川井貴志

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川井 貴志
RE-Takashi-Kawai.jpg
2009年8月26日(ロッテ浦和球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市住吉区
生年月日 1976年9月16日(40歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト3位
初出場 1999年4月6日
年俸 1,600万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川井 貴志(かわい たかし、1976年9月16日 - )は、大阪府大阪市住吉区出身の元プロ野球選手投手)。愛称は「ボブ」。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

大阪桐蔭高校時代に甲子園球場での全国大会へ出場しないまま、城西大学へ進学。大学時代には、首都大学リーグ通算で、6勝5敗という成績を残した。

1998年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3位で指名。契約金8,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は34

プロ入り後[編集]

ロッテ時代[編集]

1999年
ルーキーながら、公式戦開幕直後の4月6日に、救援投手として福岡ダイエーホークスとのシーズン初戦(福岡ドーム)に登板。6月6日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で一軍初の先発マウンドに臨んだが、2回2/3を3失点という内容で敗戦投手になった。一軍公式戦全体では7試合に登板したが、0勝1敗、防御率14.63という成績に終わった。
2000年
当時の一軍監督・山本功児から先発・中継ぎ要員に抜擢。5月3日の対大阪近鉄バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)に先発で一軍初勝利を挙げるなど、公式戦22試合の登板で4勝3敗、防御率4.71を記録した。
2001年
首脳陣から一軍先発陣への定着を期待されたが、実際には主に中継ぎで公式戦25試合に登板。防御率も、3.38にまで改善させた。シーズン終了後には、自身と同じ左腕投手で、当時讀賣ジャイアンツ(巨人)に在籍していた工藤公康との合同自主トレを敢行した。
2002年
小林宏之小林雅英(いずれも右腕投手)と共に、一軍で勝利の方程式を形成。8回の小林宏・9回の小林雅につなぐセットアッパーとして、味方が中盤までに勝ち越した試合の7回を中心に、一軍公式戦51試合の登板で4勝1敗、防御率2.76という好成績を残した。
2003年
一軍公式戦で自己最多の54試合に登板したことによって、小林宏と共に2年連続50試合登板を達成。防御率4.42ながら、4勝無敗でシーズンを終えた。
2004年
この年からチームに復帰したボビー・バレンタイン一軍監督の構想で、中継ぎに専念。一軍公式戦47試合に登板したが、2勝3敗、防御率7.11という成績にとどまった。
2005年
一軍公式戦11試合に登板したが、勝敗は付かず、防御率が8.10にまで悪化。夏場以降は二軍生活を送った。イースタン・リーグ公式戦には、クローザーとして38試合に登板。7勝4敗9セーブ、防御率1.81の好成績を残した。
2006年
シーズン途中の5月22日東北楽天ゴールデンイーグルスへの移籍が発表されるまで、一軍公式戦への登板機会がなかった。

ロッテには8年間在籍。一軍公式戦通算217試合の登板で、16勝10敗1ホールド、防御率4.77という成績を残した。

楽天時代[編集]

