藤田太陽

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藤田 太陽
ロキテクノベースボールクラブ 選手兼任コーチ #23
Fujita taiyo.jpg
ヤクルト時代(2013年8月11日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県秋田市
生年月日 (1979-11-01) 1979年11月1日(37歳)
身長
体重
187 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 2001年3月30日
最終出場 2013年9月21日
年俸 2,600万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ロキテクノベースボールクラブ

藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手投手)。2004年から2008年までの登録名は「太陽」。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

秋田県立新屋高等学校への進学後には、外野手としてのプレーを経て、2年生の秋から本格的に投手へ転向。3年生夏の全国高等学校野球選手権大会では、秋田大会の2回戦で敗退した。新屋高校は1回戦で勝ったことがないほどの弱小校であったが、弱いところで活躍したほうがより目立てるという理由で入学したという。同学年で後にプロから指名された選手としては石川雅規仁部智、後松重栄(メッツより指名を受けた)がいる。

高校3年生の時点でプロからの誘いがあったが、下位指名が予想されたことと、社会人野球を経て指名されたほうが契約金が高くなるという目論見もあり、川崎製鉄千葉へ入社。2年目の1999年に頭角を現し、第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では最優秀防御率賞に輝き日本の3位入賞に貢献した。

2000年シドニーオリンピックの代表候補として直前合宿に参加したが、肘に違和感を覚え本選には選出されなかった。同年秋のドラフト会議では読売ジャイアンツ阪神タイガースが最後まで獲得を競ったが、阪神を逆指名しての1位指名で入団。

阪神時代[編集]

阪神時代
(2008年6月27日、阪神鳴尾浜球場

2001年オープン戦の対日本ハムファイターズ戦(阪神甲子園球場)に先発した際、その試合を中継した朝日放送が、公式戦ではないもののゴールデンルーキーの初登板ということで、CMに入る直前に随所で藤田の幼い頃の写真を紹介したり、『週刊ベースボール』の選手名鑑号では他主力選手を差し置いて表紙にも掲載されるなど、周囲の期待の高さをうかがわせた。しかし、安芸キャンプで投手コーチの八木沢荘六に命ぜられたフォーム改造と投げ込み過多で右肘に炎症を起こし、開幕戦に登板したもののすぐに二軍降格。シーズン最終戦でプロ初先発するも、4回を投げてエディ・ディアス野村謙二郎本塁打を打たれるなど被安打8, 5失点だった[1]

2002年は春季キャンプで右ふくらはぎの肉離れを起こして出遅れ、7月24日になって一軍昇格。藤川球児と共に積極的に先発投手として起用され、同年プロ初勝利初完投を記録。2003年は開幕ローテーション入りを果たすが、右肘靭帯の損傷で離脱して6月に右手首からの靭帯移植手術を受けた。

2004年は秋の教育リーグで実戦登板したのみで終わった。2005年は開幕ローテーションに入るが結果を残せず二軍に降格し、その後は8月に中継ぎとして数試合に登板するにとどまった。

2007年の秋季キャンプから、それまでのオーバースローより腕の位置を下げたスリー・クォーターにフォーム改造をし、2008年2月にはさらに腕を下げてサイドスローに転向した。

このように阪神在籍時は潜在能力こそ高く評価されていたが、怪我が多く、一軍では目立った成績を挙げることがなかったため、「未完の大器」とも「ブルペンエース」とも称された。

2009年7月11日、内野手陣を強化したい阪神と中継ぎ投手を求める西武の思惑が一致したことにより[2]水田圭介との交換トレードで西武へ移籍した[3]。この一ヶ月ほど前にも、同じく西武の赤田将吾とのトレードが合意に達した、と一部のスポーツ紙で報道されていた[4]。背番号は水田が着けていた「45」を引き継いだ。

西武時代[編集]

西武時代
(2011年3月10日、阪神甲子園球場

移籍後は中継ぎとして安定した投球を披露し、終盤には抑えとして起用されることもあった。移籍後はわずか2か月半で25試合に登板し、防御率2.00を記録するなど、同年不安定さの目立った西武リリーフ投手陣の中で中継ぎとして活躍した。

2010年は、ブライアン・シコースキーにつなぐセットアッパーを務め、4月30日の対日本ハム戦でサヨナラ打を喫するまで無失点、防御率0.00の活躍をしたものの、故障と不調で2度の登録抹消。復帰した後も精彩を欠く登板が続き、被本塁打が増えるなど、安定感に欠ける面も見られた。しかし、最終的には自己最多となる48試合に登板し19ホールドを記録した。

2011年は、開幕直後に打ち込まれ、二軍降格。その後も、二軍で好投を見せ一軍に昇格し、打ち込まれ二軍に逆戻りを繰り返した。

2012年10月2日、戦力外通告を受けた[5]。11月9日に東京ヤクルトスワローズが獲得を発表[6]

