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== プレースタイル・人物 ==
== プレースタイル・人物 ==
パンチ力よりもシュアな打撃と俊足・堅実な守備・リーダーシップが大きな武器。高校2年の冬に右打ちから両打ちに変更した。
パンチ力よりもシュアな打撃と俊足・堅実な守備・リーダーシップが大きな武器。高校2年の冬に右打ちから両打ちに変更した。

ポジションは主に二塁手だが、三塁や外野も守る。二軍では遊撃も守っている。2014年以降は外野での出場が多い。


父・[[杉谷満]]は[[函館市]](旧[[南茅部町]])出身の元[[プロボクサー]]([[協栄ボクシングジム]]所属)で、日本[[フェザー級]]王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験した。
父・[[杉谷満]]は[[函館市]](旧[[南茅部町]])出身の元[[プロボクサー]]([[協栄ボクシングジム]]所属)で、日本[[フェザー級]]王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験した。

2016年2月14日 (日) 09:42時点における版

杉谷 拳士
北海道日本ハムファイターズ #2
2010年9月18日、横須賀スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都練馬区
生年月日 (1991-02-04) 1991年2月4日(33歳)
身長
体重
173 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 2008年 ドラフト6位
初出場 2011年6月29日
年俸 2,500万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴

東京都出身。練馬区立大泉西中学校時代は東練馬シニアでプレー。一歳上の兄・杉谷翔貴(東京農業大学生物産業学部硬式野球部を経て、現在は旭鋼管工業軟式野球部に所属)も進学していた名門・帝京高校で1年生からセンスを買われ正遊撃手を任され、甲子園には春夏通算で3度出場した。2006年夏の第88回選手権大会では準々決勝・智弁和歌山高校戦の大逆転した直後の9回裏に監督の前田三夫から度胸を買われ投手として緊急登板もしているが、先頭打者に死球を与えてしまいわずか1球で降板。結果的に敗戦投手となった(詳細は『第88回全国高等学校野球選手権大会智辯和歌山対帝京』を参照)。2007年夏には外野のレギュラーに昇格した兄と共に連続出場し、前年と同じベスト8に進出。2年生の時の秋からは主将に就任し、スイッチヒッターへ転向。東東京大会では優勝した関東一高に敗れ、3年時は甲子園出場なし。高校通算25本塁打

高校卒業後の進路は社会人野球に決まっていたが、プロが諦めきれず北海道日本ハムファイターズの入団テストを受け合格[1]2008年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6位で指名され、11月11日に契約金1,000万円、年俸450万で仮契約した。この年の同会議では帝京高校の同級生・高島祥平中日ドラゴンズに4位で指名されている。

2009年は1年目から二軍で打率.269と、高卒ルーキーとしてはかなり優秀な数字を記録した。

2010年イースタン・リーグで133安打を打ち、1998年に高梨利洋ヤクルトスワローズ)が打ち立てた同リーグのシーズン安打記録を12年振りに更新した[2]ほか、リーグ3位の打率.313、本塁打6、打点52、盗塁22とリーグトップレベルの成績を残した。2日間だけ一軍登録もされるが、出場機会はなし。

2011年6月29日に一軍初出場を果たした。田中賢介の故障離脱で空いた二塁手のポジションをボビー・スケールズらと争い、。7月2日の埼玉西武ライオンズ戦では3打数2安打2盗塁の活躍で、初のお立ち台にも上がった。また、7月21日のフレッシュオールスターゲームで優秀選手賞を受賞した。シーズン後半は外野手としても起用され、先発起用の際は主に二番打者を任され、閉幕まで一軍に帯同。打席数の増加とともに打率は落ち最終的には50試合で.185に終わった一方で、走塁面では7盗塁をマークし足でもアピールした。この年も二軍では打率.336をマークしており、二軍レベルからは完全に脱した。

2012年は田中賢介の復帰でまた開幕二軍となったが、6月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で小谷野栄一の負傷により途中出場し、川井貴志からプロ入り初本塁打を放った。プロ初本塁打を記録。この本塁打はその試合におけるチーム唯一の安打でもあった[3]。7月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて自身初の猛打賞を獲得した。8月8日の福岡ソフトバンクホークス戦には同点で迎えた9回裏二死一、二塁に代打で出場し、森福允彦から左中間を割るサヨナラ適時二塁打を放った。田中賢介の負傷後は主に二塁で西川遥輝と併用され、主に相手の先発が左のときに出場。58試合で打率.235、2本塁打12打点という成績だった。

2013年は開幕一軍入り。二塁に西川遥輝が定着したため、糸井嘉男の抜けた右翼のレギュラー候補として序盤はスタメン起用されたが、打率1割台と低迷、一軍と二軍を往復することになった。結局55試合で打率.199に終わる。