2006年
新里賢との交換トレードで、5月22日に移籍。左腕投手が不足していたチーム事情を背景に、若手の捕手を求めていたロッテとの間でトレードが成立した。背番号は45
救援投手として登板した楽天移籍後初の一軍マウンドで自身2年振りの勝利を挙げると、6月のリーグ戦では、久々に先発投手として登板。セ・パ交流戦で先発陣の一角に入ると、6月18日の対巨人戦(東京ドーム)では、上原浩治と投げ合った末に勝利投手になった。また、チームに貴重な左腕投手として、有銘兼久と共に中継ぎにも起用された。
2007年
イースタン・リーグ公式戦では、2完封を含むチームトップの8勝を挙げた。しかし、一軍公式戦では3試合の登板で未勝利に終わった。
2008年
イースタン・リーグ公式戦で最終規定投球回に到達するとともに、チーム2位の7勝を挙げた。しかし、防御率が5.58と悪く、2年連続で一軍公式戦での登板がなかった。
2009年
公式戦の開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦で防御率2点台の好成績を残したことから、4月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(クリネックススタジアム宮城)で先発投手として自身2年振りの一軍マウンドを踏んだ。4回2/3を投げて自責点0という内容だったが、リック・ショートなど味方野手のエラーがすべて得点に絡んだ影響で4失点を喫した末に、敗戦投手になった。その後も一軍公式戦13試合に登板したが、勝ち星を挙げられなかった。
2010年
一軍公式戦では、中継ぎで登板した対東京ヤクルトスワローズ戦で3年ぶりの勝ち星を挙げた後に、先発陣の一角を担った。先発転向後は、8月18日オリックス・バファローズ戦(スカイマークスタジアム)に7回1失点でシーズン2勝目を記録すると、9月22日の対日本ハム戦(札幌ドーム)では武田勝に投げ勝った。一軍公式戦全体では、17試合の登板で、3勝7敗、防御率4.59という成績を残した。
2011年
前年に続いて、一軍先発陣の一角を担った。シーズン初登板(5月23日の対中日ドラゴンズ戦)では5回を2失点、5月29日の対阪神タイガース戦では7回途中2失点、6月4日の対巨人戦では6回1失点と好投。しかし、ことごとく打線の援護に恵まれず、3連敗を喫してしまう。7月15日の対オリックス戦(Kスタ宮城)で6回を無失点に抑えてシーズン初勝利を挙げたが、一軍公式戦通算では11試合の登板で、防御率3.38ながら1勝4敗に終わった。
2012年
5月2日の対西武戦(西武ドーム)に先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを踏むと、9日の同カード(Kスタ宮城)でシーズン初勝利を挙げた。7月10日以降は一軍公式戦での登板機会がなく、防御率2.83ながら、通算8試合の登板で2勝1敗にとどまった。
2013年
公式戦の開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦では、先発登板10試合で4勝1敗、防御率2.49という好成績を残した。6月27日の対西武戦(埼玉県営大宮公園野球場)で、先発投手としてシーズン初の一軍マウンドに臨むと、6回を本塁打による1失点に抑えて一軍でのシーズン初勝利を挙げた。ちなみに、この年のチームでは、開幕から左腕の先発要員が一軍に不在。そのため、川井が先発するまでの公式戦64試合では、左腕投手が1人も先発に起用されなかった[1]。結局、川井自身の登板は6試合にとどまったが、3勝2敗、防御率3.00という成績を残した。
2014年
シーズン初の一軍マウンドであった5月5日の対西武戦(西武ドーム)で、先発投手として5回2/3を無失点に抑えてシーズン初勝利。以降もオール先発で7試合に登板したが、勝ち星を上乗せできなかった。3試合目の登板であった5月20日の対中日ドラゴンズ戦でシーズン初の敗戦投手になると、シーズンの最終登板であった8月3日の対西武戦(いずれも楽天koboスタジアム宮城)まで6連敗を喫している。
2015年
4月17日の対日本ハム戦(コボスタ宮城)に、救援投手としてシーズン初の一軍公式戦登板。1イニングを無失点に抑えたものの、8月9日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でシーズン初先発を果たすまで、二軍での調整に明け暮れた。一軍公式戦全体では、5試合に登板(4試合に先発)したものの、0勝2敗、防御率6.00と精彩を欠いた。
2016年
5月25日の対西武戦(西武プリンスドーム)で、先発投手としてシーズン初の一軍マウンドに臨んだが、4回5失点という内容で敗戦投手になった。6月15日の対巨人戦(東京ドーム)でも先発に起用されたが、二軍調整を経て、9月の一軍復帰後は救援で公式戦3試合に登板。翌2017年の戦力構想に入らなかったことから、9月28日イースタン・リーグ最終戦で先発投手として1イニングを投げる[2]と、翌29日にこのシーズン限りでの現役引退を表明した[3]
10月2日に本拠地のコボスタ宮城で臨んだ引退会見では、「2007年から2年続けて(一軍で)勝てなくても、楽天球団は僕を残してくれた。それからの登板試合ではすべて、引退試合のつもりで投げていた」との真情を吐露。さらに、「プロの投手は勝たないと意味がない。執念を出して頑張ってもらいたい」という言葉で、後輩の投手にエールを送った[4]。10月17日、任意引退公示された[5]