ヤクルト時代[編集]

2013年8月7日中日ドラゴンズ戦で4年ぶりにセーブをあげる[7]など、リリーフとして20試合に登板するも、10月8日に球団から2度目の戦力外通告を受けた[8]。慢性的な右肘の痛みに悩まされていることもあり、現役を引退した[9]

現役引退後[編集]

現役引退後は、東京・西麻布の焼肉店に勤務するかたわら[10]フリーランス野球解説者として出身地の秋田や関東・関西地方のテレビ・ラジオ番組へ随時出演。また、大久保博元主宰の野球塾「デーブベースボールアカデミー」で講師を務めている[11]

現役復帰[編集]

2015年12月14日、富山県クラブチームロキテクノベースボールクラブで投手兼任コーチとして現役復帰することが発表された[12]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 阪神 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 39 7.1 11 2 7 0 1 2 0 0 12 12 14.73 2.45
2002 12 8 1 0 0 2 5 0 -- .286 238 57.1 55 9 21 0 3 46 4 0 25 23 3.61 1.33
2003 5 5 0 0 0 1 2 0 -- .333 99 23.1 21 3 11 0 0 14 0 0 8 8 3.09 1.37
2005 4 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 54 12.0 16 4 3 0 0 4 0 0 9 8 6.00 1.58
2006 11 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 79 18.2 23 2 2 0 1 19 2 0 7 7 3.38 1.34
2007 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 27 6.0 9 0 0 0 0 7 0 0 3 2 3.00 1.50
2008 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 48 11.0 11 2 2 0 1 7 0 0 7 5 4.09 1.18
2009 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 1.1 4 0 1 0 0 1 0 0 1 1 6.75 3.75
西武 25 0 0 0 0 2 0 3 4 1.000 113 27.0 24 2 9 2 1 10 0 0 6 6 2.00 1.22
'09計 27 0 0 0 0 2 0 3 4 1.000 122 28.1 28 2 10 2 1 11 0 0 7 7 2.22 1.34
2010 48 0 0 0 0 6 3 0 19 .667 183 46.0 43 8 7 2 2 29 2 0 20 20 3.91 1.09
2011 14 0 0 0 0 0 2 0 0 .000 71 15.1 19 4 3 0 2 13 0 0 10 10 5.87 1.44
2012 3 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 21 3.2 9 2 1 0 1 3 0 0 6 6 14.73 2.73
2013 ヤクルト 20 0 0 0 0 0 0 1 1 ---- 78 18.2 13 3 6 0 3 6 2 0 5 4 1.93 1.02
通算:12年 156 16 1 0 0 13 14 4 24 .481 1059 247.2 258 41 73 4 15 161 10 0 119 112 4.07 1.34

記録[編集]

背番号[編集]

  • 15 (2001年 - 2009年途中)
  • 45 (2009年途中 - 2012年)
  • 51 (2013年)

登録名[編集]

  • 藤田 太陽 (ふじた たいよう、2001年 - 2003年、2009年 - 2013年)
  • 太陽 (たいよう、2004年 - 2008年)

脚注[編集]

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  1. ^ ベースボールマガジン社『2002ベースボール・レコード・ブック』、269頁。
  2. ^ 阪神藤田と西武水田の交換トレードが成立 日刊スポーツ、2009年7月11日。
  3. ^ トレードのお知らせ 埼玉西武ライオンズ公式ウェブサイト、2011年3月10日閲覧。
  4. ^ [1] スポーツニッポン、2009年6月17日。[リンク切れ]
  5. ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について”. 埼玉西武ライオンズ (2012年10月2日). 2012年10月6日閲覧。
  6. ^ 【ヤクルト】西武戦力外の藤田太陽獲得日刊スポーツ2012年11月9日
  7. ^ 西武自由契約のヤクルト・藤田 4年ぶりセーブ「吐き気がした」”. Sponichi Annex 野球 (2013年8月8日). 2013年12月25日閲覧。
  8. ^ 戦力外通告のお知らせ東京ヤクルトスワローズ公式ウェブサイト2013年10月8日配信
  9. ^ ヤクルト 藤田太陽が引退 慢性的な右肘の痛み…もはや限界”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月26日). 2013年12月26日閲覧。
  10. ^ 西麻布牛牛本店にて。”. 藤田太陽Taiyo blog (2014年1月20日). 2014年2月20日閲覧。
  11. ^ 助っ人コーチ!”. デーブベースボールアカデミー公式ブログ (2014年1月18日). 2014年2月20日閲覧。
  12. ^ 元阪神ドラ1藤田太陽氏 富山のクラブチーム入団 コーチ兼任で スポーツニッポン 2015年12月15日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]