2014年も開幕一軍入りは果たし、自身最多の87試合に出場したが、打率が伸び悩み.203に終わる。

2015年は大ブレイク。交流戦終了時点で、規定打席未到達ながら打率.322、盗塁6、さらに一時は交流戦で首位打者に立つなど飛躍を見せた。 最終的に規定打席に満たなかったが、自己キャリアハイの打率.295をマーク。


2016年より61から2へ背番号が変更される[4]

プレースタイル・人物

パンチ力よりもシュアな打撃と俊足・堅実な守備・リーダーシップが大きな武器。高校2年の冬に右打ちから両打ちに変更した。

ポジションは主に二塁手だが、三塁や外野も守る。二軍では遊撃も守っている。2014年以降は外野での出場が多い。

父・杉谷満函館市(旧南茅部町)出身の元プロボクサー協栄ボクシングジム所属)で、日本フェザー級王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験した。

非常に明るい性格である。日本ハムOBで野球解説者岩本勉から『うるさ杉谷』と呼ばれるほど。2011年の春季キャンプ中には、報道ステーションテレビ朝日)内スポーツコーナーの特集企画「規格外」にて、大声を上げて打つという点をキャスターの栗山英樹(当時)に取り上げられた。栗山とは後に日本ハムの監督と選手という関係として再会することになる。

2011年まで日本ハムに在籍したダルビッシュ有にはまだ「すぎや」は早いということで「すぎたに」と呼ばれていた。

元チームメイトの木田優夫が『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』の生放送当日、杉谷が木田の元を訪ねてきて、勝手に付き人兼運転手として帯同しフジテレビに入ってしまったという。

日本ハムでは1年先輩の中田翔の「世話役」として、中田にいじられることが多い[5][6]。 また、珍しい所では球団の枠を飛び越え打撃練習中に西武プリンスドームウグイス嬢からもいじられている[7]

理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボして、2007年より毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票にて選出している企画「ファイターズスタイル」の2011年度モデルに選ばれた[8]

2015年より夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル内の1コーナー、リアル野球BANに石橋JAPANの一員として参加している(石橋貴明は帝京高校野球部の先輩である)。 ゴルゴ松本とともにTIMのネタを披露したり、対戦相手として出演している先輩の中田に対し暴言を吐くなど明るいキャラを生かし活躍を見せている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2011 日本ハム 50 110 92 9 17 3 1 0 22 7 7 3 11 0 5 0 2 21 1 .185 .242 .239 .482
2012 58 133 115 11 27 3 1 2 38 12 4 2 8 2 7 0 1 18 1 .235 .280 .330 .615
2013 55 165 141 11 28 5 1 0 35 8 0 1 11 0 12 0 1 24 2 .199 .266 .248 .514
2014 87 146 123 21 25 4 2 2 39 9 11 1 11 0 8 0 4 19 1 .203 .274 .317 .591
2015 84 192 166 25 49 5 2 1 61 12 8 7 9 1 9 0 7 28 1 .295 .355 .367 .723
NPB:5年 334 746 637 77 146 20 7 5 195 48 30 14 50 3 41 0 15 110 6 .229 .290 .306 .598
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 - 16 23 28 1 5 .981 - - 20 24 0 0 0 1.000
2012 - 5 15 13 0 5 1.000 6 2 7 0 0 1.000 1 1 2 1 0 .750 29 31 1 0 0 1.000
2013 3 28 1 0 4 1.000 10 15 13 0 1 1.000 1 1 1 1 0 .667 - 33 57 2 0 0 1.000
2014 - - - - 69 60 1 2 0 .968
通算 3 28 1 0 4 1.000 31 53 54 1 11 .991 7 3 8 1 0 .917 1 1 2 1 0 .750 151 172 4 2 0 .989
  • 2014年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 61 (2009年 - 2015年)
  • 2 (2016年 - )

脚注

  1. ^ 週刊ベースボール2013年11月11日号 P48
  2. ^ ハム杉谷、イースタン最多安打記録を更新 スポーツニッポン 2010年9月19日
  3. ^ 杉谷、プロ1号!両親の前で「めっちゃうれしい」スポニチAnnex 2012年6月27日付記事より。
  4. ^ 背番号変更、決定のお知らせ北海道日本ハムファイターズ公式サイト 2015年11月15日]
  5. ^ ハム杉谷 中田の30打点分は自分の貢献 - デイリースポーツ・2014年12月4日
  6. ^ 日本ハムの杉谷拳士が先輩である中田翔を番組で挑発「かわいがってやる」 - livedoor NEWS・2015年1月3日
  7. ^ 日本ハム杉谷の柵越えと熱中症注意と場内アナウンス
  8. ^ ファイターズスタイル理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会、2015年11月20日閲覧。

関連項目

外部リンク