引退後[編集]

チームに残留し、打撃投手を務めている[6]

選手としての特徴[編集]

ストレートの球速は、平均140km/h前半とスピードは無いが、スライダーを軸にスクリュースローカーブなどを投げ分ける技巧派左腕。

楽天移籍後の2010年以降は、長期にわたって一軍の先発ローテーションに加わることがなかった。しかし、夏場以降の試合や、開幕から先発ローテーションに入っていた投手が疲労・不調の場合に先発で好投することが相次いだ[7]。そのため、当時の一軍監督だった星野仙一からは、「困った時のボブ」と呼ばれるほど信頼されていた[1]。川井自身も、引退会見で「(自分の調子が)良い時に一軍へ上げてもらえた。『困った時のボブ』と言ってもらえたことに感謝している」との言葉で、星野への感謝の意を示した[4]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 ロッテ 7 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 45 8.0 14 2 8 0 0 5 0 1 13 13 14.63 2.75
2000 22 7 1 0 0 4 3 0 0 .571 228 49.2 53 2 26 2 8 21 1 1 31 26 4.71 1.59
2001 25 3 1 0 0 2 2 0 0 .500 181 42.2 35 4 21 0 2 24 0 0 17 16 3.38 1.31
2002 51 4 0 0 0 4 1 0 0 .800 337 78.1 75 5 28 3 3 75 0 0 27 24 2.76 1.31
2003 54 2 0 0 0 4 0 0 0 1.000 320 75.1 69 6 26 1 2 65 1 0 40 37 4.42 1.26
2004 47 0 0 0 0 2 3 0 0 .400 236 49.1 70 10 19 4 4 36 1 0 42 39 7.11 2.15
2005 11 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 65 13.1 23 3 4 0 1 3 0 0 12 12 8.10 2.03
2006 楽天 13 2 0 0 0 2 1 0 0 .667 83 19.2 21 2 5 0 1 11 1 0 12 9 4.12 1.32
2007 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.2 4 1 2 0 0 3 0 0 4 4 9.82 1.64
2009 14 3 0 0 0 0 2 0 1 .000 142 32.2 34 2 12 0 3 17 1 0 17 13 3.58 1.41
2010 17 12 0 0 0 3 7 0 0 .300 306 66.2 81 7 28 1 2 28 2 0 39 34 4.59 1.64
2011 11 11 0 0 0 1 4 0 0 .200 227 50.2 57 4 14 0 4 29 0 0 22 19 3.38 1.40
2012 8 5 0 0 0 2 1 0 1 .667 127 28.2 32 4 6 0 4 10 0 0 10 9 2.83 1.33
2013 6 6 0 0 0 3 2 0 0 .600 122 30.0 33 3 5 0 0 13 0 0 10 10 3.00 1.27
2014 8 8 0 0 0 1 6 0 0 .143 179 40.1 46 4 16 1 2 27 0 0 23 21 4.69 1.54
2015 5 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 81 18.0 24 5 3 0 0 11 0 0 14 12 6.00 1.50
2016 5 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 75 15.1 23 2 6 0 0 7 0 0 17 14 8.22 1.89
通算:18年 307 70 2 0 0 28 36 0 3 .438 2770 622.1 694 66 229 12 36 385 7 2 350 312 4.51 1.48
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 34 (1999年 - 2006年途中)
  • 45 (2006年途中 - 2016年)

登場曲[編集]

  • 『CHALLENGER~俺たち挑戦者~』OZ ハルキ(2010年 - )

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]