(または隔月)に1本のペースで、スポーツの観戦記や「桂吉弥のスポーツ辛口噺」と称するコラムを執筆・公開している。

受賞歴

出演番組・舞台

CD・DVD

落語

  • DVD 「落語笑笑散歩~京都そぞろ歩き風流」(2006年12月発売、Sony Music Direct)
  • DVD、CD 「繁昌亭らいぶシリーズ3 桂吉弥」(2008年3月発売、テイチクエンタテインメント)
  • DVD、CD 「桂吉弥のお仕事です。そろそろ」(2008年7月23日発売、テイチクエンタテインメント)
  • DVD、CD 「桂吉弥のお仕事です。ぼちぼち」(2009年10月21日発売、テイチクエンタテインメント)

テレビドラマ

映画

舞台

  • リリパットアーミーII「天下御免の馬侍」(2006年10月)
  • DVD「地獄八景‥浮世百景」(2008年6月発売、G2HP Monthly Shop)
    • G2produceHP[9]会員(入会金・会費無料)が、2008年6月中のみ購入可能

テレビCM

  • 朝日新聞2012年11月~、関西ローカル)
    • 同社の1社提供番組『とびだせ!夕刊探検隊』で“夕刊探検隊長”を務める縁で起用。2013年3月2日から4月6日までは、同紙土曜日(または日曜日)朝刊の大阪版で連載コラム「みをつくし 語りつくし」を担当していた(全25回)。

その他

  • 上方落語かるた※読み手担当
  • ちかえもん(2016年、NHK)※売り声指導

弟子

脚注

出典

外部リンク